第24話 休日デート
いろいろと慌ただしい一週間が過ぎた休息日。
シホは学院ではなく、街にいた。
アーミントンの新市街、馬車や行商人が行き交う活気に溢れた大通り沿いにある噴水広場。大樹の彫刻が印象的な噴水の前で、シホは人を待っていた。
ここは定番の待ち合わせ場所なのだろう。目の前ではそわそわと落ち着きなく辺りを見回していた人が、目当ての連れ合いを見つけては、次々と嬉しそうにその場を去って行く。
シホの待ち人は定刻を告げる鐘の音が鳴り響いても、影も形も気配さえも現れそうになかった。
(はぁ……やっぱり機嫌悪そうだったしなぁ)
昨日の夕刻。リースター寮を訪れたファビアンは、何やら突如気分を害したのか、それきり夜も寮を訪れることはなかった。
(先に用があるって、前の日に言っておけばよかったのかな)
てっきり食堂の会話から理解しているものだと思っていたが、きちんと念押ししておくべきだったかもしれない。
夏も近づく休日の午後、シホはファビアンと授業で利用する教材を買い出すために、彼を待っているのであった。
(…………これ以上待ってもしかたない。行こ)
定刻からは随分時が過ぎた。待ち人が来ない以上、一人でも買い出しはしなくてはならない。多少荷が重いかもしれないが、最悪そこは人を雇ってでも持ち帰らなくては、授業での利用に差し支える。
(…………あれ? やっぱり授業で使うの再来週じゃない? 別に今週に買い出しをこだわらなくても……)
なぜ自分はファビアンに、今週買い出しに行くと告げたのだろう。
「??」
疑問のままに、通りに足を踏み出そうとしたその時、
「危ない!!」
ぱしりと、腕をつかまれ強く引き戻された。
目の前を街中にはあるまじき速度で暴走した馬車が通り過ぎていく。
「………………」
危うく轢かれるところだった。
すんでのところで引き戻してくれた命の恩人に礼を言うべく顔を上げれば、そこにいたのはミリウスだった。
「……怪我はありませんか……?」
「え……あぁ、うん」
状況が飲み込めず放心状態になっているシホに構わず、ミリウスは息を吐くと、シホのスカートにかかった土埃を手際よく払っていく。
「あ……ごめん! 汚れるからいいよ」
シホが慌てて制止するころには、すでに埃を払い終えたミリウスが、乾いた音を立てて両手の埃を払い落としていた。
「ええと……どうしてここに?」
なんともいたたまれなく、慌てて噴水の流水で濡らしてきたハンカチでミリウスの両手を拭いながらシホは問いかける。
「それが…………」
ミリウスは、申し訳なさそうに事情を説明し始めた。
「どうやら昨日の一件でファビアンに誤解をさせてしまったようで……」
何をどう誤解させたのかは語らず、うっすら耳を赤くしたミリウスは、淡々と続きを語った。
「一応誤解は解いてきました。昨日も先生には個人的に呪紋の使い方を習っていると伝えて、納得もしてもらいました」
ミリウスが言葉を選んでいるのは、彼特有の事情を伏せた上で、公表できる部分のみで説明してきたということだろう。
「そう、それで何でまだファビアンは怒ってるの?」
「………………」
「来ないってことは、そういうことだと思うんだけど……」
もしかして、ミリウス一人だけに先に呪紋を教えたのがマズかったのだろうか。
対抗意識の強いファビアンだから、抜け駆けをされたと思ったのかもしれない。
「あー……今度はファビアンにも声をかけたほうがいいのかなぁ」
素質は間違いなくあるはずなのだが、面倒臭がって逃げられそうだと思って声を掛けなかったのが誤りだったかもしれない。
「……とにかく、今朝になってファビアンから『今日は行かない。お前が行け』と。突然言い渡されて……」
約束の時間に遅れてすみません、と何の落ち度もないミリウスが申し訳なさそうに項垂れる。
(完全にとばっちりじゃない……)
本来は課題の提出が遅れたファビアンにペナルティとして与えた買い出しなのに、全く関係のないミリウスが肩代わりさせられてしまっている。
「ごめんね。せっかく来てくれたけど、他に用があるなら帰っていいから……」
「いえ。荷物持ち程度なら俺でも役に立ちますから」
責任感の強い彼のことだ。ここで粘ったところで、きっと頑として戻りはしないのだろう。
「ありがとう……」
あとでファビアンにはきちんと付けを払わせなければいけない。
そう固く心に誓って、シホはミリウスと連れだって街に踏み出した。
ミリウスとの買い物は、実にスムーズだった。
魔法学院御用達の魔道具店でいくつかの材料を見繕い、購入していく。大きなものは御用達店であれば学院まで配達してくれるので、手荷物が意外と少なく済んだのが幸いだった。
店を巡りながら、あれは何に使う材料、この道具とあの道具ではそれぞれではどのような性能差があるかなど、店先に並ぶ品を眺めては、シホは得意気になって解説をしていく。
それをミリウスは飽きもせず、ずっと真剣に聞いてくれていた。
(貴重な休日なのに悪いなぁ。ずっと授業をしてるみたい)
自分は楽しいからいいのだが、お世辞にもこんな魔術オタクとの買い物など、普通の若者には欠片も楽しくはないだろう。
「……どうしました、先生?」
「あ、いや。もっと楽しい休日にしてあげられればよかったんだけど……」
後ろめたさから視線を逸らすと、視界の端でミリウスが両目を細めるのが見えた。
「十分楽しいですよ。すべてのことが新鮮で――それに先生もいます」
「?」
「きっと好きなんです。俺は。先生とこうして買い物をするのが、とても楽しい」
目映い笑顔に照らされて、こちらまで頬が知らずと紅潮していく。
「あはは、あはははははは……」
乾いた笑いで誤魔化して、シホはぐっと拳を握り締める。
「よし、美味しいものを食べよう! ミリウスの好きなもの! なんでも私がおごってあげる」
これだけ付き合わせたのだから、それくらいしなければ申し訳ない。
何より自分が、もっとミリウスの喜ぶ顔を見たかった。
「何か食べたいものはない? お肉でも魚でも、何でもいいんだけど」
ちょうど昼食時も近い頃合いだ。
ミリウスの口に合うかはわからないが、好きな料理をお腹いっぱい食べさせてあげたかった。
「食べたいもの……」
ミリウスは思いのほか長考する。
「え? ええと……好きなものとか、ほら、あるでしょ。辛いのとか、さっぱりしたのがいいとか……」
助け船を出しても、いまいちピンとこないのか、ミリウスは考え込んだまま身動きひとつしない。
(そういえば、ミリウスの好みって、何一つ聞いたことがない……)
好きな食べ物や、好きな色、武具の類いは使い勝手があるから多少なり好みはあるようだが、それ以外の私生活における好みらしい好みは何一つ聞いたことがなかった。
(王族ってそういうのも秘密にしないと駄目なものなの……?)
何かを好むと、角が立つからだろうか。
臣下がそればかり献上したり、反対に嫌いなものを公言すると、それを知らずに贈った者を萎縮させてしまうことになるからだろうか。
(息苦しい……)
自分の好きなものひとつ、好きと言えないなんて。
あまりに息苦しく気が詰まるような生活を想像して、シホは知らずと表情を曇らせていた。
「あぁ……ええと。違うんです。あまり好きなものを、考えたことがなくて」
ミリウスは慌ててとつとつと語り出す。
幼い頃は人並みに好きな食べ物やおもちゃがあったこと。
けれど成長し、人の気持ちや期待が理解できるようになるにつれ、いつしか好みや執着といったものが消え去ってしまったこと。
「何が好きか、を考える前に、どうしてこれを用意してくれたのだろう――と、そんなことが先立つようになってしまって」
だから相手を喜ばせたくて、相手の期待に応えようとするうちに、自分の気持ちはどこかへ行ってしまっていた。
気づけば、何が本当に好きなのかもわからなくなってしまっていた。
「……単純に、それほどこだわりがなかっただけかもしれませんが」
困ったように微笑うミリウスには、彼らしい優しさと同時に、どこか空っぽの寂しさのようなものを感じた。
「ちなみに先生は何が好きなんですか?」
「え?」
にこにことミリウスは、笑顔でシホの回答を待っている。
先に尋ねてしまった手前、今更自分だけはぐらかすわけにもいなかなくてシホは観念するように呟いた。
「肉も、魚も、野菜も、果物も……基本的に美味しいものはみんな好きだよ」
食事に好みなど言っていられない生活だったというのもある。
極端に苦いものでもない限り、ほとんど嫌いなものはないのだが……。
「でも、あえて言うなら……甘いものが好き」
「甘いもの? たしかに学食でいつも頼んでいるような……」
「……昔は食べられなかったから」
幼い頃は甘味などほとんど食卓には上らなくて、唯一誕生日に祖母が焼いてくれるケーキや、師匠が街から持ってくる菓子が、幼いシホの憧れだった。
「…………では、そうしましょう」
「?」
「俺もいま、甘いものが食べたくなりました」
いたずらっぽく笑って、ミリウスは店を探して首を巡らせる。
待って、だとか。
結局私の希望しか叶っていない、だとか。
ミリウスには本当に、もっと食べたいものはないの、だとか。
いろいろ浮かぶけれど、それらはすべてミリウスの生き生きとした横顔に掻き消された。
結局二人で話題の菓子屋だという店先の椅子に座り、買ったばかりの菓子を大きな口を開けて頬張った。
それはふわふわの生地で焼いた皮の間に、たっぷりのクリームを挟んだ見たことのない珍しい菓子だった。
「美味しい……!」
ぺろりと1個平らげて、追加でもう1個買ってこようかなんて顔を上げたとき、隣で品よく菓子を口にしていたミリウスが、零れるように呟いた。
「……美味い」
驚嘆するように菓子をじっと見つめて、
「ははっ――知らなかった、こんなに美味いものがあるなんて……」
頬を紅潮させて、久方ぶりの感動を味わうかのように、残りの菓子を乱暴に口に運ぶ。
ふぅ、と満足そうに息をついたミリウスを見上げて、シホは無意識に手を伸ばしていた。
「粉砂糖、ついてるよ」
そっと親指で、ミリウスの口の端についたそれを拭う。
「………………」
ミリウスの目が点になり、次いでたちまち背けられた顔が真っ赤に茹で上がった。
「先生、そういうのを突然するのは些かはしたない……」
「どうして?」
貴族の感覚ではそういうものなのだろうか。
シホなどは幼少期から幾度となく、そうされてきたものだが。
「……先生は、誰にでもこういうことをするんですか」
「?」
「相手があの…………剣術講師でも……」
言ってから想像したのだろうか、ミリウスの眉間に、彼にしては珍しい皺が寄った。
「なんでミリウスがそんなこと気にするの。珍しいね?」
「……!!」
純粋な疑問だった。けれど彼はそれを『口を挟むな』もしくは『詮索するな』という意味にでも取ったのか、語気を荒げて続きを吐き出した。
「先生には……! 先生には、幸せになってもらいたいんです。誰よりも……何よりもっ」
拳を握り締めて、悲痛な叫びを吐露するかのように声を絞り出した。
「…………あ、ありがとう」
呆けたシホには、それだけを口にするのがやっとだった。
ミリウスは、正直何を考えているのか読み取るのが難しい子だ。
いつも『正しい道』を体現しているから、そうでない行動を取るときには必ず理由があるはずで。けれど内面を露わにする機会が少ない子だから、そうしたときには決して読み間違えてはならない。
そんなことを考えていると、シホは身動きできなくなってしまう。
――駄目だ。
そんなことでは、駄目なのだ。
彼らを導くと決めた以上、たとえ力不足でも怯んではいられない。
「ミリウス。ありがとう。きっと……たぶん何か心配してくれてるんだよね」
「…………」
「そうだなぁ。クライヴ先生だったら…………」
ミリウスの青い双眸がこちらを向く。
「いまみたいなのは、しないかな」
いたずらっぽく、白い歯を見せて。
「――だってそのほうが、面白いじゃない?」
口元に白い粉砂糖の髭を生やして意気揚々と剣を振るクライヴ。
それを二人で同時に想像して―― 一緒に腹を抱えて笑った。
「なんでみんな、クライヴ先生と私が好き合ってるみたいな誤解をするんだろ?」
しかもクライヴ先生が、相当問題ありな人物のような扱いだ。
まぁ、軍人では少数派かもしれないが、傭兵ならあのような種類の人間はたくさんいる。特段珍しくもないし、シホだって短い期間だが傭兵まがいの仕事をしていたし、同じ側の人間といったほうが近いかもしれない。
「それは先生が他の人より親しげだから……」
ぼそり、と吐き出された呟きを、すぐさま否定する。
「だからそれは親近感が湧いただけで。言ったじゃない。二人共いろいろと立場が似通ってるから話が合うだけだって」
庶民出身なことや、前衛担当なこと、厳しい師匠がいることや、実際に魔物退治を経験していること。
そんなことを話しているうちに、一度本気の試合をしてみたいと持ちかけられている、それだけの話だ。
あいにく今はシホが充填中のため、その願いは聞き届けられていないが。
事情を話すと、いくらかミリウスは納得したようだった。
しぶしぶといったていで、かぶりを振って気を取り直す。
「わかりました。――――それでは、今度こそ昼食としましょうか」
「え?」
「先生のことだから、どうせこれだけでは満足してないんですよね?」
「うっ……」
図星を指されて顔を背けたシホに、隣でミリウスが年相応の少年のように肩を揺らして笑っている。
……まぁいい。
今度こそ、ミリウスに好きなものを見つけてもらおう。
それが何かはわからないけれど。
それが何か見つかるまで。彼が気負いなく自分のことだけを考えられるように。時間が許すかぎり付き合おう。
賑やかな街に、小走りに駆ける男女二人の姿が色鮮やかに焼き付いていた。




