第12話 監督生ミリウスと気ままな猫 3
「これで……気づかれないものですか」
「大丈夫、大丈夫」
夜間、もうすぐ生徒たちが寝静まるという頃だろうか。
ミリウスとシホの二人は、学生寮の側の植え込みに隠れて、問題のファビアンの部屋の窓を睨んでいた。
「ここならまずバレないし、不探知魔法を使ってるから、まず大丈夫よ」
ファビアンの部屋の窓を睨んでかれこれ1時間。
夕食後からずっと覗いているが、特に変化は見られない。
「寮長の話だと、夜間に入口から出入りする学生はいないようだから、たぶんどこかの窓から出てるんだろうねー。幸いファビアンの部屋は1階だし。自室の窓からかな? ほかの窓にも探知魔法をかけてみたから、どこかには引っかかると思うんだけど……」
(本気だ……)
思いのほか、全力で調べにかかってきている。
それはミリウスが希望したことだが、子供のように楽しげな担任を前にすると却って若干退いてしまう自分に嫌気がさした。
(俺は正しかったんだろうか……)
自身で進めたことなのに、突如ファビアンに悪いことをしているような気がして罪悪感に苛まれる。
そんな後悔も、シホの声で一瞬で現実に引き戻された。
「ファビアンが出てきたよ!」
案の定、自室の窓からそろりと猫のように滑り降りる姿が見える。
乏しい月明かりのなかでは常人なら視認も難しいのだろうが、これもまたシホの魔法で不思議とよく見えるようになっていた。
「どこに向かうのかな」
呟きながら、シホは足音を消してファビアンを追尾する。
その靴音がまったくしないのにも、ミリウスは度肝を抜かれたが、シホはそんなことは眼中にないといったばかりにファビアンの動向に夢中だ。
「あ、講義棟の角を曲がったよ」
てっきり女子寮に行くと思ったが、どうやらそうではないらしい。逢い引きではないのだろうか。
「結構遠いね。でも正門や裏門とは違う方向だし、街に出るわけでもないのか」
ぶつぶつと呟くシホのとおり、ファビアンは宵闇に溶けながらどこかを目指す。
しばらく距離を開けながら後をつけると、突如ほんのりと明るい場所に出た。
――修練場だ。
隣の建物――おそらく職員棟だろう――から漏れる明かりで、十分に辺りのものが把握できる状態だった。
「………………で、どう?」
「自身の短慮な憶測に、我が身の浅ましさを恥じる思いです……」
ファビアンは、訓練していた。
夜ごと人のいない修練場で、誰の目にもつかない場所で、一心不乱に短剣を振っては、誰かを想定した打ち込み訓練をしていた。
(考えれば気づけることだったじゃないか――……)
ファビアンは努力を嫌う人間だ。
正確には、人前で努力する姿を見せることを嫌う人間だ。
何かを得ようという人間が、努力なしに得られることはない。その努力の量が人によって異なるといえ、人はみな少なからず何らかの努力をしているはずだ。
それなのに、どうしてファビアンがそれをすることを考えていなかったのか――……。
「なかなか、いい剣筋じゃない」
普段は見せることのない汗を迸らせながら、一心に剣を突く姿は、人目を引きつけるものがある。
そしてその剣もまた、いつかどこかで見た覚えがあるようなものだった。
「あれは……先生の剣筋ですか」
「そうみたいだね。よっぽど気に入ったのかな」
確かにファビアンの獲物は短剣だ。同じ獲物を扱うシホは、よい手本となるだろう。
嬉しそうにシホが見守る先で、何も知らないファビアンは、思いどおりに動かない短剣に苛立ちながらも、なんとかその技を習得してやろうと試行錯誤を繰り返している。
「私が……愚かでした。ファビアンのことだから、きっと危ないことをしているのだろうと憶測して」
「それだけ心配だったんでしょう? 悪いことじゃないよ」
「でも、友人を疑ってしまった」
「違うよ。友人を案じたんだよ。助けようとした。きみはファビアンのいい友人だよ」
「………………っ」
月明かりの中に浮かぶ先生は、満足そうに微笑んでいる。
何も問題ないと、すべて良いものだったと、責めることも労を掛けられたことを厭うこともなく、ただ満足げに微笑んでいる。
「ありがとうございます……」
監督生として、気負っていたのは自分だ。
仲間を助けなくてはいけないと、誤った道なら正さなければならないと、無意識に構えて周りを見ることもせず、思い込んでひた走って。ただ立ち止まって、人を見ることをすればよいだけだったのに。
「きみはいい生徒だよ」
熱くも温くもない、ちょうど心地よい音が耳から滑り込んで胸に落ちる。
これだけで、今日の失態が洗われてゆっくりと眠れそうな気がした。
「お騒がせしました。失礼します。……また明日、よろしくお願いします」
なるべく丁寧に、礼節に感謝を込めて。
踵を返して、自室へと向かう。
(明日、ファビアンに謝ろう――……)
そう心に誓って、監督生 ミリウス・ウィルテシア・ヴェルトリンガムは、夜のなかをひた走った。
*
「…………で、ファビアン」
ミリウスの立ち去った修練場で、シホ・ランドールは固い声で生徒を呼ぶ。
「気づいてるよね。魔法は解いてるんだから」
「……ちっ、なんだよ、あんたかよ」
あれからしばらくして、ファビアンの動向を見守っていたシホはあることに気づいた。
ファビアンが――――『見せる訓練』 をしているのではないかと。
初めは真面目に訓練しているのだと思った。
剣筋にも嘘はなく、そこには真摯な努力が見えた。
が、しばらくして――そう、ミリウスが帰ってしばらくしたあたりで、剣筋が怪しくなった。
止めどきを探しているような、迷っているような――怠惰な剣。
「せっかく見直しかけたのに」
「うるせー。知ったことかよ」
短剣を片付けると、ファビアンは修練場の端に立つシホのもとまで寄ってきた。さすがにここまで来て逃げることはしないらしい。
とりあえず適当なタオルを投げてやると、汗を拭いながら口を尖らせる。
「余計なことしやがって」
「ミリウスは、きみのことを心配してたんだよ」
「……余計なお世話だ」
「人の厚意は、もらえるうちが華だよ」
知ったことか、と口では吐き捨てるが、その瞳がどこか後ろめたいものを孕んでいるのに気づく。
「まったく、きみは正直じゃないね。本当に」
「お前に言われたくねー」
初めは余計な勘ぐりが鬱陶しかっただけかもしれない。それを撒こうと、今回のような策を企てたのかもしれない。
シホたちの尾行に手落ちはなかったはずだが、『尾行があるはずだ』と読んだファビアンのほうが一枚上手だったというわけだ。
「この練習も、完全な演技かな?」
「知るかよ」
「…………」
ということは、適当な嘲笑を向けられないあたり、全くの嘘というわけでもないらしい。
彼には『見られても構わない』ちょうどいい『口実』だったのだろう。
「夜間外出も男女交際も、聡いきみのことだから危ない橋は渡らないんだろうけど。周囲の人間が心配しない程度には、自制した行動を取ってくれると嬉しいね」
一応釘を刺したのは、保険だ。
生真面目なミリウスへ報いるためと言ってもいい。
「あんたは止めねーのかよ。教師だろ」
「まぁ、職務的には止めるべきなんだろうけど……」
ファビアンはそこらの貴族の子息令嬢とは違って、十分自立しているように見える。自立せずにはいられなかった、早熟した大人だ。
ただ、この学院にいるうちは、子供であり、紛れもないシホ自身の生徒でもある。
「夜に一人で部屋にいるのが退屈なら、書庫をおすすめするよ。それが嫌なら、私のところにおいで」
リースター寮に。
「話し相手くらいにはなってあげる」
いつも構ってあげられるわけではないけれど。
横に誰かがいるというのは、それだけで夜を紛れさせてくれるだろう。
猫のようなファビアンには、それくらいがちょうどいいはずだ。
心地よい夜風を浴びながら、遠ざかってゆくバツの悪そうな背中を見送る。
「本当に、ここにはいい子たちばかりだ」
目映い学園生活に当てられて、シホもまた人知れず笑みを漏らす夜だった。
次回、あらすじの「校外演習」です(長かった…!)




