第32話 静かなる忠告
「は? 夏の予定? 実家? んなもん帰るわけねーだろ。俺はここに残んだよ」
シホがライオール侯爵邸への出立を控えた前日。
学内をフラフラしていたファビアンに夏期休暇中の予定を尋ねると、案の定実家への帰省を否定した。
夏期休暇中、ほかのクラスメイトは皆実家に帰るそうだ。
エメリーやマリーベルたちも、今朝すでに、それはそれは嬉しそうに出立していった。
……それだけに、学院内に一人残すことになるファビアンが心配だった。
(いや、もちろん残る生徒もいるんだけど……!)
他クラスの、特に平民出身の生徒や、他国からの留学生などは、変わらず学院内で夏を過ごすようである。
もちろん食堂などの生活施設は、規模を縮小するものの稼働しているし、生活自体には困らないものの、ひと気のなくなった学内は寂しいのではないかとつい心配してしまったのだ。
「は? むしろ清々するさ。休暇中は街にも出放題だしな」
校則に縛られない分、むしろ却ってファビアンには過ごしやすいらしい。
「本当に? 羽目を外し過ぎない?」
「お前なぁ……俺のことを何だと……」
「約束。指、出して」
「う」
無理矢理すくい取った小指同士を絡めて、誓いを立てさせる。
「いい、絶対に馬鹿な真似はしちゃ駄目だからね。特に学院を追い出されるような真似は、庇いきれないんだから」
「………………」
じゃあ、と、気まずそうにそっぽを向いていたファビアンがぼそりと呟く。
「寮に……リースター寮に入れるようにしてくれよ」
「学寮に?」
「あそこなら暇潰しの材料には事欠かないし、自分で飯だって作れる」
たしかに、研究室にはファビアンが読みかけの魔法書がたくさん残されているし、サロン付属のキッチンでは、食材さえ厨房で分けてもらえれば、自分で食事を作ることだってできる。
街に出なくとも、好きなときに好きな料理を作って食べることができるだろう。
「そんなことなら。いいよ、鍵、貸してあげる」
「いいのかよ」
「元々どの寮も監督生には渡してるものだし。もちろん私室には別の鍵が掛かってるから入れないけど。他の部屋を使う分には全然いいよ」
ただし、魔道具には手を出さないこと。危ないからね。
あとは……と、2、3の簡単な注意をして、あとで合鍵を貸し出すことを約束する。
「ファビアンが楽しめそうな本、机に出しておくから!」
手を振って別れれば、シホが廊下の角に消えるまで、ファビアンはじっとこちらを見つめ続けていた。
*
(あと出発する前にしておくことは……)
シホが明日の出立に備え、学院内でやり残したことはないか巡回していたとき。
二階廊下の窓から、階下にいるラスティンたちの姿が見えた。ミリウスと二人連れだって、何やら身振り手振りを交えながら話し込んでいる。
(大げさだなぁ……)
その率直な人柄を表すのか、ラスティンのあまりに大きな仕草や反応にくすりと笑いが漏れる。
微笑ましい生徒たちのやり取りに目を奪われていると、背後からすっと静かな声音が滑り込んだ。
「面白いものでも見えますかな、ランドール先生」
「学長!」
そこにはにこやかな笑顔の初老の男性が立っていた。
「ええ、うちのクラスの生徒なんですが、なんでも反応が大げさで……」
「ほお、ああ、ライオール君ですか。たしかにあの子はいつ見ても元気ですなぁ。実に大切なことです」
孫を見るような視線で、頬一杯に温かい慈しみを浮かべる学長を見ていると、ラスティンの担任を任されているだけでしかない自分も、なんだか誇らしい気持ちになってくる。
「ライオール君、ライオール…………」
「?」
「そういえば、先生はこの夏、ライオール君のご実家に招待されているとか」
「!」
さすが学長だ。周辺の教員には一応生徒の実家に伺う以上報告はしていたのだが、すでにしっかり耳に入っている。
成績に手心や不必要な配慮をしないということであれば、問題ないと言われているし、シホの感覚としては、あちらの世界で言うところの――『家庭訪問』のようなつもりで、特に問題視していなかったのだが――……。
やはり、マズかったのだろうか。
「いえ、生徒の生まれ育った環境を知ることは、学院での指導においても有益で為になることです。問題などありません。ただ――――」
「ただ?」
「ライオール君。いえ、この場合はラスティン・ライオール君のお兄さんでしょうか」
学長は一拍置いて、ゆっくりと言葉を紡ぎ出す。
「彼には――――レナード・ライオール君には…………気をつけなさい」
初耳だった。
ラスティンの兄の名を他人から直接聞いたことも。
学長が誰かの名前を、否定的な意味合いと共に伝えてきたことも。
「ラスティンの兄には……彼には、何か問題があるのですか?」
「いいえ。何も問題はありません。 私も彼の学生時代をよく知っていますが、えぇ、実に気のいい青年ですよ」
ならば一体何が問題なのだろう。
気をつけるべき要素が見当たらなくて、シホは沈黙する。
「彼は武芸に優れ学業も優秀で、おまけに人望厚く芸術も解する――非の打ち所のない素晴らしい生徒でした」
学長の懐かしむような口調は、本心から滲むように湧き出る賞賛だった。
「おそらく今でも、立派な青年貴族になっているのでしょう。ただ――――」
学長は再び言葉を切った。
「ただ現在の彼は――――大貴族連を率いる中心貴族です」
『大貴族連』。
その言葉を一体どこで聞いたのだったか――……。
ここ数ヶ月の間で、それまで縁のなかった貴族社会の言葉を覚えた瞬間で、どこかでその言葉を耳にしたのを思い出す。
それは一体、どの瞬間だったのか――――。
記憶を辿って、そしてようやく辿り着いた。
『第2王子は、大貴族連の推薦を受けた第2王妃から生まれました』
感情の色を消し、無機質に部屋の床へと落とされたミリウスの言葉。
硬く何の色も読み取れない、乾いた空気で凍てついたような言葉が脳裏に蘇った。
「ライオール家といえば、ウィルテシアの貴族社会において有数の発言力を持つ大貴族です。領地は広大で肥沃なだけでなく、領内に複数の交易路を抱える豊かな所領……。現当主のライオール侯爵は、自身が国政に携わっていることを理由に中立の立場を崩しておられません。ですがその後継――――彼の兄君は、そうではないようです」
優しげに細められた瞳が、無邪気なラスティンを写す。
「彼の兄――レナード君は、大貴族連の青年クラブにも顔を出しているとか。そこでも、皆を率いる立場にあると聞きます」
「………………」
初耳だった。
それはすなわち、ミリウスの対立候補である第2王子の背後に、他でもない彼の親友ラスティンの兄が付いているということになる。
それをミリウスは知っているのだろうか……?
「まぁ、あくまでそういう事実があるというだけです。彼自身がどう考えているかは、私にもわかりません。ただ…………」
「ただ……?」
「立場は人を変えるといいます。……残念ながら」
「………………」
「彼を――ミリウス君を、見ていてあげてください」
*
揺れる車内で、シホはゆっくりと目を覚ました。
向かいの席では、同じように移動の長旅で疲れたのだろう。ラスティンが窓枠に頭を預けながら、気持ちよさそうに熟睡していた。
「あ、ミリウス……ごめんね、いつの間にか眠ってたみたいで……」
隣を見れば、こちらは寝ずにずっと起きていたのだろう。ミリウスが静かにじっとこちらを見つめていた。
「昨日の宿では眠れませんでしたか……?」
心配そうに問いかけてくる。
「まさか! あんな豪華な宿、そりゃちょっと緊張はしたけど。ぐっすり休ませてもらったよ」
ライオール邸の馬車に揺られて到着した宿は、それはもう豪華なものだった。
シホが今まで利用していた安宿とは雲泥の差で、内装は貴人が利用するに相応しい白塗りで、調度品の至るところに金箔がさり気なく施されていた。
部屋に案内されたときなど、あまりのベッドの大きさに感動して、隣室にいたミリウスたちを呼びに行ったほどだ。
『これなら全然3人でも寝られるんじゃない!?』
と、興奮して言ったのち、ミリウスに顔を押さえて呆れられてしまったのを覚えている。
「ミリウスは? 大丈夫? 疲れてない?」
見上げたミリウスの顔には、特に疲労はなさそうに見える。本人も『大丈夫』と言っているように、きっとこうした移動は慣れているのだろう。
(そうだよね……昨年も来たって言ってたし……)
考えて、ぴたりと思考が止まる。
(昨年は――――どうしたんだろう?)
学長の言葉が蘇る。
ラスティンの兄と、ミリウスの関係。
一体レナードはどういうつもりで、ミリウスを屋敷に招いたのか。
ミリウスは―――― 一体どんな気持ちで昨年の夏を過ごしたのか。
「………………」
「ええと、先生?」
窓の外の景色を見ていたが、じっと見つめる視線に耐えきれなくなったのだろう。ミリウスが気まずそうにこちらを振り返った。
(――先入観を持つのはいけないこと)
学長側の意見だけを鵜呑みにし、他人を――ましてやクラスの生徒の家族を一方的に疑うことは正しくない。
(あくまで学長側から見たひとつの意見)
杞憂に過ぎない可能性だって大いにある。
何が正しいかは、これから行く先で、他でもない自分の目で見て判断すればいい。
「……なんでもない。いい休暇になるといいね」
内心を胸の内に留め、シホはからりと笑う。
そして馬車は、ライオール領が領主、ライオール侯爵邸に到着する。
短い夏の物語は、ここから始まる。




