第43話 白い寝台
翌朝、ミリウスは真白い天井を見上げて目覚めた。
上品な乳白色に、ところどころ控えめに金の文様が入ったライオール家特有の客室天井である。
昨夏とこの一週間ですっかり見慣れ、すでに王城にある自室より馴染みを感じ始めているそれを見上げながら、ミリウスは吸い寄せられるように天井に腕を伸ばした。
なんだか今朝は、とても晴れやかな清々しい気分だった。すっきり体中の疲労が抜けているといっていい。
心地良い目覚めにもう一度ゆったりと目を閉じて、何気なく腕を下ろす。
ぺたり。
腕を下ろした瞬間、おそらくシーツを掻くはずだったろう指先に、不思議な感触が届く。
予想外のそれは、薄い布地と、その下にある柔らかな温もりの存在を感じさせた。
「…………?」
目を丸くし、視線を指先のほうへと移す。
するとそこには、薄い夏物のブラウスの裾があった。
手を動かすと、真白い生地がつられてめくれ、その下にある柔らかな白い肌が露わになる。
それは――――滑らかな肌触りを持つ女の脇腹だった。
「!!?」
今し方自分が触れたものが何かを理解して、ミリウスは弾かれたように伸ばしていた手を引っ込める。
同時に寝台から跳びすさり、いま起きているこの状況を確認する。
(どういうことだ……!?)
王位継承権を持つ身がら、こうした事態には特に気をつけていたはずだった。肝に銘じ、けっして間違いを犯すことのないよう、常に自制を保ってきた。
なのにどうしたことか、ミリウスが飛び起きた寝台には、一人の女が横たわっていた。
(しかも――――――)
こちらに背を向けて眠る女の背には、あのよく見慣れた、ミリウスが狂おしいほど触れたいと思っていた黒髪がするりと流れ、白く大きなシーツに広がっていた。
「………………!!」
声にならない声に、いまなお眠る先生と自分を見比べる。
どうして先生が俺の寝台に寝転がっているのか。
どうしてその隣に自分がいて、しかも上半身なにも身に纏っていないのか。
ぐるぐると動転する思考で必死に記憶を辿るが、何も思い出せない。
たしか昨夜は、先生おすすめの帝国式の浴場に足を伸ばしたところまでは覚えているのだが――……。
(まさか…………)
なにか、勢い余った自分が暴走して、先生を部屋まで連れ込んでしまったのか。
一体、何がどうして。そして自分は、どこまでしてしまったのか。
一見、先生の衣服に乱れた部分はないように見える。しかしだからといって、何もなかったとは言い切れない。
ここ最近のよくわからない衝動に突き動かされる自分を省みて、ミリウスは青くなった。
もし、こちらに背を向けて眠る先生の、その正面に、自分が先生に狼藉を働いたその証拠があったなら――……。
(せ、責任を……取らないと……)
顔を赤くしたり青くしたりしながら、ミリウスは立ち尽くした。
「…………ん」
そうこうしているうちに、こちらの気配に目を覚ましたのか、先生が悩ましげな息をついて身じろぎをした。
寝起きゆえの吐息だろうに、耳について離れない響きに、食い入るように先生を見つめる。
「…………ん? あれ…………あぁ、ミリウス、おはよう。起きたんだね」
まだ眠そうに目をこすりながら体を起こす先生。
その姿には、どこにも乱れた形跡はなかった。ほっと胸を撫で下ろすと同時に、疑問が浮かぶ。
先生は俺が眠ったことを知っていた。しかもこの状況に驚いた様子はない。つまりは、俺が眠ったあとに先生も寝台で眠ったことになる。
ますます状況がわからなくなって、ミリウスは頭を抱える。
「ええとね、混乱してるようだから説明すると…………」
かくかくしかじか。
先生のゆっくり言い聞かせるかのような穏やかな説明。
それを聞いてミリウスは――――――昨夜の自分を拳でこれでもかと殴りたくなった。
「…………っ!!」
まさか、長湯でのぼせるという失態で先生に介抱してもらい、そのあげくあろうことか先生をベッドに押し倒してしまうとは!
しかもそのまま一夜を共にしてしまうという体たらくである。
「あの……その……俺は、先生に…………」
聞くも恐ろしいが、一応念のため、先生にも確認してみる。
「? ああ、そうだよね。心配になるよね。大丈夫だよ、何もなかったから」
安心して、と、むしろ何かあったらクビになるのは私のほうだから――とカラカラとシホは笑う。
――笑いごとではない。
「いいですか先生! 次に同じことがあったときは絶対に、絶対に人を呼んでください。無闇に男の部屋に入っては駄目です……!!」
たとえそれが自分でも、だ。
固く過ちは犯さないと誓っていたはずの自分でさえこうなのだ。もしこれがほかの男だったらと思うと身震いする。
善意の塊のような先生が、その優しさで見ず知らずの男を介抱した結果――――目も当てられないような事態になった日には。
腹の奥底に湧くどす黒い感情を押し殺し、ミリウスは顔を上げる。
「誓ってください。絶対に……絶対にしないと!」
すでにしでかしておいてどの口が言うかという話だが、いまここで確約をとっておかないと欠片も安心できなかった。
「わ、わかった……うん、約束する」
ミリウスの勢いに気圧されたのか、先生はこくこくと頷く。
「絶対、約束ですよ」
「わかったってば……」
先生はまるで叱られた子供のように身を縮こまらせて、それでいて少し不服だとばかりに口を尖らせる。
「私だって別に誰にでもああするわけじゃないし……」
「……?」
「ミリウスだからしただけなのに……」
「……っ!!」
それは、どう受け取ればいいのか。
相手が自分だからそこまでしてくれたと舞い上がっていいのか。
彼女のクラスの生徒だからそうしたまでと冷静になるべきなのか。
万が一の事態さえも織り込んでその手を伸ばしてくれたのか。
その可能性さえ脳裏に浮かばないほど男として意識はされていないのか。
歓喜と落胆が次々に波のように打ち寄せて、ミリウスの心の中を掻き乱す。
「ぐっ…………」
泣きたいような、期待したいようなよくわからない気持ちになりながら、ミリウスは平静になろうと努めた。
「……わかりました。先生には大変ご迷惑をかけてしまい申し訳ありませんでした」
頭を下げる。これくらいしか今の自分にはできなかった。
「そんなの気にしなくていいよ。別に私に何か不都合があったわけじゃないし。まぁちょっと重かったくらいで……」
「??」
「さすがにきみくらいの体格になると、のし掛かられると退かすに退かせないってことがよくわかった」
長身のミリウスに、しっかり両腕で挟まれ押し潰されてしまったために、その体の下から抜け出すまで時間を要し、ようやく抜け出したころにはあまりに時間を食いすぎていた。
そのせいで外に出ようにも、深夜に王子の寝室から出るところを他人に目撃されるわけにもいかず、出られなかった……と先生は語った。
「おまけに髪まで下敷きにされてたから、もういいかなって――」
眠るミリウスに髪を下敷きにされ身動きができなかったゆえに、どうするべきか思案しているうちにそのまま先生も同じ寝台で寝てしまったのだと。
「――――っ!!」
自分がこの姿で先生を押し潰していた事実や、どうするか悩んだ末、先生が自分の隣で眠りについてくれた事実に、さらに胸中が波立った。
(先生はなんでもないことのように語っているが――)
半裸の男に押し潰されて、それがなんでもないなんて。
先生には驚くようなことでもないのか――? ほかにも、過去に同様の経験が?
それともやはり俺は男としては全く見られていないのか。
胸中を吹き荒ぶ焦りと言いようのない息苦しさに、再び赤くなったり青くなったり、ミリウスは百面相を繰り返す。
「…………ええと。ミリウス、大丈夫?」
顔色を次々に変える生徒の身を案じたのだろう。
先生は寝台の上から手を伸ばすと、ぴたりとミリウスの額に手を添えた。
「熱は……下がってるみたいだけど」
「……!!!」
言いようのない熱が、再び耳まで駆け上がる。
体温がいっきに上昇した気がした。
「だい……じょうぶ、です」
バッと身を翻し、手近にあった上衣に身を通す。
「それじゃあ俺は、外を見てきます。人がいなければ合図を送るので、その隙に……部屋に戻ってください」
まだ早朝のこの時間帯ならば、メイドたちも書斎や応接室の掃除にかかりきりで、この辺りまでは手が回っていないだろう。
「ん、ありがとう。ミリウス」
そう感謝の笑顔を向ける先生。
その姿を振り返って――――思ってしまった。
ああ、このまま先生を、この場所に閉じ込めておければいいのに。
目映い朝日の射す寝台で、その真白いシーツの上でぺたりと座り込む先生を。彼女をこのまま抱き締めてしまいたいような気がした。
一緒にいたい。
ただ、ずっと。永遠に――……。
この笑顔が自分にだけ向けられるものだったなら――それはなんと甘美で、心満たされる日々だろう。
「…………ミリウス?」
立ち止まり固まってしまった生徒に、先生――シホは、愛らしく首を傾げる。
「っ!」
――何を見ても、手放しがたく愛おしい。
「――それでは、先に出ます」
この胸を占める熱く息苦しい感情の正体を、ミリウスは朧気にではあるが気づきつつあった――。




