第34話 レナード・ライオール
ラスティンに連れられ入った屋敷は、外観同様これまた立派なものだった。
足音の反響する高い天井のエントランスホールに、白亜の内壁。
廊下には深い青色の絨毯が敷き詰められ、その上をラスティンは脇目も振らず真っ直ぐに進んでいく。
そんな彼の背を追ってシホもまた邸内を進んでいくと、やがて彼は一枚の大扉を押し開いた。
我が家だからか、遠慮もなくズカズカと入室するラスティンにヒヤヒヤしながら付いていくと、そこは応接室らしき部屋だった。
高価そうな椅子がいくつも並ぶ部屋の中心で、先客らしき二人の人物が何やら話をしている。
「あ……」
シホがそのうちの一人がミリウスであると気づき声を上げた瞬間、同時に、隣にいたラスティンもまた大きな非難の声を上げた。
「兄貴! いたなら出迎えに来いよなー! エイムズが肝を冷やしてただろ。心配かけるなよなっ」
ぷりぷりと怒りながらラスティンが距離を詰める。
その先にいたのは、ミリウスと共にいた先客――若い貴族風の男だった。
ラスティンに兄と呼ばれた男がゆっくりとこちらを振り返る。
その瞳は、確かにラスティンと同じ濃紺の瞳をしていた。
青くきりりと引き締まった瞳が、柔和な輪郭を描く睫毛の額縁の中に収まっている。
髪色もまたラスティンと同じ鋼色であるのに、こちらははるかに優雅な印象を与えるのは、弟とは違い緩やかにまとめられた長髪が、肩口からさらりと流れているからか。
年の頃20代半ばほどの甘い顔立ちの青年が、ふぅと溜め息をつく。
「お前も非礼については考え直すべきだね。客人のいる可能性のある部屋には、ノックをしてから入室するべきだ。――私の場合は所用で止むなく殿下をお迎えに上がれなかったが……ノックのひとつくらい、今日歩き始めたばかりの赤子だってできるだろう?」
ぐ……と黙り込むラスティンを前に、男はやれやれといった体で息をつく。
そしてマナーのなっていない弟に構う時間も惜しい、とばかりに切り替えると、視界に映ったシホを真っ直ぐに見つめたまま、こちらに歩み寄ってきた。
「シホ・ランドール嬢! お初にお目に掛かります、レナード・ライオールと申します。この度は突然の招待に応じていただき、心より感謝申し上げます」
笑顔とともに真っ直ぐに差し出された手に――そのきらきらとした輝きに――若干気圧されつつも、シホは何とかその手を取る。
「こちらこそ、お招きいただきありがとうございます」
堅く交わした握手が、思いのほかしっかりとした感触だったことに感嘆する。
一見洗練された外見に忘れていたが、彼もまた文武に秀でた人物だったという学長の言葉を思い出した。
「ランドール嬢。あなたのお話は愚弟から聞いております。ほかのどこを探してもいない素晴らしい先生だと。 その話を聞いてぜひお会いしてみたくなり、こうしてお招きいたしました」
隣をちらと見ると、顔から火を出しそうなラスティンがいる。
が、それには見向きもせずレナードは快活に話を続ける。
「数々の逸話にどのような御仁なのかと期待しておりましたが……それがまさか、このように美しい女性だったとは」
レナードの、ただでさえ甘い、婦人方が喜びそうな面立ちが、一層柔和に緩められる。
「ぜひこの滞在中に、いろいろとお話を伺いたいものです」
親しみが過剰なほどに込められた満面の笑みが、シホの用意してきた警戒心を削いでいく。
こういうところは兄弟似通っているな、とシホは密かに舌を巻いたのだった。
「…………コホン」
部屋の片隅から響いた咳払いに、ふと場の甘い空気が霧散する。
「! 殿下、失礼いたしました。お話の途中でしたね」
レナードがミリウスを振り返ると、ミリウスは黙したまま沈黙で同意を示す。
シホが何のことかと小首を傾げると、申し訳なさそうにレナードが眉尻を下げた。
「ランドール嬢。お話ししたいのは山々なのですが……ただいま殿下と今後の予定について協議中でして……。続きは夕食の席にでも。申し訳ありません」
名残惜しそうに告げられる言葉に、要は退室を促されているのだと察する。
が、学長直々の忠告の件もある。この場に留まるべきではないかと思案していると……それは予想外の角度から退けられた。
「先生、何もそんなに面白い話じゃないさ。長旅の疲れも残っているだろう。休憩ついでに、ラスティンに屋敷の中でも案内してもらうといい」
ミリウスが苦笑するようにそう勧める。
「私はついていなくてもいい?」
「一緒にいてくれるなら嬉しいが……先生が疲れを癒やしてくれるほうが俺は嬉しい」
そう言われてしまえば、食い下がってまで残るわけにはいかないだろう。
ミリウスが大丈夫というのなら、まずは彼を信じるべきだ。
シホは少しだけ彼を気にかけながら、ラスティンとともに部屋を退室したのだった。
「兄貴も兄貴だよなー。呼んでおいて放り出すんなら、最初から呼ばなきゃいいのに」
でもそのおかげで先生はうちに来たのか、そう考えるとそれはそれで文句は言えないような……と、一人ごにょごにょと呟きながらラスティンは屋敷の中を闊歩する。
シホはそれについて歩きながら、ふと頭に浮かんだ疑問を率直に尋ねてみた。
「ミリウスとお兄さんは、ああしてよく話してるの?」
「ん? あぁ、そういやよく話してるな。何のことかはわからないけど、去年うちに来たときもああして二人だけで話してた。特別仲がいいってわけじゃないけど、ミリウスが自分から進んで話をしにいく相手なんて兄貴くらいだから、まぁ仲は悪くないんじゃね?」
いつも一番側に居るラスティンが言うのだから、きっとそうなのだろう。
もちろんこの屋敷の場合、レナード以外に話しかけたところで、使用人一同は凍りついて話にならないのでは?という懸念はあるが。
「でもなー、いつも二人でこそこそと……そりゃ俺は馬鹿だし頼りにはならないけどさー」
わかりやすく口を尖らせるラスティン。彼なりに思うところはあるのだろう。
「ラスティンも呼んでほしかった?」
「いや、それは……。兄貴の邪魔そうな顔が浮かぶから、絶対にやだ」
眉間に皺を寄せて顔真似をするラスティンに、仮にも血の繋がった兄弟だ、あのレナードもそういう顔をするのかもしれないと、シホは思わず吹き出した。
「なんだよー」
「いや、兄弟がいるって、そんな感じなんだなーって」
「は?」
「私には兄弟がいなかったからね。羨ましいよ」
たとえ家族仲が特別良くなかったとしても、なんとなくだが心の距離の近さが感じられる。それは率直に羨ましかった。
「そんなこといって、どうせ先生も『兄貴と俺は似てない』とか思ってるんだろ。わかってるよ、何をやったってどうせ兄貴には敵わない――」
いつも明るいラスティンには珍しく、その顔に影が落ちた。
文武両道と謳われる優秀な兄を持つ身には、彼にしかわからない苦労があるのかもしれない。
「でも、いつか、絶対に剣だけは勝ってやる。絶対に」
強い決意を湛えた瞳が真っ直ぐに前を向く。
その、ただひたすらな前向きさは、シホにはとても好ましく映った。
「――だから先生! さっそく稽古つけてくれよ!」
「え!?」
「なぁ~いいだろっ!? ライオールまで来たんだからさー!」
彼の決意を聞いた手前、ここで無下に断るのは忍びない。
「ええと、とりあえず、ここを案内してくれたらね?」
「絶対! 絶対だからな!」
切り替えれば早い。意気揚々と屋敷の中を案内し始めたラスティンに置いていかれないように、シホは早足で彼を追いかけた。
*
「――日午後が、ベルフィット伯。その後にグレアム内務官。翌日はソリューズ商会長と鍛冶職人組合の長、ガルデモンド辺境伯子息、それにヨークリー地区の助祭にもお会いいただきます」
「……忙しいな」
シホたちの去った応接室に、レナードの淡々とした声が響き渡る。
ミリウスのライオール滞在中における、面会予定を読み上げているのだが、その過密すぎる日程にミリウスは思わず息を吐いた。
ここに来た以上そうなることは予想していたが、滞在中のほぼすべての日に何らかの予定が入ってしまっている。
「あくまでこれは本日時点です。今後も希望者が現れれば、可能な限り日程に組み込んでいく予定ですので、お心づもりを」
辟易する、とまで言うつもりはないが、さすがにここまで数が多いと内心思うことがないでもない。
「……それとも、わざわざライオールまで来て、あの愚弟やランドール嬢たちと同じように優雅な休日を過ごせるとでもお思いでしたか?」
「それは……」
「殿下は彼らとは違うお立場なのです。臣下や市井からの陳情を受けるのも大切なお役目。これは殿下の将来の人脈づくりにも繋がる貴重な機会なのですから」
そう言われてしまえば、返す言葉もない。
単純に面会の人選や先方との調整など、煩雑な実務の一切をレナードに任せてしまっているだけに、何も言えずにミリウスは黙り込んだ。
「…………、ランドール嬢といえば」
「?」
「大変魅力的な女性でしたね」
あのレナードの口からそのような言葉が飛び出るとは思わず、ミリウスはぴたりと固まった。
いくら社交界で浮名を流せど、普段こうして話す際に、レナードが特定の相手に好意を示すことはない。
「美しく聡明で、その実力を鼻に掛けない気さくな人間性――――実に殿下が好まれそうな女性だ」
「……!!」
レナードの真っ直ぐ見つめる意味深な瞳に、ミリウスは思わず反射で返していた。
「先生は、そういうんじゃない」
「ほぅ。ではどのような?」
「…………………………」
先生は、と何度か口の中で繰り返すものの、その続きが紡ぎ出せない。
いろいろな思いが胸中をぐるぐる回るのに、それを一つの言葉にすることができなかった。
「――そうですね。そうあるべきだ」
顔を上げると、レナードの冷え冷えとした声音が響き渡る。
「殿下には、相応の相応しい方を伴侶にお迎えいただかなくては。誰もが納得できる、王家に相応しいご令嬢を」
「…………わかっている」
そんなことは言われずとも、王族として生まれた瞬間からわかっていたことだ。
適齢期になれば、いずれ利害と家格の釣り合った、それ相応の家の令嬢を妻として迎えなければならない。
そんなことは、わかりきっていたはずなのに。
「幸い、この滞在期間の終わりに、ささやかながら当家主催の舞踏会があります。僭越ながら、これは殿下にとってもよいご経験になるかと」
……つまりは、将来の伴侶選びの練習にせよ、ということだ。
家格の合った人間を選別し引き合わせ、その中で自由に伴侶を選ぶという、彼らなりの優しい『自由』。
小さな箱庭のなかの自由。
もちろん、諸外国との外交的理由による政略結婚の場合はその限りではないが――どちらにしろ、限られた自由であることに違いはない。
ミリウスは不思議だった。
どうしてこのことを、今日まで窮屈だと思うことがなかったのか――。
当然のこととして受け入れて、一切の疑問を抱かなかった。
それに疑問や息苦しさを感じるようになってしまったのは、いつからだったか――。
王族である以上避けられない問題に、ミリウスは、ただ今は、それらを思考の外に追い出すように深く目を閉じたのだった。




