第101話 手紙の行方
その日、シホは一通の手紙をしたためていた。
簡素な封筒に、書き上げたばかりの書状を入れると封をして、宿の使用人に出しておくよう依頼する。
「さて、どうしようかしら……」
天を仰ぎ、考える。
相手の出方次第だが、ことによっては、来年以降の身の振り方を考えなくてはならないかもしれない。
自分でも馬鹿なことをしているとは自覚している。
だが、そうしたいと思ってしまったのだから、しょうがなかった。
せめて、少しでも話がマシな方向に進むといいのだけど……。
古いリンデールの街並みに思いを馳せ、シホはゆっくりと目を閉じた。
*
受取人からの返信は、意外なほどに早かった。
(それもそうか。商人にとって時間は命よね……)
返ってきた手紙に目を通しながらシホは考える。
シホが手紙を出したのは、とある商人だった。
ある依頼があり、そのために手紙を出したのだが……返信の手紙には、そっけなくひと言で簡潔な返事がまとめられていた。
『そのような用件を手紙で済ますのはいかがなものでしょうか? 直接面会にて直談判していただく機会をお待ちしております』
それだけだった。
シホから手紙を送る際に、足が付かないよう間に連絡屋を挟んだから、相手もこちらに文句を言いに来れないのだろう。
直接出向いてこいと手紙には記されていた。
(うぅ……嫌だなぁ……)
しかし藪蛇を突いたのはほかでもない。自分である。
相手にとって頭の痛い頼み事をする以上、こちらから出向くというのがやはり筋だろう。
「しょうがない」
シホは立ち上がる。
そうしてその日、シホはアーサーにある頼み事をした。
*
「――で、なんで僕がお前らなんかのお守りを……」
その日の午後、アーサー・フラムスティードは、シホたち一行が宿泊する宿で頬杖を突きながら不貞腐れていた。
なお、シホは不在である。
学院の授業が試験のため、留学生たちは午後休暇となる日に合わせ、シホはどこかに出かけていった。
そのために、代わりの護衛として呼び出されたのがアーサーである。
(あいつ、僕のことをていのいい便利屋か何かだと思ってないか……??)
昼時を過ぎた食堂にほかの客はいない。
というか、宿泊客専用の食堂で、わざわざほかの街から出向いてきて、昼日中から時間を潰す客というのも稀である。
目の前の、ただ一人を除いては。
(この王子、僕の前では澄ました顔をして――――)
シホの前とはまるで別人である。
あいつのいる前では喜怒哀楽を素直に見せて、年相応の知的な青年のように振る舞ってはいるが、こうしてシホや友人たちがいなくなってみれば、こうである。
(まさにいけ好かない貴族様。なんとも行儀の良いことで……)
カップを口に運ぶ動作一つとて絵になりそうだ。
洗練された優美な所作、それを映えさせる長い手足や意外なほどしっかりと鍛えられた厚みのある体も気に入らない。
おまけに、最も鼻につくのがその顔である。
若い女が十人いれば十人とも振り返りそうな、非常識なまでに整った顔立ちをしていた。
(地位も、名誉も、財も、容姿も。すべてを手に入れているだろうに――――)
それがどうして、平民のシホなどに。
あんな奴に固執するのだろう――??
初めは、ただの物珍しさから来る興味かと思った。
たまたま身近に現れた女。それが王子という別世界に生きる人間にとって珍しい行動を取る女だから興味を引いたのだろう、と。
(そう考えていたが――……)
ただの気まぐれだと。一時の憧れだと。
思春期特有の熱病に浮かされて、あんなのに間違って好意を抱いてしまったのだとそう思っていたが……どうやら様子が違った。
この王子はあいつを口説くわけでもない。よくある青少年のように、暑苦しく想いを伝えるわけでもない。
ただ静かに。静かにじっと傍にいるのだ。
まるで、『その時』を待つかのように――――……。
その様子が、末恐ろしかった。
『絶対にシホを手に入れる』、その決意を目にしているようで……。
「アーサーさんは、飲まないのですか?」
「ふん、そんな気分になるか。第一、お前だって僕なんかといても楽しくはないだろう?」
王子の友人たちは、みな街に遊びに出かけていた。
授業が休みとなりお目付役の教師も不在とわかった瞬間、彼らはこれ幸いと街に繰り出していったという。
おそらく、あのファビアンとかいう生徒に、自分と茶を飲み余暇を過ごす気が、さらさらなかったということだろう。
彼はさっさと友人のラスティンを連れると、街に繰り出していった。
しかし、そうもいかないのがこの王子である。
自身を護衛するために派遣された人間を突き放すわけにもいかないミリウスは、仕方なくアーサーとともに茶を飲んでいた。
「そうですね……どうせなら先生とお茶をしたかったです」
……王子様は、なかなかいい性格をしているようだ。
「それならば部屋に籠もっていればいいだろう」
「それでは先生が悲しみます」
自身の教え子と友人が不仲だと知れば、ほかでもないシホが悲しみ気を遣う。
この王子の判断は、すべてあいつが基準になっていた。
「それよりもアーサーさん。せっかく時間もあることですし、何か話を聞かせてはくれませんか?」
「話? 何をだ」
「そうですね…………」
王子は考える素振りをする。
が、いまここでわざわざ話題として切り出せるものなど限られている。
こいつと僕の共通の話題など、ごくごく限られているのだから。
「そうだ。学生時代の話でも。先生とはどんな学生時代を過ごしていたんですか?」
――案の定だ。
気の乗らない相手との雑談に見せかけて、貪欲に情報を得ようとしている。
自分を利用することで、間接的な形ではあるが、学生時代のシホまで手に入れようとしていた。
「……お前には絶対に話さん」
ふい、と顔を背けると、王子はそれ以上追及してはこなかった。
「それよりもあいつは、僕にこんな役目を押しつけてどこに行ってるんだ。これでつまらない用事だったときには……僕は怒るぞ」
シホは存外気分屋で、思い立ったら即考えなしに行動する癖がある。
普段慎重な分、その予測できない行動に、学生時代のアーサーは何度も振り回されたものだった。
「何か聞かされていないのか?」
「さぁ……先生は何も。『少し出かけてくる』とだけ」
「まったくあいつは……」
報連相の基本もなっていない。
万が一の事態が起こった際に、どうするつもりだったのだろう。
「いや……待てよ? おかしい――――」
「?」
「あの用意周到な根暗女が、行き先も告げずに大事な仕事を放り出すとは考えにくい。そういったときは必ず――――」
『根暗女』という言葉に眉を顰めた王子も、さすがに雲行きの怪しさに危機感を覚えたのだろう。
スッと椅子から立ち上がった。
「あいつが隠し事をするときは、大抵後ろめたいことがあるときか、他人を巻き込みたくないときだ。今回は――――直前に、何か変わったことはなかったか?」
「変わったこと……」
ミリウスは深く考え込み、必死に記憶を手繰ろうとする。
「たしか今日は……宿についてすぐに、使用人に呼ばれていたような……」
「!」
ちょうど合わせるようなタイミングで、追加の注文を取りに来た使用人が現れる。
アーサーはすかさずそれを捕まえて問い詰めた。
「いえ……ぼ、僕は何も…………」
若い使用人は当初は何も知らないと手を振っていたが、距離を詰めたミリウスの迫力に気圧されたのだろう。
彼が王族だったことを思い出したのか、慌てて自分の記憶にある限りのことを吐き出した。
「今日のことは知りません。でも、きっと手紙の返事が返ってきたんじゃないかな? あの方は、数日前に文を出していらっしゃったので……」
「文?」
「出しておくように頼まれたんです。宛先はたしか……どこかの商会だったかな?」
「!!」
――――そういうことか!
アーサーもすぐさま立ち上がる。
ミリウスの目がどういうことかと問うていた。
「まずあいつが手紙を出す相手など、この国には数えるほどしかいない。次に相手は商会だ、ならば話は物の売買か金の無心と相場は決まっている。その上で、あいつがわざわざ顔を合わせないで済むよう手紙で済まそうとしていたところを見ると――――」
事態は、予想以上に深刻だ。
「クソッ、行くぞミリウス! あいつはまた――――自分を売り飛ばすつもりだぞ!!」




