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第44話 駆け落ち逃避行 1


「先生、俺と一緒に逃げてくれ。どこか遠いところまで、二人で――――」





 そう熱く必死な眼差しでラスティンに詰め寄られたのが、かれこれ半時間前。

 シホはラスティンと共に馬を駆って、現在森の中にいた。


「どうしてこんなことに……」

「だってしょうがないだろ? 兄貴がダンスの抜き打ちテストをやるって言うんだから」


 これはメイドたちからの情報である。

 ラスティンが本当にダンスを踊れるようになったのか、試すために試験を行う準備をしているという。

 そのために使用人のなかでダンスの心得があるものを募っていたというのだ。


「絶対に俺は先生以外とは踊らないからな……!!」


 どうしてそこまで頑ななのか、シホの目から見ても十分にラスティンは他の女子と踊っても問題ない技量にまで達している。

 なのにラスティンは頑としてその意志を曲げようとはしなかった。


「それで逃亡を図った、と……。で、それに私まで巻き込まれる理由は……」

「もちろん、一人より二人のほうが罪は軽くなるだろ?」

「なっ、そんなわけないでしょう。私は巻き込まれただけなんだけど」

「ぐっ……わかってるって、悪かったって。たださ、先生が残された場合、あの兄貴の小言と嫌味満載の視線を受けるのは、先生一人になるんだぞ?」

「うっ……」


 そう言われてしまえば、耐えられる自信はなかった。

 自分はまったく悪くないはずなのだが(教師としての監督不行き届き(業務時間外)はあるかもしれないが)、あの小姑貴族の無言の圧に耐えながらダンスの練習などできるはずがなかった。

 結局は、ラスティンが逃亡を決め込んだ時点でシホは詰んでいたのである。


「…………はぁ」

「だから悪かったって! 代わりに良い場所に案内するから」

「?」


 ラスティンはそう言うと颯爽と馬を駆る。

 速度自体は森の林道なのであまり出していないのだが、その姿はたしかに乗馬慣れしている様を感じさせた。


「ここら一帯はさ――俺の家の狩猟場なんだけど、小さい頃はよく兄貴や父上と狩りに来てたんだ」


 ラスティンの言う一帯とは、屋敷の裏手から広がる広い森と丘――それにその先にある湖までを含む一帯だという。

 あまりに広い私有地について説明を受けたとき、シホは自分の耳が馬鹿になったのかと疑ったほどだ。

 深緑がつくる木陰のトンネルを疾走しながら、ラスティンは語る。


「俺は弓が得意じゃないから、ほとんど森で遊んでいたようなものだけど、それでもここは好きだったんだ――」


 だって、気持ちいいだろ? と彼は笑う。


「たしかに。屋敷よりずっと涼しくて気持ちいい」

 深緑の間を駆け抜ける風は、ひやりと心地良くて、シホの髪や首筋をさらうように吹き抜けてゆく。


「だからさ、ライオール行きが決まったとき、絶対にここに先生を連れて来ようと思ってた」


 真っ直ぐに前を見ながら馬を駆るラスティン。

 彼は横顔だけで、はにかむように嬉しそうに笑った。


「ラスティンには本当にいろいろなところを案内してもらってるね。……ありがとう」


 本当に、いろいろなところを案内された。

 ライオールに招かれた賓客が通常案内されるだろう居室とその周辺。……のみならず、庭や、鍛錬場、温室に菜園……本来なら外部の人間には決して見せないだろう、使用人たちの区画まで――。

 彼の育った環境を、余すところなくシホに紹介してくれた。

 そして場所のみならず、そこに暮す人々さえも紹介してくれたのだ。


 それは、まるで家族のように受け入れられた気がして――シホは嬉しかった。



「なんだ、そんなこと――――」


 森の天蓋が解け、明るい開けた風景が広がる――。


 目映いばかりの、白い花咲く小さな丘。

 その先に広がる青い湖を背負って、ラスティンは破顔する。


「先生には、俺の好きなものを好きになってもらいたいからな!」


 だから案内したんだ、と彼は無邪気に笑う。



「そっか……そうなんだ」


 それはとても素晴らしいことに思えた。

 自分の好きなものを他人に晒すことは、そのものが傷付けられたり汚される可能性だってあるだろう。

 もちろん、好きという気持ちそのものを否定されることだってある。


 そのような危険を負ってでも、ラスティンは自分の大切なものを目の前の他人と共有しようとしてくれる。

 誰かに、与えようとしてくれる。

 それはとても素晴らしく、簡単にはできない――彼の勇気と懐深さを表すような出来事に思えた。


「じゃあやっぱり、ラスティンには感謝しないとね」


 素敵なところに連れてきてくれてありがとう、と微笑んで、シホは真白い花が咲く丘に降り立った。







 森のはずれの樹々に馬を繋いで、二人で湖畔の花畑に腰かける。


「綺麗…………」


 一面に花咲く丘ごしに見る湖は、宝石のように光り輝いて見えた。


「だろ? 本当なら、夜になるとここはもっと綺麗になるんだけど……さすがに夜は、来られないからなぁ」


 ラスティンの言うように、さすがに夜に屋敷を抜け出して、ここまで来るというのは現実的ではない。

 外出の許可を得るのは必須だろうし、許可を得たとしても、やはり周囲の者が心配するだろう。


「いまでも十分綺麗だよ。ありがとう」


 ラスティンが見せたいといった風景を堪能して、シホは笑顔を見せた。


「そういえばラスティンは、ここによく来るの?」


 わざわざお気に入りの場所だと紹介するくらいだ。

 彼もよく来ているのだろうと思ったのだが……。


「まぁ……たまに? 気が向いたときに……」


 なんとも歯切れの悪い回答だ。


「っ! そんな目で見るなよな……。そう、そうだよっ! 屋敷の中に居辛くなったときに来て、一人で時間を潰してた。……くそっ、格好悪ぃ」

「屋敷に居辛いとき?」

「ぐっ……あまり突っ込むなよ……!」


 しかし拒絶する割りには、じっと見つめ続けると、根負けしたのか、人のいいラスティンはぽつりぽつりと話し始める。


「ほら、兄貴と俺、全然似てないって前にも言ったろ」

「ああ」

「兄貴は優秀で、俺は剣以外はからっきしだ」


 本人の言うほど酷くはないはずなのだが、あまりに兄が優秀すぎるがゆえに、ラスティンの自己評価は低かった。


「だから、俺がいる意味ってなんなんだろうって思ってた」

「………………」

「兄貴は勉強ができる、頭も回る、政治的な駆け引きとやらもきっと得意だろうし、父上の補佐の仕事もすぐに名代としてこなしてみせた。おまけに剣の腕だって俺と同じくらい強いし、魔法に関しては言うまでもない。そもそも比べること自体が間違ってる」


 兄弟だからこそ比べてしまうが――それは手本とするにはあまりに大きな壁。


「家ではアレだけど、人当たりだって悪くない。社交界に出れば――噂だけど――ひっきりなしに会場中の令嬢に囲まれる。人望も、人気も、実力も、すべてがあって――……」


 ―― では自分は、一体何なのか?

 ラスティンはそう思ってしまったのだと語った。


「家は兄貴が継ぐのはわかってる。そのほうが誰にとってもいい。けど俺は次男で、兄貴の予備で。でも予備にすらなりきれていない――――なのに、家のみんなは優しくしてくれるんだ」


 メイド長だったニナが、フィリスが、家令を務めるエイムズまでが、屋敷中の使用人が、ラスティンをライオール家の敬うべき子息として、それはもう大事に愛情を持って接してくれた。


「そんな資格、俺にはないのに……」


 剣の腕以外、なんの取り柄もない。

 そんな自分が、彼ら使用人とそう変わらない自分が、まるで至上の存在のように、ちやほやと彼らに愛される。

 その事実に、堪えようのない後ろめたさと、申し訳なさ、不甲斐なさに襲われて――――ときたま家を飛び出したことがあるのだと。

 そう、ラスティンは語った。


「ははっ……笑い話だよな。魔法もろくに使えない、出来損ないの貴族なんて」


 だから早々に自分に見切りをつけて、兄とは違う騎士の道を目指そうとした――。

 けれどやはりそれも、魔法が足を引っ張って。やはり上にのぼっていくためには、どこかで魔の力を使いこなさなくてはならないのだ。


「結局俺は、どこに行っても…………」


 ぺしり。


「!?」


 気づけば、シホはラスティンの頬を両手でつかんでいた。


「よく聞いてね、ラスティン」

「は…………?」

「あなたは、本当によく頑張ってる。誰よりも一生懸命頑張って……この半年でずっとずっと成長してる」


 その姿を、ずっと傍で見てきていた。


「魔法もほかの人と比べちゃうから気になってしまうけど、十分すごい実力よ。本当なら魔法を使えるだけで、それは素晴らしい才能なんだから――」


 シホの故郷リンデールとは違い、ここウィルテシアでは、魔法の才があるだけで、それは一等貴重なものなのだ。

 そしてその才にもやはり長短はあり、皆が皆、同じような実力を得られるわけではない。

 けれどラスティンは、その実力の壁を越えようとしてきた。努力で、すでに壁をいくつも超えてきているのだ。


「あなたは私が最初に思ったときよりずっと、ずっと成長してる。このままいけば、どこまで伸びるのか私にもわからないくらい――」


「っ世辞はいいよ!!」


 頬をつかむ両手が振り払われる。


「やめろよ! そんなこと言われたって、何の意味もない。多少魔法が伸びたところで、何の役にも立たないんだ!」


 いつも明るい快活なラスティンしか知らない人間が見れば目を疑うような、吐き捨てられる言葉たち。

 息を荒げたラスティンは、立ち上がり、怒りに染まった目でシホを見下ろしていた。


「先生は……先生はいいよな。適当なことを言って面倒を見ていれば、それで給料は出るんだから。だけど俺たちは違う! ここで鍛えた実力で、この先の人生を生きていかなきゃならないんだ!!」


 届かない実力と、夢への壁、未来への不安が、ラスティンの鍛えた体を厚い雲のように覆っていた。

 どんなに言葉を重ねても、どんなに傍で癒やしても、きっと留めることの出来ない、強い力への渇望。




「――――わかった」


 沈黙ののち、シホはひとつ呟いてゆらりと立ち上がった。

 ラスティンに真っ直ぐと向き直り、静かに言葉を吐く。


「いままで中途半端なことを言って、きみを不安にさせたことを謝る。たしかにきみは、魔術の才能に乏しい――それも、うちのクラスでは最下位に位置するほどに」


 ぐっと、ラスティンが苦痛に顔を歪ませるのが見えた。


「きみには魔術の才がない。それは事実だ。けれどそれを伸ばしてほしいと――伸びるところを見たいと思ったのは、私だよ」


 けれどそれが余計にラスティンを苦しめてしまった。


「でも、私は間違ったことはしていないと思う。きみの才能は伸びる――――わずかでも。それなら伸ばすべきだ――――きみ自身の可能性の幅を狭めないために」


 腰元から、魔法書を探り取り出す。

 それに結わえられた、落下防止の鎖の金具を取り外して、シホの命脈ともいえる魔法書を花園に放り投げる。


「私の言った言葉の意味を、行動で証明してあげよう。――おいで、“魔法なし” で勝負してあげる」



 拳を構え、シホはもう一度ラスティンに向き直った。



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