第98話 調査討伐隊
調査討伐隊。
先生がかつて在籍したその場所として案内されたのは――――都から遠く離れたある森だった。
「殿下、この度は遠方よりご足労いただいてのご視察、誠に光栄でございます」
そう頭を下げた長身で体躯のがっしりした責任者がいるのは、リンデール魔法研究院深部調査隊演習場――――いわゆる『調査討伐隊』と呼ばれる組織の、対魔物戦用の演習場だった。
(さすが討伐隊…………研究部門とは顔つきが違うな)
ミリウスは周囲の人間を見渡して認識を改める。
ここに来るまでの間にすれ違った隊員もそうだったが、皆一様に体躯はしっかりとしていて、視線も射貫くように鋭い。
あくまで研究機関の一部門といいつつも、そこに在籍する者たちは、研究者というより軍人や、市井でいうところの一流と呼ばれる傭兵たちのほうが近かった。
「………………」
前を行く先生の様子を窺う。
彼らの様が、どことなくアーミントンに赴任初日の彼女に似ている気がして、自然と目が彼女を追っていた。
が、先生は古巣に戻ったからといって、特に懐かしがる様子や旧知の友を探すような素振りはない。ただ淡々と背筋を伸ばして、ミリウスたちを先導していた。
迷いのない背中。
ともすればスッとこの場に溶け込んでしまいそうな驚くほどの自然体。
それが何故か――――ミリウスの心にわずかな不安の影を差した。
「本日は深部調査隊の昇格試験をご覧になっていただく予定ですが――――安全のため、視察用の特別室でご覧ください」
そう言って案内されたのは森ではなく、長い地下道の先に階段を上って辿り着いた、岩盤をくり抜いてできたような空間だった。
天井から明かり取り用の窓だろうか。
極小さな丸い穴から光が射し込み、薄暗く室内を照らしている。
「この空間は、演習場内に設けられた試験官用の観測室です。演習場の森の各所に蟻塚のように突き出た岩盤、その内側をくり抜いて空間を確保しています」
そう言って責任者は、岩盤の一角を指し示す。
「外部監視装置を作動しろ」
その掛け声とともに、室内の岩盤に外部の森の様子が映し出される。
「光学魔法を利用した、外部の光景を室内に投射する装置です」
「僕が、作った」
アーサーが間髪入れずに胸を反らす。
どうやら彼が天才と呼ばれる魔術師で、なおかつ魔道具の開発にも才があるというのは本当のようだ。
仕組みとしては幻影魔術の一種に近く、外部で観測できる視覚情報を収集し、光を屈折させることで、天井の穴から室内まで取り込み、内部に投射しているらしい。
「フラムスティード殿にこの装置を開発いただくまでは、試験官が演習場で直接目視で監督しておりました。ですがそれでは試験官が危険に晒される上、試験官自体がノイズとなり公平な試験を行うことが難しいため、現在ではこのような形を取っております」
ひやりとした、外界からは隔絶された空間。
たしかにここならば、外部に影響を与えず試験を観測できるだろう。
目の前に投影された淡い演習場の様子を、先生はただ酷く落ち着いて見つめていた。
「――――それでは、試験を開始します」
責任者の厳格な声音とともに、試験の火蓋が切って落とされた。
演習場には8人ほどの昇格候補生だろうか、隊員たちが一カ所に集められ試験の開始を待っていた。
みな落ち着いた様子で、会話こそないものの、焦りや極度の緊張は見受けられない。
ただ自然体のなかにも、歴戦を潜り抜けた者だけが持つ、平時の警戒がそこには漂っていた。
彼らには、試験の開始を告げる掛け声など届いていないのだろう。
しかし定められた試験開始の時刻に従い、物事はきっちりと進んでいく。
観測室の内部で、試験官の一人が告げる。
「A-第3区画、拘束結界、解放しました」
彼の手元にあるのは起動装置なのか。薄い緑の光を放っていた魔石が、危険な赤い色に灯る。
瞬間、地響きが観測室の内部まで伝わった。
重く、硬い蹄で大地を掻くような規則的な響き。
そのじりじりとした鈍い地響きに、岩壁の向こうの候補生たちも一斉に身構えた。
その場で結界の発動準備をする者。
様子を窺う者。
自身の最適距離を確保するため後方へと下がる者。
また、後方からの別奇襲の可能性に備える者。
あらゆる可能性に対処するため、各々が自身が正しいと思う行動を選択した。
森林が、揺れる。
これは演習だから当然だ。
だが、何度経験しても、安全な場所から見ていたとしても。魔物が姿を現すその瞬間だけは、全身の肌という肌が危険に粟立つ。
その総毛立つ感覚と共に、その魔物は姿を現した。
一瞬だった――――。
ミリウスたちが食い入るように見つめる光景の中、藪がガサリと蠢いたその瞬間。
一瞬で黒く大きな影が候補生たちのいる閑地を横切った。
「――――――!!」
投影図からでは目視も難しい一瞬の光景。
黒い嵐が過ぎ去った次の瞬間、何が起きたか明らかになった。
ゆるりと、足を止め方向転換する馬のような巨体。
馬2頭分以上は高さのあるその縞模様を持つ巨体の足下に、一人の候補生が転がっていた。
「――36番、脱落」
無機質な声が室内に響く。
36番と呼称された候補生は、縞柄の馬型魔獣に引き摺られ、そのまま放り出されたらしかった。
意識のない隊員のすぐ脇で、その馬型魔獣は優雅に細い尾を振る。
瞬間、近くの枝が木っ端微塵に空中で弾け飛んだ。
白と黒、2色の不思議な縞模様に体表を覆われた馬形の魔獣。その特徴的な体躯を支える足下には、茶褐色の脚から伸びた硬い蹄。
「ゼブロイド――――」
先生が深く短く、落とした声で、魔物から視線を外さずそう呟く。
「そうです。今回の討伐試験対象は――ゼブロイド。森の戦車とも呼ばれる魔獣です」
淡々と、現場の凄まじい緊張感とは対照的に、責任者を務める壮年の男は解説を続ける。
「ゼブロイドの特徴は、その猪突猛進な突進力にあります。あれに遭遇した場合、正面からの突撃は通常の障壁結界では防ぐことはできません。また、森林内において奴は、自身の進路を確保するために、その自由自在に伸縮する尾で周囲の幹や枝を打ち払います」
そう言う間にも、鞭のようにしなる幾本もの尾が、周囲の枝を戯れのように打ち落とした。
「あの尾は、通常森で遭遇した場合、人間の胴をも切断する能力を保有しますが……さすがに今回は試験ですので、鈍磨処理を施してあります。我々も貴重な人材を失うのは本意ではありませんので」
ハッと、アーサーが鼻で笑う。
「そんなことを言って、それでも腕くらいなら平気で飛ぶのだろう?」
「………………」
否定をしないところを見ると、そうらしい。
責任者の男は、続けて代わりにこう言った。
「万全の環境で落ちる者など――森の中では餌くらいにしかなりませんから」
その者に完全な死が待つだけでは生温い。
同行する仲間さえも危険に晒す可能性があることを考えると、このくらいの魔物に怯むような輩は不要との固い決意が見えた。
「…………動くようだぞ」
アーサーが再び、魔物への注意を促す。
ゆるりと頭を低くした魔物は、残る隊員に向かって突進した。
「さすがに奴らも馬鹿ではないか」
アーサーの見つめる視線の先では、散開した隊員たちが四方に散ることで魔物の注意を攪乱する。
「額の角で突かれれば、即死は免れんぞ」
彼が言うように、魔物の額には、金色に光り輝く、捻れた長い角があった。
あれにも鈍磨処理が施されているかは不明だが――どのみちあの速度で突き上げられれば串刺しになるのは確実だろう。
試験に挑んだ隊員たちは、初手こそ怯んだものの、あの手この手で善戦しているようだった。
最初の突進時に地に投げ出された仲間も、別の隊員が気を引いている隙に木の根を伸ばした魔術で回収し、無事事なきを得ている。
時折苦戦を強いられつつも、それでも一介の魔術師よりは遥かに冷静に、各々の役割を補いながら、確実に魔物を追い詰めていっていた。
「……………………」
そんな様子に、ミリウスは密かに周囲を見回した。
自分とて、初めて竜に遭遇したときは、直接対面したとはいえ――――正直、体が動かなかった。
逃げることも、抗うこともできなかったという理由はあるが、それでも怯んだことに違いはないのだ。
ラスティンたちは――――大丈夫だろうか。
薄暗闇で見回すと、ラスティンは仄かに淡い光で映し出される光景に食い入るように夢中になっていた。
その手は細かく震えている。が、それでもその目には恐怖以上に本物の魔獣と対面した興奮が色濃く表れている。
さすが、騎士志望といったところか。
これならば夢でうなされる心配はないだろう。
(ファビアンは…………)
彼は、じりり、と指を噛むような仕草をしていた。
彼が深く考え込むときの仕草だ。
額には、彼の整った顔には似つかわしくない汗も浮いている。
安全な場所にあってなお、彼は最悪の事態を想定して、常に目の前の危険を振り払う方法を模索している。
最後の最後まで諦めない、生きることを他人任せにはしない強い生への執着が見えた。
(どちらも平気そうだな……)
ミリウスはホッと胸を撫で下ろす。
自分の公務に付き合わせたとはいえ、もしこれで彼らにトラウマを植えつけるようなことになると申し訳なかった。
(あの時の自分が平気だったのも…………俺が強かったわけじゃない)
あの悪夢のような竜の惨劇を見てなお、平気でいられたのは――――他でもない。
先生が、シホが、いたから。
彼女がいたから。彼女が笑って何でもないことだと、自分と竜の間に立ち塞がってくれたから、いまの自分は平気でいられる。
くるおしいまでの感謝の念が湧き起こる。
そうして投げた視線の先で――――シホは、ただ真っ直ぐに映像のなかの戦闘を見つめ続けていた。
その大きな瞳、長い睫毛が伏せる瞬きの回数も極端に減っている。
体は微動だにしないが忙しなく動く眼球は、きっといま、自分ならどう立ち回っただろうと脳裏であの魔物との戦闘を繰り広げているのだろう。
それはもはや、先生の習性ともいえる、彼女の身に染み付いた生存本能なのだろうと理解できた。
(でも、いまの先生は――――――……)
間違いなく彼女はここにいる。
だが、その心はいまやあの戦場だ。
自分のように、周囲を、生徒を振り返ることなく。
ただ魅入られたようにあの場に釘付けになっている彼女は、誰よりもあの戦場にいた。
「………………」
思わず、手が伸びる。
そしてその手を、押さえ込んだ。
彼女が、この場にあまりに慣れ親しんだシホがどこか遠くへ行ってしまうような気がして――――たまらなかった。




