第14話 校外演習 2
施設側から受けていた説明どおり、林道を進んだ先には広場があった。
周囲を木々に囲まれた、それなりにひらけた土地である。
たしかにここなら、魔物をおびき寄せて戦闘を行うのに打ってつけだ。
シホは生徒たちに戦闘準備をさせて下がらせると、懐から小袋を出す。
中から取り出したのはよく熟れた艶やかな橙色――クグの実だ。潰すと甘い香りが充満し、その実を好む魔物が集まるという。
あらかじめ施設側から手渡されていたそれを握り締めると、シホは高く空へと放り投げた。
広場の中央に、朱い夕日色の実がぐしゃりと潰れ、辺りに甘い匂いを漂わせる。
「大丈夫。みんななら上手くやれるよ」
武器を持つ手に緊張の走る彼らにいつもの笑みを浮かべると、シホはガサリと音のしたほうの茂みを振り返った。
「ほら、早速来た――」
茂みからは、巨鳥型の魔物が飛び出してきた。
が、様子がおかしい。
飛翔こそできないが、翼を打てば子馬程度なら弾き飛ばせるその羽を振り乱して、一目散に広場を駆け抜ける。
クグの実も生徒たちも、全く眼中にないといわんばかりの有り様だった。
「…………?」
生徒たちはこれでよいのかと、仲間と顔を見合わせる。
(クグの実は広く魔物に好まれる餌だったはず……)
それが眼中になく、敵となり得る人間にさえ目をくれない。となると――――シホの思考が瞬時に切り替わる。
「みんな、下がって。林道のほうにゆっくり戻って」
生徒たちと巨鳥が飛び出た茂みの間に立ちはだかるように位置取ると、シホはゆっくりと生徒たちを林道へと押し戻す。
「先生……?」
誰かが不安げに呟くなか、シホは魔法書にゆっくりと指を滑らせる。ふわり、と暖かな風が地面から立ち上った。
きらきらと光の粒子が辺りを舞う。加護の魔法だ。
それらが生徒たちに吸い寄せられていくのを確認して、シホは再度森の中に神経を研ぎ澄ました。
(――――――)
頭が高速で回転する。
周囲の状況を確認し、これから起こりえる全ての事態を想定する。
想定が一つ浮かぶたび、対抗する術を得るため、視界は再度周囲のあらゆる情報を洗い出した。
重い、地響きのような足音が響いた。
――『足音』。
そう、『足音』だ。これは。
重く、腹の底に響くように、立て続けに鳴り響く振動。
この場に轟くはずのない、鈍い響き。
ここではない『別の場所』で、かつて『仲間たち』と聞いた重い響き――……。
森が、割れる。
ミシリ、ミシリ……と樹々を押し倒しながら、それは現れた。
――黒竜。
地の底を割って生まれ出たと思えるような鈍色の黒い獣が、森の奥から現れる。
黒龍は、辺りを睥睨する。
そして蒸気のような鼻息を吹き出すと、口に加えていた『モノ』を改めて咥え直した。
フギッっという短い悲鳴を上げた猪型の魔獣が黒竜の口の中で軽々と踊る。そして次の瞬間、ぶちりと肉と骨が切れる音と共に猪の首が落ち、辺りに生臭い血の臭いと湿気が広がった。
シホは立て続けに二つの魔法を起動する。
索敵、そして拘束結界。
即座に周囲の同型巨獣の有無を確認。
中型以上のドラゴンの場合、群れを成して行動することはまずなく、周囲に獲物となる他の魔獣も寄りつかないが、絶対はない。
最大脅威となり得る魔物がこの黒竜だけであることを確認すると、シホは時間稼ぎにしかならない拘束結界をさらに強めた。
「いい、みんな。振り返らずに林道を戻るのよ」
黒竜に注意を向けたままそっと背中で語ると、短く続けた。
「走って!!」
鞭を打たれた馬のように、それまで呆然と黒竜を見上げ震えていた生徒たちが、我先にと一目散に駆け出した。
「きゃっ……!!」
一人の女生徒が転倒する。立ち上がろうとするが、足が地面を捉える直前に再び地面に崩れ落ちる。足を痛めたらしい。
大きな瞳に涙を浮かべて震える生徒に、シホはその場に留まっていた他の生徒の名を呼んだ。
「ラスティン」
びくり、と。剣を構えその柄を握り締めていた青年がこちらを向く。
「あなたなら、その子を抱えて走れるよね」
――彼ならそれができることを、シホは知っていた。
他ならぬ自分が誤って怪我をしたとき、彼に運んでもらったからだ。その広い背中のたくましさを、よく、覚えている。
「っでも先生、先生は戦うんだろ!? なら俺も――」
「邪魔よ」
シホはぴしゃりと遮った。
「あなたたちを守りながらは戦えない。負担が大きすぎる。足手まといよ」
ラスティンの反論を許さず、再度含むように言い聞かせる。
「あなたは人を助けられる。あなたはその子を運んで、助けを呼んでくるの」
ぐっと言葉を飲み下すラスティンの後押しをするように、シホはもう一人その場に留まっていた生徒の名を呼んだ。
「ファビアン」
その場に留まり、どう行動するのが最良なのか逡巡していた生徒が振り返る。
「ラスティンに付いてあげて。さすがに人一人背負って基地まで走るのは無理がある。だから走りながらあの子の怪我を治してあげて」
ファビアンは、シホと、竜と、仲間たちと。
それらを一度ずつ見比べて『行くぞ!』とラスティンたちを引きずった。
……そうだ。ファビアンは絶対に選択を間違えない。
一時の感情に流されて、選び取るべき道を間違えない。
彼はいつだって『最善の正しい道』を選び取る力がある子だ。
生徒二人が走り出したのを確認して、シホは残された最後の生徒に語りかける。
「ミリウス、あなたも行きなさい。あなたの役目は、皆をまとめ導くことよ」
呆然とその場に立ち尽くしたようにも見えるその生徒は、頑なにその場を動こうとしなかった。
「ミリウス……?」
拘束結界が解けるまで時間がない。
が、隙を見て沈黙するミリウスに向き直る。
覗き込んだ彼の顔は真っ青で、思い詰めたような顔をしていた。
「ミリウス。逃げてもいい。誰もあなたを責めたりしない――」
責任感の強い彼のことだから、それを気にしているのかと思ったが――……違う。
その姿は、もっとほかに似ているものがあった。
そう、何か――ほかに言葉を探すなら――……。
前にも、後ろにも進めない。どこにも行けない。
迷子の子供のような姿をしていた――……。
「…………わかった」
シホは諦めたように温かい息をついた。
「あなたが逃げたくないなら、そこにいていいよ」
ぽんぽんと、うなだれ低くなった、普段はうんと高いところにあったはずの綺麗な金糸の髪を梳く。
「あなたくらいなら、私がちゃんと守ってあげる」
だから案ずることはないと、とびきりやさしく頬を撫でた。
「大丈夫だから。そこで見てて。…………ただし、」
一歩、一歩と、ゆっくりと後ずさり彼から距離を取る。
「絶対に、そこから動かないでね」
くるりと身を翻す。
竜と対峙し直したころには、腰に吊り下げた魔法書が激しく振動し拘束結界の限界を告げていた。
結界の破綻を予感する数秒前、シホは新たなる魔法を起動する。
魔法書がばさばさと音を立て、天空に巨大な光の文様を描き出す。
「――防壁結界。起動」
風に掻き消されそうな低い呟き。
それと同時に、広場を取り囲むように分厚い三重の光の壁が立ち上った。
シホの手持ちのなかで最強ともいえる防壁結界が、自身と竜を取り囲むように広場とそれ以外を遮断する。
防壁結界の外にミリウスが隔離されたのを確認して、シホはとりあえず安堵の息をついた。
(この結界があれば、とりあえずミリウスに被害は及ばない)
元々は対攻城戦用の防壁結界として作成していたものである。
あらゆる攻城兵器と魔法に耐え、何ものもその間を通さない――。そう組み上げ、3年がかりで魔力を注ぎ込んだ力作だ。
(絶対にここは通さない。ここでこいつを始末する――)
この防壁結界のなかで、今ここで、この竜は倒しておかなくてはならない。
結界を解けばすぐにでも、奴がほかの区画にいる生徒たちのところへ行きかねない。
たとえ竜だけ結界の内側に隔離したとして、戦力になる応援が来るまで隔離し続けられるかどうか――。
初歩結界も満足に管理できない施設だ。
おそらく黒竜レベルの魔物と実戦経験のある兵など皆無だろう。
ならばむしろ足手まといでしかなく、王都や地方軍の応援を待つには、支援物資のないこの状況で、この大規模結界を維持し続けられない――……。
結論は、ひとつしかなかった。
ここで、自分が、やるしかないのだ。
決意を固めると、再度念のためにミリウスに単体の障壁結界を重ね掛ける。
(結界の大安売りね……)
結界術に自信があるとはいえ、あとどれほど有効な結界が残っているか……。
呪紋の残数を脳裏で数えながら、自身には反応速度、身体能力向上、移動補助の呪紋を重ね掛ける。
一つで弱いなら二つ。二つで弱いなら三つ。
(私はもともと魔力が強いわけじゃない)
一般的な魔術師よりは優れているが、それでも大魔術師と謳われた英雄に比べれば見劣りする。
だからその分を補うべく、数を掛ける。出力が足りないなら回数をかけて。魔力量自体が足りないなら、呪紋を利用して蓄積して活用する。
そうして今まで、数々の死線をくぐってきた。
(大丈夫。私はやれる――――……)
脳裏に、これまでのあらゆる実戦の記憶を思い起こす。
竜狩りとは、黒竜狩りとは、どんなものだったか。
そして、身を低くする。
拘束結界が破断する音がした。
長い、戦いが始まった。




