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第51話 王者と青年


 執務室を出たレナードが某所を目指して歩いていると、目の前から『目的地』がこちらに向かって呑気に歩いてくるのが見えた。


「…………随分簡単な女ですね、あなたは」

「は?」


 目的地――シホ・ランドールは、あからさまにムッとした表情でこめかみをひくつかせながら歪な笑顔をつくる。


「簡単な女で悪うございましたね……! それで、わざわざ『レナード様』のほうからお声がけいただけるとは、何か私にご用がおありで!? わたくし、忙しい身の上なので手早くまとめていただけると助かりますわ!」


「――なら、余計なことを言わず、口を慎んでいたほうが用件は早く終わりますよ」

「!!!!!」


 さらに顔を紅潮させて――よく表情の変わる女だ――何度か深呼吸を繰り返した彼女は、馬鹿馬鹿しいとばかりに沈静化したうろんな瞳でこちらを見る。



「それで、用はなんです?」

「ふむ。単刀直入に言いましょう。あなたは――――殿下のことをどう評価されておいでですか?」

「?」

「ここからでは学院内のことはわからないので、そのあたりをあなたに聞き込もうと探していたのです」


 なんでまた突然に……と、彼女は一瞬訝しがったが、すぐに気を取り直したのだろう。

 ここ数日の茶会での言動から察していた。シホ・ランドールというこの女は、自分の生徒を自慢したがるところがある。

 嬉々として彼女は、王子ミリウスの素晴らしいところを並べ立て始めた。



 そのよく動く口を見て、確信した。


(この女は――まだ殿下のことを何とも思ってはいない)


 純粋に自慢の生徒の長所を語るさまに、色恋の匂いを欠片も感じず、レナードは確信した。


(ならばまだやりようはあるか――――)


 いくら王子が恋い焦がれようと、あくまで相手あってのことである。

 無理矢理娶る暴君ならまだしも、あの王子はまだそこまで熟してはいない。


 ならばまずは、女のほうを捕まえる。


「ランドール嬢。少し折り行ったお話があるのですが……ここだと人目に付きますので、こちらによろしいですか?」


「?」


 シホ・ランドールは、一瞬警戒心を露わにしながらも、レナードのあとに付いて人目に付かない通路へと身を寄せた。

 空間としてはそれなりに広い回廊だが、主要な部屋からは遠ざかっている。ゆえに、住人も使用人も寄りつかない隠れた秘密の空間だった。


「それで話って?」

「あなたの――今後のことです」

「?」


「今年学院での教師生活を終えたあと――あなたはどうされるおつもりですか?」

「どうって…………」

「来年も同じく教鞭を執られるのか、それとも故郷に帰るのか……何か予定はおありで?」


 考えてもみなかった……そんな表情で、シホ・ランドールは考え込んでいる。


「正直……何も考えてない。いまをどうにかするのに精一杯で…………そうね、来年になったらいまのクラスのみんなは卒業していなくなる。だとしたら私は――――……」


 どうすればいいのだろう。

 そう、彼女の顔には書いていた。


 突然教え子たちとの別れを実感するようになって、彼女も戸惑っているようだった。



 付け入る隙があるなら――――ここだ。




「では、ライオールに来ませんか?」

「ライオールに?」

「ええ。ライオールにももちろん、侯爵家直属の軍があります。その指導教官としてあなたをお招きしたいのです」

「指導……教官……」


「あなたの前職の件も伺いました。ちょうどライオールでは魔法人材の教育係が不足しておりまして、あなたと出会ったとき、これは適任ではないかと」

「…………」

「もちろん、報酬はそれなりにお支払いします」


「…………どうして、」

 考え込んで、シホは呟く。

「どうして急に、いまこんな話をし出すんですか?」

 その瞳には疑念が浮かんでいた。


「急な話であることは認めます。ただ、前々から可能性のひとつとして検討していたことは事実です。ちょうどあなたは、あの出来損ない(おとうと)と関係も深い。あれは将来王国騎士団の騎士団長を目指すと威勢のいいことを言っていますが、まずはライオールでの責任を果たすべきです。ライオールで騎士たるべき実力をつけてから王都を目指しても遅くはない」


 それは事実だった。

 何も実績のない状態で王都へ行っても、貴族といえど下級職位からのスタートになる。

 もちろん出世はそれなりに早まるだろうが、騎士団長という組織の長を狙うならば、あまりにその道は遠い。

 故郷の軍であろうと、実力ある指揮官として大成してから、士官として王国軍入りするほうが早道だろう。


「あなたならば私も安心して任せられます。よければ考えてみていただけませんか」

「………………」


 シホ・ランドールは答えない。

 あと一押しが必要か。


「私は、あなたにライオールに来て欲しい……」


 距離を詰め、いつかのときのように、その艶やかな黒髪に手を伸ばす。

 そして身を屈め、そのじっとこちらを見つめる紅い瞳を覗き込んで、もう一度囁いた。


「私には、あなたが必要だ――――……」















「――――――何をしている」


 地を割るような低い響きが、静寂に包まれていた回廊にこだまする。


 背筋にひやりと冷たいものを感じレナードが振り返ると、回廊の端に一人の男が立っていた。



 ――ミリウス・ウィルテシア・ヴェルトリンガム。


 この国の次期国王にと、ほかならぬレナードが幼少より見出し育ててきた男だ。

 それが、その青い双眸を爛々と光らせてこちらを睥睨していた。



「……誰がそのようなことをしろと命じた?」


 ピリリ、と空気が震える。


 一歩、また一歩。ミリウスがこちらに向かい歩を進めるたびに、凄まじい圧迫感が身を襲う。

 まるでその一歩一歩が獅子の歩みの如く、見る者の衣服の下を粟立たせた。



 レナードは静かにシホへと伸ばしていた手を引き戻す。

 


(これは―――甘く見積もりすぎていた)



 この王子の、君主としての資質を。


 この娘への、すでに育ちきった恋情を。



 青い炎かと見紛うほど輝くその瞳は、はっきりと、己のものへと手を出す不届きな輩への怒りと牽制に満ちていた。




 ミリウスが、シホ・ランドールの前に立つ。


 女はこの期に及んでも状況が理解できていないのか、呆けた顔で自身の生徒だった男を見上げていた。



「――――――っ」


 その何も理解できていない表情を。

 あどけない丸い瞳を目にして、ミリウス・ウィルテシア・ヴェルトリンガムは苦しそうに息を呑む。



 そして紳士を心がけるべき王子には似つかわしくない荒い手つきで彼女の腕をつかむと、そのまま彼女を連れて回廊を引き返していった。



 廊下の角に消える若い二人の後ろ姿を見送って、レナードは一人深い溜め息を吐く。



「ままならないものですね……」



 無音の回廊に、静かな呟きだけが反響した。



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