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第55話 ライオールのご主人様


 屋敷の正門に、煌々とした明かりが焚かれ、ひっきりなしに来客を乗せた馬車が訪れる。

 ある者は夜会用のコートを身に纏い、ある者はきらびやかなドレスを身に纏い、馬車から降りた客人たちは吸い込まれるようにライオール邸の中へと入っていく。


 その様子を二階の窓から見下ろしながら、シホは今更ながら、自分がとんでもない仕事を引き受けてしまったのだと実感していた。


(本物の……舞踏会だわ)


 あまりにも当たり前のことだが、そうだった。

 よく知った生徒の実家が主催する夜会だから、なんとなくもっと小規模な、親しみのある感じのものを想像していたのだ。


 もちろんそんなもののために連日ダンスの特訓をするはずもなく――――今夜開催されるのは、正真正銘貴族の紳士淑女が集う舞踏会だった。


(そんなに堅苦しくないって言ってたのに……!)


 招待客は地位や爵位だけでなく、地域の名士やただの商人など。もっといえば町の福祉に貢献した医者や慈善事業家など、幅広い層の人間が集まると言っていた。

 なのに誰も彼もが、程度の差はあるといえ、きちんと社交界らしい格好で出席している。

 全然堅苦しくない会ではなくなっていた。


「ううう……」


 考えれば考えるほど、ただでさえコルセットで息苦しい呼吸がさらに苦しくなってくるように思える。

 途端に自分がとんでもなく場違いな場にいるような気がして、今すぐにでもこの場から逃げ出したくなった。


「そうだ! 裏口からでも――……」

「どこに行くんです? 先生」


 正気を失ったシホの奇行を呼び止めたのは、ミリウスだった。

 重いドレスに緩慢な動作で振り向くと、その先にいたのは夜会用の盛装に身を包んだミリウスだった。


 細い金の髪によく似合う、白のコート。

 その縁には潤沢な金糸で刺繍が施され、同じく金のボタンやカフスがふんだんに取り付けられ、華やかな女性のドレスと並んでもまったく見劣りしない立派な出で立ちとなっていた。


(まさしく王子様ね……)


 そのような衣装を完璧に着こなしているミリウスの姿を見ると、あらためて実感する。

 私の生徒は、王子様だったのだ。


 端正な容姿に、真面目で紳士的な人柄。

 世の令嬢が令嬢なら、きっとロマンスを夢見るだろうお伽噺の世界の王子様。

 そんな人物がまさか自分の生徒になっていたとは……。


「どうしました、先生?」

「いや、ちょっと見蕩れてて……」

「見蕩れて――?」

「きみがあまりに王子様らしい格好で来るものだから」

「――!!」


 ミリウスははっと目を見開き、途端に落ち着きをなくす。

 先程までの堂々たる姿はどこへやら、着飾った姿で頬を紅潮させながら、言葉を発する。


「せ、先生……それはどういう意味で――――」


 何やら期待に満ちた眼差しが注がれている気がするが、そのままの意味だ。

 それ以外に何があるというのだろう。




「おーいたいた。先生、ミリウス! 兄貴がもうすぐだってよ!」


 今度は片手を上げながらラスティンが現れた。

 こちらは青地を基調としたコートに、黒に近いダークグレーの下衣を合わせたミリウスとは対照的な装いである。


 馬子にも衣装とはよく言ったもので、こうして見るとラスティンも一流の貴公子のように見える。

 絵画のような装いの二人を目にし、シホは感嘆の息をついた。


「そろそろ来客も出揃ったから、降りてきてくれって」


 この時間、レナードは主催者として、エントランスホールで来賓の応対に追われていたはずだ。

 非公式であるとはいえ、王子であるミリウスは最後に会場入りすることになっていた。


「それでは、行きましょうか」


 エントランスホールへと続く大階段を降りれば、そこはもう舞踏会本番である。

 いつにない緊張に身を竦ませていると、ミリウスが自然と手を差し出した。


「先生、どうぞ手を。階段は足下が見えなくて危ないですから」


 言われたとおり、大きく広がったドレスでは、まったく足下が見えなかった。

 ミリウスに誘われるまま、差し出しされたその手を取る。


 そうして階段を共に降りると、まるで本当に自分が貴族令嬢にでもなったようだった。


 煌びやかなシャンデリアの明かりに満ちたエントランスホールに、王子に手を引かれ大階段をゆっくりと降りる。

 その引き延ばされたような――凝縮したような、永遠の時間。

 間違いなく、シホの人生至上一番の晴れ舞台だった。





 階段を降りると、そこにはこちらを見上げていたらしいレナードの視線があった。

 さすがのレナードでも来客数が多かったのだろう。表情に若干の疲れが見て取れた。


「殿下、準備は整ってございます」

「ああ」

「そちらは――……」


 レナードが何やら話しかけようとした瞬間。スッとミリウスが視界に割り込む。

 そして、レナードのシホに向ける視線を遮った。


「……。恐れながら殿下、器の小さい男というのは、最も女性に嫌われますよ」

「!!」


 急にスゴスゴとシホの前からミリウスが脇に下がる。

 開けた視界には、こちらも盛装姿のレナードが立っていた。


 ラスティンと同様、家門の貴色である青色をところどころピンポイントで取り入れながら、こちらはより落ち着いた深い緑を基調としたコートである。

 快活で溌剌とした若さ溢れる印象のラスティンとは対照的に、より円熟味を増したような、大人としての落ち着きや余裕が感じられる。

 社交会で長年経験を積んできた、彼らしい洗練された装いだった。


「あ……」


 よく見れば、彼の髪を束ねているリボンも、いつもの落ち着いた紺地ではなく、華やかなレースになっている。

 男性ながら、こんな細やかなところで変化をつけるとは、なんとも洒落者な、彼らしい遊び心だった。


「どうしました? ……ああ、これですか」


 シホの視線に気づいたらしいレナードが、なんでもないように自身の髪を束ねたレースに目を落とす。


「そんなに気になるなら――ほどいてみますか?」

「え……?」


 まさかそのような提案をされるとは。

 思ってもみなかった展開にシホは遠慮をするが、それよりも大きな反応を見せたのはミリウスだった。


 レナードとシホ、二人を交互に忙しなく見つめると、はくはくと何事かを紡ぎかけて再び口を閉じる。


 レナードが『はぁ』と溜め息をついた。


「殿下。大人の男に大事なのは落ち着きです。年相応以上に見られたいのなら、まずは精神鍛錬に励まれてはいかがでしょうか」


 なにやらお説教のようなものが始まってしまった。

 ミリウスも王族とはいえ、さすがに社交会当日ともなると落ち着きを無くすらしい。

 それに他人事とは思えない親近感を覚えて、シホはくすりと笑った。



「…………」


 その様子をじっと見ていたのだろう。

 レナードが何やらぽつりと呟く。


「まぁ、それなりには見えるようですね」

「?」


 シホの姿を上から下まで一瞥し、レナードが感想を述べる。

 ハッと気づいて、シホは咄嗟に愛想笑いを作った。


「ええとこの度は~、とても素敵なドレスをご用意してくださり、大変感謝しております」


 にこにこ。にこにこ。

 なんなら揉み手も辞さないばかりの勢いである。


 何故なら。いまこの瞬間、シホの全身には、シホの一生をかけても支払えるかどうかわからない金額の装飾品がびっしりと乗っかっているからだ。


 首や耳元を彩る宝飾品は元より、ドレスにまで目がくらむような精緻な刺繍が施され、『ねぇ、価値を間違ってない? 宝石だよ、これ? ただの石じゃないのよ?』と言いたくなるような、おびただしい数の無色透明な宝石が、スカートに夜空の彩りを再現するという目的のためだけに、これでもかと縫い付けられているのである。


 いまにも卒倒しそうな金額に、どういうつもりでレナードがこの衣装を自分に着せたのかと、その真意がわからずシホは内心ビクビクしていた。


「この衣装は()()()汚さずにお返しいたしますので……」


「その必要はありません」


 レナードはさらりと言ってのける。


「それはあなたに合わせて作成したもの。返却されても困ります」


 ひいぃぃぃと、内心悲鳴を上げたくなるくらい血の気が引く。


「もちろん、こちらで勝手に仕立てたものですから、あなたに費用を請求しようなどとも思いません。それはあなたに差し上げます」

「……!」

「ですが…………もしそれに少しでも心苦しいという思いがあるのなら、金銭ではなく仕事で返していただきたいものですね」

「!!!!!」


 つまりは、この舞踏会を絶対に失敗するな、ということである。


「ハイ! 肝に銘じておきます!!」


 なんなら今この時から、自分はライオール家の犬である。

 舞踏会なり雑用なり、望めば迷宮の探査まで、命じられれば何でもやる所存である。




「では、お喋りはこれくらいにして。――行きますよ」


 レナードの背に続くように、ラスティンが、ミリウスが、その会場となるホールへと向かう。


 シホもまた、カツンと一歩を踏み出した。





 そして、舞踏会が始まった――――。




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