第100話 墓参り
翌日、その日は特別な臨時公務が入ったということにして、朝早くミリウスは、シホと僅かな衛兵を連れて、都の高台にある魔法研究院の敷地に向かっていた。
「ここから先は一般の人も立ち入れる区画ね。あまり人は来ないんだけど……一応念のため」
衛兵たちに注意を促して、シホは淀みない足取りで敷地内を進んでいく。
庭園風に緑の芝で覆われた敷地には、白い石畳が敷かれ、見晴らしのいい高台の縁へと続いている。
シホの足取りからして、おそらく今までも何度かこうして、ほかの人間ためにここを訪れていたのだろう。
「ここよ」
シホが立ち止まった先には、見上げるほどの白い塔があった。
美しいリンデールの峰々を思わせる白い石塔。
その足もとにはくすんだ金のプレートで『~白き峰に羽ばたきし者~ リンデール公国魔法研究院共同墓』と記されていた。
「調査討伐隊ではね、毎年のように死者が多数出るからこうして共同墓が建てられているの」
遠征ごとに一人、また一人。運悪く強大な魔物に出遭えば、ごろごろと削られるように一気に仲間が減っていく。
そうした彼らを弔うために、こうして墓碑が建てられているのだと彼女は言った。
「2年間無事に生き残れば小隊を率いる資格が出て、5年も生き残れば教官の資格を得る。その資格を得る前に多くの人が亡くなったり、隊を去っていったりする場所だったの……」
入隊理由は様々だと彼女は言った。
国のために自ら志願する者。高額な給金のために志願する者。魔法学院での成績が振るわず、研究部門への配属を望んだが、やむを得ず所属させられる者。興味本位で入隊する者。在野で能力を買われて雇われる者。
……様々な者たちがいた。
「でも皆、誰も死のうとはしていなかった。生きようと、生きて帰ろうとしてた。でも、できなかった――――」
遠い日に思いを馳せるように、先生は白い石塔に何かを見る。
「――――ジークさんも、そうした一人だったんですか」
ふと、彼の魂に囚われてそのまま連れ去られそうな先生に、ミリウスはとっさに声を掛けていた。
「ジーク? そうね……ジークは…………ラスティンみたいな人だった」
そう言って先生は微笑った。
「楯役を兼ねた剣士で、気さくで面倒見がよくて……いつも誰かに頼られていた。私も…………何度も助けてもらった」
朧気な『ジーク』という名の亡霊が、親友の形をとって蘇る。
「私が隊に入ったとき……18のころだから、ちょうど今のミリウスと同じころね。そのとき26だと言っていたから――――随分年の離れた兄みたいな存在だった」
初めて入隊した分隊で、右も左もわからないころだったから、何かと気にかけてもらっては助けてもらったのだと先生は言った。
「戦闘でも衝突の多い隊だったから、その度にジークが間に入っては、上手くみんなをまとめてた」
実際のリーダーは別にいたが、それでも間違いなく、隊の柱は彼だったのだとシホは言った。
「素晴らしい人だったんですね」
「ええ。昔はただ頼もしい人だと思っていただけだけど――――今ならわかる。きっと、憧れていた」
「………………」
「あんな人になりたい。あんなに大きな人になって見る世界は、どんなものなんだろう……って。眩しくて、温かくて……憧れていた」
彼女が語る気持ちが、痛いほど胸を刺す。
理解できてしまう。
他でもない自分が、彼女に抱く思いそのものだから。
眩しい彼女に憧れて、目が離せなくて、強く――強く憧れた。
「なのにそんな人を……恩人を、置き去りにして私は隊を抜けてしまった……」
先生の後悔は、そこに根を張っていた。
「初めての隊に入って、1年経ったころだったかな……。強い魔物に出遭って、隊の大半が喰われたの」
アマンダ、ヘクター、ジジ、ナナ、セルマ……先生がうわごとのように呟く名前は、全て魔物の手によって消えた命の数だった。
「隊は半壊したわ。だから小隊も解散して、ジークと私はほかの隊に吸収されたの。そこでもジークは、最後まで私の面倒を見てくれた」
何かと外見のせいで衝突しがちな自分のために、緩衝材となっていつも間に入ってくれた。
そうシホは言った。
「でも、いつまでも頼り切りにはなれない。結局ジークの下も離れて、別の隊に移って……何個目かの隊が解散したときに、結局調査討伐隊自体を離れることになった」
それでもジークは、最後まで引き留めてくれた。
懐かしそうに先生は微笑う。
「『もちろんお前が望んで離れるのなら、それは喜ばしいし応援したいことなんだが……』そう言って、平穏な日常に戻る私の背中を押してくれた」
懐かしむように。その言葉を愛おしむように。
先生は噛みしめて、ぐっと背を向けたまま天を仰ぐ。
「なのに私は――――そんな人を置いたまま、本当に辞めてしまった。自分のためだけに。もっと――――何かできたことがあったかもしれないのに」
静かな慟哭のような――――湿った後悔の吐露だった。
(………………何も言えない。自分には、言う資格がない)
何も見ていない自分。
何も共有していない自分に、彼女にかけられる言葉はない。
どんな慰めとて、彼女にとっては、余計な偽善と映るだろう。
……だからこそ、過去のことには触れない。
立ち入らない。
ただ、いま。自分が感じているその想いだけを真摯に伝える。
「俺は――――――いま、先生とこの場にいられることが嬉しいです」
「…………」
「先生に会えて、先生を知ることができて。先生に――――」
いちばん、伝えたいこと。
「先生に、救ってもらった命だから」
「………………!!」
「先生は、俺の命の恩人です。先生がいなかったら――そのジークさんがいなかったら…………いまの俺は、ここにはいません」
あの日、あの時、あの森で。
ミリウスの命を救ってくれたのは、紛れもないシホだった。
そして彼女を守り続けた――――『ジーク』、その人だった。
「だから俺はジークさんにも感謝します。先生を守ってくれて。俺のところまで繋いでくれて。もし彼がいなかったなら……先生を見送ってくれなかったなら、いまの俺に未来なんてありませんでしたから」
――――先生は、そんな未来のほうを望みますか?
そんなことまで問いかけてしまうのは、酷だろうか?
「…………っ」
だが先生は、そんな内心に浮かぶ言葉さえ、生徒の表情ひとつで読み取ってしまうのだろう。
「っ」
駆け出すと、転びそうになりながらこちらに駆け寄って、全力で抱き留めるようにミリウスの体を抱く。
そうして、
「ごめっ……コメンね! 考えなしで……! 私、そんなつもりじゃ……」
「わかっています。先生は……優しい人ですから」
『彼の代わりに助けられた』という自責の念を生徒に植えつけてしまわないよう駆け寄ってくれた先生に、ミリウスもまた彼女の背をそっと撫でる。
「ねぇ先生。人の手で守れるものには限りがあるんです。先生がその手で選んで俺を守ってくれたように――彼も、きっと選んで先生を守っていたんだと思いますよ」
きっと先生のように、見返りなど求めることはなく。
ただ、危うい未来ある後輩を、見守っていただけなのだ。
「………………きみは、いつから私の先生になったのかな」
照れくささもいくらか混じっていたのだろう。
先生がそっぽを向きながら距離を取る。
「知りませんでしたか? 先生じゃなくても、あなたのことはよくわかるんです。俺は」
高台に吹く秋風のように朗らかに笑って、二人はゆっくりとその場を後にする。
入り口で護衛をしていた衛兵たちが、目で釘を刺す間でもなく、『何も見ていない』――――そう告げるようにずっと背中を向け続けているのが可笑しかった。




