第16話 帰還
それからシホが目を覚ましたのは、あの校外演習の出来事から3日が経ったころのころだった――……。
ぱちり、と目を開けたシホ・ランドールは、何度も瞬きし、ここがよく見知った自分の部屋であることに気がついた。
気を失っている間に、誰かがここまで運んでくれたらしい。
自室のベッドで目覚めると、もぞもぞと左脇腹をさする。どうやら傷は塞がっているようだ。
上に撒かれた包帯らしき布地はあるものの、出血で湿った感覚やあの刺すような痛みは消えていた。
「………………」
あの流れでいくならば、治療してくれたのはミリウスだろうか。
彼がこれほど治癒魔術に優れていたとは。意外な発見だった。
教師として、完全に見落としていたのがどこか悔しい。
「――――――っ!」
シホがぼーっと天を見つめていると、戸口で息を呑む気配がした。
視線だけそろりと向ける。
戸口に立っていたのはミリウスだ。
彼は何やら手に桶のようなものを持っていた。
次いでひょこりと、彼の後ろから鋼色の頭が顔を覗かせる。
ラスティンだ。
彼ははち切れんばかりに目を見開くと、
「先生が! 先生が目覚めたぞ!!」
と、忙しそうに階段を駆け下りていった。
1分もしないうちに、ぞろぞろと集まってきた生徒たちで寝室が埋め尽くされる。
「先生! 心配したんだから……っ!!」
「いつまで寝てんだよっ、本当に……」
「先生、どうやって生き残ったんだよ!? 俺すっげー心配したんだからな!!」
口々に我先にと詰めかけて、あれやこれやと質問攻めだ。
さすがに見かねた女生徒が一同を鎮めて、改めてゆっくりと語りかける。
「本当に心配しましたのよ。先生がお一人で残られて、ミリウス様も戻られないですし……わたくしたち気が気でなくて……。でも先生がこうしてご無事でいてくださって、本当に嬉しく思います」
瞳を潤ませそう言われると、なんだかくすぐったい。
つい、その気恥ずかしさを誤魔化すように言葉を零した。
「いや、私も何で生きてるのか……。たしかお腹に穴が空いてたはずなんだけど……」
そろりと起きて腹をさすると、ファビアンがニッと意地の悪い笑みを浮かべてミリウスを指差した。
「それはコイツがだな、必死な形相で俺たちが来るまで治癒魔法をかけ続けてたからだよ。そりゃもうこの世の終わりみたいな顔して、俺が来るなり頭を下げて『先生を助けてくれっ……!』って――」
イテッ、と言って言葉が途切れたのは、ファビアンの後頭部をミリウスが小突いたからだ。
いや、小突くと言っていい程度だったかどうか……微妙な、彼にしては珍しいまでの暴力である。
「にしても先生、本当に危なかったんだぜ」
ラスティンが身をかがめて、シホの薄い腹を指す。
「ミリウスがすぐに治療を開始したからいいものの、もう少し遅れてたら今ごろ先生は棺桶の中だからな」
無茶をした子供を叱るように、ラスティンにしては珍しく眉間に皺を寄せている。
「…………ごめんなさい」
「ん。わかればいい」
どちらが教師かわからない遣り取りをして、シホはなんだか居心地悪く身じろぎをする。
こんなに直接的に心配されたことがないので、どう振る舞えばいいのかわからない。
仮にも自分は彼らの教師なのに。
これではまるで彼らと同年代のクラスメイトだ。
「あ、やべっ。昼休みが終わる」
誰かがそう言ったのを皮切りに、生徒たちがぞろぞろと退室していく。
午後の授業があるからと言って帰って行く彼らは、晴れやかな笑顔だった。
「………………おいミリウス。行くぞ」
ファビアンが戸口で頬杖をつきながら、そう呼びかける。
「……あぁ」
それでもミリウスは動かない。
不思議に思ったラスティンが再び部屋に戻りかけたところで、ファビアンは『先に行く』と言い残して、ラスティンを引き連れて去って行った。
「………………」
「………………」
再び部屋に沈黙が落ちる。
「あなたは、行かなくていいの?」
「…………今は、自習中なので」
そう言って、彼はシホが眠っている間、授業は他クラスの教師たちによる講義や自習などで回されていることを説明した。
「監督生は、みんなのお手本になるんじゃなかったかな?」
そう語りかけると、ミリウスはぴくりと反応して、はい、と頷いた。
「話したいことがあるなら、またいらっしゃい。……どうせ動けないんだもの、いつでも会えるよ」
くすり、と肩を竦めると、ミリウスもふっと微笑って目元を緩めた。
やっと見られた笑顔だった。
「授業、私の分もみんなをちゃんと見てあげてね」
「……はい」
綺麗な笑顔をそっと浮かべて、いつもの彼のように颯爽と去って行く。
あのとき見せた子供のような頼りなげな姿は夢幻だったのか――そう思ってしまうような、凜とした後ろ姿だった。
「……私も、熱でもあったのかなぁ」
怪我の影響で、幻覚を見ていたとしてもおかしくない。
ふあぁ、とあくびを噛み殺す。
あれほど寝たのに、まだ眠い。
シホはもう一度布団に潜り込むと、再び眠りにつくのだった。
*
それからというもの、ミリウスは頻繁にシホのもとを訪れるようになった。
来るたび手に食べ物や書物を持って、何か困ったことはないかと尋ねてくる。
たしかに医務官による治療後、怪我こそ治ったものの、しばらくの絶対安静を言い渡されていたシホにとって、その申し出はありがたかった。
洗濯や食事など、身の回りの世話には、学院側から職員が派遣される。が、それ以外のちょっとした用事などには、時折顔を覗かせる彼らが助けになった。
その日もミリウスが訪れたとき、シホはベッドに座って書き物をしていた。
「先生、それは?」
ミリウスが尋ねる。
シホは膝の上で走らせていたペンを止めて、便箋をすっと脇に置く。
「手紙をね。王国軍に出そうと思って」
「王国軍に?」
「そ、あの演習場の一件があったでしょ。改善案というか、演習場としてどうかと思う点があったから、提言書を書いてたの」
結界管理の甘さや、破綻時の通報機構の欠落、そもそも演習場管理の基本となる演習前の場内の『清掃』――場内確認――ができていないなど、改善事項は山とある。
魔物の脅威がより身近で、むしろその森に入って魔石や鉱物資源を得ているリンデールの訓練施設と比べるのは酷かもしれないが、それでも指摘すればすぐにでもよくなりそうな箇所がいくつもあった。
「もし呼んでくれるなら、私が行って直接指導してもいいんだけど……私もその道の専門家ってわけじゃないし。一度リンデールからでも、ちゃんと講師を呼んだらいいと思うんだよね」
当てがないというのなら、紹介状を書いてもいい。シホの知り合いに一人役立ちそうな専門家もいる。
そう告げるとミリウスは顔を曇らせた。
「すみません……」
「どうしてミリウスが謝るの」
「先生に、隣国の心配までしていただいて……」
仮にも次期国王候補の彼である。本来なら自分たちで気づくべきことを他人に――それも隣国の人間に指摘されるから耳に痛く恥ずかしい――……そういう心理だろうか?
項垂れるミリウスに、シホはからりと笑いかける。
「そんなの気にすることないじゃない。だってここはあなたの国でしょ。ならあなたの国がよくなれば、私だって幸せだもの」
言われている言葉の意味がわからないのか、ミリウスはぱちりと目を瞬かせる。
「あのね、ミリウス。あなたたちが笑ってると、私は嬉しい。あなたたちが幸せになると、私も笑顔になれる。――だからそのために、私は私にできることをしてるだけなんだよ」
結局巡り巡って自分のため。
驚くほど単純で、彼が気に病むほどのことではないのだ。
「だから勝手をしちゃうけど、許してね?」
提言書など、一介の教師風情が軍宛に出すなどおこがましい。……が、まぁ今回の件があったばかりだ。もしかしたら然るべき部署まで届くかもしれない。
そして様々なところが改善されれば、将来この国を継いだ彼に、少しでもよい国や臣下を渡せるだろう。
「ほら笑って笑って」
「……はい」
困ったように笑みを見せる彼は、続けてそっと書きかけの便箋を指差した。
「では先生。その手紙を書き終わったら、俺――――私にもらえますか。必要な部署に届くよう、取り計らってみます」
たしかに自分などが送るより、彼に任せたほうがより確実に適切な部署へと届くだろう。
「じゃあその時はお願いね」
「はい」
はにかむ彼に、遅ればせながら椅子を勧める。ずっと立たせたままにしてしまっていた。
「今日はどうしたの?」
連日顔を見せている彼だから、今日もある程度長居していくのだと思って椅子を用意してある。
いつもなら菓子や、自習の際の相談事を持ってくるのだが……今日彼が目前に出したのは、紅い林檎の果実だった。
「見舞いに行くならまずこれだと厨房で教えられて……」
連日シホの喜びそうなものを探してか、シホが学食でお気に入りだと言っていたプリンなどをいそいそと届けに来ていた彼である。
話を聞くと、たまたま事情を聞かれた職員に話したところ、籠いっぱいの林檎を渡されたらしい。
「たしかに、昔風邪をひいたとき剥いてもらったような……」
祖母が枕元で、小さな紅い兎を作ってくれたのを思い出す。
その話をするとミリウスは意気込んで、『わかりました』とフルーツナイフを手に取った。
(剥いてくれるんだ……)
正直驚いたものの、その慣れない手つきを見るのは面白かった。
当然王子殿下には、林檎の皮を剥く機会などなかったのだろう。見様見真似でおそるおそる皮を剥いてゆく姿は、危なっかしいようで微笑ましい。
くるくると林檎が回転し、不器用な紅い縞の残る果実が完成した。
「これを切り分けて、兎型に………………」
そこまできて、ふと気づいたのだろう。
ミリウスの手がぴたりと止まった。
「うさぎ型……?」
完成形を知らないのだろう。残念なことに彼は、すでに手遅れになってしまっていることに気づかない。
すっかり紅い果皮をぐるりと剥がされてしまっている実を指差して、シホは『そのままでいいよ』と引き取った。
林檎とナイフを受け取ると、簡単に切り分けて、皿に並べる。
彼の不器用さと誠実さが垣間見える、少しだけ不格好な林檎だった。
「ありがとう」
言って、果実を口に運ぶと頬張った。
口の中いっぱいに優しい甘さの瑞々しさが広がる。
少しだけ乾いていた喉に、それはとても清涼な潤いを運んできた。
「美味しい」
ぱくりぱくりと、本当に怪我人なのかと疑うような旺盛な食欲で林檎を平らげると、ミリウスは満足そうに笑みを深めた。
「じゃあお礼に、私からきみにプレゼントをしてあげる」
ニッと笑って、今度は彼からもう一つ林檎を受け取る。
「兎型っていうのはね~」
さくさくと、手際よく、けれど彼に見えるようゆっくりと紅い実を剥いてゆく。
初めに切り分け、芯を落とし、次にぐるりと皮に沿ってナイフを入れ、余分な紅を切り落とす――――……。
「できた!」
そこには手のひらにちょこんと乗るサイズの、小さな紅い耳の兎がいた。
「どう? 上手いもんでしょ」
慣れればあまりに簡単な工程であるものの、初めて見たのか目をきらきらとさせている青年を前に、つい得意げになって手を突き出す。
ミリウスは初めて目にする生き物を見るように、しきりにその姿を観察していた――……。
「……ええと、そろそろ食べてもらえると嬉しいかな」
さすがに林檎一つでここまで得意げになっているのも恥ずかしくなってきたシホは呟いた。
せっかく美味しい林檎なのだ。変色して味が落ちてしまってはもったいない。
目の前に揺れる紅い兎を手に取って、おそるおそるミリウスはそれを口にした。
「…………美味しい」
「ん」
シホは満足して、もう数匹兎を生み出すべく作業を再開する。
夕陽の射し始めた部屋に、ゆっくりと時間が流れてゆく。
彼にねだられるままに、紅い兎を幾匹も切り出して、他愛ない話を終えるころにはすっかり日が沈んでいた。
そろそろ夕食の時間だ。
帰らなくてはならない。
名残惜しそうに振り返る彼に、シホはゆっくりと手を振る。
「またおいで」
いつでも、彼らが来たいと思ったその時に、そっと立ち寄れる場所を用意できればいいな――。
そんなことを思い、シホはそっと目を閉じた。




