表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
47/52

第46話 駆け落ち逃避行 3


「本格的に降ってきたな……」


 狩猟小屋の窓から黒い空を見上げて、ラスティンはぽつりと呟いた。

 窓から見える木々の合間からは、絶え間なく大粒の雨が降り注ぎ、しばらくの間は止みそうになかった。


「仕方ない、雨が止むまではここで待機だな」


 幸い小屋の中には、狩猟時に使うための備品が備えられていた。休息していく分には、何の問題もないだろう。


「先生、大丈夫か?」


 振り返った先で先生は、パタパタと魔法書の水気を払っていた。

 魔法書自体には湿気を払う魔法がかかっているらしいが、それでも先生にとっては半身ともいえる大事な品である。

 自分が濡れ鼠なことも差し置いて、シホは熱心に魔法書の手入れをしていた。


(そういえば…………)


 ずぶ濡れの先生を見て気づく。

 突然の雨に、小屋に避難することばかりに気を取られて気づかなかったが、先生は頭からまともに驟雨を浴びていた。

 薄い夏物のブラウスは、大量の雨粒を浴び、ぴたりとその肩や背に貼り付いていた。


(しかも――――……)


 あのぴたりと貼り付いて透けた生地の下から覗く濃い色は、先生の……その……下着、ではなかろうか。

 自身がそのブラウスのボタンを引き千切ってしまった際に見えた、黒い生地の一端を思い出して、ラスティンはぶるりと頭を振った。


(そうだ先生は……)


 慌てて自身の上着を脱いで振る。


「先生――!」

「ん?」

「……!!!」


 案の定振り返った先生は、貼り付いたブラウスの胸元から、くっきりとした谷間を見せていた。


「こ、これを……っ!!」

「ああ、上着? 貸してくれるの? ありがとう」


 目を丸くした先生が、自分の惨状を見下ろして、生徒が目のやり場に困っていることに気づいたのだろう。

 礼を言うと、素直にラスティンが渡した上着に袖を通してくれる。


「あ、やっぱり厚手の生地だけあるね。全然濡れてない。おまけにまだ温かいし、暖まるわ~」


 ぬくぬくと上着を体ごと抱き締めた先生に、ラスティンは真っ赤に茹で上がった。


(先生が俺の……服を着て暖まってる)


 その事実に、大きな上着に見合わない小さな体に、ドキドキと鼓動が速くなる。


(お、お、おちつけ……。相手は先生だ。先生が、俺の服を着てるだけ……着てるだけ……俺の服を……)


 全然鼓動は落ち着かなかった。




「――ラスティン。火、点けていい?」


 突然シホから声を掛けられて、ラスティンは飛び上がるように頷いた。


「長くなりそうだし、寒くはないけど、やっぱり衣服は乾かしたいからね」

 そう言うと先生は、暖炉の脇を探って薪や火種を見つけると暖炉の中に放り込む。


「ちゃんと整備されてる狩猟小屋だね。ここの管理は誰が?」

「あぁ、たぶんうちの狩猟番がしてるんじゃないかな」

「そっか……素敵な人たちなんだろうね」

 先生は感心したように頷く。


「……どうしてそんなことがわかるんだ?」


 先生は部屋を指差す。


「季節外れに訪れたのに、備品はちゃんと揃ってるし、着火用の焚き付けも乾燥してる。それに小屋中の備品が、探さなくてもすぐに在り処がわかるように、使う人のことを考えて配置されてる」


 それはいつ主人たちが訪れてもいいように、こまめに気配りされて準備されている証拠だと先生は語った。



「やっぱりラスティンは愛されてるね~」

 先生がにやにやと不思議な笑みを浮かべながらこちらを見る。

「な、なにを急に……」

「コレ」

 そう言うと先生は、棚の籠に乗った包みを手に取った。

 それは以前ラスティンが、故郷の店のお気に入りの菓子だと先生に紹介した品である。

 日持ちもそれほどしないだろう菓子が、まだ真新しい包みで、小屋の食料棚の一番目立つところに置かれていた。


「これは…………」

「きっとラスティンが帰ってくるって聞いて、嬉しかったんだろうね」


 ――狩猟なんて、もう何年も行ってなかったのに。


 学院に行くようになってからは季節が合わず、もう何年もこの狩猟小屋は訪れていなかった。

 それなのに。


「きっとあれも、ラスティンの作なんじゃない?」

 シホが見上げる壁面、暖炉の上の一等席ともいえるその場所には、幼い子供が不器用な手つきで作ったような、松の枝葉と枯れ枝で作ったリースがあった。

 リースの中央部分にあるプレートには、たどたどしい字で『トムソンへ ありがとう』と彫ってある。


「…………っ!!」


「きっと、一番の宝物なんだろうね」


 ――狩猟番かれの人生そのものともいえるこの狩猟小屋で、特等席に掲げられたそれは、彼の人生最大の自慢に違いない。


 誇らしげに部屋を見渡すリースを見上げて、先生はそう笑った。



「…………っ」

「あれ? ラスティン泣いちゃった? 涙目だね?」

「うるさいっ!」

 からかうように目元に手を伸ばしてくる先生に、逃げるように顔を背ける。

 こんな顔を見られたくなかった。


 なのに先生は――さらに泣きたくなるようなことを言う。


「ラスティン。きみのいいところを教えてあげようか」


 大きな身の丈に合わない服をローブのように羽織って、暖炉からの後光が射す先生は、どこかの修道女のように見えた。


「きみの長所は、人を愛し、愛されることだよ」


 身分も、性別も、その人がこれまで生きてきた人生も、何にもこだわることなく平等に手を差し伸べ屈託なく笑いかける。

 それが自分の長所だと先生は言った。


「誰にでもできることじゃない。レナードも、ミリウスも、ファビアンも……もちろん私も、きっときみと同じようにはできない」


 だからこそ使用人たちはラスティンを愛し、その力になりたいと尽くすのだとシホは言う。


「そんな……司祭にでもなれって言うのかよ」


 あまりに抽象的な、神の愛を説く聖職者かのような言葉。

 言われたところで、自分にどうしろというのか。


「ううん……だから、騎士団長を目指すといい。きみならなれる」

「は…………?」


 いまの流れで、どうしたら『愛』どうこうから、騎士団長に繋がるのか。

 訳がわからなくてラスティンは混乱した。



「ラスティン。きみは部隊を率いるのに一番大切なものは何か知ってる?」

「え……? なんだよ急に……。その…『強さ』とか……?」

「はずれ」

「じゃあ『頭の良さ』だ。部隊を指揮するのに必須だろ」

「違うね。そういうのは参謀役でも構わない」

「なら……『厳格さ』だ。状況に応じて厳しい判断を下さなきゃならないこともあるだろう?」

「たしかにそれも一理あるね。でも違う」


 私が言いたいのはね……と、先生は目を細める。

「人の心を集められることだよ」

 きみのことだ、と先生はトンとラスティンの心臓を突く。


「きみなら仲間に、部下に愛されて、部隊を、軍をまとめられる。きみの力になりたいとまとまった部隊ほど、この世で強いものはないよ」


 ――それを世間では『統率力』だとか『求心力』だとか、いろいろな名前をつけるけれど。

 誰か一人の力になるために、自分の持てるだけの力を発揮したい。そう願う人が集い、一個の意志のもとに突き進める組織は、何より強い力を発揮するだろう。


 そう笑って、先生は一歩引いた。


「きみには、それだけの力がある。私の自慢の生徒だよ」


「っ――――――!!」


 我慢できなくなり、再び抱き締める。

 しがみつくようなそれに、先生は朗らかに笑いながらその背を撫でてくれた。

 雨がその鳴りを潜めるまで、そんな優しい時間が小屋の中には満ちていた。




             *




「見事に上がったなー」

 見上げる空には、先程までの曇天が嘘のような快晴が広がっていた。

 突然の驟雨を受けた草花が、まだきらきらとした露をその葉に残し、青々と咲き誇っている。


「夏だし天気も変わりやすいのかもね~」

 呑気にそんなことを言いながら、先生は花畑の中を歩いた。


「待っ、あんまり奥に入るとまた濡れるぞ!」

「ははっ、今更じゃない。こんなに綺麗なんだもの、もっと見ていきたいじゃない」

 きらきらとした滴を受けて光り輝く花を手に、先生はうっとりと微笑んだ。


「………………」


 先生と花。それは普段あまり見ない光景だった。

 普段はもっとこう、食べ物だとか、剣だとか、そういうものを背景に背負っている人だけに、妙に今日はキラキラとしている気がする。

 花のおかげか、雨上がりの目映い光の反射なのか、とにかくすごく、とても眩しい。


「先生!」

「ん?」


 声をかけて、振り向く先生に、ざかざかと青草を踏み分けて側まで寄る。

 そしてパッとその場で先生の手の中の花を奪い取ると、その花を先生のこめかみにそっと挿した。

 少し乱れてふわりとなった黒髪に、その真白い花はよく映えた。


「ん。こっちのほうがよく似合う」




 真夏の短い逃避行は、こうして雨上がりとともに幕を閉じた。



評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ