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第28話 旧市街の夜


 ファビアンは夜の旧市街を当てもなく彷徨っていた。


 目的地は特にない。

 その日思いついた場所に、ただふらっと訪れて時間を潰して寮に帰る。

 そんな生活をここ数日続けていた。




(今日はどこに行くかな……)


 同じ下町のなかでも、夜間に店が開き人が集まっているとなると、やはり繁華街に限られる。

 素人の旅人が怪しい宿に引きずり込まれていくのを横目で眺めながら、ファビアンは黙々と足を進める。


 明日の朝には、あの旅人も身ぐるみを剥がされて路上に放り出されていることだろう。

 そんな汚いやり口の場所が、この街にも少なからずあることに、心のどこかが安堵していた。


(ご愁傷様――――)


 そうして騙されて、人は少しずつ利口になっていくのだ。

 と、まだ純真な旅人に同情したとき……ファビアンは視界の端に見つけてはいけないものを見てしまった。



 ――シホだ。


 どうしてこんな時間に。いやこんな場所に。

 担任教師は一人で旧市街まで来たらしく、きょろきょろと辺りを見回しながらこちらに歩いてきていた。


(クソっ)


 こんなところまで来た理由。それはすぐにわかった。

 自分を探しに来たのだ。



(誰かがチクりやがった)


 同級生で気づいた者はいないだろう。あの口煩いミリウスが大人しくしているのだから。


 ならば衛兵が妥当な線か。

 学院の敷地を出たところまでは見られていないはずだが、アーミントンの市街中に奴らは張っている。

 常に監視の目を届かせて、街の異変をすぐさまアーミントン伯ら学院の協力者に知らせると、治安維持の名目のもと駆けつけてくる。


 その衛兵の誰かが、学院に情報を上げたに違いない。



 夜更けに薄暗い表通りを堂々と闊歩する担任に、ファビアンは急いで裏通りへと姿を隠した。


(どうせ説教でもしに来たんだろ――)


 そんなものを延々と聞かされるのはごめんだ。

 勝手知ったる路地裏をいくつも抜けて、別の通りに出る。

 が、そこにもあの女は現れた。


(マジかよ――!)


 すぐさま踵を返す。

 追跡魔法でもかけられているのだろうか。

 いや、それなら学院を出ようとした際にすぐに止められたはず――……。


(くそっ)


 再び裏路地を縫って、今度は別の中通りに出た。


(あいつがいる以上、表にいるのは危険だ。どこか店の中へ――)


 咄嗟に手近にあった酒場に転がり込んだ。







「いよー、坊主久しぶりじゃねぇか」

 店内に入ると、年季の入った常連客が、片手を上げて出迎えた。


「どうも」

 自分でも人に記憶されやすい顔であることは自覚している。

 短く適当に挨拶をして、奥の席に入口に背を向けて座り込んだ。



「しばらく来なかったじゃねェか。どうしてたんだ」

「未成年が来るほうがおかしいだろ。真面目にしてたんだよ」

「お前が真面目! こりゃあ腹がひっくり返る冗談だ!」



 大口を開けて豪快に笑う様は見ていて気持ちがいい。

 やはり自分はこちら側の人間なのだと思い知る。



 常連客に語ったのは嘘偽りのない真実で、事実ファビアンがこの店を訪れたのは数ヶ月ぶりだった。


 春先にあの女が転任してきて以来、学院で退屈することもなかったので、自然と足が遠のいていた。

 ここ数日も入り浸っていたのは別の酒場で、いくら目撃情報が流れていても、さすがにあいつもここまでは辿り着かないだろう。


 やっと一息ついて、適当な酒を注文して机に突っ伏した。



 疲れた。何か猛烈に疲れた。

 何をコソコソと、そこらの遊びを覚えたてのガキどもみたいに。なぜ自分が隠れながら酒場に通わねばならないのか。

 いつもならもっと教師や衛兵の目を出し抜いて、ほくそ笑みながら堂々と羽を伸ばしに来ていたのに。



「お待ちどうさまー」


 いつもより弾んだ声音で、配膳係の女が酒といくつかのつまみをテーブルに置いていった。


(とりあえず飲んで忘れよう)


 深く考えあれこれ悩んでいては余計に気が滅入るだけだ。

 羽を伸ばしに来ていた本来の目的を思い出し、ファビアンは目前の酒に手を伸ばした。


 が、その酒が、指を触れる寸前のところで空中へと連れ去られる。



「こら、未成年はこっちでしょ」


 代わりにテーブルにごとりと置かれたのは、瑞々しい泡の立つ果実水だった。


「……は?」


 突然の出来事に呆けて酒の器が消えた方向を見上げると、そこにいたのは他でもない――つい先程まで自分が逃げ続けていた担任教師、シホだった。



「お前……なんでここに……」

「そんなことはどうでもいいでしょ。それより駄目だよ、未成年なんだから。お酒は大人になってから」


 そう言うとシホは、自分が手にした本来ファビアンのものだったはずの酒を、ぐびりと勝手に飲んでしまった。

 絶対に手をつけさせない――その意思表示なのだろう。



「まじでうぜぇ……こんなとこまでつけてきたのかよ」

「つけてきたというか……まぁ手当たり次第に覗いてはみたよね。きみの行きそうなところ」


 全部お見通しだと言わんばかりの表情にますます腹が立つ。



「それで、満足した?」

「満足する前にお前が現れた。最悪だ。台無しだ」

「ははっ、それは悪いことをしたねぇ~」


 シホは愉快そうに笑うと席に着く。



「で、お前も俺を連れ戻しに来たのかよ」

「お前()?」

「去年はミリウスたちが血相変えて下町の入り口まで走ってきた」

「あはははは、何それ面白い!」


 何がツボに入ったのか、ますます腹を抱えてシホは機嫌良さそうに酒を口にする。

 追加の肉料理まで注文し始めたので、ファビアンは訝しがってシホに小声で再度尋ねた。


「おい、生徒を連れ戻しに来た奴が一緒に飲んでてどうすんだよ」

「え?」

 シホはこてんと首を傾げる。


「私、きみを連れ戻しにきたわけじゃないよ?」



 不思議なことを聞くとでも言わんばかりに、目を瞬かせる。

 少ししっとりと潤んだ瞳に、店内の橙色の灯りがきらきらと映り込んでいた。



「きみにとってここは、たぶん故郷みたいなものなんでしょ? 私も貧乏育ちだし、なんとなく感覚はわかるよ。いくら綺麗なものに囲まれて美味しいものを毎日食べられても、たまにはマナーや上品な味付けを忘れて、ただただ豪快な料理をがっつり食べたくなることもあるじゃない?」



 そういう感じじゃないの? と首を傾げて、シホは運ばれてきた骨付きラムの盛り合わせに、マナーも何もなく肉の一本を手に取ると豪快に齧りついた。


 口の端から滴った脂をぺろりと舌で舐め取って、皿をこちらに押してくる。

 ――お裾分けのつもりなのだろう。



「たとえそうだとしても! 夜間外出は校則違反だろうが! それを……」

「それをわかっててするとは、きみもなかなか肝が据わってるよねぇ」


 面白そうにニヤニヤとシホの目は弧を描いている。



「だから、付き合おうと思って」

「は?」

「生徒一人での外出は校則違反だけど、教員がついていれば違反にはならないでしょう?」



 ――生徒の夜間無断外出を禁ず。


 つまりは、許可を出した教員が同伴していれば、確かに校則には抵触しない。



「ただやっぱり外聞は悪いし、ほかの先生方を説得するのも大変だから、できれば今後は昼間にしてもらえるとありがたいかな~なんて」


 それだったら、私も酒場料理を食べたいし付き合うよ、と安請け合いまでしてしまうシホ。

 そんな担任教師の姿に額を押さえて、ファビアンは唸りながら顔を上げた。



「お前なぁ……」


 またそんな簡単に何でも安請け合いをして。

 自分の損害も考えずに他人に手を差し伸べる。

 いつか絶対、手痛いしっぺ返しを食らうだろうに……。



「はぁ~~~馬鹿馬鹿しい。考えるのが阿呆らしくなった。寄越せよ、その肉」


 シホが差し出した皿からラム肉を一本手に取ると、空腹に任せてむしゃぶりつく。

 その光景を嬉しそうにシホが眺めているのを横目に感じながら、ファビアンは追加の料理を注文するのだった。







 テーブルに空の皿がいくつも並んだ夜半、時刻もいい頃合いになったころ。シホがこくりこくりと船をこぎ始めた。


「おい、大丈夫か」

「う~ん、大丈夫…だいじょうぶ……」


 まだかろうじて上機嫌そうな笑顔を見せているが、これは危ういかもしれない。


 それほど飲ませた覚えはないのだが、機嫌良さそうに次々酒を煽る姿に、つい加減を見るのを忘れていた。

 うとうとと寝ぼけ眼の目元に手を伸ばし、ぺちぺちと頬を叩くと覚醒を促す。



 そんなことをしていると、背後から野太い男の声がかかった。



「よーいつぞやのツラのいい坊主じゃねェか。今日はまたえらく別嬪を連れてるじゃねぇか。お前の女か」

「……ちげーよ。んなのじゃねぇ」

「ハハッ、面のいい奴には、手前の女じゃなくともどこからか別嬪が寄ってくるらしい!」


 豪快に笑って、男の集団は店の反対側の席に着いた。



(…………マズい。時間を食いすぎた)


 見渡せば店内は、流れ者の冒険者や雇われ傭兵、ほかの店で一杯引っかけ終わった荒くれ者たちの溜まり場になっていた。

 浅い時間であれば地元の人間や周辺の労働者など、害のない手合いの安全な飲み場だが、時間も遅く夜も更けると、そこは注意の必要な者たちの社交場となっていた。


(俺ひとりなら別に問題ない。けど――……)


 うつらうつらと船をこぐ女。この女をこの場に置いていった場合どうなるだろう。



 伸びるに任せたように見えて、きちんと手入れの行き届いた艶やかな黒髪。

 対照的な白い素肌。

 夏が近づいたからだろう。春先よりもずっと軽装で仕立てられた服は、身体の線を見事に拾っていた。

 酒の暑さでくつろげた襟元から覗いた鎖骨。柔らかな曲線。すらりと伸びた肉付きのいい長い脚。

 おまけに、ひと度見たら忘れられないような、はっきりとした意志の強そうな整った顔立ち。



「…………………………」



 置いていけばどうなるかは、火を見るより明らかだ。



(俺としては別にどうでもいいが……)


 残していった場合、明日の朝、ミリウスあたりが大騒ぎしそうだ。




「仕方ねぇ……」


 完全に意識を手放し、すやすやと寝息を立てる身体を担ぎ上げ、肩を貸しながら店を出る。



「クソ重い…………」



 そう毒つきながら、ファビアンはシホを抱えて旧市街の通りの闇へと消えていった。



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