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第39話 白い宝石


 心地いい夜風を身に浴びながら、ミリウスはただ一人、宵闇に浮かぶバルコニーにぽつんと佇んでいた。


 多忙を極めた一日を思い返しながら、ふと、午後のある光景を思い出す。

 それは、レナードとシホ、二人が囲んだささやかな茶会の光景だった。



(――――――入り込めなかった)


 ミリウスが二人を見つけたのは、話に割り入る数分前のことだった。

 まだはるか遠い、二人の声も聞こえない2階の窓からだったが、見つけたとき、二人は談笑しているように見えた。


 背筋を伸ばし、微笑を浮かべ、対等な視線で忌憚のない意見を交わし合う二人。

 それはミリウスが学院で見ることのない、先生の新たな一面だった。



(俺たちの相手は、あくまで生徒としてなんだな……)


 常に対等に、偉ぶることもなく、同じ目線で接してくれているが、やはりそれは教師としてのもので、そこにはいつも見守るような優しさがあったように思う。


 レナードと談笑していたときの、すっとした艶やかな笑みを浮かべる先生は、いままでミリウスが目にしたことのないものだった。


「………………」


 子供扱いされていたことが悔しいのか、それとも別の何かなのか、もやもやとした胸に留まる気持ち悪さに頭を振る。



(……とりあえず、レナードが先生に変なことを吹き込んでいないようでよかった)


 レナードは明らかに先生を警戒している。

 それは杞憂で、先生は誠実でミリウスの味方になってくれる人なのだと伝えているのに、レナードは自身の目で見定めるまでは、絶対に王族の命だろうと聞こうとしない。


(それだけ得がたい人材であることは確かだが……)


 簡単に他人の甘言に惑わされない、頼りになる人物ではある。が、そのことで先生に余計な情報を植えつけられるのは避けたかった。




 二人のもとに駆けつけたときを思い出す。


『先生、何の話をしていたんですか?』

『? あぁ、ただの世間話だよ』


 そう言って内容をはぐらかした先生。

 レナードのことだから、おそらく自分のことで、先生になんらかの接触を図っていたのだろう。


 その結果が――――この光景か。


 ミリウスの足音が近づくなり、スッと離れてしまったが、近づく寸前、たしかにレナードはシホの髪を掬い上げていた。



 ――『ランドール嬢といえば、大変魅力的な女性でしたね』。


 つい昨日交わしたばかりのレナードの言葉が蘇る。


 レナードのあの言葉は本心だったのか。それともあれはあくまでミリウスへの牽制で、彼は、彼がいつも情報源を確保するときのように、標的とした女性を口説きにかかっているだけなのか。


 それに先生は――――どう反応したのか。



 普段の先生ならほとんど初対面に近い男に自身の髪を触れさせることなどないだろう。

 ならばそれを許すほどレナードが巧みなのか、先生がレナードに気を許しているのか。堂々巡りする思考が、脳内でぐるぐると渦を巻いた。



「…………はぁ」


 人間はすることがないと、余計なことを考えるというのは本当らしい。

 ミリウスは待ち惚けを食って持て余した時間を長い溜め息に変えた。




 そんなときだった。


 突如ガチャリと隣室で物音がし、慌ただしい足音と共にバルコニーに繋がる大窓が開け放たれる。


「ごめんね、遅れて! 私がまた明日って言ったのに……!」


 息を切らしてそう言葉を紡いだのは、隣室の主――――シホだった。


 荒い息を整えると、彼女は申し訳なさそうに微笑を浮かべる。

 その姿を見て、ミリウスは思わずポロリと言葉をこぼした。


「先……生……、いままでどこに……」


「それがねー!」

 シホは上機嫌そうに声を弾ませる。


「ラスティンに、ここには小さいけど帝国式のお風呂があるって聞いて行ってみたの! すごく気持ちよかったー!」


 帝国式の浴場といえば、ウィルテシアのものと違い、浴室に据えられた巨大な湯船にたっぷりと湯を張って、温浴自体を楽しむ風呂である。


 温水を大量に消費することから贅沢品として、一部の裕福な貴族の家くらいにしかないのだが、それを初体験した先生は大層お気に召したらしい。


 いまにも歌い出しそうなくらい上機嫌で、満面の笑みを見せている。



「それで…………」

「?」

「いえ、その、格好が……」


 つい、と思わず視線を逸らして呟いた。

 シホも自身の格好を見下ろして得心する。


「ああ、コレ? お風呂を出たら代わりにこれが置いてあって……。着替えは洗濯に出されちゃったみたいなんだよね」


 だから仕方なく着たんだけど……と照れくさそうに言う先生は、真っ白なナイトドレスを着ていた。


 普段の濃い色合いの、その内面に秘めた強さを象徴するかのような衣服とは正反対の、ふわりと緩やかに身を覆う可憐な白。

 ワンピース型の広く襟ぐりが取られたそれは、普段目にすることのない先生の艶やかな肌を、幾重にも重ねられたレースと控えめなフリルで彩っていた。



「なんだか分不相応な気がして恥ずかしいんだけど……」


 柔らかに身体を覆う薄衣をいじりながら先生は零す。


 普段の日常生活では装飾のないすっきりとした服を好む先生だけに、どうにも人形のような格好が落ち着かないらしかった。



「いえ……とても似合ってます」

「そう? おかしくない?」

「まったく。とても…………可愛らしいです」


 自然について出た言葉に、咄嗟に口を覆った。



「そう……なのかな? なら、まぁいいか」


 自分でも不安だったのだろう。先生は照れくささを振り払うように深呼吸すると、ようやく落ち着いたのか、ゆったりとバルコニーの手すりに身を寄せた。



 夏の夜風を浴び、気持ちよさそうに目を閉じる先生を、そっと横目で盗み見る。



 ――――本当だった。


 可愛らしい、と思ってしまったのは。

 自分でも信じられないくらい、先生にその格好は似合っているように思えた。


 普段のきりりとした見惚れるような横顔も美しかったが、今夜のような頼りなげな衣装を纏うと、突然先生が近くに感じられた。

 先生の感覚では少女らしすぎると忌避してしまうそれが、先生が自分たちとそう変わらない年齢の少女であることを思い出させた。


 早く社会に出たから大人だと思っていたが、少し天の巡り合わせが違えば、同じ時代、同じ学院に生徒として通っていてもおかしくない、ほぼ同年代の異性だったのだ。



(――――――)


 見てはいけないと思いつつも、自然と目が引き寄せられる。

 風呂上がりだからだろう。白いレースの合間から、少し汗ばんだ血色のいい肌が見え隠れする。

 それは艶やかに室内の光を照り返して、目映い宝石のように輝いていた。


 また、慌てて乾かしたのだろう黒髪が、まだほんのりしっとりと湿り気を帯び、大きく開いた背中にするりと流れるように広がっていた。



 ――――ごくり、と喉の奥が鳴る。



「先生」

「ん?」

 彼女は、なんでもない、教室で質問を受け付けたときのような気安さで振り返る。


「その格好で……浴場から……ここまで来たんですか」

「そうだけど」


 何を当たり前のことを……?とでも言いたげな先生は知らないのだろう。その格好が、庶民感覚でいうところのただの快適なワンピースではなく、寝所でのみ女性が着るものだということが。


 もちろん性的な意味があるものではなく、清楚で真っ当な品だが、それでも無闇に異性の前で見せていい格好ではなかった。



「今度からは……その、上にガウンなどを羽織るようにしてください」

「え、この暑いのに!?」

「そういうものなんです……」


 貴族の常識がわからない、と先生はしきりに首を捻り、納得いっていないようだったが、仕方がない。

 もし万が一、帰りの廊下でレナードとすれ違おうものなら、また『常識がない』と小言を言われ、先生の評価も下がってしまうかもしれない。



(それに――――――)


 ただ、純粋に。この光景を、先生のこの姿を、ほかの誰にも見せたくなかった。


 レナードや、ほかの男性使用人でもいい、彼らが彼女のこの姿を見た瞬間、一体何を思うのか――。

 それを考えると、それだけで腹の底で不快がぐるぐると渦巻いた。



(誰にも見せたくない――――)


 なのに、ほかでもない自分自身は目が離せない。

 何度もいけないことだと、マナーに反する行いだと、意志の力を総動員して拒むのに、どうしても目が吸い寄せられて抗えない。

 自分勝手で、浅ましい自分。

 自分で自分が嫌になる。


 それでも、ちらと横目で見た先生は、何も知らず無垢な笑顔で微笑んでくれるのだ。



 いっそ罵倒でもしてくれれば、ふっきれて何も考えずにいられるのに。



 のぼせるような夏の暑さの夜。

 ミリウスの苦悩に満ちた夏の逢瀬は過ぎてゆく。




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