第53話 魔法にかけられて
あのミリウスによるレナード警戒騒動があってからというもの、シホの周りでは少々変わったことがある。
それは、レナードのシホへの態度である。
ミリウスからレナードに厳重注意でもあったのか、レナードがシホに接触してくることはめっきり減った。
いまではたまに廊下ですれ違った際などに、疲れたような溜め息とともにうろんな視線を投げられる程度だ。
それはそれで感じは悪いのだが、まぁ必要最低限の情報交換はできているので問題はない。
そしてもう一つ変わったことといえば――――今朝のメイドたちである。
今朝、朝食の席で、家令のエイムズから突然今日のダンスレッスンが中止になったことを告げられた。
そして代わりに、自室で待機するように言い渡された。
そして部屋に戻ってからというものの――――おかしいのである。
主にメイドたちの目つきが。
何かを待つようにギラギラとその瞳を輝かせて、部屋の端に整列して控えている。
シホとしては正直出て行ってほしいのだが、彼女たちも上から指示を受けているだろうから追い出すわけにもいかず、シホは困り切っていた。
開け放っていた窓から、ガラガラと馬車の音のらしきものが風に乗って届く。
それを聞きつけた瞬間、キランとメイドたちの目が一層輝くのが見えた。
(何!? なんなの一体……!? こわい!!)
普段は気のいいメイドたちが臨戦態勢な様子に、シホは一人おののいた。
やがて、バタバタと階下で別のメイドたちが駆ける音が響き、それは一瞬消え去ったかと思うと、今度はシホの部屋の前に段々と近づいてきた。
(………………ひいっ!!)
それはノックと共に、同時に訪れた。
「シホ様! 失礼します!!」
バン!と、勢いよくドアが開け放たれ、数人のメイドたちが雪崩れ込んでくる。
彼女らはめいめい手に綺麗な箱を持ち、なかでも二人がかりで手にした大きな箱が目に付いた。
「それでは、シホ様。待ちに待った時間ですよ~~」
この滞在期間中にすっかり打ち解けてしまったメイドたちには、シホがライオール家の客人であるという事実はなかったことになっているらしい。
少なくともいまは、まるで長年の友人に接するように、シホに対する遠慮は全くない。
「ふっふっふ。私はこの時を、屋敷に勤め始めたときから、今か今かと待ち望んでいたんです。それが……ついに!」
ぱあぁぁっとメイドの顔に華が咲く。
「ついに若いご令嬢を存分に飾り立てられる日が来るとは……!!」
ぱちぱちぱちと至るところから共感の拍手が沸く。
それに合わせるように、部屋中に置かれた大小の箱から、宝石から靴やら髪飾りやら、溢れんばかりの装飾品が現れた。
一際大きなあの箱には、たっぷりとした濃い青色のドレスが詰まっている。
「さぁ、シホ様。見ていてください! 私たちが腕によりを掛けて、シホ様を世界で一番美しいご令嬢に仕上げてご覧に入れます!!」
つまり、この朝方から続く騒動は、舞踏会用に仕立てたドレスの試着会だったというわけである。
散々神経をすり減らしたシホは、姿見の前に立ちひとつ大きな溜め息をついた。
「ほら、シホ様。息をしっかり吐いてください」
「うっ……」
シホが息を吐いた瞬間、背後に立っていたメイドがぎゅっとコルセットを締め上げる。
それはまるで親の仇かと思わんばかりの怪力で、胴を締め上げられたシホは思わず『ぐえっ』と息を吐いた。
(恐ろしい……! 世の令嬢はいつもこんな防具を身につけてるの……!?)
まるで腹が鎧になったと錯覚を覚えるほどに、感覚という感覚がほとんどない。
ドレスが女の戦装束だとはよく言ったものだ。
綺麗で華やかな世界の過酷さを目の当たりにして、シホは世の令嬢に尊敬と同情の念を抱いた。
(それにしても…………)
いつ、どこから情報が入手されたのか、今日この場に用意されたドレスは、見事なまでにシホの体にぴったりだった。
たしかに、この屋敷に来た直後、あれこれ体のサイズを測られた。が、それから2週間かそこらでドレスが完成するはずがない。
つまりあの採寸はあくまで最終確認で、このドレス自体は、ずっと以前から、人知れず仕立てられていたということだろう。
……恐ろしい。
(情報の出所はアーミントンの仕立屋? それとも防具屋かしら……)
どちらにしろ、その恐ろしいまでの手腕と、自身の情報がどこまで筒抜けになっているのかという不安に、シホはひそかに小さく震えるのだった。
「……ふぅ、やっぱりシホ様には青がお似合いになりますね!」
着付けを終えたメイドが額の汗を拭いながら、感慨深そうに呟いた。
「そう……なの?」
自分ではまったく実感はない。似合う色味など、これまで考えたこともなかった。
「ええ、絶対似合います! ライオール家の紋章の色ですから!」
「現ライオール侯爵夫人の奥様も、それはもう青がお似合いになるんですよ~!」
そう言われてみれば、ドレスの深い青色は、ライオールに来てから屋敷の至る所で目にする深い青色を思い起こさせた。
鮮やかな紺に近いそれは、たっぷりとした生地のなかで夜空のような広がりを持ち、その表面に無数にちりばめられた宝石や銀糸の輝きも相俟って、まるで本物の夜空のように見える。
「シホ様はお肌が綺麗だから、広く取られた襟ぐりもまた……うーん、美しい!」
シホには胸元から背中まで、大きく開いた襟ぐりが若干気になるところではあるのだが、メイドたちはドレスはこんなものだという。
むしろ綺麗なお肌はどんな宝石より見せびらかすべきです!と。
この屋敷に来てからというもの、風呂上がりには決まってメイドたちが押しかけてきて、シホの体に香油を塗りたくっていった。
おかげでシホの肌は、いま人生最大といえるほど絶好調である。
「あとはお化粧と髪型を整えて……っと」
メイドたちが入れ替わり立ち替わり――それぞれに得意な専門分野があるのだろう――シホの身形を整えていく。
「ほら、やっぱり! シホ様ってば……美しい…………!!!」
キラキラとした目でうっとりと酔うメイドの視線の先には、鏡に映った一人の令嬢がいた。
それは普段は剣を振り回し、汗と泥にまみれ、休日は部屋に篭もり魔法書と魔道具に囲まれて一人趣味の時間を楽しんでいる女――――――そんな気配が微塵も感じられない、正真正銘の華やかな令嬢がそこにいた。
艶やかな唇、ほんのりと淡くピンクに染まった頬。
大きな瞳はルビーのように力強く輝き、けれど長い睫毛のひさしから落ちた影で、どこか憂いを帯びた孤独さも感じさせる。
夜空色のドレスに包まれた、白い宝石の肌を持つ孤独な令嬢。
守ってあげたい――――。
女のシホでさえそう錯覚するほどの、魅惑的な令嬢がそこにはいた。
「ちょ……え!? え?! コレ……」
「驚かれるのも無理はないです。だってシホ様、ほとんどお化粧らしいお化粧してらっしゃらないんですもの」
「いや、ちゃんとして――――」
「お化粧は『化ける』ためにあるんですよ。肌の補正とリップだけなんてのは、お化粧の化の字にも入らないです」
「そんな…………」
これでも学院に来てからは、いろいろ気をつけるようになったのだ。
さすがに森に篭もって魔物退治をしていたときと同じ姿で、貴族子弟の相手をするわけにはいかない。
学院の沽券にも関わる。
だから少しずつ、自分でも身形の改善はしていたつもりだったのだが――――……。
「さて、このままでも十分魅力的ですが。ちょっと大人っぽ過ぎる感もありますので、最後にこれを」
そう言うと、メイドの一人は小箱から大輪の白い薔薇を手に取って、そっとシホの髪に挿した。
それは華やかに結い上げられた黒髪と相俟って――遠目にもよく映える。
「夜空を模したドレスに艶やかな黒い髪。どちらも白い肌を引き立てる逸品ですが、あまりに整えすぎると強者感が出て男性が近寄りがたくなりますので……これで一気に若さと清純さを」
彼女の言うとおり、真白い大輪の薔薇を挿しただけで、いっきに舞踏会の女王らしき貴婦人が、精一杯背伸びをして舞踏会を訪れた深窓の令嬢に様変わりした。
強い印象の色味だったはずの黒が、反対に、物静かで頼りなげな、儚い印象に移り変わる。
「魔法みたい……!」
「そうですとも、そうですとも。化粧やドレスアップは女の魔法なんですよ」
信じられない、と鏡を覗き込むシホの後ろで、メイドたちはみな鼻高々だ。
「そうです! せっかくだから坊ちゃんたちにも見てもらいましょう!」
パン、と手を打ち鳴らしたメイドは、シホが止める間もなく部屋を颯爽と出て行った。




