第38話 優雅なる茶会
午前から延々と続いたダンスレッスンを終え、シホがふらふらとした足取りで中庭付近を歩いていると、どこからかふわりと良い茶の香りがした。
見れば優雅にもレナードが、中庭でティータイムと洒落込んでいるところだった。
「おや、ダンスのレッスンは終わったようですね」
講師夫人からの報告はまだ受けていないのか、レナードの態度は変わらず穏やかなものである。
「ええ、まぁ……」
動揺する内心を押し殺しながら、シホは話題を変えた。
「いまからお茶ですか?」
「ええ、何かと多忙なもので。あまり昼食どきに食事を取ることができないので、こうして仕事の合間に休憩を兼ねて、軽食を取るようにしています」
見ればテーブルの上には、定番の菓子類のほかにも片手でつまんで食べられそうな軽食がティースタンドに並べられていた。
「そういえばあなたも……」
ミリウスが昼食の席にシホたちが現れなかったことを話したのだろうか。
レナードは思い出したようについと視線を上げる。
その瞬間、鳴らなくてもいい腹の虫が盛大に唸りを上げた。
「……っ、よければあなたもどうぞ」
私一人では食べきれない量ですので、と笑いながら勧められれば、断るのも野暮というものだろう。
シホは顔を紅くしながら席に着いた。
「エイムズ」
レナードが傍に控えていた家令に声をかける。
すると、主人の意を汲んだり、と、エイムズは予備の茶器に紅茶を注ぐ。
目の前に出された温かな茶に口をつけながら、シホは改めてレナードという人物を観察してみた。
ラスティンに似た、揺るぎのない芯を感じさせる鋼色の髪に濃紺の瞳。
弟と違うところといえば、そのすべてのパーツが、溌剌さを感じさせるのではなく、柔和で優美な印象を与えることだろう。
もっと有り体に言うならば――深窓の令嬢たちが夢見るような甘い面立ちをしているということだ。
(同じ顔でこうも違うとは……ラスティンも頑張ればあるいは?)
モテないとしきりに嘆いていたラスティンも、あながち心配いらないかもしれない。
(もっとも、所作からして改善する必要はあるんだろうけど……)
茶を口に運ぶ動作ひとつとっても非常に洗練されている兄に、シホは愛弟子のこれからの苦労を思うのだった。
「ところで、ここでの生活はいかがですか? 慣れていただけましたか?」
「ええ、まぁ」
「それはよかった」
正直ダンスの件を除いては、想像以上に適応できている気がする。
それはラスティンやミリウス、さらには親身になって世話してくれる使用人たちの存在が大きいのだが、自分でも快適に過ごせている現状に驚いていた。
(まさかこうなるとは……学院でライオール行きが決まったときは心配しかなかったのに)
脳裏に、窓辺で佇む老紳士の姿が浮かび上がる。
『――レナード・ライオール君には……気をつけなさい』
学長の静かな言葉が蘇る。
(……そうだ、彼は手放しに信頼していい相手じゃない)
けっして忘れていたわけではなかったが、昨日今日の印象から、レナードもそれほど悪い人間ではないのでは? 誤解なのでは? と脳が思い込もうとしていた。
それでは駄目だ。
推測や希望的観測ではなく、きちんと、自分の目で確認しなくてはならない。
「……レナードさんは、」
「どうぞ、レナードとお呼びください」
にこにこと胸に手を当てながらレナードは紳士的に促す。
シホは意を決して、続きを紡いだ。
「レナード、あなたはどうして私を招いたのですか」
疑問だった。
なぜ弟の担任に過ぎない一介の教師を、わざわざ自邸にまで招くのか。
交流そのものが名誉に直結するような大魔術師ならともかく、無名の教師を招く理由はどこにもない。
よほどラスティンを溺愛していて、親馬鹿心で弟の担任を招いた線も考えなくはなかったが、ここでのラスティンへの当たりの強さを見るに、その線もすでに消えていた。
ならば残るは――――……。
「突然どうされたのです、ランドール嬢」
「教えてください」
「それは…………もちろん、弟の報告からあなたが大変優秀な魔術師だとお伺いして――」
「お伺いして、どう思いましたか」
「?」
「邪魔だと、そう思いましたか? 排除しなくてはと思いましたか?」
真っ直ぐに見つめると、レナードの顔に自然と浮かんでいた笑みがスッと温度を下げる。
変わらず表情は慈しむように優しいのに、その目の中の温度が冷え冷えとしたものに変わったような気がした。
「どうして突然、そのようなことを?」
「――――確認、しておくべきだと思ったからです」
蛇に睨まれた蛙の気持ちになりながらも、拳をぐっと握り締めて背筋を正す。
「あなたは本来招く必要のない私を招いた。それは予定が変わり、招かざるを得なくなったから。――呼んで、私という人間を確かめる必要が出たのでしょう」
そう、自分の目的を達するためにシホがどのような人間か判断する必要があった。
「ある日突然、想定外の角度から現れ、竜さえも倒す戦闘用魔術に熟達した女――――次期国王候補を害そうとする者なら、邪魔なことこの上ない」
あれは――コルトフィールド演習場での竜騒動は――事故を狙った暗殺計画だった。
ミリウスははっきりとは言わなかったが、彼自身の過去と今回の現場での出来事をすり合わせると、そう結論づけるほうが自然だろう。
「ウィルテシアの森に竜は出ないと聞きます。その森に、たまたま次期国王候補が訪れたときに運悪く竜が現れる。しかもその日に限って、場内の警戒態勢は手薄になっている――あまりに出来すぎた偶然ではありませんか」
校外学習の内容は例年同じものを踏襲し、その計画も前もって早い段階で作成される。敵方にも十分な準備時間が与えられる状況だ。
「あなたは……それを私が仕組んだと考えている」
「少なくとも、あなたくらい高位の貴族でもないと、これはできない芸当です」
ほう?と、レナードは興味深そうに目を眇める。
「一般には、竜を飼い慣らすなどできないと考えられていますが、それはある意味正しく、ある意味間違っている。――――竜は、正しい方法で準備に手間と資金を惜しまなければ、人間の意に沿った行動を促せる生き物なのです」
人間にとって恐怖の象徴そのものといっても過言ではない竜。けれどそれを飼い慣らした例をシホは確かに知っている。
「竜をはじめとする魔物の多くは、大地から湧き出る魔力を糧の一つとします。小さな魔物が得た魔力を大きな魔物が喰らい、それが連鎖し、一種の生態系をつくっている。ゆえに――魔物は魔力の結晶『魔石』に惹かれるのです」
魔石は大地からの産物だ。
地下の鉱脈や、大地から魔力が湧き出る源泉付近に結晶として現れる。その純度と大きさにより価値は様々で、リンデール公国では重要な輸出産品として盛んに採掘が行われていた。
「リンデールでは純度の高い魔石は森の深部から採取します。そのためには森へ部隊を組んで入り、物資を輸送する足が必要になってくる。そのための足が『竜馬』です」
竜馬は馬とは異なり歴とした魔物である。
森の中域層付近に生息し、ちょうど馬ほどの大きさで、人や物資を乗せて運ぶのに適している。
「竜馬も魔石に強い反応を示します。だからリンデール人は、森での移動手段を確保するために、竜馬を狩って魔石で飼い慣らす」
魔石を鼻先に吊り下げて、その芳醇とも評される魔物にしかわからない香りを覚えさせる。するとやがて竜馬は、その石を食べたくて食べたくて仕方がなくなり、定期的に人間から与えられる魔石のために、人の指示に従うようになる。
「もちろん竜馬と本物の竜――それも大型竜では、必要とされる魔石の大きさも純度も異なります。しかし今回演習場を襲撃した竜も、その要件さえ満たせば、最低限の行動は制御できる」
「………………」
「竜の捕獲と懐柔――その一連の計画にどれだけの費用が掛かるのか。私のような者が軽く見積もっても、それは途方もない――おそらく、どこかの小城をポンと買えてしまうだけの金額でしょう」
そのような資金を調達できる者など限られている。
「あなたか、あなたの背後にいる方々か。どちらにしろ、今回の事後の対応策――結界の再整備を易々とやり遂げたレナード、あなたであれば、反対に軍部や演習場に間者を送り込むことも容易いのでは?」
それがシホの結論だった。
外れていればいい。しかし必ずどこかにこれを仕組んだ人間がいる。そうでなければ説明のしようのない偶然だった。
「…………なるほど」
レナードはひと息ついて、優雅に足を組み替えた。
「それで? あなたはその話をして、私が自首をするとでも?」
「いいえ」
「……ほう?」
興味深そうにレナードは悠然と頬杖をつく。
「あなたが黒だった場合、あなたは私をただでは帰さないでしょう。始末するか、懐柔するか。どちらかの手段で、あなたの障害としての私を排除するはずです」
もちろん、懐柔策などに乗るつもりは毛頭ないが。
「そのことを理解していて、わざわざ私を糾弾しに来たと?」
「いいえ、警告をしに来たのです」
暗く、喉の奥が締まり声が落ちる。
「あの子に――ミリウスに手を出すなら、相応の覚悟の上で、どうぞ」
「ふっ、相応の覚悟とは?」
馬鹿にしたようにレナードは笑う。
「そうですね……あなたの四肢と首が飛ぶ覚悟、でしょうか」
「…………」
「もちろん今すぐにはいたしません。ですが、もし何らかの方法で彼を害することがあった場合、そうすることも『やむを得ない』。そういう心づもりでこちらがいることを知っていただきたかったのです」
目の前にいるのは、そういう人間だ。
けっしてお優しい安穏とした道を歩いてきただけの人間ではない。
必要とあらば自身の命も、他人の命も、天秤に掛け切り捨てていく人間である。
「私の生徒に手を出す人間は――誰であろうと許さない」
それがシホの結論だった。
リースターカレッジを預かった日からの、その日々で培った彼らとの信頼の上での、シホの揺るぎないただひとつの決意。
「――――とんだ狂犬だな」
レナードの口から、愉快なものを見たような呟きがぽろりと漏れた。
「まぁいいでしょう。いくらか予想と違いましたが……まぁ、これはこれで。使い道がある」
ふむ、と満足そうにレナードは息を吐いて、紅茶を口にする。
「あぁ、それと息巻いているところ悪いですが、私は『白』です。私が殿下を害するなど――まぁ必要によってはしないでもないですが――――私が指揮を執るならもっと上手くやる」
「!」
とんでもないことを口にしたというのに、レナード当人は涼しげな顔だ。
「それとあなたの発言も覚えておきましょう。ちょうどいい。彼らの前で披露すれば、あの愚か者たちのことだ。その矛先をこぞって殿下からあなたに向けてくれる」
にこにこと、よい弾除けができたといわんばかりにレナードは微笑を浮かべる。
「な……まさかあなた……!」
「ん?」
悠然とすべてを見通したかのような笑み。
「大貴族連の青年クラブに出入りしてるっていうのは……」
「あぁ、あれですか。まぁ付き合いのようなものですが……愚か者というのは決まって、自分たちしか踏み入れられない場所で悪事を企むものです。そしてまた――自身と同じ場にいる同じ立場の者を、同類だと勝手に思い込む」
つまりは――――彼こそが間諜だ。
大貴族連内のミリウスと敵対する派閥の動向を探るための、敵方の主要人物にして、その動向を内部から統制するための白い楔。
「あの会合のことを知っているということは……おおかた学長かアーミントン伯あたりの入れ知恵でしょうが、彼らにはこのことは内密に。何も聞かなかったことにしていただきたい」
なぜなのか、潔白が証明されることはよいことだろうに。
「あいにく私は、たとえ味方でも信用するつもりはありません。味方は味方で、私を敵方として動いてもらったほうが都合がいい」
泰然とした笑みは、まるでこの世のすべてを掌握した悪魔のように見える。
「……良い性格ですね」
「お褒めにあずかり光栄です。レディ?」
くすくすと笑いながら、散々手のひらの上で転がした子犬を弄ぶかのように、レナードはシホの髪をひと房掬い上げる。
疑ってしまった手前、払いのけることもできなくて、シホはなんともいえない気まずさにじっと俯いていた。
やがてそれは、ミリウスが訪ねてくるその瞬間まで続いていて――。
矢継ぎ早にミリウスが何事かをレナードに問い詰めているのも、それにレナードが愉快そうに答えていることも、すべてが上の空で。
ただ、時折こちらにちらと視線を寄越すレナードのその眼差しから、
(あぁ、これは体のいい『おもちゃ』認定をされたな……)
――騙しやすく、自身の望むように踊る愉快なおもちゃ。
そんなことを、密かにに思うのだった。




