第65話 猫と料理
2週間。
言葉にすればあまりに短い休暇を終えて戻った学院は、まるで数ヶ月ぶりに訪れたかのように久しい感じがした。
学院の正門でミリウスたちと別れ、シホは少ない手荷物ひとつを持ち、一路リースター寮を目指す。
道中目にする何もかもが、懐かしく愛おしい感じがした。
広い庭園を抜け、すっかり見慣れてしまった学寮を見上げる。
その特徴的な半円形のドームを見上げると『我が家に帰ってきたなぁ』という安心感が広がった。
妙にウキウキとした高揚感と共に、さっそく寮の扉に鍵を挿す。
扉を解錠しようとして――――すでに開いていた扉に首を捻った。
「?」
旅行に行く前はたしかに施錠して出て行ったはず。
ならばファビアンだろうか?
出立前に彼に寮の鍵を渡していったことを思い出して、シホはガチャリと扉を開けた。
カランコロン、と来客の訪れを知らせるドアベルが鳴り響く。
心地良く懐かしい音に耳を澄ませ、荷物をどさりとソファに置く。
そしてぐるりと振り返り廊下のほうを見ると――――――彼がいた。
「あ」
「………………帰ったのか」
そこには濡れた髪から水を滴らせ――――首にタオルを引っかけた上半身裸のファビアンがいた。
(うわぁ。なんか久々に見ると、目に痛いくらい眩しい……)
その無駄にいい顔に――風呂上がりなのだろうか?――しっとりと濡れた髪が張り付いて、匂い立つような色香を迸らせている。
これを下町の女たちに見せたなら、それだけで卒倒する女が何人も出るに違いない。
……ファビアンは将来飲食店でもやればいいと思う。
彼目当ての女性客で、店は必ず繁盛するはずだ。
「あー……風呂、借りたから」
「それは別にいいけど……」
ここは元々寮だ。何もシホひとりの家ではない。
「どうしたの? なんか汚れた?」
「いや。ただ起きたら風呂入りたくなっただけ」
「そう」
(………………起きたら?)
いまの時刻は昼前だ。
寮に来て昼寝をするにはまだ早い。
「もしかして…………ファビアン、ここに泊まってた?」
「ん」
ファビアンは濡れた髪をごしごしと拭きながら、短く肯定した。
「本読んでたら、いちいち部屋に帰るのが面倒になった」
「まぁそれは……そうだろうけど」
たしかにここには生活に必要なものすべてが揃っている。
毎日のように入り浸っていたのなら、風呂や睡眠のために帰るのが面倒になるのは当然のような気がした。
「そこの部屋、借りたから。俺の部屋」
ファビアンが指差したのは、1階にある、元寮生用の部屋のうちの一室だ。
扉を開けて中を確認すれば、そこは彼がしばらく泊まっていたのだろう。
きちんと掃除がなされ、布団も干され、生活できる空間に様変わりしていた。
「そういえば、寮の中も綺麗なような……」
見れば家主が2週間不在にしていたわりには、至るところに掃除が行き届きいている。
そのピカピカした空間を見渡して、シホは振り返った。
「まさか……ファビアンが?!」
「………………………………暇潰し」
長い沈黙のあと、それだけぽつりとファビアンはこぼした。
「ありがとーっ!」
シホは感謝のままに、ごしごしとファビアンの頭を撫でる。
帰宅したときに清掃の行き届いた家に帰れるとは、なんと素晴らしいことなのだろう。
喜びのままにひとしきりファビアンの頭を撫でまわすと、ファビアンがじっとこちらを見つめていた。
「………………」
「?」
なんだろう、この間は何か覚えがあるような……。
「じゃあ、なんか礼をくれよ」
やっぱり――――!
ファビアンの善意は高くつくのだ。
(まぁ掃除をしてもらったのは事実だし)
これだけ広い空間だ。私室ひとつ掃除するのとはわけが違う。
「よし、希望を聞きましょう」
どんと来い!と胸を張って、ファビアンの希望を待つ。
「じゃあ……お前の――――がいい」
「?」
ボソリ、と呟いたファビアンに、もっとよく聞こえるよう耳を寄せる。
「だからお前の――――……」
「ああ、なんだそんなこと」
それくらいのことなら、お安いご用である。
ミリウスたちとの約束はあるが……まぁ、それは夜に回せばいいだろう。
「よし、じゃあまずは材料の確認ね。何があるかな~~」
いつの間にか屋敷に住み着いていた大きな猫を引き連れて、シホはキッチンに向かうのだった。
*
部屋で荷ほどきを済ませたミリウスが、同じく荷ほどきを済ませたラスティンと落ち合い、リースター寮を目指したのは、ちょうど昼前のころだった。
学院に戻る前、先生と『帰ったら共に食堂へ行く』という約束をしていたので、その約束のために向かっているのである。
途中、ファビアンもいればと部屋を訪ねたが、あいにく部屋は留守だった。
なにかと出歩きがちなファビアンのことなので仕方がないが、奴もいればもっと楽しかったのに、と少しだけ残念に思った。
「なーミリウス。この土産も寮に持って行っていいよな?」
「いいんじゃないか? 一人では食べきれないんだろう? ならサロンに置いておけば皆も喜ぶし、先生も喜ぶ」
特に食べ物には目がない先生だ。
きっと喜んでくれるに違いない。
ほくほくとした気持ちでミリウスはリースター寮に辿り着く。
そして扉を開けた。
「お邪魔します――――――――」
いつものように、けれど少し懐かしい感じに胸躍らせながら扉を開いたミリウスは――――扉を開けて、そして室内の様子を見て固まった。
キッチンに立つ先生。
その背後に、半裸の男が寄り添っているのである。
「…………!!!?」
よく見れば男はファビアンだった。
ファビアンはこちらの来訪に気づいたのだろう。ドアベルの音に一度反応し、こちらに視線を投げたあと……すぐさま興味を失ったように先生へと視線を戻した。
「あ、ミリウス! ラスティン! いらっしゃ~い」
シホは笑顔で来客を迎えると、再び手元に視線を戻す。
「ごめんね、いまファビアンのご飯を作ってるから。あと昼食の約束だけど、食堂で一緒に食べるのは夜に回してもらってもいい? 昼はここでファビアンと食べるから」
「!」
何がどうなって、いつの間にファビアンの食事が自分たちの約束に優先されているのか。
(約束…………していたのに)
先生からの提案だったはずだ。だから簡単に後回しにされてしまったのかもしれないが、そんなに簡単にファビアンのことを優先させるほど、先生はファビアンのほうが大事なのだろうか。
「む……………………」
ライオールでは、いつだって一番優先されていたのは自分なのに。
突如切り替わってしまった優先順位に、やきもきと心が波立つ。
そんな心境で二人を目にしていると、普段なら気にならない点がやたらと目に付いた。
(ファビアンは、先生に近すぎやしないか……!?)
料理する先生の背後にぴたりとついて、その動作を後ろから覗き込んでいる。
そして時々、『あ、肉は大きめに切って』『茄子はいらね』『塩加減は……こんくらい』などと口を挟みながら、先生越しに手を伸ばしては、味付けの加減を見るのである。
(それだけ口を出すなら自分で作ればいいだろうっ!?)
それをいちいち、先生にくっついて。
しまいには煮える鍋を待つ間、先生の肩に顎を置いて待つ始末である……!
「お前という奴は……っ!」
このような、同棲したての恋人のような光景を見せられて黙っていられるはずがない。
「ファビアン、お前には前々から言おうと思っていたことだが……」
「なんだよ王子サマ。焼きもちか?」
「!!?」
「男の焼きもちはみっともないらしいぞ~。なー先生?」
「あはははは……ごめんね、ミリウス。きっとファビアンも皆がいなくて寂しかったんだと思うから」
そう言って先生が背中越しにファビアンを見上げると、ファビアンは無言でふいっと視線を逸らした。
「ホントにもう~素直じゃないね~~」
そう言いながら先生は、くしゃくしゃとファビアンの髪を掻き混ぜる。
「あ、そうだ。髪も乾かさないとね」
料理も一段落ついたのだろう、先生はファビアンを連れてソファに移動すると、温かい風を起こす魔法でファビアンの髪を乾かし始める。
「お、それ便利だな。今度教えろよ」
「んーまぁきみなら使いこなせるかもね。いいよ」
その至れり尽くせりな様子に、ミリウスのなかで何かが弾けた。
「…………………………」
「ん? どうしたのミリウス?」
「…………………………」
「げ。さすがにやり過ぎたか」
仲睦まじげな二人の様子を見るだけで、どんどんと澱のような淀みが胸の内に溜まっていく。
「ミリウス」
淀みのような暗闇でも、先生が自分を呼ぶ声は澄んだ光のように響く。
「手が空いてるなら料理をよそってくれる? せっかくだから、一緒に食べよう?」
視界に光が満ちていく。
先生の手料理などいつぶりだったか。
食堂の料理よりずっと喉から手が出るほど欲しかったものに、すべての暗闇が光に塗り替えられていく。
半円形のガラスのドーム。
その下の、サロンの端の食卓で。
4人でテーブルを囲み、できたての料理に舌鼓を打った。
リースター・カレッジの日常が、やっと戻って来たような気がした。
これにて3章『避暑旅行編』終了です。
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