第31話 出発! 避暑旅行へ
ウィルテシア王国の短い夏が盛りを迎えるころ。
どこまでも続く緑の草原の街道を、一台の馬車が従者や護衛を引き連れながら走っていた。
「うわぁ~風が気持ちいい~。それにさすが貴族御用達の馬車ね! 全然揺れないし、すごく快適!」
シホは豪勢な内装の車内で伸びをする。
ふかふかのクッションの、ライオール家から寄越された馬車は、車内も広々としていて、シホとラスティン、ミリウスの3人が向かい合って座っても、全然窮屈に感じなかった。
馬車は一路、ライオール地方が領主、ライオール侯爵邸を目指して疾走する。
――こんなことになったのは、時を7日ほど遡る。
王立アーミントン魔法学院、ある日の正午のこと……。
*
「暑い」
開口一番、食堂を出たシホはそう呟いた。
教室に向かう回廊も、なるべく日の射さない日陰を選んで壁伝いに教室を目指す。
「先生……」
壁を這うヤモリのようにじりじりと億劫そうに歩を進めるシホに、ミリウスが憐れみの混じった視線を向けた。
「そんなに耐えられないほど暑いんですか?」
「耐えられないほどってわけじゃないけど……気持ち悪い。汗をかくわけじゃないんだけど、こう、身体に熱が籠もるというか……」
不快な熱を逃がそうと胸元の衣服をぱたぱたと仰げば、ミリウスがふいに明後日の方向を向いた。
「……コホン。やはり先生はリンデール出身だから、暑さが苦手なんでしょうか」
「そうなのかなぁ……」
たしかにリンデール人にとって、ウィルテシアの暑さは厳しく感じるのかもしれない。
元々山岳地帯に多くの都市を抱える高地国家リンデールは、平均して気温もウィルテシアよりずっと低い。
冬期はほとんど雪に覆われているくらいで、夏も季節としてあるにはあるが、家畜用の牧草がよく伸びる季節……くらいの認識で『暑い』という感想を抱いた記憶はない。
ウィルテシア王国自体も、周辺国に比べればずっと過ごしやすい気候のはずだったが、元が冷涼な国出身な分、シホには暑さがより堪えるのかもしれなかった。
「私だって、もっと薄着になってもいいなら耐えられるんだけど……」
「それはやめてください」
「ううっ……ここが品行方正な貴族学校じゃなかったら……」
数日前、ついに暑さに耐えかねたシホが、休日の個人授業でミリウスを出迎えた際に、タンクトップに薄手の羽織り物を羽織っただけの姿で出迎えたら、目を丸くしてそれはもうこっぴどく叱られたのだった。
『えぇ~……ファビアンは別に何も言わなかったのに……』
『っ、ファビアン……! まったくあいつは……!!』
庶民の間では普通の格好でも、それがこの由緒正しいアーミントンになると常識が変わるらしい。
品性と格式を重んじる校風ゆえに、校内にいる間は下手な格好ができず、身だしなみを重視した結果、こうしてシホは暑さに参っているという現状である。
「でももうすぐ夏休みだよね……それまで何とか耐えれば……」
「そうですね。盛夏で一番厳しい季節ですから、生徒の多くは実家に戻るそうですよ。先生はリンデールに戻られるんですか?」
「ぐっ……」
出稼ぎに遠路はるばる隣国ウィルテシアまで出てきたのだ。
ただの3週間かそこらの休みで、いちいち隣国まで帰ってはいられない。何よりその旅費と時間のほうが惜しい。
「あと3週間、3週間この暑さの中耐えろって言うの……!?」
絶望的な事実に、こうなったら絶えず魔力を消費し続けながら氷魔法を使う、体力と魔力のチキンレースをしようかと覚悟を決め始めたとき……それは現れた。
「先生ー!!」
回廊の先、いくらかひんやりした屋内廊下に辿り着いたところで、廊下の先からラスティンが現れた。
大きく片手を振りながら、その手には何やら封筒らしきものを握っていた。
「お、丁度いい。ミリウスもいるじゃん」
「何の用だ? ラスティン」
「お前に先に話したほうが早いか。なぁミリウス――今年も俺んち来るよな?」
「――!」
ミリウスがそうか、と。何やら理解したように意味深に瞬きをする。
そして「あぁ」と頷いた。
「そりゃよかった。今実家から手紙が届いてさ。今年の帰省も、ミリウスを連れて来いってさ。たぶん兄貴あたりの発案なんだろうけど……特に問題ないよな?」
「問題ない」
話を端で聞く限り、どうやら彼らは、昨年も共にライオール邸で夏を過ごしたようだ。
仲がいいのは何よりで微笑ましく見守っていると、
「それでさ、先生。今年は兄貴が是非先生も連れて来てほしいってさ」
「え……?」
「実家への手紙で先生の話を色々書いたらさ、是非会ってみたいって。な、先生、いいだろ?」
ラスティンがきらきらした目で見つめてくる。
が、そんな話を突然されたところですぐそう『はい』と言えるわけがない。
「先生と一緒に戻れば、夏の間中も剣の稽古ができるよな!」
「いや今は……」
正直本当に、動きたくない。
あれこれ理由をつけて、なるべく剣の稽古を逃げ続けているだけに、ラスティンの期待は嬉しいのだが、できれば勘弁してほしかった。
「ライオールなら大丈夫かもしれませんよ」
「?」
突如脇から言葉を差し挟んだミリウスを振り返る。
「ライオール地方は王国の中北部に位置します。平地の多い肥沃な土地柄ですが、アーミントンよりは冷涼で過ごしやすく、王国の貴族内でも避暑に使うことの多い土地です」
うんうん、とラスティンが頷く。
「つまりは……?」
「アーミントンに残るよりは、いくらかマシかと」
「…………!!」
それは大変魅力的な誘いだった。
「で、でも。さすがに夏の間中ってのは、お邪魔じゃないかな? ほら、滞在費だって馬鹿にならないだろうし……」
「大丈夫でしょう。ライオールほどであれば、先生一人分くらいどうということはありません」
「そうそう。つかそもそもミリウスも来るしな。招いた招かれたはお互い様だよ」
そういうものなのだろうか……。
貴族社会の常識を知らないからこそ躊躇ってしまうのだが、たしかに貴族間でそんなケチケチした金銭の話題を出すこと自体、野暮なのかもしれない。
「招かれてるんだから堂々と来ればいいんだって。なんだったら休暇中の家庭教師として俺が先生を雇っても――」
「そこまではしなくていい」
ミリウスは釘を刺すと、シホに向き直る。
「無理に、とは言いませんが。俺も一人で行くよりは先生と一緒のほうが、ライオールで肩身が狭くなくて助かります」
そう言われてしまえば、返す言葉もない。
「じゃあ、お言葉に甘えて……」
よっしゃ!と、ラスティンがガッツポーズをするのが見えた。その隣では、ミリウスが優しい微笑を浮かべて佇んでいる。
こうしてシホの夏期休暇中の予定が決まったのである。




