第50話 臣下の苦悩
その日、レナードは自身の執務室で、新たに上がってきたばかりの報告書に目を通しながら呟いた。
「……予想より厄介な相手だったな」
ほかでもない。脳裏に姿形が浮かび、まさにいま手にしている報告書にも名前の上がっている人物――――シホ・ランドールのことである。
(殿下がやけに買っていることから、念のため呼んでみれば――)
自分の危惧していた予想は、そのとおりだった。
殿下――――第3王子ミリウスは、相当にあの女に入れ込んでいる。
元々兆候はあった。ミリウスと内々の書簡をやり取りするなかで、度々その名前が挙がっていた。
最初は『あの大魔術師のあとで、よくマシな教師が見つかったな』と、懸念材料が消えたことを喜んでいたくらいだったが、次第に彼から送られてくる書簡のなかで、徐々にその名前が挙がる頻度が増してきたあたりで首を捻るようになった。
――非常に優秀な魔術師である。
――教育者としての資質にも目を瞠るものがある。
――信頼のおける人物である。
あの他人を簡単には信用しない王子からは、最上級ともいえる賛辞の言葉。
それを目にして――――――気がかりになった。
その教師――――その女は、王子に取り入ろうとしているのではないか? と。
そのあたりの気配には敏感なほうだと思っていたが、王子も所詮18そこらの学生である。
突然身近に他より信頼できる人間が現れたならば、視野が狭くなることもあるだろう。
もしくは――――――その『女』に、すでに籠絡されているのか。
仮にもアーミントンの魔法学院だ。教師の人選には厳格なものがあり、その点に関してはレナードも信頼を置いていた。
が、人間欲多き生き物であれば、自然とその女――シホ・ランドールとかいうリンデール人にも、成り上がりの欲望が湧くのかもしれない。
だから人となりを確かめんとして――ライオールに招くことにした。
レナードの目は、この屋敷内のみならず、王国内、ひいては一部の国外までも届くよう、常に監視の目を光らせている。
が、それでも直接自分の目で見るに勝るものはない。
ちょうどあの馬鹿な弟を利用して釣り出せば、報告書に上がる人柄の女であれば、簡単に釣り出せそうな気がした。
そして釣り出して――――悟ったのである。
――これは、より厄介な女だと。
女には欲望がなかった。
王子に取り入ろう、それで利益を得よう、あわよくば未来の王太子妃の座を狙おう――――そんな欲が欠片もなかった。
欲があったならば、目の前に他の餌をチラつかせることで、手を引かせるという手段もあった。
しかしあの女は、欲とはまったく無縁の身で、王子の歓心を買っていたのだ。
会って一目で『あぁ、これは王子の好きそうな女だな』と直感した。
気負いなく、相手が誰だろうと自身の調子で接し、卑屈なところも欠片もない。度胸のある女。
そう――――あの出来損ないと同じような。
あれを王子に薦めたときもそうだった。
王子は裏表のない人間に好意を抱く。
あの裏表もつくれない馬鹿も、すぐに王子のお気に入りになった。
このシホという女も、同じ匂いがした。
そして数日間ともにライオールでの日々を過ごすうちに、王子のあの女への関心が、想像以上に看過できないところまで及んでいることを思い知った。
「…………どこがそれほどいいんだか」
あの女のどこに、それほどの魅力があるというのか。
王子の好みそうな性格を差し引いたとしても、どこにでもいる普通の女だった。
(まぁ、顔がいいのは認めよう――)
大事なことだった。
民衆は美しいものに心を寄せる。醜い者より美しい者。万が一王太子妃として検討する場合にも、それは重視される項目だった。
故郷にいるころは、その髪色の所為で異性の接触がなかったと報告にはあるが、そうした偏見の目を捨て去り正面から見ると、たしかに美しい女ではあった。
(化粧っ気は少ないが、目鼻立ちのくっきりとした、化粧映えのしそうな女――)
なによりその視線で、周囲の者を惹きつける不思議な魅力を持った女だった。
(王族に嫁ぐ者としての資格のひとつ――か)
資格といえば、あの女は庶民ながら不思議と物怖じしないところがあった。
貴族の館など初めてだろうに、物珍しがることはあっても、まったく怯む様子もない。堂々とした立ち姿。
使用人にも気安く接してはいるが、ものを頼んだり指示を言いつけることにまったく抵抗のない――主人の風格。
人前で話すことも得意なようだ。
それでいて一度話し始めると周囲の耳目を必然と集める――――……。
教師とは、そういう生き物なのだろうか。
どれも王者として人の上に君臨する者に備わるべき風格だった。
「あの『高貴なる妾』にはなかったもの――――」
『高貴なる妾』
そう社交界でそしりを受けたのは、現国王――ミリウスの父親の第一王妃だった。
庶民の花屋の娘でしかなかった者を愛するあまり――彼女の反対を押し切り王妃にまで遇した王。
そのせいで彼女は『高貴なる妾』と揶揄された。
貴族でもなく、高貴な後ろ盾があるでもなく。ただ心優しいばかりの何も知らぬ娘には、社交界をまとめる力など何もなかった。
声を発しても誰も耳を傾けず、使用人にも陰では無知な主人だと嗤われて。王妃というこの国の社交界で頂点に立ち、裏から貴族社会をまとめるはずの者でありながら、貴族社会で爪弾きにされてしまった愚かで哀れなただの娘。
やがて彼女は、王妃らしい宮殿ではなく、宮殿の庭に建てた小さな屋敷に引きこもり、王と二人だけの世界に閉じ籠もるようになった。
「その点では、まだ脈はある――――か」
庶民出身だというあまりに大きすぎる枷はあるが、あれは大人しく他人に喰われるような玉ではない。
散々嘲る人間の前で冷静に雌伏のときを過ごし、磨いたその牙で最後には相手の喉笛を噛み切るような女だ。
「血統の問題も――魔術面での素養は申し分ない……か」
その実力は語るまでもないだろう。
この国の多くの貴族――それも血統主義を掲げる大貴族――彼らよりも、魔力面でも実力面においても秀でていることは証明されきっている。
貴族であることに拘る理由に、魔法の素質を挙げられた場合、彼らを黙らせることもできる。
「……………………」
容姿も、資質も、能力も。
間違いなく満たしている候補であることはたしかだ。
けれど失敗した場合――――ミリウスもまた、現王と同じ道を辿ることになる。
「まったく。愛妾あたりで納得してくれればいいものを……」
屋敷に囲い、王妃は別に迎え、小さな二人だけの世界で睦み合う。
それで納得してくれればいいものを。
あの王子は――きっと頑として許さないだろう。
あの母を――第三王妃を権力争いの禍中で亡くした王子は、きっとほかの妃を娶らない。
そして――自身が欲して堪らない女を、そのような不確かな身分に置くことは決して認めない。
あの王子は、静かに冷静でありながら――――自分のものを高らかに宣言したがるような所有欲がある。
そして、一度気に入ったものは永遠に追い求め続けるような執心も。
(涼やかな顔をしていながら……やはりあの男の息子だな)
血は争えない。
現王と瓜二つの女癖を目の当たりにして、レナードはやれやれと額を抑えた。
「……とりあえず、出来る手は打っておくとしましょう」
まだ王子の『興味』が『本気』に変わる前に。
レナードは執務室をあとにした。




