第11話 監督生ミリウスと気ままな猫 2
その日の授業は、魔法学の授業だった。
座学が苦手なラスティンなどは眉間に皺を寄せて唸っていたが、授業に顔を出さないのではと心配していたファビアンは、一応きちんと席に着いているようだ。
昨年などは時たま姿を見せない日もあったが、今年に入ってからはそれがない。やはり今年早々のシホとの力比べが、彼に効いているらしかった。
いつも気だるげで退屈そうで、けれど実は密かに負けず嫌いであるところがファビアンの美点だと思うのだが、それすらも見抜いてあの勝負を持ちかけたのだとすれば、担任であるシホの洞察力は素晴らしいものだ。
いまも淡々と魔法学の講義を続けるシホに目を向けて、改めてミリウスは感嘆する。
「だから魔法を使う際は、必ず仲間と連携すること。そうすれば、詠唱中の隙も互いに埋め合えるからね」
教壇ですっかり教師らしく授業を進められるようになったシホが、ピッと元気よく人差し指を立てる。
「でも先生ー、仲間がいつもいるとは限らないだろ? そういうときはどーするんだ?」
「うん、ラスティン君、いい着眼点だね。そういう場合いくつか対応策があるけれど…………せっかくだから、答えのわかる人に答えてもらおうか。――ファビアン君」
「は?」
「わかるでしょ? 答えて」
「――チッ」
じゃあ気持ち悪い『君付け』はすんなよ、と前置きを置いてファビアンは答える。
「対応法は3つ。1、魔法以外の手段で間を繋ぐこと。ラスティン、お前の場合、剣とかだな。2、障壁魔法を使用しあらかじめ防御の策を講じておくこと。3、魔法に詠唱の長短を織り交ぜて、相手の感覚を騙すこと。詠唱に時間のかかる魔法を連発しておいて、隙だと思われたころに短時間詠唱の魔法をぶち込む。威力は高くなくてもいい。そうすれば相手は敵の詠唱時間が読めなくなって、必然次の魔法を警戒せざるをえなくなる。安易に攻撃できなくなるって寸法だ」
すらすらと流れるような回答に、クラス中が『おぉ…』とどよめくが、当のファビアン本人は面倒なのか窓の外を向いて知らん顔だ。
「そうだねファビアン。百点の回答だよ。あとは……すごく単純な話だけど、回避に徹するというのも有効だよ。物理的に距離をあけられるだけでかなり意味はあるから、基本は遠距離からの攻撃を心がけること。できないなら遮蔽物の多いところから仕掛けること。あとは逃げ足を鍛える……とかも意外と重要だよ」
今年に入ってから突然導入された走り込みの授業は、生徒たちには大概不評だったが、それも意味のあることなのだとシホは強調する。
「長期戦に耐える体力と集中力は、まずは日常の基礎体力の向上からだからね。普段走らない子はキツいだろうけど、頑張って!」
げんなりとする生徒が多いなか、一人水を得た魚のようにラスティンのみがいきいきとしている。
「つまりは、走って走って走り込んで、先生みたいに剣で相手を倒しながら魔法をぶっ放せばいいんだな!」
「それ逆……いや、お前の場合はそれでいいのか」
「なんだよファビアン、先生だってそうしてるだろうが」
「あれはこの女が規格外……つか、そういやあんたなんでそんなに対人戦闘術極めてんだよ。もしかして本職は暗殺者か何か?」
口の端を吊り上げて、愉快そうにファビアンが問う。
「そうそれ! 俺も気になってた! 魔術師より戦士のが適正あるんじゃねーの?」
(さすがにそれはないと思うが……)
内心、自分も気になっていたことだけに、自然とミリウスの耳もシホへと向く。
彼女は『魔術の補助がなくなったら、さすがに私も筋力じゃ君たちに勝てないからね……』と苦笑いしながらも答えた。
「昔魔法を教えてくれた師匠の影響だよ。魔術だけじゃあらゆる場面に対処できないからって、気がついたら体術も仕込まれてた。まぁそのおかげでいろいろ役には立ってるんだけど……だいぶ無茶して覚えたから、皆には同様のことはおすすめしないかな」
「無茶?」
素直なラスティンが、お手本のように首を傾げる。
ミリウスもまた同様に疑問を抱いた。
「その……うちの師匠は何かとスパルタで……」
「で?」
「いたいけな少女相手に全力を出して骨を折ったり、魔法の的にしたり、ナイフ一本で狼にけしかけたり、卒業試験だとか言って人買いに売り飛ばしたり……」
「!!?」
聞き捨てならない文言がいくつも含まれる説明に、ミリウスは耳を疑った。
(市井の師弟間指導では『それ』は許されるものなのか……?)
どれも犯罪まがいの行為だが、先生はけろりとしているし特に訴える様子もない。
「あ、ちゃんと後始末はしてくれたから。怪我も治してくれたし、狼も群が襲って来たときは追い払ってくれたし、人買いに売られたときも後で全員退治してくれたから……!」
先生は必死に弁明しているが、それはつまり、本当に最後の最後の後始末をしただけで、行った行為に変わりはない。
これらをすべて少女時代に経験したのならば、『適正な指導』の感覚が狂うもの無理はないと思えた。
「だから、時々ちょーっとやり過ぎちゃうかもしれないけど。みんなには、安全に楽しく魔法を学んでもらいたいと思ってるの!」
教壇からクラス一同を見渡してシホは語る。
「授業のことでも、ほかのことでも、何か困ったことや相談したいことがあったら何でも言ってね。待ってるから」
教え子を――前途洋々とした後輩を持つのが嬉しくて仕方がないと言った風情で、シホは笑顔で語るのだった。
*
「この荷物は、準備室まで運べばいいですか?」
「ん? ありがとう」
休み時間、授業で使用した備品を片付けるというシホを手伝って、ミリウスは彼女と共に廊下を歩いていた。
「ごめんね、気を遣わせちゃって」
シホは申し訳なさそうに謝るが、大したことではない。
むしろミリウスには、彼女をつかまえてでも聞きたいことがあった。
「その……先生は、ファビアンをどう思いますか」
「?」
「ファビアンは、先生の授業となると真面目に耳を傾けているように見えます。ファビアンはおそらくあなたを気に入っている」
思ったままを口にすると、シホは目を丸くして、それから『うーん……』と唸る。
「気に入られているかどうかはわからないけど、たしかに授業で絡まれることは多いかな。ほかの子が礼儀正しいから、彼だけが目立つってことかもしれないけど」
「……先生は謙虚ですね」
ミリウスの目から見れば、間違いなくファビアンはシホに関心を寄せている。
それは気安さや、同じ平民同士といった価値観の一致もあるだろうが、圧倒的強者でありながらそれを振りかざさない姿にきっと好感を覚えている。
「ファビアンは有望な人材です。彼がどんな将来を選ぶにしろ、未来のウィルテシアにとってきっと良い影響を与える人間になる。だから、道を誤ってほしくないんです」
隣を歩く生徒が、何か大事なことを言おうとしているのを察したのだろう。
シホが真剣な眼差しでこちらを振り向いた。
「ファビアンのことで、相談したいことがある?」
「…………」
本当は、こんな告げ口のような形を取りたいわけではない。
けれど、昨年までも同様のことがあった。
ファビアンは、夜ごと部屋を抜け出し街へ繰り出すことがあったのだ。
その度にラスティンと協力して、彼の部屋の前で夜通し番をしたものだ。
幸いそのときは、それで軽挙も鳴りを潜めたが、あれを繰り返すにはあまりに周囲の負担が大きすぎる。
できれば学院内でも大きな問題になる前に、彼には落ち着いてほしいというのがミリウスの心からの願いだった。
「先生はご存じかもしれませんが…………」
口ごもりつつも、意を決して『それ』を告げようとすると、シホがゆっくりと瞬きをして首を振った。
生徒の言わんとする言葉を引き取って、彼女が代わりに口にする。
「ファビアンの家庭の事情、だね」
「はい……」
担任であるから、当然知ってはいるのだろう。
ファビアンが、平民であることを。
そして――――貴族の、伯爵家の庶子であるということを。
「………………」
他人の家庭の事情をべらべらと口にしたことに後悔の念が募る。
いくら主家であるとはいえ、軽々に口を挟んでよいことではない。ましてや他人に吹聴するなど品性に欠けることだ。
これでは、噂好きの小鳥となにも変わらない。
唇を噛みしめていると、ぽんぽんと柔らかなものが背を叩いた。
――シホだ。
自身も荷を抱えながら、空いた片手で
『気にするな』
とばかりに優しく生徒の背を叩いている。
葛藤の末の告白だっただけに、じわりと目頭が熱くなった。
「ファビアンは、伯爵家の庶子です。元々平民として暮らしていたのを、貴族の跡取り候補とするために無理矢理引き上げられた……この学院に入れられたのも、伯爵の意向だと聞いています。だから……」
「本人には、その気がないのかもしれない。か」
こくりと頷く。
ファビアンがどれほどここでの生活を重要に思っているかはわからない。
けれどここでの学びは、間違いなく彼の人生に役立つはずだ。
何しろファビアンは聡い。そして魔術の勘も良い。教わったことは何でも苦もなく身につけてしまう。
それだけの才能を持ちながら、危ない橋は渡ってほしくないのだ。
「ファビアンにはここより下町のほうが安心できる場所なのかもしれません。ただ、休日に出かける分にはいい。学内の規則に触れるような、危ない橋は渡ってほしくないんです」
夜間外出が知れたところで、即刻退学になるようなことはないだろうが、勧められることでないことには違いない。
「それに……いまのファビアンには、別の心配もあります」
元々、その兆候はあったのだ。ただ、それがここのところ顕著になっている。
「ファビアンは、女性に好意を抱かれやすい人間です。本人もそれを認めて、これまでも多くの女性がファビアンを訪ねてやってきました。ただ、だからといって、万一好ましくない異性交友をして、結果大きな問題になることがあったなら――」
「立場の弱いファビアンのほうが、ここを追い出される、か」
さもありなん、とシホは認める。
この学院は貴族が多く通う学校だ。正直、平民のほうが珍しいと言っても過言ではない。
クラスによってその比率は違うが、リースター・カレッジでは平民がファビアン一人であるように、声を掛ければどこかの貴族子弟にぶつかるのがこの学院だ。
そんな場所で、万一夜遊びの結果取り返しのつかない事態になったなら――……。
「貴族のお嬢さんに手を出して、それが親御さんにばれた日には……間違いなく、烈火のごとく憤怒した父親に、ファビアンは学院から追い出されるだろうね」
さすがにそうなってしまっては、担任でも庇いきれないのだろう。シホは『むーん』と目を閉じる。
「なんとか、ファビアンの素行を改めさせる方法はないでしょうか……」
「方法、方法ねぇ……」
うーん、と唸って、シホはぽつりと漏らす。
「事情はよくわかった。きみがファビアンを守りたいのもわかった。……ただ、本当にファビアンは、良くない行いをしているのかな?」
「?」
「それを確認してみてからでも、遅くはないんじゃない?」
シホはそっと人差し指を口に添えると、ニッと笑って目を細めた。




