第29話 彼女のために
ファビアンがなんとか騙し騙し、ほとんど意識のないシホを抱えながら学院に辿り着くと、そこにはいつもと違う光景があった。
衛兵の数である。
入口の門番の数に変化はない。
が、抜け道から敷地内に入ったあとの、校内を巡回する兵士の数が増えていた。
(…………マズいな)
ファビアンが日常的に利用する経路は問題ない。
その道筋であれば、すでに兵士の巡回経路からその死角、非常時に展開する不可視結界の設置まで、把握や準備を終えている。
しかしシホが居住するリースター寮までの道のりとなると、その道のりは困難だった。
(場所が遠い上に庭園のその先だ――あまりに死角がなさ過ぎる)
広い庭園の舗道は見通しがよく、道中には薔薇の生け垣もあるが高さが足りず、人ひとりを支えながら歩くとどうしても頭が出てしまう。
おまけに、この道は不可視結界の設置を終えていない。
(……………………)
仕方ない。背に腹は代えられない。
ファビアンは抱えたシホを揺さぶってなんとか意識を繋ぎ止めると、目的地に向かって歩き出した。
「よいっ……しょ……! くそ重ぇ……!!」
意識のない人間の重さに辟易しながら、彼女を窓から室内に放り込んでファビアンは肩で息をついた。
遅れて今度は身軽に自分も窓枠の中に飛び込むと、辺りの様子を窺ってそっと窓を下ろす。
そうしてしまえば、そこには平穏な常時と変わらない学生寮の姿があった。
「ふーっ、焦った……最後のはやばかったんじゃねぇか」
あと少しの所で巡回中の衛兵に見つかるところだった。
咄嗟に反対側に石を投げ、たまたまそこに猫がいたから騒ぎになってよかったものの、あのままでは完全に二人とも見つかっていた。
「見つかったら、言い訳のしようもねぇもんな、これは……」
自身のベッドですやすやと眠る担任教師を見下ろして、ファビアンはついと窓の外に視線を投げた。
まだ月は高い。夜明けまではしばらく時間があるだろう。
それまで大人しくここで時間を潰して、何とかやり過ごすしかない。
朝方になってこいつが目覚めてから、自力で寮へと帰ってもらうしかないだろう。
「まったく、とんだ一日だ……」
ちょっと羽を伸ばそうとしただけなのに、気づけば担任の女教師を深夜に部屋に連れ込むという超のつく問題児になっている。
「不可抗力だ……」
自分で自分に言い聞かせて、ベッドから離れた椅子に腰かけ片膝を抱える。
朝までこうして過ごしていようか。
ベッドをシホに明け渡してしまった手前、ここでこうして過ごすしかない。
もちろんシホを押しのけて、ベッドを半分取り返して眠ってもいいのだが、万一朝起きたときにコイツに騒がれでもしたら面倒だろう。
(……念のため、防音魔法でもかけておくか)
何故こんな使い道の怪しい魔法ばかり習得しているのか、自分でも首を傾げるばかりだ。
しかし書物を読み漁っていても、興味を引くのが『そういう魔法』ばかりなのだからしょうがない。
結局のところ、正面から打って出る攻撃魔法は、自分より弱い奴相手の戦いでしか役立たない。一番生き残るのに役立つのは、どこに使い道があるの?と首を傾げるような小細工魔法の数々なのだ。
それらを必要なときに、必要な場所で、必要な種類を使えるだけの数を完璧に習得していてこそ、先のわからない世の中を生きていける。
ともすれば先は詐欺師か暗殺者か――そう揶揄されそうな習得魔法の数々に、それでもシホは茶化さず笑って認めてくれた。
『そうなんだよねー、私も変な魔法ばかり教えられてさ。でもやっぱりそういうのがピンチで役立つんだよねぇ』
変な魔法を覚える、変な女。
そんな女が、無防備に自分のベッドで、今はすやすやと寝息を立てて眠っていた。
――――無防備、過ぎるだろ。
脳裏によぎったのは、そんな感想だった。
照明のない、月明かりだけが射し込む暗い部屋。
どこの誰の部屋かもわからない場所に簡単に連れ込まれて、易い女にもほどがある。
やはり自分が案じたのは、間違いではなかった――。
特別講師クライヴの騒動のときに、自分が感じた直感は間違いではなかったのだ。
相手がどう出るか以前に、こいつには危機意識だとか警戒心がなさ過ぎる。
それはこいつの強大な魔術からくる自信かもしれないが、それはこうした今では『慢心』といえる。
現に強大な魔術を持っていても、こうして男の寝台に簡単に転がされているのだから。
「………………」
沸々と腹の底で湧き上がる何かがある。
今回はいい、自分がたまたまいたのだから。
けれど万が一もし、自分のいないところでこうして酔い潰れていたのなら――……。
自覚のなさそうだった幸福そうな酔い方。
おそらくこれからもこいつは、同じ酔い方を繰り返すのだろう。
「人間、痛い目見るまでわかんねぇのかよ……」
夜道には気をつけろ。
夕暮れの暗い通りも気を抜くな。
人通りの少ない裏通りには入らない。
数々の忠告を無視して、痛い目を見ることになったかつての自分のように――……。
気づけば、寝台に両腕を突いていた。
ぎしりと安いバネが音を立てる。
片膝まで乗せると寝台はさらに深く沈み込んだ。
「………………」
寝息を立てるシホに覆い被さるように両腕を突いて、そっと身を屈めて耳元に囁いた。
「食われてもしらねーぞ」
しばらく待っても、規則的な呼吸は平和そうな寝息を繰り返すばかりで、何の変化も見せなかった。
「………………バカが」
ファビアンは身を起こすと立ち上がり、寝台の足下に移動した。
そしてそれまで身につけたままだったシホのブーツに手をかけた。
するすると紐を解いて、長い丈の本来なら脱ぎ着も難しいだろうブーツをいとも簡単に脱がせていく。
ブーツを取り去ってしまえばそこには、夏用のショートパンツの裾から伸びる真白い肌と、腿から足首まで伸びる薄手の黒ストッキングに覆われた扇情的な脚線美が浮かび上がった。
ファビアンは黙したまま、再び寝台に乗り上がる。
寝息を立てるシホの真上に覆い被さって、寝台にただ投げ出されていた手のひらを取ると、指を絡めて幸せそうな寝顔の横に縫い止めた。
ぎゅっと手のひらを握り込むが、反応はない。
ちりちりと脳裏に焼き付く怒りの衝動のまま、ファビアンはそっとシホのこめかみに口づけた。
こめかみから、耳へ。耳から、顎、首筋へ。
輪郭を辿るように口づけて、寝台に倒され広がった髪を梳く――。
彼女のトレードマークである、二房耳元から垂らされた髪に口づければ、眠りの最中にあるはずの女の口から悩ましげな吐息が漏れた。
(これでも起きねぇのかよ……)
危機感に、気づいてほしかった。
自分がどれほど愚かなのか、自覚してほしかった。
けれどこれでは、どこまで行けば気づいてもらえるのか――。
最中に気づかれなければ、またこの女は『自分に都合のいい勘違い』をするだろう。
世のなか皆が皆、こいつが思っているような善人ばかりではないというのに――……。
月明かりに浮かぶ白い喉元にもう一度口づけると、くつろげられた襟元のボタンをさらにひとつ外した。さらにもうひとつ。
滑らかな鎖骨からつながる白い肌の、豊かな膨らみの一部が露わになる。
戦闘民族らしい、色気もへったくれもないがちがちの下着。その上端がシャツの襟元から覗いていた。
思わず笑いを噛み殺すと、滑らかな鎖骨に殊更いやらしく舌を這わせた。
自身の唾液を照り返す華奢な喉元。
衝動的に、このまま噛み付いてしまいたい欲求に駆られた。
(…………っ!)
初めての不思議な欲求にかぶりを振って、それでもファビアンは気を取り直す。
「だからお前はバカなんだ……」
そう、短く囁いて、ファビアンはゆっくりと真白い胸元に顔を沈めた。




