第103話 交渉
商館の閉ざされた執務室で、シホ・ランドールはぐっと拳を握り締めた。
目の前にいる男――エヴァンは鷹揚に、シホが口を開くのを微笑を浮かべて待っている。
躊躇ののち、シホは何とか言葉を絞り出した。
「返済を…………待ってほしいのです」
シホが今日この場所を訪れた目的は、借金の返済期限の延長だった。
「理由は? それくらいは説明してくれるよね?」
「……友人の、最期の願いを叶えるためです」
――数日前、シホはかつての戦友ジークの墓参りに行った。
その際に、彼の最期の願いを知る機会があったのだ。
共同墓のある敷地に入るために訪れた魔法研究院の受付で、帰り際、たまたま気づいた職員が教えてくれた。
彼が残した最後の言葉――――『遺言』の内容を。
「調査隊の人間は、皆、遠征前に遺言書を書かされます。そこに彼はこう書いていました。――――『自分の死後残った金は、孤児院にいるとある人物の治療費に使ってほしい』と」
その人物とは、かつての仲間――アマンダの妹だった。
アマンダは彼女の治療費を稼ぐために、調査隊に籍を置いていたらしい。
それをジークもどこかで知ったのだろう。
だから死後の金の使い道として、共に戦った仲間の助けになる道を選んだ。
死してなお仲間に尽くす――なんとも彼らしい選択だった。
「だからこそ――彼らに恩義のある自分が報いるべきだと思ったのです」
ジークは元より、アマンダにもシホは借りがあった。
彼女は、自分とジーク、二人を逃がすために身代わりとなって死んだのだ。
彼女の命の代わりに生き延びた自分は、彼女の願いを、それを引き継いだ彼の願いを叶える義務があるはずだ。
幸いくだんの少女の治療費はあとわずか。自分がいくらかまとまった金を出せば、専門の治療が受けられるらしい。
アマンダとジークが繋いだ道。それを自分が絶やすわけにはいかない。
それを聞いたときに、シホの選択はもう決まっていた。
すぐさま別の商会へと向かい貯めていた金を引き出すと、都のはずれにある孤児院あてに送った。
これで彼らが報われるならそれでいい。後悔はない。
が、問題は溜めていた金がなくなってしまったということだ。
元々は自身の借金返済用に溜めていた金だ。
すぐさま生活に困るようなことはないが、それでも返済の計画が滞ることは避けられない。
事情を説明すると、エヴァンはふむと考える素振りを見せて――――。
「駄目だね」
きっぱりと期限延長の依頼を却下した。
「僕たちにはまったく関係のない話だ」
それはそうだ。完全にシホの個人的な事情なのだから。
(期待していなかったといえば噓になるけど……)
そうなると今後の身の振り方を考えなくてはならない。
返済期限は来年だ。今のままではまったく資金が足りない。
「僕たちが貸した金は、本当に返してもらえるのかな?」
「それはもちろん…………」
「調達の方法は? 返済期限の延長を懇願する身で一体どんな計画が?」
「う…………」
本当は期限を延長することで、ゆっくり方策を練るつもりでいた。時間さえあれば用意できない額ではない。
が、期日が変わらないとなれば話は別だ。
残された手段はひとつ――……。
「調査討伐隊に……復職します」
今年は無理だが、いまの生徒たちが卒業したあと――それからでもまだギリギリ間に合うだろう。
リド―長官の言うように隊長職を引き受け、より難易度の高い任務をこなしていけば、返せない額ではない。
そう言うと、エヴァンはシホのことをじっと見つめ…………ハァ、と盛大な溜め息をついた。
「きみは……自覚があるのかな?」
スッと一歩踏み出し、シホとの距離を静かに詰める。
踏みしめられた床がギッと鈍い音を立てた。
エヴァンはその冷たい瞳を眇め、そっとシホの肩に手の平を置く。
「きみはね、僕たち商会への『担保』でもあるんだよ? きみが死んでしまっては、僕たちは損失以外の何ものにもならないのだけど」
エヴァンは頭を低く下げて耳元で囁く。
「それを僕がみすみす許すと思うのかな?」
「…………」
「他人に優しさを見せる前に、まずは僕への誠意を見せてもらいたいものだね」
――――反論のしようがなかった。
「僕としてはきみに借金を完済する気がないのなら、ここで諦めてもらっても構わないよ」
「!」
「きみには今まで順調に返してもらっていたし、この先無理をして死なれるくらいなら、ここできみを担保としてもらったほうが都合がいい。そうすれば僕は妻を得て、きみは生き延びる。双方に十分利のある選択だ」
シホを妻に迎える。その選択を当然のように語るエヴァンにシホは驚きを覚えた。
(昔はあれほど毛嫌いしていたのに――――……)
8年前。まだ十代だった彼に突然押しつけられた花嫁候補。
その小汚い子供を見て彼は、露骨に顔をしかめたのだった。
『どうして僕が、こんな色付きの――』
そんな心の声が聞こえてきそうな表情に、いくらか傷つき恐れを抱いたのも事実だった。
それが8年。時を経るうちに彼も変わったらしい。
その目には、欲望の炎が燃えていた。
自身で店を回すようになって気づいたのだろう。
魔術的血統の価値と、シホが持つ『呪紋』の魅力に。
そういえば先代は、たびたび師に呪紋について教えを請うていた。
師は端から相手にしていなかったが、それでもそこに、先代は莫大な利益を見出していたのだろう。
シホ自身を担保に差し出すという条件で借金を快諾した。
(そしてその価値に――――エヴァンも気づいた)
彼の瞳に宿る欲望の炎。そしてそこから滲み出る野心が、それを物語っていた。
「考えてもごらん、シホ。この国にきみの伴侶になってくれる相手はどれほどいるのかな?」
「っ……」
「きみに価値を見出すのはどうせ僕と同類の人間だ。それも僕より遥かに年嵩の――――そんな男の妻にはなりたくないだろう? きみも」
「………………」
「僕で手を打つんだ。そうすればきみに不自由のない生活を保障しよう。命をなげうつ必要もないし、きみの両親にだって楽な老後を提供できる。いいことずくめじゃないか」
脳裏に老体を押してシホのために働いてきた祖父母の姿がよぎった。
「僕を選ぶんだ。シホ。そうすればきみは全てから解放される――」
解放。
何故かその言葉はとても魅力的だった。
しかし、
「まだ、返せないと決まったわけじゃ……」
シホがそう反論すると、それまで熱くシホを見つめていた瞳が、急速に温度を失った。
「……返す? どうやって?」
低い声音が耳を刺す。
「それは……」
「前にも言ったけれど、命を捨てるような真似はご免だよ」
氷点下まで冷え込んだ無情な瞳がシホを見下ろす。
そして再び肩に手を置くと、そっと彼は耳打ちした。
「シホ? あまり口答えはしないほうがいい。きみも――僕に実家との取り引きを打ち切られたくはないだろう?」
「っ……!!」
ランドール地方において、この商会との取り引きを打ち切られた羊飼いなど、絞め殺された同然だ。
急速に、心臓が冷たく押し潰される。
「もう一度聞こう。シホ・ランドール。僕の妻となることを受け入れろ」
……あぁ――。
やはりここは嫌だ――――。
絡みつく鎖が、多すぎる。
「………………っ」
シホが回答に窮していると、どこか遠い――扉の外で、何事か騒々しい足音が近づいてくるのが耳に届いた。
『――ッ、お待ちください!』
『待…るか! どけっ』
荒々しい複数の足音と、何かを制止するような悲痛な老紳士の声。
この声は――――あの秘書兼執事の。
そう思った瞬間、バンッと部屋の扉が開いた。
「~~~~~~っ! お前はっっっっ!!!!」
瞬間、部屋に秘書と共になだれ込んできたのは、顔を真っ赤にして眉を吊り上げたアーサーと、その後ろに控えたミリウスだった。




