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第33話 ライオール家へようこそ


 ここからがライオール家の敷地だということを示す、ぽつりと佇む立派な城門を抜けてから、馬車で揺られること十数分。

 先程見たものは城門ではなく、ただ町の終端を示す目印だったのでは――? とシホが疑い始めたころ、それは現れた。


「おー見えてきた、懐かしーなぁ!」


 ラスティンが窓から身を乗り出す。

 遅れてそっと窓の向こうを覗き見ると、そこには一面の手入れの行き届いた緑の絨毯の先に、巨大な建物が現れた。


 それはどこかの宮殿か――と見紛うほどの、白亜の巨壁。

 王立魔法学院の校舎も、それはもう仰ぎ見て圧倒されるものだったが、そのさらに上を行く、まさに城の名に相応しい建物だった。


 ライオール城。


 威風堂々たる白亜の巨壁には、華美になりすぎないよう絶妙な具合で彫刻が施され、頭上からは数々の女神たちが地上を見守っている。

 その屋根には、ウィルテシア建築らしい青灰色の屋根瓦で葺かれた尖塔が林立し、壁一面に設けられた無数の窓と対比して、絵画のような美しさを誇っていた。



 馬車は芝生の丘を通過し、庭木の彫刻が並ぶ前庭をも通り過ぎる。

 そうしてようやく到着したライオール侯爵邸の正門で、馬車はぴたりと止まった。


 おそるおそる、窓から正門を盗み見る。

 そこには立派な正門の前に、出迎えのためか――使用人らしき人物が20人はずらりと整列していた。


「…………!」


 今からここに降りていかなければならないのだろうか……。


 シホが当たり前のことに不安になっていると、外から馬車の扉が開かれた。

 ラスティンが、待ってましたとばかりに昇降段ステップを降りる。

 すると、整列した使用人の中から、一人の老紳士が歩み出て来た。



「エイムズ!!」


 ラスティンが駆け寄る。そして懐かしそうに両腕を広げて、再会の喜びを爆発させた。


「久しぶりだなぁ! 腰は大丈夫なのか!?」


「どうも、ご心配をいただきありがとうございます」


 エイムズと呼ばれたスーツ姿の老紳士は、温かみのある微笑を浮かべるとラスティンの前に進み出る。


「なに、大事ではございませんよ。一度ぎっくり腰をやった程度で、まだまだこの職務を若い者に任せるわけにはいきませんからな」


 そういって、深く刻まれた皺に喜びを滲ませると、居住まいを正して馬車へと向き直る。



「あぁ悪い、紹介が遅れたな。こちらが先に知らせておいたとおり、リースター・カレッジの担任、シホ・ランドール先生で――」


 昇降段ステップをおそるおそる降りていたシホは、突然の紹介に身を竦める。


「あ、どうも……シホ・ランドールです……この度はお世話になります……」

「これはどうも、ご丁寧に。わたくしは、このライオール家にて家令を任されております。エイムズと申します。お見知りおきを……」


 完全に、場の空気に圧倒されてしまった。

 建物の威圧感のみならず、ぴしりと一分の隙もなくお仕着せを着こなしたメイドや従僕、使用人一同に出迎えられて、貴族社会というものを改めて一から体験したような気がする。


 急になんだか落ち着かなくなって、助けを求めて背後を振り返ろうとしたとき――――使用人一同にピリリと凍てつくような緊張が走った。


(!?)


 驚き、辺りを見回してみると、エイムズ始め使用人一同が皆深々と、これまで見たこともないような深さで頭を下げていた。



 沈黙が、場を満たす――――……。





 そのひりついた空気を割ったのは、一人の足音だった。


 カシャン、ガシャン、と。

 馬車の昇降段ステップを踏みしめる音が一帯に響く。

 背後の馬車を振り返るとそこには、今し方車内から姿を現したミリウスが、ゆっくりと馬車を降りてきているところだった――……。



「あぁみんな、こっちは知ってるよな。去年の夏も来た、ミリウスだ。ミリウス・ウィルテシア――……」


 ――ヴェルトリンガム。


 そのラスティンの言葉に、より一層、場に落雷のような緊張が走った。

 誰一人、顔を上げようとはしない。

 深く地に伏せたまま、微動だにせず沈黙を保っている。



「…………構わない。楽にしてくれ。今回は世話になる」


 ミリウスは淡々と告げる。

 するとエイムズを始めに、そろそろと使用人たちが頭を上げた。

 その動きさえ統制がとれ、さすがだとシホは感嘆したものの、顔を上げても誰一人ミリウスのほうを直視することはせず、大地に視線を向けたままだった。



 まるで庭の木々のように置物に徹する使用人のなかで、唯一家令のエイムズだけがミリウスに正面から向き直る。


「ライオール家家令のエイムズと申します。この度は使用人の身でありながら、主人に代わって殿下をお出迎えすることをお許しください」


「構わない。許そう。……それでレナードは留守なのか?」


 エイムズが真っ白な睫毛に覆われた両目を伏せる。


「本来なら王都に滞在中のライオール侯爵夫妻に代わり、城代レナード様がお出迎えになるところ、現在レナード様は別の所用に対応中でして……」



 それを告げることは家令として大層勇気がいったことだろう。何しろ屋敷の主人が、招待している王族を差し置いて、それより重要な案件があると言っているようなものだからだ。

 使用人たちの凍りついた様子からその気配を察して、シホはなんとも言えない気分になった。


「……そうか。構わない、では案内を任せられるか」

「承知いたしました」


 ミリウスはエイムズに導かれるまま、屋敷の中へと入っていってしまう。

 すぐさま後に続こうとして、シホはぴたりと立ち止まった。

 すぐそばにいたラスティンが、その場を動こうとしなかったからだ。

 何やらそわそわと落ち着きなくその場に留まって、明後日の方向に視線を投げている。


 そうしている間にも、目前のミリウスは一度も振り返ることなく、屋敷の中へと消えてしまう。

 扉に吸い込まれていく後ろ姿を見つめながら、シホは


(どうするべき――?)


 逡巡した。

 この場合、どちらに付くのが正しいのか。


 学長の言を信じるなら、ミリウスを今すぐ追いかけるべきなのだろう。

 しかし不思議な挙動をするラスティンのことも捨て置けない。

 両者を天秤に掛けて――――シホはその場に留まった。



(大丈夫。ミリウスは昨年もここを訪れているし、何より彼は聡い。招いた以上、家主も下手なことはできないはず――……)


 それよりも今は、ラスティンだ。

 そわそわと落ち着きなく佇むラスティンに向き直る。


「ラスティン、どうしたの―――」


 声をかけようとして、シホは突然の大声に目を丸くした。




「ニナ! フィリス! 久しぶりだなぁ!!」


 それまでそわそわと落ち着きなく佇んでいたラスティンが、ミリウスの姿が屋敷に消えた途端、突如あたり一帯に響くような大声を上げたのだ。

 そして、まるでそれまで『待て』を言いつけられていた犬のように、正門前に居並ぶ使用人一同に向かって飛び出した。


「坊ちゃん……!!」


 使用人一同もまた次々に、我先にと駆け出してはラスティンの周囲に輪をつくる。


「ニナも、変わりないか? フィリスはメイド長に出世したんだって? おめでとう!」


 ニナと呼ばれる初老の婦人や、フィリスと呼ばれるまだ若いメイドたちに囲まれ、ラスティンは顔に満面の笑みを咲かせている。


「もう、坊ちゃんったら! まだ家政婦長のことを『ニナ』だなんて……。メイド長時代だった子供のころじゃないんですから、きちんと紳士らしく、家政婦長のことは『コートニーさん』と呼んであげてください」


 若かりしころのように名前で呼ばれ、うっすらと頬を紅くする家政婦長に、周囲のメイドたちからくすくすと笑いが漏れた。


「あなたたち……! 私のことはいいんです! それより坊ちゃん、よくお戻りに……」


 感激に震えるコートニーは、ラスティンの両腕をつかむと、まるで抱き締めるように何度もさすっていた。


「ただいま、みんな。しばらく厄介になるよ」

「厄介だなんて……!!」


 メイドたちがきゃあきゃあとラスティンが人を労う成長を見せたことを喜び合う。



 そんな光景を離れた場所から見つめながら、シホは一つの事実を得たような気がした。


 ラスティンは――――この家でとても愛されている。


 家政婦長もメイドたちも、従僕や、はたまたこれまでの道中、厳しい表情を崩さなかった従者や御者までもが、皆一様に朗らかな笑みを浮かべている。

 この屋敷の彼らにとってはまだ『小さな主人』が、可愛くて可愛くて仕方がないような――愛情に溢れた笑みが、身分の差を超えて辺り一帯に広がっていた。



「そうだニナ、紹介するよ。こちらが手紙でも書いた――――」


 ラスティンが手をこちらに向かって広げるなり、若いメイド数人が飛び出した。

 すぐさまシホは取り囲まれ、何事かとたじろぐ。


「あなたたち! 気持ちはわかりますが……お客様の前ですよ! 礼儀は弁えなさい」


 ぴしりと家政婦長は釘を刺すが、それでも処罰をする気にはなれないのだろう。

 複雑そうな、気持ちはわかるといいたげな表情で、家政婦長もシホのもとまで歩み寄ると、ゆっくりとその口を開く。


「私は、先程もラスティン様が申しておりましたとおり、この家で家政婦長を務めております、ニナ・コートニーと申します。先生のことは坊ちゃんより、お手紙で何度もお話を伺っておりました」


 彼女の背後でラスティンが目を剥くのが見えた。


「おい! その話は……!!」

「ねぇ先生、坊ちゃんは私たちにもお手紙をくださるんですよ!」


 嬉しそうにメイドの一人がにこにこと秘密話のように打ち明けてくる。


「……こほん。そのお手紙で先生のことを何度も伺うたびに、私たちは神に感謝申し上げたものです。このような素晴らしい方を坊ちゃんに引き合わせてくださった奇跡に」


 目を閉じ両手を組んだコートニーに、シホはどうするべきか戸惑うしかない。


「先生は『特別 』なんですよ!」

「ねーっ!」


 シホが庶民出身で、あまり礼儀に頓着しないことまで知れているからだろうか。

 先程までライオール家の威信を示すかのように、規律と礼儀に満ちていたメイドたちが、気安く秘密を囁いた。


「だって先生は、坊ちゃんが初めてお屋敷に招いた女性なんですよ……!」


 きゃーっと、ここは学校だったかと惑うほどに、黄色い歓声が沸く。本来ならこうした様子を叱責する立場である家政婦長も、困ったように目尻を下げるだけだった。



「だから私たちは、あなたを心から歓迎いたします。ようこそ、ライオールへ」


 期待と親愛に満ちた眼差しが、新たな地に降り立ったばかりのシホを出迎えた。



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