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第54話 青の女神


 ラスティンのもとに彼と親しいメイドが呼びに来たとき、ミリウスは談話室で友人相手にチェスをしていた。


 入室したメイドはミリウスの存在に気づくと背筋を正し、畏まって厳かに用件を告げる。



「――ラスティン様、シホ様の舞踏会用の衣装が整いました。どうぞご確認を」


 確認ならば一番体裁を気にしそうなのはレナードだろうに。そうではなくラスティンのところにやって来たとは、このメイドはどうしても、レナードよりラスティンに彼女の姿を見せたいらしい。


「――――俺?」


 普段なら女性の衣服になど無頓着な男だ。

 声が掛かってもまったく乗り気にはならないだろうに、このときばかりは様子が違った。


「よし、行こう!」


 ラスティンが勢いよく立ち上がる。

 二人の間のテーブルには、明らかにラスティンが劣勢なチェス盤があった。


「ほら、行こうぜ!」

「……続きは帰ったらするからな」

「うっ…………」


 こうして二人は、メイドに導かれるまま、シホの私室を目指したのである。









 シホの部屋へと向かう道すがら、ミリウスはぼんやりとこんなことを考えていた。


 先生は――大丈夫だろうか。

 女性の身支度は大変だと聞く。

 初めての重いドレスや装飾品に戸惑ってはいないだろうか。


 ミリウスやラスティンの都合で面倒ごとに巻き込んでしまって申し訳ないと思う。

 しかしその反面、どこか心の奥底で、先生の夜会服姿を楽しみにしている自分もいた。


 先生のことだ、きっとドレス姿も美しいに違いない。

 普段から何気ない瞬間に目を奪われてしまう先生だ。

 そんな先生が、熟練のメイドたちの手に掛かれば、それは名画に描かれた貴婦人のように、輝かしい姿になるに違いない。


 そんな先生の隣を歩けることが誇らしく、密かな楽しみとなっている自分に、ミリウスは緩む頬を引き締め直した。



「シホ様、失礼します。殿下とラスティン様がいらっしゃいました――」


 ノックをし、断りを入れたメイドがドアを開く。

 そして甘い香りの漂う室内に入室すると、ミリウスの目に飛び込んできたのは予想とは異なる光景だった。





 





 部屋の中心には、一人の令嬢がいた。


 鮮やかな青のドレスを身に纏い、華奢な肩を露出させた後ろ姿。

 その白い肌と艶やかにまとめられた黒髪に、ミリウスは見覚えがあった。


 こちらの気配に気づいたのだろう。

 令嬢がゆっくりと振り返る――――――……。



「…………!」



 どくり、と心臓が脈打った。


 深い胸の奥底で、本能的な直感が『コレガホシイ』と訴える。


 振り返った令嬢の――――真っ赤な大きな瞳に吸い込まれた瞬間、ごくり、と唾液が喉を滑り落ちた。



 先生――――シホ・ランドールは、正真正銘の非の打ち所のない令嬢に変身していた。




「先生、すごいじゃないか!!」


 まるで本物みたいだ。

 別人じゃん。


 そんなシホに駆け寄るラスティンの言葉もどこか遠くに聞こえる。

 世界中の音が遠のいたような気がした。



 視界を占めるのはただ一人。シホ・ランドール、彼女だけ。

 彼女だけがミリウスの世界を司る女神のようだった。


 いや、違う。女神ではない。

 そんな崇拝するような無垢な信仰ではない。



 触れたい。


 手に入れたい。



 あの白い肌に触れて、綺麗にまとめられた黒髪をほどいたら、彼女はどんな顔をするだろう。

 どんな瞳で、自分のことを見てくれるのだろう。


 夜空を模した神秘的な青のドレスに包まれたその中身まで、彼女を構成するものすべてを手に入れて自分だけのものにしたいと思ってしまった。


「……っ」


 とんでもない考えに、さっと頬に朱が差した。

 しかしそれでも、目が離せない。逸らせない。

 それほどに彼女は、ミリウスのすべてを奪い去ってしまうほどに魅力的だった。





「……ミリウス?」


 青の化身と化した令嬢――先生が、不安そうに自分の名を呼ぶ。

 それだけで心臓が裏返りそうになるほど、歓びに体が震えた。

 無意識に彼女へと伸びそうになる腕を押さえつけ、自制の限りを尽くして平静を装う。


「どうしました?」

「いや……その……黙ってるから、どこか変なのかなって。やっぱり……無理があったよね、私が舞踏会なんて――」


 そんなことはない。

 全身が彼女の不安を否定していた。

 けれどそれを口には出せなかった。


 なぜなら、言ってしまえばその事実が――――彼女が社交界で一番魅力的な女性になるだろう事実が、本物になってしまうような気がして。


 その神々しい女神のような立ち姿に、会場中の男たちが群がる姿を想像して、ぐっと拳を握り締めた。



「……大丈夫ですよ、先生。安心してください。先生は――とても素敵です。とても美しい、完璧な令嬢だ」


「……ありがと。ミリウスは人を安心させるのが上手いね」


 世辞と労いも入っていると踏んだのだろう。先生は少しだけ残念そうに、でも気を取り直して、笑顔を見せた。



(本当は言いたい――――誰よりも何よりも美しいと)


 満天の星空より、朝焼けに染まる金色の海より。

 雨上がりの露に濡れる花園より。

 夏の日に安らぎをもたらす、木陰に揺れる木洩れ日より。


 この世のすべての美しいものと比べても、先生は圧倒的に美しかった。


 ミリウスの心をつかんで離さない。離れられない。

 ――忘れられない。


 今日という日が、ミリウスにとって初めてで唯一の日だったことを知る。



(ああ――――――好きだ。先生が――――彼女が、愛おしい)



 その事実がすとんと胸に滑り落ちる。


 それは当然の事実として胸の底に落ち着いた。



(ずっと惹かれていた――――)


 きっと、初めて会ったその日から。

 女性としてではなかったけれど、間違いなく、惹かれていた。


 その明け透けな態度に、自由で快活な生き様に。

 時折見せる実力に似つかわしくない幼さに。

 包み込むような優しさに。


 自然と引き寄せられて――――愛するようになった。



(愛している――――)


 そんな言葉が自分の胸の内から滑り出てくる日がやってくるとは。思いもしなかった。


 いつかの未来、その言葉を誰かに告げることになるだろうとは思っていた。

 妻を娶り、子を成し、王家の血を継いでいくのだろうと。

 けれどそれが――彼女でなくては嫌だと体中が叫んでいる。


 彼女が欲しい。

 彼女を愛したい。

 彼女に――――愛されたい。


 自分の人生すべてを賭けてでも、手に入れて側で守り抜きたい――――そんな強い決意が、体の内側から溢れ出る。



 好きだという気持ちが、溢れ出て止まらない。






「それにしても兄貴もすごい服を用意したもんだなー。ここ、どうなってんだ??」


 ラスティンが無遠慮にもシホのドレスの背中側に指を差し入れるとぴらりとめくった。


「!!」


「お前――――!!」


 慌ててその手を引き離す。無作法にもほどがあった。

 女性は美しくとも見世物ではない。

 いくら触れたくとも手は出さないのが紳士の常識だった。


「お前はいくら相手が先生だからといって……」


 訓練のときに防具の付け方を習うように覗き込むなどどうかしている。

 突然、沸々と怒りのようなものが腹の底から湧いて出た。


 無作法をしたラスティンに、ではない。


 レナードに、だ。


 レナードは一体どういうつもりで、ここまで豪奢なドレスを用意周到に準備していたのか。


(そもそもいつから先生のサイズを把握して――――)


 レナードのことだから、その気になればあらゆる情報網から先生の情報を拾い出すだろう。

 しかしそれが、あの男の手中にあるというのが気に食わない。

 まるで先生があの男の手の内にあるようで、落ち着かない。


(それにこのドレスの色も――――)


 考えれば、その色味の理由はわかる。

 ラスティンのパートナーを務めるためと、ライオール家の庇護の下にある家の令嬢だと周囲に示すためである。

 そのために、この目にも鮮やかな青。


 しかしその青色は、ラスティンのパートナーのものであると同時に、兄であるレナードにも同様の条件が当てはまる色だった。


 その事実に気づくや否や、途端に美しい青が、彼ら兄弟の独占欲に染まった色に見えてくる。


「……………………」


 まさかこの場で『脱いでくれ』などと言えるはずもなく。

 ミリウスはぐっと不満を飲み下した。



(それにしてもレナードは一体何を考えてこんなものを――)


 ドレス自体は素晴らしい。一流の職人が手がけた、この上なく先生を美しく見せている代物であることは認める。


 が、この露出はなんだ。


 背中など半分近く肌が見えているし、肩もほとんど露出している。

 申し訳程度に袖が短く引っかかってはいるが、普段隠されている先生の滑らかな肌が、これでもかと周囲に晒されている。


(おまけに…………)


 ラスティンと会話を続ける先生をそっと隣から盗み見る。

 隣に立ち、高い頭上から視線を落とすと、その胸元にはくっきりと眩い双丘に挟まれた谷間が見えた。


「っ」


 はっきり言おう。ただでさえ人より豊かな先生の胸元が、普段より強調される形で、露骨に衆目に晒されているのである。


「…………っ」


 ぐつぐつと腹の底で煮えたぎるものがある。


 もちろん、必死に冷静になって考えればわかる。

 それが一番先生の魅力を引き出すドレスの形なのだと――他人が同じものを着ていても何も思わなかっただろう自分がいることもわかっていた。

 

 しかし、それとこれとは別である。



 もし先生が夜会会場に行った場合、その姿に目を奪われた男たちが群がってくるのは必至だった。


 目にも目映い白い肌。

 その艶やかな肌が魅せる輝きに、目を奪われない男はいないだろう。

 細い首筋から繋がる鎖骨、さらにその先の豊満な膨らみに、膨らみから繋がる優美で蠱惑的な曲線に、手を、伸ばせたなら――――……。

 想像しない男は、いないだろう。


「……………………」


 ますます不機嫌になるミリウスに、シホが何かを感じ取ったのかそっと距離を取る。


 そしてラスティンにそっと耳打ちをした。


「どうしたの、ミリウス元気がないけど……体調でも悪いの?」

「さぁ……? あー……あれかな、途中で勝負を投げ出したから……」

「勝負?」

「チェス。俺が負けて、あいつが勝ってた」

「ああ、それで……」


 ミリウスも意外に子供っぽいところがあるのね、などと聞こえてきた気がしたが、そんなことではない。


「ラスティン」

「はいっ!」


 友の名を呼ぶと、突然呼ばれた親友は飛び上がるように背筋を正した。


「これからお前に大切なことを言う」


 怯える親友を引っ張って、真剣な声音で厳命する。


「明日の夜会では、絶対に先生から離れるな」


「?」


 呑気な親友はわかっていない。

 現在の状況がどれだけ危険なものであるかを。

 社交界にまだ不慣れなとびきり魅力的な令嬢など、社交界慣れした若い独身男にとっては虎の檻に入ってきた兎である。

 ほかの結婚相手を探している令嬢たちと同類に見られて、求婚あるいは、悪質な遊び人相手だと拐かされないとも限らない。


「先生が口にする飲み物も、必ずお前経由にするんだ」


 間違ってもライオール家使用人以外の手を経由した飲み物など与えてはならない。

 世には口当たり以上に強い酒や、女性をその気にさせる薬を使って、一夜の逢瀬を愉しみ歩く輩もいると聞く。


 そのような輩が紛れ込んでいるとは思いたくもないが……警戒しすぎるに越したことはない。


「いいか、絶対だぞ」



 本当なら、自分が側にいられればいいのに――……。


 あいにく、当日は支援者たちへの挨拶回りに追われるだろう自分を想像して、ミリウスは言いようのない不安に胃が痛くなるような気がした。




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