第46話 駆け落ち逃避行 3
「本格的に降ってきたな……」
狩猟小屋の窓から黒い空を見上げて、ラスティンはぽつりと呟いた。
窓から見える木々の合間からは、絶え間なく大粒の雨が降り注ぎ、しばらくの間は止みそうになかった。
「仕方ない、雨が止むまではここで待機だな」
幸い小屋の中には、狩猟時に使うための備品が備えられていた。休息していく分には、何の問題もないだろう。
「先生、大丈夫か?」
振り返った先で先生は、パタパタと魔法書の水気を払っていた。
魔法書自体には湿気を払う魔法がかかっているらしいが、それでも先生にとっては半身ともいえる大事な品である。
自分が濡れ鼠なことも差し置いて、シホは熱心に魔法書の手入れをしていた。
(そういえば…………)
ずぶ濡れの先生を見て気づく。
突然の雨に、小屋に避難することばかりに気を取られて気づかなかったが、先生は頭からまともに驟雨を浴びていた。
薄い夏物のブラウスは、大量の雨粒を浴び、ぴたりとその肩や背に貼り付いていた。
(しかも――――……)
あのぴたりと貼り付いて透けた生地の下から覗く濃い色は、先生の……その……下着、ではなかろうか。
自身がそのブラウスのボタンを引き千切ってしまった際に見えた、黒い生地の一端を思い出して、ラスティンはぶるりと頭を振った。
(そうだ先生は……)
慌てて自身の上着を脱いで振る。
「先生――!」
「ん?」
「……!!!」
案の定振り返った先生は、貼り付いたブラウスの胸元から、くっきりとした谷間を見せていた。
「こ、これを……っ!!」
「ああ、上着? 貸してくれるの? ありがとう」
目を丸くした先生が、自分の惨状を見下ろして、生徒が目のやり場に困っていることに気づいたのだろう。
礼を言うと、素直にラスティンが渡した上着に袖を通してくれる。
「あ、やっぱり厚手の生地だけあるね。全然濡れてない。おまけにまだ温かいし、暖まるわ~」
ぬくぬくと上着を体ごと抱き締めた先生に、ラスティンは真っ赤に茹で上がった。
(先生が俺の……服を着て暖まってる)
その事実に、大きな上着に見合わない小さな体に、ドキドキと鼓動が速くなる。
(お、お、おちつけ……。相手は先生だ。先生が、俺の服を着てるだけ……着てるだけ……俺の服を……)
全然鼓動は落ち着かなかった。
「――ラスティン。火、点けていい?」
突然シホから声を掛けられて、ラスティンは飛び上がるように頷いた。
「長くなりそうだし、寒くはないけど、やっぱり衣服は乾かしたいからね」
そう言うと先生は、暖炉の脇を探って薪や火種を見つけると暖炉の中に放り込む。
「ちゃんと整備されてる狩猟小屋だね。ここの管理は誰が?」
「あぁ、たぶんうちの狩猟番がしてるんじゃないかな」
「そっか……素敵な人たちなんだろうね」
先生は感心したように頷く。
「……どうしてそんなことがわかるんだ?」
先生は部屋を指差す。
「季節外れに訪れたのに、備品はちゃんと揃ってるし、着火用の焚き付けも乾燥してる。それに小屋中の備品が、探さなくてもすぐに在り処がわかるように、使う人のことを考えて配置されてる」
それはいつ主人たちが訪れてもいいように、こまめに気配りされて準備されている証拠だと先生は語った。
「やっぱりラスティンは愛されてるね~」
先生がにやにやと不思議な笑みを浮かべながらこちらを見る。
「な、なにを急に……」
「コレ」
そう言うと先生は、棚の籠に乗った包みを手に取った。
それは以前ラスティンが、故郷の店のお気に入りの菓子だと先生に紹介した品である。
日持ちもそれほどしないだろう菓子が、まだ真新しい包みで、小屋の食料棚の一番目立つところに置かれていた。
「これは…………」
「きっとラスティンが帰ってくるって聞いて、嬉しかったんだろうね」
――狩猟なんて、もう何年も行ってなかったのに。
学院に行くようになってからは季節が合わず、もう何年もこの狩猟小屋は訪れていなかった。
それなのに。
「きっとあれも、ラスティンの作なんじゃない?」
シホが見上げる壁面、暖炉の上の一等席ともいえるその場所には、幼い子供が不器用な手つきで作ったような、松の枝葉と枯れ枝で作ったリースがあった。
リースの中央部分にあるプレートには、たどたどしい字で『トムソンへ ありがとう』と彫ってある。
「…………っ!!」
「きっと、一番の宝物なんだろうね」
――狩猟番の人生そのものともいえるこの狩猟小屋で、特等席に掲げられたそれは、彼の人生最大の自慢に違いない。
誇らしげに部屋を見渡すリースを見上げて、先生はそう笑った。
「…………っ」
「あれ? ラスティン泣いちゃった? 涙目だね?」
「うるさいっ!」
からかうように目元に手を伸ばしてくる先生に、逃げるように顔を背ける。
こんな顔を見られたくなかった。
なのに先生は――さらに泣きたくなるようなことを言う。
「ラスティン。きみのいいところを教えてあげようか」
大きな身の丈に合わない服をローブのように羽織って、暖炉からの後光が射す先生は、どこかの修道女のように見えた。
「きみの長所は、人を愛し、愛されることだよ」
身分も、性別も、その人がこれまで生きてきた人生も、何にもこだわることなく平等に手を差し伸べ屈託なく笑いかける。
それが自分の長所だと先生は言った。
「誰にでもできることじゃない。レナードも、ミリウスも、ファビアンも……もちろん私も、きっときみと同じようにはできない」
だからこそ使用人たちはラスティンを愛し、その力になりたいと尽くすのだとシホは言う。
「そんな……司祭にでもなれって言うのかよ」
あまりに抽象的な、神の愛を説く聖職者かのような言葉。
言われたところで、自分にどうしろというのか。
「ううん……だから、騎士団長を目指すといい。きみならなれる」
「は…………?」
いまの流れで、どうしたら『愛』どうこうから、騎士団長に繋がるのか。
訳がわからなくてラスティンは混乱した。
「ラスティン。きみは部隊を率いるのに一番大切なものは何か知ってる?」
「え……? なんだよ急に……。その…『強さ』とか……?」
「はずれ」
「じゃあ『頭の良さ』だ。部隊を指揮するのに必須だろ」
「違うね。そういうのは参謀役でも構わない」
「なら……『厳格さ』だ。状況に応じて厳しい判断を下さなきゃならないこともあるだろう?」
「たしかにそれも一理あるね。でも違う」
私が言いたいのはね……と、先生は目を細める。
「人の心を集められることだよ」
きみのことだ、と先生はトンとラスティンの心臓を突く。
「きみなら仲間に、部下に愛されて、部隊を、軍をまとめられる。きみの力になりたいとまとまった部隊ほど、この世で強いものはないよ」
――それを世間では『統率力』だとか『求心力』だとか、いろいろな名前をつけるけれど。
誰か一人の力になるために、自分の持てるだけの力を発揮したい。そう願う人が集い、一個の意志のもとに突き進める組織は、何より強い力を発揮するだろう。
そう笑って、先生は一歩引いた。
「きみには、それだけの力がある。私の自慢の生徒だよ」
「っ――――――!!」
我慢できなくなり、再び抱き締める。
しがみつくようなそれに、先生は朗らかに笑いながらその背を撫でてくれた。
雨がその鳴りを潜めるまで、そんな優しい時間が小屋の中には満ちていた。
*
「見事に上がったなー」
見上げる空には、先程までの曇天が嘘のような快晴が広がっていた。
突然の驟雨を受けた草花が、まだきらきらとした露をその葉に残し、青々と咲き誇っている。
「夏だし天気も変わりやすいのかもね~」
呑気にそんなことを言いながら、先生は花畑の中を歩いた。
「待っ、あんまり奥に入るとまた濡れるぞ!」
「ははっ、今更じゃない。こんなに綺麗なんだもの、もっと見ていきたいじゃない」
きらきらとした滴を受けて光り輝く花を手に、先生はうっとりと微笑んだ。
「………………」
先生と花。それは普段あまり見ない光景だった。
普段はもっとこう、食べ物だとか、剣だとか、そういうものを背景に背負っている人だけに、妙に今日はキラキラとしている気がする。
花のおかげか、雨上がりの目映い光の反射なのか、とにかくすごく、とても眩しい。
「先生!」
「ん?」
声をかけて、振り向く先生に、ざかざかと青草を踏み分けて側まで寄る。
そしてパッとその場で先生の手の中の花を奪い取ると、その花を先生のこめかみにそっと挿した。
少し乱れてふわりとなった黒髪に、その真白い花はよく映えた。
「ん。こっちのほうがよく似合う」
真夏の短い逃避行は、こうして雨上がりとともに幕を閉じた。




