第63話 誓い
『先生………………好きです。俺は先生が…………好きなんです。だから、そんな悲しいことは言わないでください――――』
ミリウスの切なる胸の内からの叫び。
その積もりに積もった、今までずっと胸の内で密かに育て続けてきた想いを吐露した瞬間。
赤く上気した頬で瞳を潤ませる先生は、ふわりと笑った。
「ミリウス。私も好き。大好きだよ――――」
そうして包み返された頬に、その細い指の熱さに、目眩がしそうなほど胸が高鳴った。
「先生…………!!」
まさか先生が、自分と同じ気持ちでいてくれたとは。
全身を駆け上がる歓喜に、涙が出そうに眦が熱くなる。
抱き締めたい。
抱き締めて、その頬に頬ずりをして、キスをしたい。
この胸を駆け巡る喜びを、世界中に打ち明けたかった。
「先生…………!」
「私も好き。ミリウスが。みんなのことが大好きだよ」
「………………………………」
血の気が、落ちるようにサッと引いていく。
「あの…………先生…………?」
幸せそうな笑顔の先生に、彼女の真意を恐る恐る探る。
「先生、俺の発言の意味を……わかってますか…………??」
一世一代の告白だったのだ。
もちろん咄嗟の衝動に突き動かされた感はあったが、その言葉に込められた気持ちは本物だった。
ずっと大切に温めてきた気持ちだったのだ。
それを…………。
「だから私も好きよ。皆と一緒にいたい。できるなら、叶うならこれからもずっと――――……」
彼女の心を占めていたのは、ずっとそのことだったのだ。
ミリウスだけを想って、恋い焦がれてくれていたわけではない。
「……………………」
急速にしぼむ心に、折れる自信に。
脳裏にいつかのレナードの言葉が蘇った。
『本当にあの娘でいいのですか――――?』
稀有な物好きを見るように落とされた言葉。
『彼女でいいんじゃない。彼女がいいんだ』
他には何もいらない――――今後一生、他の望みは何一つ叶わなくてもいい。
ただ、彼女がこれからも自分の側にいてくれるなら。
その夢のような日々を求められるのなら、他の何を差し出したって構わない。
そう願ったあの日、レナードは冷淡にこう告げた。
『殿下のお気持ちはわかりました。臣下としては承服しかねるところもありますが――――まぁ、それほどまでに仰るのであれば。頑ななあなたのことです。私の意見などは聞き入れてくださらないのでしょう』
――ですが、これだけは聞いていただきます。
そう前置きをして、レナードはある事実をミリウスに突きつけたのだった。
『殿下が――あなたがあの娘を想っているのはわかりました。ですが果たして――――――ランドール嬢は、殿下の気持ちに応えてくださるでしょうか?』
『それは………………』
痛いところだった。
正直彼女には、異性として意識されているようには思えない。
恋心を募らせるのは自分ばかりで、彼女の気持ちをつかめた試しなど一度もない。
『殿下。これは進言であり忠告です。――――若さに任せ、早まった真似はなさらないほうがいい』
『?』
『あの娘は殿下もご存じのとおり筋を通す娘です。あなたがもし早まった真似をして、在学中にその想いを伝えようものなら――――――』
『……もの、なら?』
ごくり、と喉が鳴る。
『おそらく。二度とあなたの前に姿は見せないでしょう』
『………………』
生徒を、誑かしてしまったと。
教師にあるまじき、その未来を惑わす悪因になってしまったと。
おそらく彼女は、生徒の気持ちを丁重に断ったのち、職を辞し、どこかへと消えてしまうだろうとレナードは言った。
その未来が、ありありと現実のように鮮やかに浮かんで、ミリウスは青ざめたのだった――――。
その記憶がまざまざと脳裏に蘇り、ハッとミリウスは我に返る。
今なお幸せそうに微笑む先生に、その頬を無遠慮にも包んだままだったことを思い出す。
「すっ……すみません!!」
慌てて先生から手を離す。
が、今度は先生から伸ばされたままの手が、自分の頬を包んだままだったことに気づく。
(先生……!!)
この手を離さなくてはならない。
けれど離したくない。
内心の凄まじい葛藤に、それでも泣く泣くミリウスは先生の指先をひとつずつ引き剥がす。
(うぅ………………)
そうして嘆いたところで、ふと気づいた。
先生はこんなにも大胆なことをする人だっただろうか――――と。
「先生……?」
改めて正気になり先生を観察すると、いつもよりその頬は赤く上気しているように思えた。
てっきり泣いた影響かと思っていたが、よく観察すればその色づきは頬だけでなく、耳や手足にも及んでいた。
「………………」
目元も潤んでいる――――のは確かだが、その瞳はどこかとろんとしており、焦点が定まっていない。
「………………」
先程触れたときの、想像以上に高い体温。
これらを総合すると――――…………。
「失礼します」
そう断って、もう一度先生の耳元に鼻を寄せる。
すん、と香りを嗅ぐと、舞踏会用だろう――――ふわりと香る薔薇の香水に混じって、どこか甘ったるい酒の匂いがした。
「…………先生!?」
次の瞬間、ぐらりと先生の体が傾ぐ。
あわててその体を抱き留めて――――ミリウスは固まった。
(まさか…………いままでずっと…………)
考えれば、このテラスに来た瞬間から先生の様子はおかしかった。
いままで彼女が泣いているところなど――ダンス講師に詰られたときを除いて――見たことがなかったし、やけに自分の気持ちを話してくれた。
あれほど弱音を饒舌に話してくれる先生など――――学院にいたときは見たことがなかったのに。
見下ろした腕の中の先生は、朧気な意識の中で、なんとか意識を保ち続けようと、その細い指先でぎゅっとミリウスの胸元を掴んだ。
「ぐっ…………」
赤く上気した頬。とろんとした見上げる瞳。
ふっくらとした赤い唇と、その下に見える深い谷間。
これは、マズいかもしれない。
「せ、先生……気を確かに」
「う……ん…………」
「そうだ。部屋に戻りましょう。誰か人を呼んで――――」
誰か、メイドを呼んで早く彼女を託さなくては。
こんな姿を見せられ続けたなら、ホールにいる来客はもちろん、彼女を見慣れているはずの自分でさえも、理性がどれほど保ち続けられるかわからない。
窓の内側に控えていた給仕係に、いますぐホールの外にメイドたちを呼ぶよう指示を出して、ミリウスは今一度シホに気を確かにするよう呼びかける。
そして、給仕係から受け取った水を彼女に流し込んだ。
「先生、あと少しです。ホールの外まででいいですから歩いてください……!!」
こうしてシホとミリウスの長い夜は、慌ただしく密やかにに終わったのだった。
優秀なメイドたちの手に掛かり、着替えも済ませ、ぐっすりと眠りについたシホとは対照的に、
ホールに残され、事後処理と賓客の応対に付き合わされたミリウスは、どっと溢れ出た疲労感に壁に手を突いた。
(途中までは夢のような一夜だったのに…………)
先生とのダンスで舞い上がっていた自分が、遙か遠い場所にいるような気がした。
(……でもこれでよくわかった。先生には正面からぶつかるだけでは受け入れてもらえない)
自分の気持ちを伝えたところで、生徒であることを理由に断られるのなら、急いて告白するのは悪手でしかない。
それならば、その理由がなくなるときを待つしかない。
卒業し、教師と生徒の関係がなくなったそのとき――――そのときに、この手を取ってもらえるようになっていればいい。
そのためには、先生の気持ちをつかむことはもちろん、それ以外の外堀も埋めておく必要があるだろう。
もしも先生が自分を受け入れてくれたそのときに、彼女の身分や出自を理由に彼女を責め立てる声がないように――――うるさい外野の声を、黙らせておかなくては。
そのために自分ができることなら、なんでもしよう――――。
彼らに有無を言わせぬだけの相応しい王に自分がなればいい。
それが、彼女とともに在る未来のためになるのなら。
いくらでも力を尽くそう――――……。
この日、ミリウスはひとつの決意をする。
愛しいただひとりの人を手に入れるため、彼女と結ばれる未来のため。
自分にできうる限りの努力を重ねることを、この夜に誓ったのだった。




