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第47話 騎士と姫


『先生と二人で旅に出ます。探さないでください。――――ラスティン』




 そう記された書き置きが発見されてから小一時間。

 屋敷内は騒然とした空気に包まれた。


「坊ちゃんが! 坊ちゃんがついに駆け落ちよ!!」

「まさか、あの坊ちゃんが!?」

「だって書き置きが残されて……! それにシホ様だって姿が見当たらないわ!」

「馬丁から連絡よ! 厩舎もラスティン様の馬とあと一頭、牝馬が連れ出されてるって」

「まぁ……坊ちゃん――――!!!」


 屋敷内を上を下への大騒ぎである。


 歓喜に沸く者。顔を赤くし興奮冷めやらぬ者。

 何故か心配している者よりも、喜んでいる者のほうが多いのが奇妙だった。


 屋敷全体がそわそわとしている空気にレナードは、


「放っておきなさい。そのうち戻ってくるでしょう」


 ダンスの試験をボイコットしたラスティンの思考を見抜くように、ひとつ溜め息をついて、執務室へと戻ってしまった。



 ミリウスは窓辺から高い空を見上げる。


 遠い森の向こうには、夏らしい黒い雨雲が迫っていた。





             *





 夕刻、ラスティンたちが戻ったとの一方を受けて、ミリウスはエントランスへと駆けつけた。

 今日も来客の訪問で忙しい一日だった。何もなければ自分も先生たちを追って行ったのに……と、自身の多忙な身を恨めしく思う。


 屋敷の使用人たちも、駆け落ち騒動から帰還した二人を一目見んと集まっていた。


(まったく……とんだ大騒動だな)


 使用人たちは騒いでいるが、あのラスティンのことである。実際は何か理由があって(おそらく屋敷にいるとマズい事態に陥ったのだろう)、よく考えもせずに逃亡を決め込んだ……そんなところだろうとミリウスは踏んでいる。


 そしてそれに先生は巻き込まれた。

 なにかと行動を起こす際には『一人ひっそり』ではなく、他人を巻き込む癖のある友である。

 ミリウスは今日もそんなところだろうと見当をつけて、人騒がせな親友を出迎えようと正門の扉をくぐった。



 日も落ち薄闇色に染まりつつある庭園に、乾いた馬の蹄の音が反響する。

 ゆったりとしたその音は、正門前に近づくと足を止め、そこに馬丁が慌てて駆け寄った。


「いや~馬が一頭、雷に驚いて逃げちゃってさぁ――」


 聞き慣れた友の声。

 それは一頭分の馬影から耳に滑り込んできた。

 そろり、そろりと歩を進め、声の主をもっと間近で見んと距離を縮める。

 引き寄せられるように近づいたミリウスが目にしたのは、一頭の立派な黒馬に跨がった友ラスティンの姿と、その手綱を握る腕のなかで、小さく姫のように横抱きに抱えられたシホの姿だった。


「先生、大丈夫か? 降りられるか?」

「うん」


 ラスティンに手を取られ地上に降り立つシホは、本物の姫のように見えた。

 騎士の手を取り、貞淑に、ふわりと馬上から大地に降り立つ。

 その様を、先生が安全に着地するまで、ラスティンはずっと優しげに見つめていた。


 誰が見ても睦まじげな光景に、ワッと周囲が密かに沸き立つ。遠くで使用人たちが口々に、何かを耳打ちし合うのが目に映った。


「………………」

「あ、ミリウス! 出迎えに来てくれたのか!」


 ようやくこちらに気づいたラスティンが破顔する。

 彼は愛馬を使用人に預けると、嬉々とした表情でこちらに歩いてきた。


「聞いてくれよー。森まで先生と出かけたらさぁ、こんな日に限って雨に降られるんだぜ」


 彼の言うとおり、ラスティンと先生には、雨に打たれたような形跡が見えた。


「だから…………」


 馬上で見上げたときから気になっていた。

 いつもよく見かけるシルエットと、先生の姿が異なっていることに。

 先生は、彼女のものではない大きな服にすっぽりと身を包み、その身に余る服を持て余すように、ぎゅっと服の襟元を握り締めていた。


 ――だからいつものように下馬しなかったのか。


 いつもなら颯爽と高所からでも着地する先生に、違和感を覚えた理由に思い至った。



「大丈夫でしたか?」


 ラスティンのあとに遅れること数秒、こちらに歩いてきた先生に問いかける。


「あぁ、ちょっと雨に降られたけど、ラスティンが服も貸してくれたし大丈夫」


 温かそうな上着をもう一度握り締めて先生は笑う。

 その耳元には、大輪の白い花が淡く光っていた。


「それは…………」

「ああ、この花?」


 ラスティンがくれたの、と先生は幸せそうに笑う。

 森の向こうの湖にたくさん咲いてて……などと、今日見てきたことを先生はそれは楽しそうに語ってくれたが、そのほとんどが耳には届いていなかった。



 ――ラスティンは、そんな器用なことをする男だっただろうか。


 社交界で令嬢に声をかけることもままならず、学友として接するならともかく、異性が喜ぶようなことを行える性格ではなかったはずだ。

 それが、女性相手に花を贈る?

 それも自ら髪に挿す?


 いままでミリウスが目にしてきた親友からは、信じられない行動だった。


「な、綺麗だろ? この花は夜になると光るんだ」

「だから夜に来れたらって言ってたのね。……たしかに、きっと素晴らしいんでしょうね。あの丘一面が、この花みたいに光り輝いていたら……」


 ラスティンが目を輝かせる。


「じゃあ、次は夜に行こう! 絶対後悔しないから!」


 はしゃぎながら屋敷の中に戻る二人を、ミリウスは複雑な気持ちで見送った。








「はーっ、とんだ一日だったな」


 屋敷に戻ったラスティンが息を吐くように、明るい屋内に戻ってみれば、森で雨に打たれたという二人は惨憺たる有り様だった。


 廊下の照明に浮かぶ姿をよく見ると、雨に濡れただけでなく、どこをどう走ったのか、木の葉や草、おまけに泥や砂まで付いている。


「落馬でもしたんじゃないだろうな……」


 あまりに酷い有り様に、ラスティンはともかく、先生が怪我でもしていないかと心配になってミリウスは覗き込んだ。

 足取りに問題はないようだが、体はラスティンが貸したという大きな上着に覆われていて確認できない。

 その姿に少しの不安と――――モヤモヤとした気持ちを抱えながら問いかける。


「怪我はありませんか?」


 見れば、ラスティンよりもシホのほうが酷い有り様に見えた。

 足下のブーツに泥は跳ねているし、髪も乱れている。何をどうしたらこうなるのか、地面に寝転がりでもしなければ付かないような汚れに、ミリウスは心配になった。


「髪にも草が――」

「え、ウソ。まだついてる?」


 手を伸ばし取ろうとすると、慌てて先生は自分で手を伸ばした。


「っ――――!」


 その瞬間、自分でもさっと頬に朱が差すのがわかった。


 偶然目にした、髪に手を伸ばす先生の手首には――痛々しいほどの赤い指跡が残っていた。


 両腕に付けられた大きな痣に、咄嗟にもう一度先生に目を走らせる。


 両腕の痣は、見るまでもなく誰かに拘束された証。

 乱れた髪や、そこに絡みついた草や土は、ただ草原で寝転んでいたというわけではないだろう。


 おまけに――――――……


「っ」


 ()()を目にした瞬間、目頭にカッと力が篭もり、視界が真っ赤に染まるような気がした。


 先生が両腕を頭に伸ばすことで、無防備になった胸元。

 その大きすぎる、彼女の身には余るゆったりとした上着の襟元からは、その下の――――大きく前の開いた先生の無残なブラウスが覗いていた。



「お前――――――」


 自分でも信じられないほど低い声が、唸るように腹の底からせり上がる。

 振り返りざまにラスティンの肩を掴んで、気づけば彼を壁に押しつけていた。


「ラスティン、お前という奴は……先生に一体何を!!」


 牙があったなら噛み付かんばかりの剣幕で睨みつける。


 すると先生が慌てて、その間に割り込んだ。


「ちょ……ちょっと待って! 待ってミリウス。何か勘違いしてるでしょ」


 先生が、ほかでもないボロボロの格好になった先生が、ラスティンを庇うように前に立つ。


「その、私たち、稽古をしてたの。湖畔の丘で」

「…………」

「格闘術の稽古……というか。拳で語り合ってた……?というか……」

「…………」

「とにかく、私からラスティンに殴りかかったの。だからラスティンは無実よ!」

「…………」


 先生の必死な目から、嘘を言っているようには見えない。

 優しい先生だから、こんな状況でも生徒を庇うのかとも思ったが、どうやらそうでもないようだ。


 未だ状況に納得はいかなかったが、よく考えてみれば、ラスティンにそんなことはできないだろう。

 つい、今まで予想もできなかった、先生を女性扱いするラスティンに、彼も勢い余って凶行に及ぶ可能性もあるのかも――と、気が急いてしまった。


「すまない、ラスティン」


 したたかに壁に頭を打ち付け、顔をしかめる友人に手を伸ばす。


「だが――――詳しく話を聞かせてもらうからな」


 掴み返された手を、ぎゅっと固く握り締めて、逃げられないようにして彼の部屋に急ぐ。


 こうした話は、穏便に話を煙に巻いてしまう先生よりも、この嘘のつけない友人に聞いたほうがいいだろう。



「先生は部屋に戻っていてください。――――風邪を引かないように」


 同じ泥だらけの友人のほうは、すべてを吐き終わるまで風呂にも入れてやるつもりはなかった。



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