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第10話 監督生ミリウスと気ままな猫 1


 窓から差し込む柔らかな陽光に、ミリウス・ウィルテシア・ヴェルトリンガムは、読みかけの本をパタリと閉じた。


 毎朝身支度を整えた後、時間を見つけては読書や簡単な書き物をするのが彼の日課となっていた。

 整理整頓された机の一角に、読みかけの本を仕舞いこむ。

 そろそろ、教室に向かう時間だ。

 部屋の片隅に設置された姿見の前に立つと身なりを検める。

 今日も装いに不備はない。

 隙一つなく着こなされた制服が、曇りのない鏡面に映り込んでいた。


「………………」


 鏡の中で、朝日を反射してきらりと輝くものが目に留まる。

 ――監督生徽章プリフェクト・バッジだ。


 この学院において、各寮で最も成績優秀かつ生活態度が模範的な生徒にのみ与えられる小さな徽章きしょう

 その輝きを撫でて、ミリウスは今一度背筋を正した。


(監督生……か)


 各寮を代表し、教師を助け、寮生を監督し、導く者。

 この徽章が与えられた理由の、本当のところを自分は知ることができない。代々王位についた者たちは、皆この役を担っていたと聞く。

 けれど、それでも――。


(この徽章に、恥じないようにしなければ)


 たとえこの役割が、自分の出自に由来するものだとしても、せめて後ろ指を指されないくらいには、正しい人間でありたい。

 ミリウスは目を閉じると、ゆっくりと瞼を開け、その毅然とした眼差しで今日も一歩部屋を踏み出すのだった。






 朝日の差し込む回廊を、大勢の生徒が歩いて行く。クラスメイトや知人を見つけては挨拶を交わし、ついて離れてを繰り返しながら目的地を目指している。

 そんな人波のなかを、ミリウスは静かに一人進んでゆく。


「ミリウス様、おはようございます!」

「おはようございます!!」


 方々から口々に挨拶が降り注がれ、その度にミリウスはなるべく柔らかな笑みを浮かべ言葉を返す。


「おはよう。いい朝だな」


 他愛ない言葉ではあるが、ミリウスが言葉を返すと、どこかのクラスの女子生徒が『ミリウス様にお返事もらっちゃった!』とはしゃいで友の輪に消えてゆくのが見えた。



 ミリウスは我が身を振り返る。


 ――我ながら、それなりに上手くやれてはいると思う。


 学院内でも王族という肩書きは消えないが、一人の学友として接してもらえるくらいには気取りがない人柄を演じてきたつもりだ。

 事実、自身がそれほど特別な存在だとも思っていない。たまたま、そういう星の下に生まれただけの、ただの人だ。


 しかし同時にこの立場が、自分の勝手な意思だけで軽々に弄ぶことが許されないものだとも自覚している。

 人であり、己であり、王族であれ――。

 自身に課した戒めを再度思い出しながら、ミリウスは回廊を進む。




 自然と人波が割れるのに苦笑しながら進むと、やがてそれは現れた。

 通い慣れた回廊の先に『彼ら』はいた。


「ねぇファビアン! いいでしょー?」

「そうそう、いっしょに街に行こうよ~!」


 回廊の柱の陰で、女生徒に詰め寄られているのはファビアンだった。

 見たところ女生徒側の顔には覚えがない。おそらく他学級なのだろう。

 ファビアンは眉を八の字に下げると、やんわりと彼女たちを押し返す。


「悪いな。今週は先約があるんだ」

「じゃあ来週!」

「来週は、あ~……課外授業、だったかな?」

「えぇ~~~~っ」


 彼女たちは不満そうに頬を膨らませる。

 が、ファビアンは慣れたもので、彼女たちの機嫌を取りながらその輪を抜け出してくる。


「また機会があったらな! 覚えとくよ、じゃあな~!」


 眩しい、今まさに人の誘いを断ったとは思えない輝かんばかりの笑顔で手を振ると、ファビアンは足早に人の流れに戻った。


「………………げ、王子」

「げ、とは何だ。げ、とは」


 彼らの様子を遠目から観察していたから当然といえば当然だが、元々同じ方向を目指していたファビアンと鉢合わせる。

 ファビアンのほうは見られたくない現場だったのか、明らかに顔を歪ませて不満そうだ。


「なんでいんだよ。王子様」

「学内だから当然だろう。しかも寮も学級も同じだ。当然同じ順路を辿って教室に着く」

「んなことはわかってんだよ。どうして今このタイミングでいるのかってことだよ!」


 口を尖らせて足早に、距離を引き離しにかかった彼に歩調を合わせる。


「は!? なんでついてくんだよ!」

「いつものことなのか?」

「は?」

「先ほど他学級の女生徒たちに誘われているように見えた。よくあることなのか?」


 ファビアンは見たとおりだが、容姿がいい。

 自身で『役者顔負けの逸材だろ』と豪語していたが、そのとおりで、市井の婦人に人気だという役者絵から抜け出してきたといっても過言ではない顔立ちだ。

 だからこそ、こうして女生徒たちに持て囃されるのも理解できなくはないのだが――……。


「女生徒たちと交流を持つのはいい。私にとやかく言えたことではないからな。だが、夜遊びは褒められたことではないな」


 ほどほどにしておくべきだと苦言を呈せば、彼は眉を吊り上げる。



「はっ、なんでもお見通しってか。さすが監督生サマ! ――けどよ、」

 彼は一段と声音を低くする。


「痛くもない腹を探られるのは、気分がよくねぇな」


 ふいっ、と顔を背けると、今度こそ本気で距離を引き離し、彼は廊下の先へと消えていった。



「………………」


 ファビアンには、2つの疑惑が上がっている。

 一つ目は、学院内外で数々の女性たちと二人でいる現場が目撃されていること。

 二つ目は、ファビアンが夜ごと部屋を抜け出し、どこかへ消えているということ。


(黙認……できることではない、な)


 いまの忠告で、態度を改めてくれるといいのだが……。

 万が一騒動に巻き込まれたとき、学院にいられなくなるのは立場の弱いファビアンなのだ。


(せっかくの学ぶ機会を棒に振ってほしくない――……)


 ミリウスはどうしたものかと頭を悩ませながら、無言で教室へと足を進めるのだった。




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