第20話 光の輪郭を 2
長い、長い回想だった。
ミリウスにとって、自分の過去と、これから往くべき道で障害となるこの特性について語る長い時間。
所々まだ伏せていたい部分を隠しながら、先生には自分の魔力のこと、強大な力を使う際にはその反動が来ること、そしてそれを利用し隙を突こうとする敵対者たちがいることをかいつまんで話した。
誰にも明かしたことのない秘密を打ち明けるのは、不思議とどこか爽快で……開放的な気分に任せ、知らずと余計なことまで話してしまったかもしれない。
「そっか…………」
長い話を聞き終えると、先生はそう言って目を細めた。
「きみは偉いね」
言って、その白い指先でそっとミリウスの前髪を掬った。
うつむき加減だった視界に光が入る。
より明るくなった視界に、先生の笑顔と、白い指先から繋がる腕が見えた。
細い指先はそのまま上昇すると、頭の上で髪を梳く感覚がした。
――子供のように撫でられている。
その事実がひどく恥ずかしいようで、けれど髪に触れる指先がなんとも離れがたく、いつまでもそうしていたいような不思議な感覚に囚われる。
しばらくそれは続き、ミリウスの目頭と頬が熱くなってきたころ、先生はこう切り出した。
「私にも手伝えることがあるかもしれない」
ごめんね、と先に詫びて、先生は右手でそっとミリウスの左腕に触れた。
先程まで酷い火傷があった場所だ。そこには今はもう何もない。先生の治療のおかげだ。
その場所に手を触れて、先生はじっと目を閉じる。
そして今度は、空いた左手でミリウスの左手を握り込んだ。
「……!!」
それは不思議な感覚だった。先生が何をしているのかはわからない。が、ミリウスの身体の中には、常には感じない異変があった。
――手だ。
身体の中を手が移動しているというのだろうか。
何かを探るように、手のような不思議な力の流れが、体中を血液の流れに乗って移動している。
身体を内側から触れられている、そう形容するような甘美な危うい感覚が全身を包み込んでいた。
「――っ!」
身体を暴かれるような、反射的に拒絶したくなる理解不能な感覚。
けれど真剣な面持ちのまま黙り込む先生を前に、ミリウスは必死でその衝動を抑え込んだ。
「っ……」
荒い息を吐き出して、なんとか耐え抜いた時間のあと、ミリウスは隣で沈黙を続けるシホに目をやった。
先生は変わらず真剣な表情で何かを考え込んでいる。
「……うん、たぶん大丈夫だと思う」
一人でそう結論づけると、今度は顔を上げてふわりと笑った。
「大丈夫……?」
「きみの場合、話してくれたとおり、保有する魔力量が膨大で、そのために制御が効かず自身に害をなしている可能性が高い。これは私みたいに、自分の魔力量を超える魔術を扱う人間にも起こりえることだよ」
先生は、自身が呪紋を用いて自分の限界魔力量を超える魔術を使用する際にも起こりえる問題であることを説明した。
「通常人が魔術を使う際は、行使と同時に魔法の威力から身を守るために無意識の防御障壁のようなものを展開してるの。でも実力に伴わない強力な魔術を使用すれば、そのバランスが崩れて魔法が自身に牙を剥く。だからそのために、魔術師は身を守る方策を別に考える必要がある」
先生は、修復中の魔法書こそが、先生にとってのその方策なのだと語った。
「私の場合は、魔法書にあらかじめ制御魔法と防御の呪紋を織り込んであるの。あとはそれを身体と結びつけて、自身に害が及ばないように調整してる」
「身体と結びつけて……?」
「ああ、ごめん。きみの場合は左腕だね。人間には、魔力が身体の内側から外に出て行く際の通り道のような場所があるの。だからそこに結びつけるように呪紋を描くことで、魔力の暴走からきみを守れるかもしれない」
先生は『言うより見せたほうが早いかな』と、立ち上がって修復中の魔法書を手に取って戻ってくる。
その立派な表紙の内側には、紙ではなく何があっても消えないよう硬い金属板に精巧に呪紋が彫られていた。
先生は魔法書の呪紋が見えるようにテーブルに置くと、ミリウスに向き直りその両手を取った。
「さっきは怖かったよね。ごめんね。魔力の流れを視るためだったんだけど……お詫びに、私の魔力の流れで説明してあげる」
そういうと、先生は息を止め、今度は先ほどとは全く逆の現象が始まった。
身体が引き込まれるような――とでもいうのだろうか。
先生と繋がった指先から自身の魔力が溶け出して、そのまま先生に吸い込まれていくような感覚。
そしてその魔力が先生の中で溶け出し、膨れ上がり、無数の手のような、大きな一つの塊のような存在になって先生の内側から触れてゆける感覚。
それは望めばどこまでも先生の輪郭を辿っていくことができた。
現実の身体ではない、魔力によって形づくられた先生という存在の輪郭を、内側から指でなぞっていけるような感覚がした。
『血液の流れに乗って』――自身に先生が入ってきたときにそう感じたものは、今ならわかる、それこそが『魔力の流れ』そのものだった。
全身を隈無く巡り流れ、どんな些細な血管、指先から爪先、震える皮膚の一片までも流れる奔流。
無数に広がった身体で先生の奥へ奥へと進んでいくと、先生の唇から「っ、」と短い言葉が漏れた。
大丈夫か、と気遣いたくなる良識と、自身が逆の立場でいたときに感じていた感覚を先生もいま共有しているのだという歓びがせめぎ合って、その場で身動きできず立ち止まる。
「大丈夫……だから。……おいで」
目を閉じ、震える唇でそう語る先生に、ミリウスは大きく一歩を踏み出した。
「――っ!」
先生の喉が震える。と同時に、先生のなかで大きく膨れ上がった手のひらが、先生のなかのとびきり脆い部分に触れたような感覚がした。
柔く、温かく。触覚などないはずなのに感じる、ずっと触れていたくなるような儚い温もり。少し悪意を持って爪を立てればたちまち破裂してしまいそうな危うさがそこにはあった。
そっと指で触れると、それは仄かに脈打っていた。
先生の、魔力の源泉。心臓の、その裏側。
柔らかな魅力に抗えずしきりにそれを撫で回していると、どこからか導くような手が現れた。
それはミリウスの手のひらを取ると、そっとどこかへと連れて行く。
温かな流れの中を名残惜しむように導かれて、ミリウスはある淵へと出た。
先生を形づくる魔力の身体の、その境界。不思議とその場所は、明るい水面のように薄明かりで輝いていた。
「これが、魔力の出口。私の場合は、ここね」
言って、先生は自身の胸元を指差した。
片手で器用に胸元をくつろげると、そこが淡く光っていた。
よく目を凝らせば、呪紋のような形が見える。
「普段から光ってるわけじゃないんだけど。いまはきみと繋がってるから、たぶんきみにも見えるんじゃないかな」
先生はそこに描かれた呪紋こそが、魔法書と連動し自身を強大な魔法から守っているのだとそう述べた。
「魔力の流れの感覚……なんとなくでもつかめた?」
そう、それを自分に教えるために、先生はこうして無茶をしているのだ。
ところどころ息を荒げ、額に汗を浮かべて語るその様から、この 『授業』 は、先生にとってもかなり負担が大きい行為なのだろう。
何も知らずただ先生に身を任せていた自分と違って、いまの先生は無知な自分のために、わざわざ自身の身体を無防備な状態において、説明のためとはいえ命にかかわる部分さえミリウスの好きにさせている。
もう一度、いまの感覚を反芻する。
先生の中に自身が広がっていったあの感覚。
それまで捉えどころのなかった自身の魔力が、他人の魔力のなかを掻き分けて進むことで、初めてその存在を掴めた気がする。
いまなら、もっと上手く制御できるかもしれない。
「じゃあ、戻ろっか」
促され、先生へと流れ込んでいた魔力を引き戻すと、先生はそっとその手を離した。
繋いでいた指先が離れ、急に暖かい場所からひやりとした広野に放り出されたような心許ない寂しさが身を襲う。
できることなら、もう少し。もう少しの間だけでも繋がっていたかった。
「あぁでも、今回みたいなことは、他の人に簡単にさせちゃ駄目だからね」
身だしなみを整えながら、先生は振り返りざまにそう言った。
「?」
「今回取った方法は、悪意を持って行うと他人を操作したり乗っ取ったりできてしまうから、信頼できる人以外には絶対に許さないこと。本人が拒めば、まず相手は侵入できないから」
そんな物騒な手段だったとは露ほども思わなかった。
もちろん危険性を知った以上、同様のことを他人に許すつもりはない。
しかし、先生はどうだろう?
すぐに他人を信用して親身になってしまう彼女だから、むしろ先生のほうこそが危険なように思えた。
ミリウスの心配もよそに、先生は次の準備に取りかかる。
「それじゃ、ちゃっちゃと残りの作業を済ませちゃいましょーか」
それから先生は手早く道具を用意すると、ミリウスに許可を得た上で、その左腕に呪紋を描いた。
呪紋はすぐに見えなくなってしまったが、先生の胸にあるものと同じだというそれは、魔力の制御を助け、連動する呪紋の効果を増幅するものだという。
「あとは肝心の防御用の呪紋なんだけど……これはあとでちゃんとしたものを作ってあげたいから、とりあえず一時的に手のひらに描かせてもらうね」
上着を身につけていたミリウスが振り返ると、先生はすでに準備を整えて椅子に座っていた。
遅れてミリウスがティーテーブルの上に左の手のひらを広げると、細い筆が下りてきてその上をなぞった。
くすぐったさに思わず身じろぎすると、
「動かないで」
と先生の真剣な声が飛んだ。
静かな空間に、先生が道具を動かす音と、窓から射し込む夕陽の黄金色だけが満ちていた。
普段は見慣れない、至近距離にある先生のつむじを見下ろして、先生の指が添えられた手のひらに、その温かな時間に、ずっとこの瞬間が続けばいいのに、とそう思った。
「よし、できた!」
先生は満足げに呪紋を見下ろして、すうっと形を消してゆくその円をもう一度指でそっと撫でた。
「これで数日間は大丈夫だと思うけど、効力はどうしても落ちるから、5日おきくらいにまた描きに来てね」
「5日おき……」
定期的にここに来る理由ができたことに、知らずと心が弾むのが自分でも理解できた。
「この呪紋の描き方は、そのうち教えてあげる。自分でもできたほうが安心するでしょう?」
何から何まで、ミリウスのためを思って尽くしてくれる。
その心遣いに目頭がじんと熱くなった。
「今日は……本当にありがとうございました。ずっと俺一人ではどうにもならないと思っていたので……。先生がいてくださって、本当に良かったです」
心からの感謝だった。
誰にもどうにもできないと思っていたことを、いとも容易く解決してしまった恩師へ、どう報いればいいのかと迷うほどに。
「………………ねぇミリウス」
「?」
「前々から気になってたんだけど……。きみは『私』と『俺』、二つの呼び名で自分のことを語るけど、どちらが本当のきみなのかな?」
「……!」
先生の前では『私』を使用し続けていたつもりだった。礼儀正しく、この国の次期国王候補として恥ずかしくないように。
けれど当然担任として学級全体に目を配っている先生のことだ。ラスティンやファビアンなどの気が置けない友人と会話しているときの、くだけた自称を耳にする機会はあっただろう。
「それは…………」
「きみの場合、王子だとか、監督生だとか、いろいろ背負っている分、人一倍大変だと思う。でもね、ミリウス」
彼女は、弓なりに瞳を細くする。
「きみがどう思うかは別にして。 少なくとも、私はきみを王子ではなく一人の個人として接してるつもりだよ」
先生は、不器用な愛弟子を見つめるように目を細めて微笑った。
「ここは学校。王様修行をする場所じゃない。きみがただのミリウスとして自分を育て、将来身分や立場に関係なく頼り合える友人を見つけてくれれば、それでいいんだよ」
――ただ、それだけを祈っている。
そう、言外に語るように、シホ・ランドールというその女性は、優しくその場に佇んでいた。
窓からは夕刻の穏やかな風がカーテンを揺らしている。
黄金色の光は室内だけでなく、先生をも照らし、彼女の周囲にきらきらとした光の輪郭を描き出していた。
「………………はい」
後に、この日のことを振り返るとき、ミリウス・ウィルテシア・ヴェルトリンガムはこう語る。
『あの日こそが、俺が生まれ変わることができた日だった』――と。
愛おしそうに、ある、ただ一人のひとを眺めながら。
次回から第2章「春の嵐編」 です。
先生を意識し始めたミリウス君の挙動をお楽しみください。
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