第64話 貴方の隣に
エントランスホールで帰路につく来客たちを見送っていたレナードは、最後の客が帰った静かなホールで、一人溜め息をついた。
「あらあら、さすがの貴方もお疲れのご様子ね」
「これは……ミルフォード公爵夫人。まだおいでだったとは……。お見苦しいところをお見せいたしました」
「ふふ、いいわ。あなたほどの色男がため息をつく姿が見られたんだもの。本当に絵になるわねぇ」
くすくすと笑みを浮かべながら夫人は歩み寄る。
「娘が夜会の途中で気分が悪くなったものだから、奥で休ませてもらっていたの。あなたの家のメイドたちは手際がいいのねぇ。助かったわ」
「それはそれは……。お役に立ったようで何よりです」
「ところで……今日は本当に良い夜会にお招きいただいたわ」
夫人はにこやかに扇を口元に広げる。
「料理や楽団のセンスも素晴らしくて。さすがライオール主催の会といったところね。侯爵も鼻が高いのではないかしら?」
「さぁ、そればかりは。父の胸の内ですね」
レナードもまた、にこやかな笑顔を交えて応じた。
「ただ……ひとつだけ残念なことがあったわ」
夫人は残念そうにぽつりとこぼす。
「てっきり今日はうちの娘に殿下をご紹介いただけると思っていたのに」
「………………」
ミルフォード公爵令嬢。
王家とも十分家格の釣り合う公爵家の令嬢で、その性格も従順かつ貞淑。物静かで、多少控えめが過ぎるところがあるが、社交界でも悪い噂のない『良い令嬢』だった。
レナードが当初ミリウスの配偶者にと考えて招いた令嬢でもあった。
「それは…………私としたことが気が利かず、失礼いたしました」
「………………」
夫人はレナードの意図を推し量るように、じっとその瞳でこちらを見る。
そうして、ややあって諦めたように扇を下ろした。
「まぁ、あなたに無理難題を言っても仕方がないわね。さすがに殿下があのご様子では……私でもどうしようもないもの」
夫人はまるで、会場内で見た、あのただ一人の相手に焦がれ続ける王子の横顔を思い出したように、遠い場所に視線を投げた。
「それに、相手があのご令嬢では。さすがにうちの子では太刀打ちできないわ。相手がわるすぎるもの」
うちの子だっていい娘なのだけど……と、夫人は娘を愛する母親らしく口を尖らせる。
「いったいどこで見つけてきたのかしら?」
突如現れたライオール家の縁戚だという令嬢に、公爵夫人は興味津々だとばかりに目を輝かせた。
「さぁ? それは私からは……」
「それでは殿下に伺えば、お教えくださるのかしら?」
「どうでしょうね」
「まったくあなたは……本当につれないのね」
夫人は品良く溜め息をついて、気を取り直したのか顔を上げる。
「まぁいいわ。いまは無理でも、そのうち殿下にもうちの子の魅力をわかっていただけるかもしれないし。今日のところはお暇するわ」
威厳ある公爵夫人は颯爽と踵を返す。
まだ奥で休んでいる娘を迎えに行くためだろう。引き返しながら、ふと、夫人はゆるりとこちらを振り返った。
「私のことを諦めの悪い女とお思い?」
くすり、と彼女は微笑む。
「それでも、女はしぶとく強かに生きていかなくてはね。……そうでなくては、この社会では生きていけないもの」
それは長年に渡り、この貴族社会で生きてきた彼女の豪胆さが垣間見えるようだった。
*
舞踏会から一夜明けて。
学院への帰還準備に追われる邸内で、シホは朝から何度となく繰り返されている問答を無の境地で聞き流していた。
「ラスティン! だからお前は昨日だって……先生の側にいろと言っていたのに、全然いなかったじゃないか!!」
「仕方ないだろ! 突然見ず知らずの女たちが、急に話しかけてくるようになったんだから。お前じゃないんだ、あんなの俺に相手できるわけないだろう?!」
ミリウスとラスティンは、朝から昨夜のことでずっと言い争っている。
どうやらラスティンは、レナードの目論見どおり社交界での株が上がったことで、様々な家の令嬢からお誘いが来るようになったらしい。
そのおかげでひっきりなしに続くダンスの誘いに、ついに耐えきれなくなったラスティンは、昨夜は途中から雲隠れを決め込んでいたようだ。
それに対し、会場に残されたミリウスはよほど寂しかったのか、朝からプリプリとラスティンに突っかかっていた。
「まぁまぁミリウス。ラスティンも悪気があったわけじゃないんだし。とりあえず目標の社交界デビューは果たしたんだし、いいんじゃない?」
「先生…………」
まぁ……先生がそう言うなら、と、利口で聞き分けのいいミリウスは、鉾を収めてくれたようだ。
「先生は準備はもういいんですか?」
「うん。私は荷物が少ないからね」
ライオール滞在中は様々な衣装を着せてもらったが、そのほとんどがライオール家からの借り物である。
自身の持ち物と言えば、いつもの服装に、夏物のブラウスが数枚……鞄ひとつに十分収まる容量である。
「ラスティンは……大変そうだねぇ」
「そうですね……」
ラスティンも決して荷の多い種類の人間ではない。
どちらかといえばシホより少ないかもしれない部類の人間だ。
なのにどうしてか、彼の帰りの荷物はどんどん膨れ上がっていた。
「坊ちゃん、これも。これもどうぞ」
「これもお好きだったでしょう? 向こうで召し上がってください」
主にライオール家の使用人たちからの土産物で、帰りの馬車の荷台はこれでもかと膨れ上がりそうになっていた。
「……荷の増量はその辺で。あまり重くなると馬に負担が掛かります」
ゆるりと屋敷から出てきたレナードは、馬車の惨状を見て一言釘を刺した。
ようやく出発できそうだ。
「………………」
レナードはじっとこちらを見ると、何か物言いたげに視線を落とす。
「…………はぁ」
「ちょっと! すごく気分が悪いんですけど!? 人の顔を見て溜め息つかれると」
レナードはふい、と顔を背ける。
そして視線だけチラとこちらに向けて、残念そうにこぼした。
「所詮魔法は魔法でしたね。うちの使用人の腕がいいことを確認できただけよしとしましょう」
「なっ……」
それはつまりあれか。
メイドたちの手による化粧の落ちた自分など、見る価値もないということか。
本当に、最後の最後まで他人の神経を逆なでせずにはいられない男である。
「レナード。先生への失礼な態度はそこまでだ。発言は慎め」
横から割って入ったのはミリウスだ。
ミリウスはレナードをたしなめると、シホを見下ろして満足そうに目を細める。
「先生はこのままでいいんです。……このままで」
やけにご機嫌な様子のミリウスだ。
それほど学院に戻るのが楽しみなのだろうか?
その様子を見ていたレナードは、改めて大きな溜め息をつきかけて…………ふと気が変わったのか、懐から小箱を取り出した。
「?」
「そのまま、じっとしていなさい」
レナードは小箱から何かを取り出すと、予告もなくシホの手を掬い上げた。
そしてその指先に、小箱から取り出した何かを嵌め込んだ。
「!」
シホは指に嵌められた代物を改めて確認する。
それは指輪だった。
宝石の類いの石は一切なく、台座の部分に小鳥を模した印章が彫られたシンプルな指輪だ。
「それはあなたのものです。大事になさい」
装飾品にするには、あまりに存在感のある指輪。
その意味するところを察して、シホは『あぁ』と頷いた。
「あなたも元気で。……あまり人を小馬鹿にしすぎると、そのうち痛い目に遭うわよ」
「さて、何のことやら? 私にはあなた以外小馬鹿にした覚えはありませんが…………」
本当に、最後の最後まで……。
シホが呆れてレナードを見上げていると、
「~~~~~~っ! 先生!」
「!」
蚊帳の外に放り出され、我慢の限界が来たのだろうか。
温厚な彼には珍しく、ミリウスがパッとシホの手を取った。
「もう行きましょう。出立が遅くなると御者たちも困ります」
手を引くミリウスの背中を追いかけて、シホは馬車へと向かう。
まるで昨夜の続き、深窓の令嬢のようにミリウスに手を支えられ馬車に乗り込むと、そこにはすでにラスティンが車内で待ち惚けをくらっていた。
「遅いぞー、先生」
「ごめん」
急いで車内に乗り込む。
(座席は…………)
急に昨夜の記憶が蘇る。
後半ミリウスと踊ったあと、そのあたりからほとんど記憶はないのだが……夜会では皆がミリウスを王子として敬っていた。
彼らと同様にミリウスを立てるのであれば、ここは彼に一人掛けの席を譲ったほうがよいのだろう。
自然と足がラスティンの隣の席へと向かおうとして――――……。
「待ってください」
後ろからステップを上がろうとしていたミリウスに呼び止められた。
「先生はラスティンの向かいに。ラスティンのほうが体が大きい、そのほうが自然です」
そう言って自分も車内に乗り込むと、さっさとシホの隣の席に座ってしまった。
(王子としての特別扱いはするな、ってことかな)
ライオールの生活で染み付いた貴族社会での習慣。
ついそれに流されかけてそうしたが、ここからは違う。再び学院生活が始まるのだ。
彼はそれを念押しするためにも、釘を刺したのかも知れない。
ひとり納得するシホの隣では、シホと同じ座席に二人掛けしたミリウスが、満足そうにこちらを見つめていた。
「どうしたの、ミリウス?」
「いえ……なんでも」
なんでもないという割りには、その瞳がきらきらと輝いているのは何故だろう。
やはり学院生活に戻れるのがそれほど嬉しいのか。
(そうか、そうだよねぇ……)
ライオール家では王族として使用人たちからは距離を置かれていた彼を思い出して、シホは頷いた。
「よし! 学院に戻ったら、みんなで食堂に行こう!」
そしてあの懐かしい料理を堪能するのだ。
がやがやとした賑やかな空気を思い出して、シホもまた、満面の笑みを浮かべるのだった。




