第45話 駆け落ち逃避行 2
「な……にを先生――――」
ラスティンが呟くよりも早く、先生はその拳を固く握り締めると、間髪入れずに打ち込んできた。
(速い――――っ)
魔法で強化したときほどではないが、一般女性にはあるまじき速度で先生は距離を詰めると、教え子相手にまったく遠慮のない殴打を浴びせてくる。
「っ……!」
距離を取るため、跳びすさりざまに腕を薙ぎ払う。
先生もまた、兎のような跳躍で背後に跳びすさると間合いを計った。
「なんでこんな――!!」
言い終えるより早く、再び先生は強襲してくる。本気でラスティンを倒さんと、急所目掛けて躊躇なく拳を打ち込んでくる。
「ぐっ……!」
殴打を一発モロに喰らってたたらを踏む。
が、大丈夫だ。思ったよりも重くはない。
普段の強化魔法による怪力を誇る先生の豪腕に比べれば、なんてことのない一撃だった。
(これくらいなら――!!)
多少一発二発もらったところでダメージは知れている。
ラスティンは自身の鍛えた体から生み出す本物の瞬発力を存分に発揮すると、一瞬でシホとの距離を詰め、その両腕を封じ込めた。
「……ハァ……はぁ……、なんで、こんなことするんだよ。先せ――――」
言い終わるより先に、両腕を封じられたままの先生が、その長い脚を払ってラスティンを転倒させんと試みる。
その素早い足さばきに体勢を崩しながらも、ラスティンは意地でギリギリのところで踏ん張って、両手の拘束だけは維持したまま先生の上に倒れ込んだ。
「言えよ!! どうしてこんなことを急に――!!」
先生に馬乗りになって、怒りに任せてその拘束した両腕を強く握り締めると、先生が『ッ』と顔をしかめた。
「言えよ!!!」
もう一度力に任せて揺さぶりをかける。
すると先生は静かにくたりと横を向いて――――
次の瞬間、手中で掬い取った土を目潰し代わりに投げてきた。
「っ――!!!」
続いて2打、喉仏と顎に拳を見舞われる。
「この――――ッ」
涙と痛みに歪む視界で、無我夢中で手を伸ばす。
すると歪む視界のなかで何かが指先に引っかかり、パチパチンッと弾けるような音がした。
構わず、先生の細い腕を追いかけ再び捕まえる。
今度こそ逃げられないように、抵抗されないように、両の手の平をさらにしっかりと掴んで押さえつけた。
「ハァッ……はあっ……はっ……」
荒れる息を整える。両目に入った土埃も、涙をボロボロと流すうちに流れ落ちていた。
「先生、どうしてこんな…………」
再び問うて、今度こそ大人しくなった先生を、ようやく見えるようになった視界で見下ろす。
するとそこには、ブラウスのボタンがいくつも弾け飛び、普段見せることのない素肌が露わになった先生が、そこにいた。
「なっ……」
先生の胸元に光っているのは、いままで自分が泣き腫らして落とした涙の粒か。
つぅ、となだらかな丘を流れ落ちてゆく滴を見送りながら、ラスティンはとんでもない状態の先生を押し倒していることに気づいて慌てて両手を離した。
「………………っ」
先生の表情は、欠片も変わらない。
それどころかじっとラスティンの戸惑う瞳を見据えてくる。
そして先生は静かに――――こう言った。
「これでわかったでしょう。私が何度やったって、魔法なしじゃあなたに敵わないって」
意味が、わからなかった。
「あと何十回、何百回やっても、私の力ではきっとあなたには敵わない。元々の素質が違い過ぎる」
それはそうだろう。
先生は女で、自分は男だ。それも自分は――贔屓目に見てもそこらの男よりはずっと鍛えている、体力自慢の剣士なのだ。
「でも私は――――鍛えるのをやめなかった。足掻くのを、やめなかった。だからいまここに――――私はいるんだと思ってる」
――実力勝負の世界では、常に力のみがモノを言う。
草原で狼と遭えば、力がなければ噛み殺され。
街で人攫いに遭えば、力がなければ売り飛ばされる。
森で魔物に出遭ったならば、力がなければ、自分のみならず仲間もろとも肉になる。
そうした世界で生きてきたからこそ――最後の一欠片の努力が、可能性が、明日をつかむための命綱になる。
そう、先生は困ったように笑った。
馬乗りになっていた先生から身を引いて、恐る恐るその背についた草を払う。
ありがと、と言って先生は、髪に挟まった草を抜き取った。
「私はね、きみに……少しでも多くの武器をあげたかったの。きみは強い。剣士としてなら、誰よりも。これからの伸び代を考えても、私なんかきっと相手にならない――これからもっともっと、私を置き去りにして強くなるきみに、少しでも多くのものをあげたかった」
遠い目をして、先生は語る。
「きみの目指す夢――騎士の道は、誰よりも危険が隣り合わせの道だから」
「………………」
「きっときみなら、仲間も部下も見捨てない、いい騎士になる。誰よりも危険な場所を引き受けて、仲間の盾になって――――でもそのときに力がないと、傷つくのはきみ自身だ。そんな結末を、私は見たくない」
少しだけ悲しそうに、先生は膝を抱える。
「だから苦手な魔法を俺に……?」
「どんなに小さな手札でも、あるとないとじゃ全然違うからね。それに……」
「それに?」
先生はフッと息を吐く。
「私も魔法で身体強化とかいろいろズルをしてるけど、これをするにも、やっぱり基礎は必要だからね。基礎の技術がない馬鹿力は、ただの馬鹿力でしかないから」
「?」
「きみには、もう少し先まで言うのを控えようと思っていたんだけど――」
先生は、言葉を切る。
そしてたっぷりと溜めると、衝撃的な言葉を発した。
「魔術の才能がなくても、魔法が使える方法があるって知ってる?」
「……は?」
ラスティンは狐につままれたような声を発した。
「それは……どういう……」
「『魔剣』はわかるよね?」
もちろんだ。
刀身に魔術を行使するための呪文と魔石が埋め込まれ、特定の魔法を発動できる剣である。
魔力を魔石から供給するので、使用者に魔力がなくとも使用でき、主に魔法の才がない剣士には重宝がられる。
「魔剣は俺も考えたけど……でも結局、魔石の魔力が空になったらただの剣だし、なんかこう、使い捨ての力を借りてるみたいで……」
正直、嫌だったのである。
もちろんそういう武器であると理解した上で戦術的に使用していく使い方もあるだろう。
けれど魔石は高価なものだし、それを金でポンポンと買い換えて消費していくような、自分にない力を金で補うような戦い方は――ただでさえ兄に劣等感を持っているラスティンにとって耐えがたかった。
「気持ちはわかるよ。きみならお金の問題は心配いらないだろうけど――心情的に許せないってこともね。でももし、その魔法の源泉になる魔力のもとが、きみ自身の魔力だったら?」
「!?」
「きみの魔力で発動する魔法、それなら嫌な気持ちにはならないんじゃないかな?」
――――そんなことは、考えてもみなかった。
魔剣は魔力がない者が使用するもの。
ウィルテシアでは、魔法を扱える者こそが本当の貴族として敬われる。ゆえに、戯れで魔剣を使用する貴族はいても、わざわざ『魔法が使えない者の武器』を好んで使用する者などいなかった。
(自分から『魔法が使えません』と言っているようなものだと思ってた……)
「嫌な気持ちにはならないけど……そんなことができるのか?」
「もちろん。幸いきみの場合、魔術の才はなくても、魔力量自体は十分あるみたいだからね。使用には問題ない。私の故郷のリンデールでも、魔法の才がある剣士は前線で使っていたよ」
魔法の才のある剣士――魔法適正のある人間に溢れたリンデールならではの存在に、目から鱗が落ちるようだった。
「ただし!」
先生はピッと人差し指を立てて念を押す。
「魔剣に溺れてあぐらを掻かないこと! ……大きな力を得たことで、それに慢心して破滅した人間は五万といるからね」
安堵しかけていた心に、ヒュッと冷気がさす。
「きみの場合、楽に解決策が見つかれば、それに頼り切りになるでしょう。それは自らの足をすくっているのと同じだよ」
「うっ……」
想像に難くない未来に、先生が案じていたことが理解できるような気がした。
「魔剣は私の魔導書と同じだよ。奪われ、魔法を封じられてしまえば、途端に無力になる。また、魔剣1本に通常付与できる魔法は1種類だから、その隙をついてくる敵がいないとも限らない」
ひとつの力に頼る危うさと、すべての基礎になる基本を習得する重要性、そして適正に関わらない努力の重要性を示すために、先生はああして身をもって示してくれたのだ。
――言葉を受け付けようとしなかった自分のために。
「っっっ! 先生……っ!!」
気づけば、溢れ出る感謝の念に突き動かされるように先生を抱き締めていた。
「ちょっ……!!」
勢い余って再び草むらに沈み込むが、そんなことはどうでもよかった。いまはただ、先生にこの感謝の気持ちを、未来への光明が見えた安堵感を伝えたくて、ただひたすらにぎゅうと抱き締めた。
「もう……」
固く抱擁をし、こめかみを擦り付けてくる生徒に、先生も呆れてしまったのだろう。しばらくすると『しょうがないね』という言葉と共に、後頭部をわしわしと犬のように掻き混ぜられる感触が伝わった。
――――ポツリ。
パタパタと、首筋を打ち始めた天からの滴に顔を上げる。
天気雨だ。
見れば森の上空に、すぐそこまで濃い雨雲が迫っていた。
「先生!」
シホはこくりと頷くとすぐに立ち上がる。
魔法書を拾って、退散の準備だ。
「森の外れに狩猟小屋がある! とりあえずそこに避難しよう!」
遠くに響き始めた雷鳴に、二人は狩猟小屋を目指して走った。




