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第26話 疑惑


 窓から見える庭園の樹々が、夏の訪れを告げる色へと変わるころ。

 教壇に立ち、本日の授業を開始しようとしていた教師シホ・ランドールは、教室を見回して呟いた。


「あれ、ファビアンは? また遅刻?」


 誰か何か聞いていない?と問いかけるが、同じ寮の男子生徒は皆顔を見合わせるだけだった。


「最近多いね~。どうしたんだろ」 


 大抵一限を半ばほど過ぎたあたりで、のろのろと顔を出してくることが増えていた。

 元々朝は強くなさそうでボーッとしてるのだが、それでもシホが着任してからは、ほとんど遅刻はなかっただけに心配だった。


 教室を見渡せば、ミリウスもまた心配なのかラスティンと意味ありげに視線を交わしている。

 しかし春先にシホに釘を刺されたからだろうか。余計な詮索はすまいと決意しているのか、それ以上何も言ってはこなかった。


「……とりあえず私のほうで気にかけておくよ。体調を崩してるといけないし」


 そう皆に宣言すると授業を開始する。

 いくら心配でも、授業がある以上ほかの生徒を放り出して様子を見に行くことができないのがつらいところだ。



 しかし皆の心配も余所に、ファビアンはいつものごとく1限を半ばほど過ぎたあたりで教室に現れた。

 相変わらず眠そうなのは変わりないが、顔色は悪くなさそうだ。

 そんなことを横目で確認しつつ、シホは授業を続けるのだった。






「ファビアン」

 午前の授業を終えた昼休み、昼食に向かうファビアンを追うと、シホは声をかけた。


「最近リースター(うち)寮に来ないけど、どうしたの? 前に読みかけの本が終わりそうだったから次のを用意して待ってるのに」


 先月の終わり頃だっただろうか。

 剣技の特別講師クライヴの件でごたごたしていたころ、ファビアンが数日間リースター寮を訪れて魔法書を読んでいくことがあった。

 ファビアンが勉学に興味を持つのは貴重なことだ。

 だからせっかくの機会を無駄にすまいと、シホは再訪を心待ちにしていた。


「べつに……」

「最近朝も遅れてくることが多いけど、体調が悪いわけじゃないんだよね? 朝食はとってる?」


 お節介だと切り捨てられるのを見越して声を掛けたのだが、ファビアンの反応はなんとも曖昧だった。


「俺、昼はよそで食うから」

 それだけ言い残すと、学食とは反対方向へと去って行く。





 ………………やはり様子がおかしい。



 覇気がないというか、いつもの棘もない。



 シホが立ち止まり首を捻っていると、しばらくして一人の同僚教師が声をかけてきた。



「ランドール先生、ちょっとこちらに……」

 ひそひそと囁かれ、人通りの少ない廊下へと導かれる。


「どうしたんですか?」

 何事だろうか。シホは同僚教師が、周囲に人がいないのを確認し、ようやく口を開くのを待った。


「それがですね、ランドール先生。ここだけの話ですが、実は最近、下町の盛り場にうちの生徒らしき人物が出入りしているという噂がありまして――」


 学院や街の警備を担当している衛兵たちの間から流れてきた話だと、その教師は囁いた。


「もちろん制服など身につけていたわけではありませんから、うちの生徒だという確証はありません。ですが、その生徒の特徴というのが……」


 ――『恐ろしく見目の整った男子だった』と、彼は続けた。



「もちろん下町の少年の可能性はあります。ですが、もしこの学院の生徒だとしたら、思い当たるのはリースターの……」


 同僚はそこで口をつぐんだが、続きは聞かずともわかる。

 要は、ファビアンを疑っているのだ。


「容姿に優れた生徒は、ほかにもたくさんいると思いますが」

「もちろんそうです、そうですとも。条件に当てはまるだけなら先生のクラスだけで何人も――」


 あえて名前を口にしないのは、王族や侯爵家の人間の名をあげつらうまでの勇気がないからか。


「その中で『彼』を疑う理由が説明いただかないと私にはわかりませんが、万一生徒が下町を出歩いていたとして何か問題がありますか」

「いや、問題もなにも……」



 ――『夜間外出は校則違反でしょう?』。



 そう告げられてしまえば、ぐうの音も出ない。



「うっ……」

「それに万が一生徒が事件に巻き込まれてはいけませんし。学院は各家から生徒を安全にお預かりするために、学院内だけでなく市街にも衛兵を配備して巡回しているのです。そこまでして初めて、王家や各家の大事なご子息たちをお預かりすることができるのです」


 その安全神話が、もし崩れ去ることがあったなら――……。


 退学希望者の続出。入学志願者の減少。行き着く先は――学院の崩壊だ。



「そ……それはマズいですね……。あはは」

「笑いごとじゃありません。だから先生には、ちゃんと指導をしてもらわないと……」


 ぐさぐさと、着任初日ぶりのお説教を受け、シホ・ランドールは大きく肩を落として溜め息をつく。



「どうしたものかな…………」



 高い高い廊下の天井を見上げて、ぽつりと、そうひとりごちるのだった。






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