第35話 晩餐会
(よかった……練習しておいて)
夕刻、給仕により次々と新たなメニューが運ばれてくるテーブルで、シホ・ランドールは密かに胸を撫で下ろしていた。
(ファビアンの忠告どおり……何も対策してないとマズかったかも)
貴人に雇われることを見越し、故郷リンデールの魔法学院でも、基礎的なテーブルマナーは教えられる。
もちろんシホも授業は履修していたし、アーミントンに来てからも、昼食時の生徒たちを観察するなどして、それなりに不格好ではないよう気をつけていたつもりだったが……。
ライオール行きが決まった日の、あのファビアンの呆れるような視線が蘇る。
『は、お前バカかよ。あいつらのテーブルマナーなんか当てになるかよ』
『え、どうして……?』
仮にも一国の王子や侯爵子息だ。彼らと同じようにしていればマナーに問題はないと思っていたのに……。
『そりゃ学院内ならな。ただあいつらだって、ほかの奴らに馴染もうとしてるし、マナーに拘らない食事を楽しんでる』
つまりは庶民出身の生徒や教師に配慮して、彼らと同じように随分砕けた食事作法をしているというのだ。
言われてすぐさま、ファビアンに倣うようにして、屋台の食事に齧りついたミリウスの姿が思い浮かんだ。
シホが貴族社会でのマナーを身につけようとしていたように、彼らは彼らなりに、こちら側へ近づく努力をしていたのだ。
それからというもの、見かねたファビアンを師と仰ぎ、密かなテーブルマナーレッスンが始まった。
晩餐時の所作から、茶会での作法まで。
一体どこでそんな知識を身につけたのかとファビアンに問うと、彼は
『ほかの奴らを見てりゃわかるだろ』
とだけ短く言い捨てた。
(なるほど)
きっとファビアンは、特にマナーに厳しそうな生徒や教師を見て学習したに違いない。
彼は彼なりに、シホと同じように努力をしてきたのだ。
(ファビアン、ありがとう……!)
改めて心の師ファビアンに礼を言うと、シホは何食わぬ顔で料理を口に運びながら、その美味を満面の笑みで味わうのだった。
「そうですか、リンデールでは魔法学院を卒業されたあと、魔法研究院に……」
「ええ。といっても研究職ではなく、調査隊のほうですが。実際に森に入り、魔物の調査討伐や魔石採取を行っていました」
昼の宣言どおり、晩餐の席になると、レナードは興味深そうにシホに色々と尋ねてきた。
「なるほど、それで……」
「?」
「いえ、そういえば以前にも、殿下を通して軍の演習場の改善案をいただいたことを思い出しまして」
「あぁ……!」
シホ自身すっかり忘れてしまっていたが、そういえば竜騒動のあと、ミリウスを通じて、演習場の結界運用について提言書を出していたのを思い出す。
「良い講師の方までご紹介いただいて。おかげで当該演習場は元より、いまでは王国中の演習場で、結界をリンデール並に強化することができました。――心より感謝申し上げます」
一意見として提出したものに、こうして面と向かって礼を言われると……なんだかとても面映ゆい。
シホは照れくささを誤魔化すように料理をそそくさと口に運んだ。
(それにしても……)
シホは口中に広がるふんわりとした甘みを呑み下しながら考える。
(あの提言書を預けたってことは、ミリウスは彼をかなり信頼してるってことよね)
間違ってもミリウスが適当な人間にあの書簡を託すとは思えない。ならば人としても能力的にも、彼が適任だと思えるほど信用しているということだ。
たしかにこの短期間で、国内中の演習場の運用レベルを上げたとなると相当の手腕だろう。
現状の確認、問題点の洗い出し、平行して講師の招聘に、対応官の選定。
国内中に教育を行き届かせるなら、問題の演習場以外からも技官を集め、講師による直接指導を受けさせるべきだろう。
そして必要な先進機材があればリンデールから輸入して敷設することも考えると……それらすべてをこの短期間に完了させた腕は相当なものといえる。
もちろんそれらすべてをレナード一個人でできるわけではない。ゆえに、それらを為せる人材に繋がるだけの人脈も持ち合わせているということだ。
シホ個人などよりはるかに大きな仕事を成したというのに、それを顔にも出さず静かに食事を続けるレナードをじっと見つめながら、シホは内心感服していた。
晩餐会は、時折小さく弾けるような談笑を交えながら、和やかに進んでいく。
ラスティンが嬉々として学院生活の報告をし、それについてレナードからミリウスへ不都合や問題がないかの確認が行われる。
そしてその折々にシホにも会話が振られ、答えると、レナードはそのすべて一つ一つに丁寧に相槌を打っていく。
(こうしてみると実にまめなお兄さんって感じだけど……)
時折ラスティンへの興味の薄さが感じられるのが若干引っかかるところだが、それを除けば、実に穏やかで社交性に優れる人物だ。
(人が良いからあちこちからお呼びが掛かって、誤解されてる?)
元々貴族連の青年クラブだって、ライオールほどの家柄なら、出入りするほうが自然だともいえる。
しかし、学長がわざわざ釘を刺してきたからには、何かあるわけで…………。
口中の美味と、もんもんとした考えに若干耳が留守になっていたからかもしれない。
「え゛っ……!?」
突如響いたラスティンの素っ頓狂な声に、シホはフォークからデザートの苺を取り落としそうになった。
「そんな話聞いてないぞ!?」
ラスティンが食事の手を止めたまま、あわあわと蒼白な顔を見せる。
「だろうね。伏せていたのだから。特にお前には。――言えば逃げ出すに決まっている」
「そんな……!」
何事か。途中考え事をしていたシホには話の流れがつかめない。
一人慌てる弟を無視し、レナードはそのままにこりと笑った。
「殿下には先にお話しさせていただいたのですが……近々、当家にて舞踏会を開催する予定がありまして」
「はぁ……」
さすが貴族様だ。なんとも優雅なことである。
「それにぜひ、ランドール嬢にもご出席いただきたく思うのです」
「――!?」
寝耳に水、いや、風呂場で冷水を浴びせられたような衝撃だった。
「え、え……? 舞踏会って、あの……??」
ドレスを着て、ひらひら、くるくると回るあの舞踏会か。
「ええ。実は弟が以前より、事あるごとに『舞踏会は嫌だ』と避け続けておりまして……」
これ、と呼ばれたラスティンがついと視線を逸らす。
「おそらく女性とダンスを踊ることに苦手意識があるからだと思うのですが、さすがにこの年齢ともなるとこのまま見過ごせるものでもなく……」
まぁそうだろう。貴族の社交がどういうものかは知らないが、庶民でも『社交』と聞いて真っ先に浮かぶくらいだ。
貴族社会では重要な行事に違いない。
「この機会に、もし先生とご一緒であれば、これもやる気を出すのでは、と思いまして」
レナードの表情はにこにこと穏やかである。しかしどこか、断られることなど想定していない、あるはずがない、というような、有無を言わせない透明な圧がある。
(たしかに……ラスティンの将来を考えると、これは克服すべき問題だけど)
いつかの時点で、舞踏会などに出向いて将来の伴侶を見つけなくてはならないかもしれない。
その必須スキルが『ダンス』だという事実に、幾ばくかの同情を覚えながら、シホは黙考する。
(それに招待されたとはいえ、ただ飯食らいで2週間過ごすというのも……)
それは気が引ける。すごく引ける。
ラスティンは嫌がるだろうが、他でもない。ここの滞在費を出しているのは、レナードを代表としたライオール家だ。
息子のわがままより、将来に繋がる鍛錬のほうが優先されるべき……。
「わかりました、私でよければ。……自信はないですけど……」
ラスティンのとどめを刺されたような悲痛な表情に『ごめん』とだけ、胸中で詫びた。
「では早速明日からでも。講師を手配しておきましょう」
レナードの満足そうな笑みを最後に、晩餐会は幕を閉じたのだった。




