第15話 校外演習 3
拘束結界が破れた直後、すぐさまシホが放ったのは初歩的な氷結魔法だった。
冷気で生み出した氷の槍を、黒竜の両眼目がけて左右同時に打ち込んだ。
もちろん、氷結の際に発生した靄を利用し、黒竜の視界を奪った上での攻撃だった。
しかし、黒竜はさすが上手だった。
冷気の密度か空気の振動で読んだのか、素早く後方に身を退くと、右眼に飛来した氷槍を叩き落とし、左眼に飛来した氷槍を、竜の代名詞ともいえる胸元の炎袋から吐き出した火炎で瞬時に蒸気へ変えて消し飛ばした。
位置取りを素早く変えながら、シホは無言で観察する。
(さすが竜……だけど黒竜なら、まだ勝算はある)
ほかの竜と違い、黒竜は地竜の一種だ。背に生えた翼は退化し、浮力を生み出すだけの力はない。
魔法に類する能力も、竜特有の火炎放射くらいで、ほかの物質や環境を操る能力は持ち合わせていない。
大型竜のなかでは唯一、単機戦でも勝算の可能性がある部類といえる。
(不幸中のなんとやら……ねっ)
間髪入れず繰り出された竜尾による殴打をすり抜けて、さらにシホは位置を変える。
――とりあえずこれで、竜の標的が私に定まった。
危険判定の最高序列に収まったことで、竜がミリウスを狙うことはないだろう。
いくら防壁結界といえど、同じ場所を繰り返し攻撃されるとさすがに弱い。
実際の攻城戦なら攻撃を受けている最中に補強できるが、今はその時間も余裕も材料もない。
だからなるべく攻撃をシホ自身に集中させ回避していく方向で対処するしかない。
ミリウスの安全がひとまず確保されたことで、思考が静かに切り替わってゆく。
静かに、ひたひたと、忍び寄る冬の冷気に冷やされてゆくように、研ぎ澄まされていく。
体が、ただ一つの目的のために動く道具へと切り替わる。
どうすれば対象の機能を破壊し、停止させられるのか。
そのためにどこまで自身の損害を許容できるのか。
感情も、躊躇いも、何もない。
極限まで単純な、事実のみに還元された思考が、目標を達するための計算をめまぐるしく繰り返す。
シホは右手を振り上げた。
同時に、三重連環の魔方陣を起動。紫電が、天空から降り注ぐ。
同時に駆け出して、黒竜の脇へと滑り込む。
巨獣の、それも鋼鉄に等しい外殻を持つ個体の討伐には、弱点部位ともいえる稼働関節部の破壊が基本――。
その鉄則に則って滑り込んだ脇下に、剣を打ち込もうとしてシホは直前で飛びすさった。
直感で、無意識ともいえる動作で、物理障壁を起動。
同時に対ショック体制を取る。
その判断は間違ってはいなかった。
シホが懐に飛び込むや否や、雷撃の直撃を受けたはずの巨体は、その太い尾を振り回して、懐に飛び込んできた獲物を打ちのめした。
シホは吹き飛ばされ、したたかに地面に体を打ち付ける。
それでも、なんとか受け身を取って立ち上がった。
――甘かった。
咄嗟の判断で防御したから間に合ったものの、あと数瞬遅れていれば、骨まで粉々に砕かれていただろう。
額から流れ出る血を拭いながら、シホはその血を振り払った。
(抜かった――黒竜の特性はわかっていたはずなのに。雷撃で気ぐらいは逸らせると思ってた)
黒竜の特性。
それは竜に共通する鋼鉄に比する超高硬度鱗に、全属性の魔法に対する絶対耐性。
自身が魔法を操らない代わりに、ドラゴンいちの防御性能を誇る。それが黒竜だ。
(それでも討伐隊で倒したときは、魔法も囮の役割くらいにはなったのに)
あくまであれば、複数人の脅威が周囲にあってこそのことだったのだろう。
ちっぽけな人間一人が策を弄して突っ込んだところで、竜にしてみれば力尽くで叩き潰せばよいだけらしい。
黒竜は、力に任せて、周囲の木々ごとシホを薙ぎ払う。
結界の内側に含まれていた森の木々が、黒竜の一撃を受けてあちらこちらで倒れていった。
粉塵の舞う広場で、シホは静かに黙考する。
――邪魔ね、あの尻尾。
厄介で、あれだけは先に切り落としたい。が、手段はない。
ならば――――。
「木々よ!」
シホにしては珍しい口述呪文。それを高速で詠唱すると、広場の大地の中から馬の首ほどの太さの根が飛び出した。
複数本が絡まり、より太い根と化したそれが、黒竜の尾に絡みつく。
「肉が切れず、外皮も傷つかないなら――――内臓を叩く」
シホは右手を力強く振りかざす。
その動きに合わせて、魔法書が瞬き、その紙片が貼り付いた倒木が、ふわりと宙に舞い上がった。
「潰せ!」
短いかけ声とともに振りかざされた拳に合わせ、巨木の塊が巨大な大槌となって黒竜の巨体に襲いかかる。
それは鈍い音を立てて何かを潰し、怒り狂ったように黒竜が暴れ出した。
拘束していた尾が木の根を紙切れのように引き千切り、鱗片を撒き散らしながら大地を穿つ。
立て続けに倒木で攻撃を続けようとすると、激高した竜は炎を吹いて木を焼いた。
「………………」
怒り狂う竜の攻撃を掻い潜り、シホは懐から金属製のピックを取り出した。
鉄針を握り締めると宙に撒く。
魔術の補助を使い、無軌道に誘導すると、竜尾の鱗が剥がれた部位に打ち込んだ。
すかさず、魔法を起動する。雷撃だ。
それはシホの思惑どおり、魔法に対する絶対耐性を持つ鱗を避け、シホが今し方打ち込んだ針に吸い込まれた。
黒竜が――痙攣する。
ぐらりと巨体が揺らめき、足下が崩れそうになり――
そして――――――……
踏みとどまった。
――地面が、揺れる。
沈黙し、口腔から白い煙を吐く竜は、あたりをぐるりと睥睨し――そして白煙の立ち上る尾を振った。
「――――――?」
一瞬、何の動作だ?と訝った。
緩慢な尾の動きに釣られるように視界を動かし――そして、
「……っ!!」
シホは一拍遅れて駆け出した。
移動速度の限界を絞り出し、障壁魔法を展開しながら、滑り込む。
滑り込む直前、障壁魔法にすさまじい衝撃が打ち付けられた。
同時に、自身の腹にも重い衝撃が駆け抜ける。
「――――――っ」
酸素をすべて肺から叩き出されるような鈍い衝撃。
遅れて届いた痛覚の悲鳴を、奥歯を噛み潰さんばかりに食い縛ることで踏み止まった。
(息は――――大丈夫。できる)
ギッと、目前の黒竜を睨みつける。
(そうだ、こいつは『竜』。『知能のある獣』だった……)
軽んじていた。甘くみていた。油断していた。
(『弱点』を……狙う獣だった)
魔術師を潰すには、まずその口か肺から。
呪文の唱えられない魔術師はただの肉でしかない。
呪文を唱えなくとも魔術を使う魔術師には、『それ以外の弱点』から――……。
背後の対攻城戦用の防壁結界が震える。
(大丈夫だ。これは生半可な攻撃じゃ壊れない――)
わかっているのに。理解しているのに。
けれど『そこだけを狙われたら』――ひとたまりもない。
防壁結界を挟んで背後にかかえたミリウスの前に立ち塞がると、シホは細く熱い息を吐いた。
(あの竜、わかってる……)
シホがここを動けないだろうことを。
ここを狙えば、ちょこまかと回避行動を取る虫も、留まって防御に徹するしかないことを。
(雷撃で、目が覚めたか)
目覚めた途端、周囲の状況を確認し、『シホの弱点』を見つけると、すかさずそこを目がけて辺りに散らばった木片を撃ち込んできた。
頭の回る、嫌な獣だ。
黒竜は立て続けに攻撃を打ち込む。
尾で、爪で、炎で、その巨体で。
シホが展開する障壁を破らんと、いや障壁ごとシホを押し潰さんとばかりに絶え間なく攻撃を与え続ける。
(…………マズい)
この至近距離では、雷撃魔法も竜のみならず、シホにも被害をもたらす可能性がある。
炎なら? 風なら? 氷なら? 地属性なら?
なんならすべての属性魔法を同時展開して、黒竜の絶対耐性と根比べをしてみようか。
どこかの研究で、黒竜の鱗片は魔法攻撃の属性に応じ、その組成を変化させているとの論文を読んだこともある。
ありったけの魔法で、あいつの背中を嬲ってやろうか。
「先生…………」
震える背後からの声に、ハッと頭の中が冷えた。
振り返ると、あのミリウスが青い表情のまま、うっすらと瞳に涙さえ浮かべて結界に縋り付いている。
そうだ、自分は守ると誓ったのだ。
彼を。
この手で。
誓った以上は、それは守ってあげなければならない。
なぜなら、
大事な生徒との、約束だから。
ぐっ、と腹から迫り上がる悲鳴を押し殺すと、シホは努めて明るく笑った。
「大丈夫。大丈夫よ。まぁ、安心して見てて。 一番の、特等席で」
ニッと、不器用に微笑みかけると、シホは胸を叩いて気合いを入れ直した。
(竜が私の嫌がることをしてくるなら――あいつの嫌がることをしてやればいい)
なんとも意地の悪く頭もよくない回答だが、それがシホの答えだった。
魔法耐性がどうとか、いちいち検証している時間はない。
たとえそれが正解だとしても、シホの意識があとどれほど保つかもわからない。
ならば取る道は――――ただ一つ。
「悪い子には、鉄槌を落としてあげなきゃね!!」
出せる限りの属性魔法を展開。障壁結界も補強。
潰される虫の最後の抵抗を演じる。
それに、気づかれないように。
意識が落ちる。いや、落とさせない。
腹を叩いて、体中を駆け巡る痛覚という名の危険信号で意識を繋ぎ止める。
口の中に広がる血の味が、いっそ愉快でさえある。
やってやる。
絶対に、シホの大切なものに爪をかけた以上、絶対に、許さない。
黒竜の吐く火炎が、一層その驚異を増す。
いくら防壁結界といえど、シホの追加障壁がなければ、ここまで執拗に嬲られればきっと危うかっただろう。
(けどね――――――そこまでよ)
薄れゆく意識の中で、念じる。
高く。
高く。
もっと高く。
もっと高いところまで。
空に、太陽に届くまで――――。
残る力の限り、それを高く掲げ続ける。
障壁に、亀裂が走った――。
追加でかけられる障壁呪紋は、もう、ない。
重ねがけできる呪紋が潰えた今、自分はただの普通の魔術師だ。
黒竜に単機で挑むなんて狂気の沙汰――……。
けれど、引き下がれないことも、ある。
不敵に、笑う。
黒竜を、睨み据える。
天を、仰ぐ。
そのきらめきに、目を眇めた――。
「落っっちろおぉぉぉぉぉぉっ!!!」
声の限り、叫んだ。
肺から絞り出す空気にさえ、魔力を込めて。
ここに、ここに落ちてこい。
ここに。
シホの願いを聞き届けたように、それは、天空から落ちてきた。
天空から振り下ろされた一本の槍のごときそのきらめきは、両腕を掲げ炎を撒き散らしていた竜の背に突き刺さった。
深々と、その臓腑を抉って。
ごぽり、と、竜の吐く炎に彼の体液が混じった。血か、胃液か、判然としない赤黒い透明な液体が、止めどなく溢れて炎に焼かれて蒸気を出す。
掲げられていた鋭い爪を有する両腕がゆっくりと落ち、最後まで宙を彷徨っていた尾もまた、大地を砂煙とともに揺らし、沈黙した。
黒竜の輝かんばかりの黄玉の瞳が、白く、白く濁ってゆく。
黒竜を天から穿った大木が――その先端に打ち込んだ、生徒たちが放り出していった無数の剣が――確実に巨竜の内臓を破壊したのを確認して、シホはフゥーッと、細く長い息を吐いた。
最後に竜の命ともいえる、心臓の魔核を取り出して、確実に絶命したことを確認する。
「よっしゃ、終わり!!」
パン、と盛大に両手を打ち鳴らして、待ちぼうけを食らっていたその人に向き直る。
彼は、驚愕に見開いた目を、その綺麗な空色の瞳を濡らしていた。
「ね、大丈夫だったでしょ?」
攻城戦にすら耐えうると謳った防壁結界を解くと、今度はミリウスの身を守るため張っていた障壁結界を解く。
これで彼は自由だ。
もとからこの場を離れようと思えば離れられるようにしていたけれど、そうしなかったということは、幾分かはシホを信頼してくれたということだろう。
その感情が嬉しくて、シホはにへらとだらしなく笑う。
「ほらほら、大丈夫だったんだから、安心して…………」
ミリウスの綺麗な瞳から流れ出る涙は、止まらない。
それどころかより大きな粒になって、はらはらと零れ落ちる。
「え!? あ、えっと、えーっと……!!」
咄嗟に、気づいたときには抱き締めていた。
「大丈夫、大丈夫。もう全部、終わったからね……」
それしか知らなかった。
酸素や魔力を消費しきった頭に浮かんだのは、唯一かつて自分がされて嬉しかったことだけだった。
無茶な訓練で怪我をした帰り道、師匠がこうして背を撫でてくれたのを覚えている。
それがたまらなく嬉しくて、安堵したのを覚えている。
「大丈夫、だいじょーぶ……」
何度も背を撫で、語りかける。
「何度怖い目に遭ったって、私が守ってあげるから」
ぐっと、背に熱く添えられる手のひらを感じた。
金糸に縁取られた整った輪郭が、シホの首筋に落ちてくる。
シホの首筋に額を押しつけて、彼は何度も頷いた。
(この子が無事でよかった……)
ゆるりと彼の背を撫ぜながら、シホはゆっくりと目を閉じる。
そしてふっと、吸い込まれるように意識を手放したのだった――――……。




