第56話 舞踏会
会場に入ると、そこには紳士淑女の皆さまが、めいめいに立ち話をしながら主賓の入場を待ちわびていた。
レナードとそれに続くミリウスが会場入りをすると、わっと煌びやかな世界が一層色めき立つ。
そんな二人の姿を後ろから眺めながら、シホはぎゅっとラスティンの腕に絡めた手に力を込めた。
いまから自分たちも、彼らが向かった表舞台に出て行かなくてはならないのである。
パートナーであるラスティンの腕を取りながら、シホは今一度自身を奮い立たせた。
「ラ、ラスティン……大丈夫?」
「お、おう……」
社交会新参者の二人は、カチコチのど新人丸出しである。
が、怯んではいられない。
あの厳しく険しい鍛錬の日々があったのだ。
私たちだってやれるはず!
「大丈夫よ、学校、そう学校のパーティーだと思えば……」
学院の生徒だって、貴族子弟なのである。
それがちょっと、大人びて、きらきらと豪勢に着飾っただけだ。そうなのだ。
自分に言い聞かせ、ラスティンと視線を交わす。
よし、行ける。
練習どおりに。背筋を伸ばし、颯爽と、優雅に笑みを振りまいて。一人前の貴族令嬢のように。
すべては、ラスティンに華を持たせるため。
彼の社交界デビューを立派なものにするために、自分が一肌脱ぐと決めたのだ。
きらきらとした世界の中心で、レナードが舞踏会の開催を宣言している。
どこからか、姿は見えないが、楽団による優雅な演奏も耳に届き始めた。
会場中が、煌びやかな世界に酔う。
舞踏会の始まりだ。
主催家であるレナードが、母ほどの風格ある公爵夫人とダンスを踊る。
それに続いて、ミリウスもまた、彼女の娘か姪御だろうか? 大人しそうな令嬢の手を取った。
自分たちも、この次に、出て行かなくてはならない。
(大丈夫。絶対、大丈夫)
今まで支えてくれた人たちの姿が浮かぶ。
講師夫人に、ミリウスに、レナードたちに。
もちろん屋敷での生活を支えてくれたメイドや家令のエイムズたちも。
皆の顔が脳裏に浮かぶ。
彼らに恥じない舞台にしなくては。
シホはラスティンの手を取ると、彼と共にダンスホールの中心へと進み出た。
*
先に公爵令嬢とのダンスを終えていたミリウスは、公爵夫人たちと歓談を交えながら、ぼんやりとその背後にあるホールの中心を見つめていた。
いまダンスホールの中心では、ラスティンとシホが踊っている。
彼らは、傍目に見てもはっきりとわかるくらい、生き生きと楽しそうに踊っていた。
厳しい練習の成果なのだろう。
自分の思うように体が動く感覚が、楽しくて仕方がない。
それを二人で共有できるのが、息をぴったりに合わせられるのが嬉しくてしょうがない。
そんな喜びが溢れ出てくるような、初々しさと拙い喜びに満ちた、周囲にまで幸せを振りまくようなダンスだった。
先生と揃いの青で仕立てたコートは、ラスティンの魅力をも存分に引き出している。
これならば兄のレナードも、弟の市場価値を上げるという今回の目的を達し、十分に満足するはずだろう。
先生は、彼の無茶なオーダーにも応えてみせたのだ。
「それでですけれど、殿下……」
公爵夫人との歓談に、当たり障りのない相づちを返しながら、けれどこちら側に協力を得られるなら、味方についてもらえるよう会話を選びながら話を運ぶ。
そうしながら、同時に目は、遠くでダンスを終えた先生を追っていた。
適度な運動をしたからだろう。
ほんのりと健康的に上気した頬。晴れやかな笑顔。
ラスティンに連れ立って会場脇の立食スペースに戻る姿は、会場中のどの令嬢より魅力的だった。
あの笑顔を、色づいた頬を、いまこの場にいる全ての男たちが見ていたと思うと――――内心が追い立てられるようにザワついた。
(すぐに側に行きたい――)
側で、彼女に近づく男たちを退けたい。
こうしている間にも彼女を『見つけ出した』男たちが、ダンスを申し込んでいるかと思うと、居ても立ってもいられなかった。
頼みの綱はラスティンだけ。
だが、親友はその手の感情に鈍いのだ。
先生が人気者になったと喜んで、どこの誰だかわからない男にも先生を差し出しそうである。
ぐつぐつと煮えるような感情に、ミリウスはただ、早く先生のもとに行ける時を願った。
*
シホはようやくラスティンのパートナーという重責を終え、肩の荷が下りた開放感で悦びに浸っていた。
(やっと終わった――! 任務完了よ!!)
これであとは好き勝手に、令嬢としての慎みを損なわない程度に、会場内で時間を潰せばいいだけである。
ダンスホールの中央部分に背を向ければ、そこには壁際にこれでもかとライオール家自慢の料理人たちの手による軽食が、ふんだんなドリンク類と共に並べられていた。
「♪~」
周囲に聞こえない程度に、小声で鼻唄を歌いながら立食テーブルに向かう。
ラスティンとともに『どれがおすすめ?』などと会話を交わしながら歩くと、まるでずっと昔から二人でこうしていたかのように思えた。
令嬢らしく淑やかに、けれど仲睦まじげに見えるようにラスティンに微笑みかけながら、シホはテーブルのドリンクに目を向ける。
(体を動かしたからかな……喉が渇いたな……)
何か飲み物が欲しい。体がそう訴えていた。
「ラスティン、どれにお酒が入ってないかわかる――?」
以前ファビアンにもたらされた忠告はしっかりと身についていた。
酒の一杯程度で酔うようなものではないが、これは大事な仕事の最中である。飲まないに越したことはない。
「それなら――――」
ラスティンが給仕係の使用人を探して席を外す。
直接給仕人に頼んだほうが確実と踏んだのだろう。
一人残されてシホは待つ。
手持ち無沙汰で、そわそわと周囲を盗み見る。
そんなことをしていると、一人の紳士が声を掛けてきた。
「どうかされましたか? ご令嬢」
年齢はシホより一回りは上の、夜会衣装が板に付いた男性である。
妻帯していてもよい年頃だが夫人がいないのか、男性は一人でシホのもとにやってきた。
「ああ、その……。飲み物を探していて」
「飲み物? それでしたらそこに」
「いえ、その。お酒の入っていないものを探していまして……」
「でしたら」
そう言うと男性は、テーブルから淡い桃色の液体が入ったグラスを取ってきた。
「これなどはどうです? ほとんどアルコールの入っていない、果実水のようなものですよ。子供でも飲めます」
「そうなんですか?」
シホは目の前に差し出された淡い色合いのグラスを覗き込む。
子供でも飲める代物なら、自分が飲んでも大丈夫かもしれない。
シホはそっと淡いグラスに手を伸ばした。
「――――ご令嬢、少しお待ちを」
シホがピンクのグラスに手を触れようとした瞬間、呼び止められる。
振り返ればそこにいたのはレナードだった。
「乾きを潤す品をお求めでしたら、こちらはいかがでしょう。海の女神エレーネを模した果実水です。もちろん酒類は一滴も入っておりませんし、今夜のあなたの装いにも相応しい」
レナードから差し出されたのは、ドレスと同じ青色の――海の色をした不思議な果実水だった。
「え……あ……ではそれを……」
戸惑いながら、レナードからグラスを受け取る。
するとすかさずレナードは男性貴族が差し出していたグラスを受け取り、その中身をぐっと飲み干した。
「さすが我が家の使用人が用意しただけあって素晴らしいカクテルだ。よければあなたにも一杯、私が選んで差し上げましょう」
レナードが婉然と微笑むと、男性貴族はしっぽを巻いたようにどこかへと逃げ出していった。
「…………あなたという人は」
「?」
「本当に手の掛かる女性ですね」
レナードが身を屈めじっと覗き込んでくる。
その瞳はどういう意図があるのかわからないが、シホの真意を確かめるようにじっと正面からシホのことを覗き込んでいた。
「――先生~!!」
忘れていたころになって、ラスティンが両手に飲み物を持って現れる。
その純粋無垢で呑気な子犬のような笑顔に、兄であるレナードがまたしても大きな溜め息をついた。
「役立たず…………」
睨めつけるような視線に、傍観者であるはずのシホもまたヒッと背筋が伸びる。
「そ、そんなことは……」
「あなたは黙っていてください」
「!」
レナードはラスティンをつかまえると、その何もわかっていない耳を引っ張ると、よく聞こえるように言って聞かせる。
「いいですか。一度で聞いて覚えなさい。お前にランドール嬢の護衛役が百年早いことはよくわかった。ただそれならば、せめて他人に上げてもらった自分の価値を落とさない程度には繕う術を覚えなさい」
「……??」
「舞踏会でまで、先生にお守りをしてもらっていることが恥ずかしくないのですか」
「!!」
そう言われて初めて、ラスティンは堂々と人前でシホのことを『先生』などと呼んでいた失態に思い至る。
会場入りする前の約束では、シホのことは『先生』とは呼ばず、名前で令嬢らしく呼ぶ取り決めになっていた。
それを、堂々と自ら破るとは。
幸いにも周囲の人間は気づいていないようだ。
シホもそっと胸を撫で下ろす。
ここで自分が彼らの教師だとバレれば、『ライオール家のラスティン坊ちゃんも一人前にご令嬢のパートナーがいる? もしかして彼っていい旦那候補じゃないの??』作戦が、水泡に帰してしまう。
そのための偽装令嬢がシホなのだ。
間違ってもバレるわけにはいかない。
レナードは周囲に人が集まり始めた気配を察し、シホに手を伸ばしてきた。
「ランドール嬢。よければ私と一曲、踊っていただけますか?」
有無を言わせずシホの手を掬い取ったレナードは、シホを優雅にホールの中心へとエスコートしていった。




