第18話 見えない傷跡 2
ミリウスは、魔術の才に優れた子供だった。
幼い時分から歳に見合わぬ強力な魔術を操り、周囲の下臣たちを驚かせたものだった。
勉学にも武術にも優れ、将来は次期国王だと、上の兄二人を差し置いて周囲から褒めそやされたものだった。
しかしそれが、夢物語でしかないことを8つのときに思い知る。
それまで順調に繰り出せていた魔術、それがある高度な術式に取り組んだ途端、事故が起きた。
魔術が、自分を襲ったのだ。
ミリウスは怯え、驚き泣き叫んでしまった。
周囲の使用人たちは揃って必死に宥めた。
教師は、
『殿下は魔力がお強過ぎるのでしょうなぁ。なに、ゆっくり制御を学んでいけば上手く操れるようになりますよ』
……そう言った。
たまたま一段出力を上げた術だったから、そうなってしまっただけなのだと。
才能溢れる生徒を前に、微笑って師はそう言った。
けれど、それはそう簡単な問題ではなかったのだ――。
強力な魔術を操ると、それはミリウスに牙を剥く。
それは、ミリウスの膨大過ぎる魔力に由来していた。
成長するにつれ、有する魔力量も増え、事態はより厄介になった。
初歩の魔術は問題なく行使できても、少しでも制御の範囲を超えた術を使うと、それは的のみならずミリウス自身の身を焼いた。
このことは、すぐさま母によって伏せられた。
あらゆる使用人に、もちろん師にも口止めが為され、ミリウスは問題のない優秀な生徒として育っていった。
どうして母が周囲に箝口令を敷いたのか――。
それをミリウスは、大きくなって知ることになる。
ミリウスが11のとき、母が死んだ。事故だった。
母子で静養先に馬車で移動する途中、魔物に遭い驚いた馬たちによって崖下へと転落したのだった。
ミリウスは運良く馬車から外に放り出され、今こうして生きている。
けれど母が最期に残した言葉と表情を、ミリウスは今でも忘れない。
『――――やめて!』
魔獣に抗おうとした息子を、母はその腕を引いて止めたのだった。
息子の身を案じてなのか……そうだったらいい。
だがミリウスは、そうではなかったと思っている。
今まさに魔獣に襲われているそのときに、ろくな護衛もいないその状況で、ミリウスの魔術くらいしか身を守るすべがない中で、母が我が子を止めた理由――――それは、『息子が怖かったから』ではないか。
ミリウスはそう、思っている。
長ずるにつれ反動の炎はミリウスの身しか焼かなくなっていたが、幼いころには周囲の使用人にも牙を剥いた。
屋敷を――離宮を焼いたことさえあった。
母はきっと恐れたのだ。それを。
馬車とともに、自分が焼き殺される地獄を。
その最期の表情に浮かんだもうひとつの意味も、やがて知ることになる。
ミリウスは第3王子だった。
王位の継承権者としては2位になる、複雑な王室に生まれた王子だった。
父は、最初に一人の女を愛した。
第1王妃――陰では『高貴なる妾』と揶揄される、平民出身の素朴な娘だった。
彼女を妾ではなく妃に据えるため、父は貴族たちと取引をした。
『平民に王妃は務まらない』と主張する大貴族たちに婚姻を認めさせるために、彼らの推薦する第2王妃を受け入れることにした。
由緒正しい大貴族の血を引く、彼らを代弁する貴族の妃。
そうすることで父は愛する人を手に入れて、彼女との間に子供ももうけた。
子の王位継承権を放棄させることを引き換えに、温かな家庭とやらを手に入れた。
しかし、そんな勝手をしているだけでは回らないのが国だった。
第2王妃は貴族の代弁者だった。
王権に匹敵する強権を持つ大貴族たちの、彼らの利益を求める妃。
彼女との間に約束どおり子ももうけたが、その子を王にしていては国が立ち行かない。
だから父王は、第3の妃を娶った。
貴族でありながら大貴族連に属さず、地方で静かに暮らしていた野の百合のような少女だった。
それがミリウスの母だった。
王宮内の権力闘争など何も知らず、ただ父に見初められたためだけに王都へと呼び寄せられ、そして自分を生まざるを得なかった悲しい人。
母はミリウスを愛した。
父も病で早くに第1王妃を亡くしてからは、子供たちに平等に愛を注いだ。母をも愛していたように思う。
だがそれが、全ての災難をミリウス母子にもたらした。
『次期国王を。貴族の言に従う国王を』
それを目標に娘を――第2王妃を送り込んだ大貴族たちにとっては、ミリウス母子は邪魔者以外の何者でもなかった。
彼らの暗躍は、母が亡くなってからより苛烈になった。
ミリウスを、亡き者にする策謀が始まったのだ。
父が王位の継承順位をないものとして扱うと言ったのがまずかった。
第1王子である長兄に権利がない以上、出生順に意味はないと、実力とひととなりを見て後継を決めるとそう断じた。
これに貴族は怒った。
なまじミリウスが将来を有望視されていた分、排除しようと躍起になった。
事故偽装、毒殺、刺客の派兵――徐々に手段を選ばなくなっていった。
今ではわかる。そんな暗い王宮に、母は嫌気が差したのだ。
疲れたのだ。
どうして自分が――この子がいるせいで。
きっと母の最期の苦悶の表情は、そういう意味だったのだろう。
かろうじて、王立騎士団が後ろ盾についてくれたこともあり、ミリウスは今こうして生き長らえている。
しかし、弱みは見せられない。
この弱点を知られれば、確実に敵はそこをついてくる。
だから今まで、隠し続けてきたのに――――……。
ミリウスは苦悩する。
けれど、もし魔力が制御できたなら。
こんな代償など、初めからなかったなら――。
あのとき、先生を助けられたかもしれないのに――。
ぐっと拳を握り締める。
あのときの竜は、自分を狙ったものだった。
先生は知らないかもしれないが、ウィルテシアの森に竜が出たなど聞いたことがない。
あれは、誰かが悪意を持って放ったものだ。
だから逃げることができなかった。逃げれば、ほかの人間を巻き込んでしまうから。
だから逃げられず――――先生を巻き込んだ。
先生が戦ってくれているのに、魔法で加勢ひとつすることさえ躊躇った。
あまりにも――あまりにも、弱い自分。
先生が救ってくれたから生き残った。けれどもし、先生が死んでしまっていたら――――自分は、どうしたのだろう。
後悔に、押し潰されそうになる。
そんな弱い自分に、先生は大丈夫だと言ってくれた。
何の心配もないのだと、笑ってくれた。
頼もしかった。
心強かった。
ずっと誰かに――――そう言ってほしかった。
なんの見返りもなく差し出された手。
――いままでも、単純にミリウスの安全を守ろうとする者ならいた。
けれどその誰もが自分に、王という役割を求めていた。けっして、ミリウスがミリウスだから差し出された手ではない。
だからミリウスは彼らの期待に応えるためにも、王にならねばならなかった。
(…………でも、先生は違った)
ミリウスに求めているものなど、何もなかった。
ただ、そこに立っていればよかった。
――迷子の子供のように。
戦うことも、クラスの仲間を追って逃げることもできず、ただ立ち尽くしていた不甲斐ない自分に、先生は『守るよ』と言ってくれた。
それがどれほど嬉しかっただろう――――。
奇跡のような言葉に思えた。
そして先生は、約束を果たしてくれた。
誓っても、死ななかった。
他人の悪意に負けず、竜の強大な力にも負けず、ミリウスのもとに戻って来た。
背を、撫でてくれた。
そんな人間は、初めてだった。
ミリウスを唯一愛してくれた母でさえ――最期は、歪む顔で逝ってしまったのに。
「………………」
そのことを思うと、先生への感謝の念が募る。
なんと礼を言えばいいのかわからない。どうすれば恩を返せるのかもわからない。
せめて、一人前に戦えるようになりたいのに――。
先生のように、今度は先生を守れる自分になりたいのに。
暴れる魔力は、変わらず自分の身を焼くのだ。
「どうすればいいんだ…………」
顔を覆い、身を折った。
小さな部屋に、青年の苦悩する声だけが広がった。




