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第37話 ダンスレッスン


「サァ! わたくしが来たからには、舞踏会までにきっちりみっちり寸分の抜かりなく仕上げるザマス! ダンスのダの字もなってないヒヨッコたち、準備はよいザンス!?」


「………………あれ、誰?」


 ライオール邸の小ホール。ダンスレッスン用に用意された広いフロアで、シホは強烈な個性を放つ婦人を指差してラスティンに尋ねた。



「通称ダンスの鬼。悪魔。ワルツのステップを踏みながら生まれ、結婚式でうろたえる旦那をステップで引き回しながら結婚の誓いを立てキスまでしたという噂の、ドーリス夫人。――今日から俺たちの講師となる家庭教師だ」


 密かに耳打ちしてくるラスティンの息が緊張を孕んでいる。彼が恐れおののいているのが、その呼吸から見て取れた。



「ハイ! そこのあなた! お名前は!?」


「シ、シホ・ランドールです!」


「よろしい! シホさん。ラスティン坊ちゃん同様、あなたにもみっちり指導するようレナード坊ちゃんから言付かっています。基本からビシバシ鍛えていくつもりなので、覚悟してついていらっしゃい!」


「ハイ!」


 なぜかつられて威勢良く返事をしながら、シホはラスティンと顔を見合わせた。

 これは思った以上に厄介なことになるのでは……と。



 その予想は、半時間も経たぬ間に現実のものとなった。







「まったく! なんということざます! ダンスの基礎以前に、姿勢・所作・歩き方まで、全然なってないざます!」

「ヒイッ!」


 パシン、と羽扇を打ち鳴らす夫人におののきながら、シホとラスティンは背筋を伸ばす。


「ハイそこ! お尻に力を入れて、お腹は引っ込める! 胸を張って頭は天井から吊り下げられたように真っ直ぐに!」

「ハイ!」

「……ふむ、まぁ良いざんしょ。その姿勢を自然にできるようになるまで続けること。――坊ちゃんもですよ。気を抜くなど百年早いざます」

「――ハイッ!!」


 二人して天井から釣られた蛙のごとく、もはや何が正しい姿勢なのかわからなくなって来た頭で立ち尽くす。


「幸い二人とも体幹と筋力はあるようざんすね……。気さえ抜かなければとりあえずそこそこ見栄えのする歩き方はできるざます」


 この評価を得るまで小一時間。

 ラスティンなど名家の嫡子だというのに、何度罵声を浴びながら姿勢を矯正されただろう。

 彼が『ダンス』と聞いて逃げ腰になった理由がわかったような気がした。


「では次に、時間もないのでステップに移るざます。本番はここからざますよ! ついていらっしゃい!」





               *





 ミリウスが忙しい面会の合間を縫い、休憩を兼ねて小ホールを訪れたとき、そこには2匹の蛙が床にへばりついていた。


 ――否、ラスティンとシホである。


 二人は精根尽き果てたといった体で、のびるように床に倒れ込んでいた。



「大丈夫ですか……」


 おそるおそる声をかけると、低いうめき声とともに『もぉむりぃ……』という泣き言が聞こえる。

 昼食の席に顔を出さなかったので、もしや……と思っていたが、結果は想像以上に厳しかったようだ。


「ううっ、一生懸命やってるのにぃ……」


 シホは子供のように泣きじゃくりながら、懸命に努力した旨を訴える。

 しかし、当の講師夫人は――……


『なんっで、これほど簡単な動作ができないざます! 信じられないざます! どんくさいにもほどがあるざます!!』


 基本のステップすら上手くこなせないシホに呆れかえり、明日までに形にするよう厳命して帰ってしまったというのだ。

 ボロボロと涙を流すシホにハンカチを差し出しつつ、ミリウスは尋ねた。


「何が駄目だったんですか?」

「うぅっ……ずびっ……それは……」


 シホは訥々(とつとつ)と一時間ほど前の出来事を話し始めた。





 ステップの順番を覚えるところまでは順調だったという。

 拙いながらも手拍子に合わせ、次に足を運ぶべき場所へ、一歩また一歩ステップを刻んでいく。


 しかしそれが実際の音楽に合わせた瞬間――――大崩壊した。


「♪~~♪~~~」


 鼻唄を歌いながら、再現すべく覚えたばかりのステップを披露してくれる先生。


 が、


(これは…………)


 ミリウスは、額を抑えて口を真一文字に引き結んだ。


(間違ってもワルツのステップじゃない。――――反復横跳びだ)


 歌に合わせた瞬間、ワルツの優雅さはどこへやら、無駄に軽快にぴょんこぴょんこと跳ねるように機敏なステップを刻んでしまう足さばき。

 戦闘時には頼もしいフットワークが、ここでは文字通り足を引っ張っていた。


「先生、もういいです。とりあえず止まりましょう……」


 どうしたものか。

 ミリウスは会談を終えて疲労していたはずの頭を絞って考える。


(何か……何かいい助言を……)



 そうだ、と脳内に一筋の光が射し込んだ。


「先生」

 さっそく呼びかけると、シホは素直にくるりとこちらを向く。


「おそらく先生の場合、一人で踊るから音に囚われ過ぎるんです。一度ラスティンと組んで、パートナーの歩調に合わせましょう。そうすれば本番の足取りもつかめるかもしれません」


「そうかな……」

 練習でも散々なのにいきなり本番形式でやって大丈夫なのかと、シホは不安そうな表情を見せる。


「大丈夫ですよ。ラスティンだって昨日今日練習を始めたばかりの初心者ではないんですから、きちんとリードしてくれるはずです」


 そうだよな、という念押しを込めて親友に視線を投げると、ラスティンは明後日の方向を向いて空の口笛を吹いた。



「とりあえず一度やってみましょう」


 二人を誘導し、形ばかりだがペアの体勢を取らせると、初めこそラスティンは緊張していたものの、シホが、


「ごめんね、また打ち込み練習付き合うから……」


 というと、すぐにいつもの調子を取り戻し、意気揚々と前向きに練習に取り組み始めた。


(先生相手だと素直に言うことを聞くんだよな……)


 ほかの令嬢や女生徒だとこうはいかないだろうに。

 なぜかラスティンは先生相手だと自然体で異性と接することができる。


(普段剣の稽古をしているからか……?)


 だから異性としてより、師としての印象のほうが強いのかも知れない。

 そんなことを考えながら、ミリウスは手拍子を開始した。


「1・2・3・4……」


 ラスティンとシホ、二人がぎこちないながらも教えられたとおりにステップを開始する。

 それは予想外にも、足が絡まることもなく、指導されたとおりの基本の足運びをしてみせた。


 しかし…………。


(これは…………)


 ミリウスはまたしても頭を抱える。

 ステップの順番はいい。大枠は間違っていない。

 しかし決定的に、大事なものが抜け落ちている。



 ――それは気品と優雅さだ。




 ラスティンとシホ、二人の足取りは実に見事だった。

 二人とも運動神経がいいのだろう。互いがけっして相手の足を踏むことのないよう細心の注意が払われている。


 しかしそのために、逆に無駄な頭脳戦が繰り広げられていた。


 ステップを一歩踏み出すたびに、相手の体勢、軸足の変化から、次に相手の足下に空くスペースを予測。

 足の踏み出し――間合いの制圧は、早過ぎても遅過ぎてもいけない。

 相手が隙を見せた瞬間、大胆不敵に一歩踏み出す。

 躊躇こそ大敵、機を見て俊敏に、自身の次のステップをねじ込んでいけ。


 ――まるでそんな教えを受けているかのような、熾烈なまでの陣地争奪戦。


「………………」


 これでは間違ってもワルツではない。

 これは優雅なダンスに見せかけた(それもできていないが)格闘術の組手だった。


「はぁぁぁぁぁ」


 ミリウスは重い溜め息とともに項垂れた。




「いいですか、先生」


 ミリウスはラスティンにも『先生の腕を離すなよ』と釘を刺して、ペアの姿勢を組んだままの先生の背後に立つ。


「重心を移動させず、足下だけをバタつかせるから、品のない動きになるんです。もっと足ではなく、重心を移動させるつもりで――」


 背後から先生の腕を取り、ぐっと自身のほうに引き寄せる。

「わっ」

 ぐらりと先生の体が傾いで、自然と足が背後に一歩スッと下がった。


「ラスティン、お前が支えるのを忘れるなよ。ダンスは信頼関係なんだ。……先生も、パートナーを信じてやってください」


 そう言うと先生は思うところがあったのだろう。


「わかった。今度はちゃんとラスティンのこと信頼する。ラスティンが動きたいように動いて。合わせるよ」


 ぐっ、とやや離れていた距離も近づけて、ほとんど臍と臍がくっつくような距離まで身を寄せ、シホはラスティンにその身を任せた。


「…………な、」


 ラスティンの頬がいっきに紅潮するが、すぐに平静を取り戻して二人はダンスの練習を再開する。


「………………」


 とりあえず、難所は越えたようだ。

 このまま練習を続ければ、なんとか期日までに形になるだろう。



 初々しいながらも見つめ合って懸命に練習を重ねる二人を見て思う。




 歩調を合わせ、同じ速度で同じ世界を見る。



 そんな彼らがひどく羨ましく、眩しく見えた。



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