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第9話 ラスティン・ライオールの日常。


 ラスティン・ライオールの日常は、朝の走り込みから始まる。

 授業が始まる前にひとっ走りし、風呂を手早く済ませた後、朝食を取り、そして講義棟へと向かうのだ。



「……ハッ、……ハッ、……ん? あれは……」


 日課の走り込みコースは、学生寮を出てぐるりと周囲の庭園を三周し、そして修練場のほうまで足を伸ばしてから寮へと戻るというものだ。

 その日課の途中、ふといつもと違うものを発見して、その場で足を止める。

 それは、煌々と明かりのついた『リースター寮』の姿だった。


 薔薇の咲き誇る庭園の中に、あの特徴的な半円形のドームが見て取れる。

 ガラス張りのサンルームからは、この夜明け前の薄明かりには不釣り合いな、目映いばかりの光明が漏れ出ていた。


(あれじゃまるでランプだな……)


 あの目立ちようでは、とても居留守などできないだろう。


(でもなんでこんな時間に? いつもなら消灯してる時間だよな……?)



 走り込みをしているうちに、なんとなくだが先生の生活時間がわかってきた。


 先生は、おそらく朝が強くない。ラスティンが走り込みを始める空が白み始めた明け方ごろは就寝中で、走り込みを終える日がやや昇り始めたあたりで、のろのろとカーテンを開け始めるのだ。



(! いや、決して覗いてるだとか、監視してるわけじゃないからな!!)


 自然と、周囲を巡回していたら目に入ってくるのである。

 誰にともなく言い訳して首を振る。


 たまたまいつだか目にした先生は、その年齢に不釣り合いな重苦しい色合いのカーテン(寮の備品だから仕方がない)を開けて、普段とは明らかに違う寝ぼけまなこをしきりにこすりながら窓辺に立っていた。


(いつもはきっちりしてるのになぁ……まぁ、たまに変なトコはあるけど)


 いつもと違うといえば、そういえば窓辺に立っていたときはタンクトップ姿だった。

 普段は外套コートや衣服で見えない肌が露出していて、ひどく眩しかったのを覚えている。


(腕、白かったなぁ……)


 朝日を反射する白い二の腕、首筋、そこから繋がる鎖骨、そして……。

 魅入られたように見つめたあと、先生のひどく無防備な姿を盗み見てしまったことを後悔して、あわててその場を立ち去ったのを覚えている。


(いかんいかん。先生はリンデール人なんだから、色が白いのは当然だ)


 だから驚くほどのことでもない。目に焼き付けるほどのことでもない。


「………………」


 それがどうして、今日はこれほど脳裏に浮かぶのか。

 ふと心配になって、ラスティンはその足をリースター寮へと向けた。




       *




 幸い、というべきかどうなのか、リースター寮の特徴的なサンルーム、そのガラス張りの壁が役に立った。

 鬱蒼と茂る緑の合間から、煌々と光の漏れる室内をのぞき込む。


(あれ? これって不審者じゃないか? 誰にも見つかりませんように……!)


 発見された暁には、一生ものの汚名がついて回ること間違いなし。

 祈るような気持ちで目を眇める。


「…………!!」


 そんな彼が発見したのは、ソファに不自然な角度で倒れ込む担任教師の姿だった。


「先生……ッ!!」


 それは明らかに普通ではなかった。

 朝の支度の合間に二度寝――などというものではない。明らかに何かがあって倒れ込んだような形跡だ。

 しかもよく見れば床に光るものが……空のグラスが無造作に転がっている。


(毒……殺…………!)


 血の気が、いっきに引いてゆく。




 ミリウスが言っていた。他者を害そうとするならば、事故を除いて最も簡単なのが毒殺だと。

 実行犯さえ適当に仕立て上げられるならば、無実の善良な者に毒を運ばせ、遠く誰の目も届かぬところから標的を害することができるのだと。


 数々の悪意に晒され続けてきた友だからこその、その滲むような怒りの吐露を、いつしか聞いた記憶を思い出した。



「先生……っ!!」


 気づくと足はドアへと向かい走り出していた。


「先生! 先生!」


 ノッカーを無視してドアを何度も殴打する。が、当然反応はない。


 構わずドアノブに手をかけたところで、ガチャリと回ったその音に、ラスティンはますます青ざめた。



(鍵が……かかってないだと……!?)


 こんな夜明け前に、無施錠にする意味がない。

 いくら学寮はいつでも生徒を受け入れる場所だといっても限度がある。

 普通は来客が来てもよい時間帯のみ開けているべきで、朝の身支度時間には施錠しているのが普通である。


 それが開いているということは――……。


「先生っ!!」


 室内に駆け込んで、その倒れた身体を抱き起こす。

 意識のない身体はぐったりと力を失っていて、よく見れば着衣は昨日のままだった。


(まさか昨日からこのまま……?)


 昨晩、先生がここに戻ってから何かあったのだ。

 そして犯人はそのまま無施錠のドアから逃走した。

 先生が狙われる理由は――残念ながら、いくらでも見つかってしまう。


 先生本人に非はなくとも、リースター・カレッジを率いる教師というだけで、羨望、嫉妬、その座を奪おうという者が出てもおかしくない。

 この学院に限ってそんなことはない――と言いたくとも、必ずしもそうとは言い切れないのが、人の世というものだ。



「目を開けてくれ先生! 先生……!!」


 何度揺さぶっても反応はない。

 ミリウスなら、彼なら解毒法がわかるだろうか。

 あるいはファビアンなら、回復魔術で――――。


 逡巡し立ち上がろうとしたところで、腕の中で小さな声が聞こえた。


「……ラス……ティン……?」


 ぼうっとした目つきで、とろんとした茫洋な瞳でその人はラスティンを見上げる。


「先生!!」


 長い睫毛が、嫌になるほど綺麗に見えて、この人を失いたくないと思った。



「どうして……ここに。あれ……ここ、どこ……?」


 前後不覚だとばかりに、額を抑えて先生は身を起こす。

 立ち上がろうとして、それでも足に力が入らないのか、慌ててラスティンが助けに入って抱き留める。


 その柔らかな身体をぐったりと預けながら、先生は呟く。



「たしか、昨日は……ほかの先生たちと……あれ? ラスティン……おはよう」


 ふにゃ、と場違いな笑顔を見せる。

 そんな場合じゃない!と憤りつつも、ラスティンは何かに負けたように笑顔をつくった。



「……先生、おはよう」

「おはよー……」


 未だ意識がはっきりとはしていないのか、先生は半ばぼーっとした状態で言葉を返す。

 やや舌っ足らずなその喋りようは、まるで幼子おさなごのようだった。



「先生、大丈夫なんだな? 事件じゃないんだな?」


 繰り返すと先生は『じけんー?』と不思議そうに繰り返す。


「きのうはー、ほかの先生たちとー…飲みに行ってー、それで……」


 昨晩は、他のカレッジの先生たちと飲みに行き、そして気分が良くなりふわふわしているところを同僚のエリザベス先生に送ってもらい寮に着いた。


 ――ものの、やはり気分が良かったので就寝前にもう一杯だけ…と、就任祝いにもらったシャンパンを開けていた……つまりは、そういう顛末ことだった。




「なんっっっ、だよ! そんな結末かよ!?」


 何事もなくてよかった。本当によかった。

 これが本当に毒殺だったなら。いや、毒殺でなくとも、送り届けた同僚が悪意を持つ男性教師や警備兵だったなら。


 女性のなかでは長身だといっても、ラスティンの肩ほどにも届かない小さな身体、柔らかな腕で、どれほど抵抗ができただろうか。


 最悪の事態を想像して、ラスティンはぶるりと身震いをした。



(先生、あんまり酒の匂いはしないけど……気をつけてやらないと)


 目が醒めたなら必ず忠告しよう。先生は、あまり酒に強くないのかもしれない。



「それじゃ、俺は……先生、もう大丈夫だよな」

「大丈夫ー!」


 やや陽気なのが気になるが、きっと寝ぼけているだけだろう。

 そそくさと立ち去りかけると、背後でばさりばさりと音がする。



「う~……お風呂入りたい……」

「!!!」


 いつもの外套や上着を次々に脱ぎ捨てようとしているシホの姿が目に入る。


「ちょ、ちょ、待っ……待てって……!」


 いくら屋内とはいえ、ここは周囲の庭園からも室内が見えるサンルームだ。

 目隠し代わりの植物が大量に植えられているとはいえ、それでも今朝のラスティンのように外から中を窺うこともできるだろう。


「せめて、せめてもっと奥に……! 風呂に行ってからにしてくれ……!」


 陽気に寝ぼける教師の背を押して、なんとか廊下の奥へと追いやった。


「はぁ~~~疲れる~~~~」


 どうしてこれほど疲労が溜まるのだろう。自分は、ただ走り込みがしたかっただけなのに。



 けれどあの目映い姿を、白い肩を、他の人間に見せるのはどうしても嫌で、自分だけの宝物にしておきたくて、ラスティンは無意識に黙々とシホが脱ぎ散らかした衣類を拾いながらサロンへと戻ってゆく。


「あーもう先生、ブーツも片っぽだけ放り出してるし、ストッキングもあんなところに……。上着は……辛うじて椅子に引っかかってるか」


 上着くらいは、きちんと畳んでおいてやるべきだろうか。


「酒臭かったりは、しないよな……?」


 着替えのない外套などは、臭いがするとマズいかもしれない。せめて短時間でも外に干しておいてやるべきだろうか。


 拾った衣類の中から適当な上着を引き出し、すん、と鼻を近づける。


(……あ、いい匂い……)


 酒臭さはほとんどせず、それより不思議とどこか甘い香りが鼻腔内に広がった。







『……………………………………』




 どこかからの、重苦しい無言の気配を察知して、ラスティンはハッと顔を上げる。


 もちろん屋内には誰もいない。ラスティン一人だけだ。だが……。


 サンルームの全面ガラス。そこに反射する目映い朝日の切れ間から――。絶対零度の氷点下まで凍りついた青い双眸を発見して、ラスティンもまた凍りつく。





『ラ゛ァ~ス~ティ~~ン~~』



 ガラスの向こうから、地の底にも届かんばかりの怒声が響いてくる。


「ひっ!!」


 完全に据わりきった眼のミリウスが、扉を張り倒さんばかりの勢いで入ってくるまであと5秒。



 必死に弁解するラスティンと、その手に持ったものはなんだ先生の服じゃないか!と糾弾するミリウスが額を付き合わせるまであと10秒。



 着替え着替え、着~替えを忘れてた ♪ っと鼻唄を歌いながら、脱衣所からバスタオル姿の先生が出てくるまで、あと20秒。



 不意の遭遇に、目を点にした先生と、真っ赤になった王子とその友が屋敷を飛び出していくまで、あと30秒。






 アーミントンの朝は、想像以上に騒がしい。






        *






「だから、何であんなトコにいたんだよ。まさか王子様のくせに覗き魔か?!」


「ちがっ……!! 俺はただ、今朝食堂で西の演習場が使えないという話を聞いて、1限の前に先生に伝えようとだな……!!」


 朝、ふと窓から外を見たときに、明かりのついたリースター寮を見ていたから、せっかくだから早めに伝えれば喜ばれるだろうと思ったのだ、とミリウスは弁解した。


「お前こそ、事情はわかったが、何も先生の衣服の匂いまで嗅ぐ必要はないだろう! それこそ変態…変質者だ!!」


「変態! 変質者!!! ひどい言い草だなオイ!」


 あれにはラスティンの海よりも深い慈悲が含まれる。けっして微塵たりともやましい思いがあったわけではない。


 額を突き合せて、朝の続きを繰り広げようとする王子とその友に、遠目にその光景を見ていたシホが声をかける。



「おーい。仲がいいのはわかったけど、とりあえず授業に参加してくれる?」


 この争いの中心地にいるのが自分だと、露ほども思わずその教師は堂々と修練場の中心に立っている。


「今日は演習場が使えないから、この修練場で魔法以外の訓練をします。まずお手本、ラスティン・ライオール君! さぁ、前に」


 指名され、ぐぐぐと歯ぎしりしながら修練場の中心へと向かう。

 普段なら嬉しいはずの魔法以外の訓練が、こんなにももどかしいものになるとは夢にも思わなかった。


「まずは、対人戦の基本からね。きみたちは魔物に対抗する重要な切り札だけど、通常時の危機からいえば、魔物よりも人から攻撃を受ける場面のほうが多いでしょう」


 王直属の近衛や騎士団所属ならもちろん、軍属に着かなくとも、世間にはごろつきや野盗が溢れている。


「もちろんあなたたちが、そんな危険なところにばかり行く身分ではないのはわかってるけど、自身の身を守るすべはいくつ持っていても無駄ではないわ」


 言って、かちゃりと両腰から引き抜いた短剣を構える。


「ラスティン、本気で行くから、防いでね」

「――っ!」


 言うなり、激しい剣戟の応酬。

 獲物の間合いは先生のほうが遙かに狭いはずなのに、手数の多さでこちらの剣を捌き、針に糸を通す鋭さでこちらの懐に踏み込んでは、確実に急所目がけて刺突を放ってくる。


(この教師――――っ、本当に魔術師かよっ!?)


 本当は歴戦の殺し屋か何かではないだろうか。

 それほど圧倒的にプロじみた対人戦の技術に、ラスティンも極限状態でかわしながら舌を巻いた。


 攻守を替えて、守備側に回ってもその練度は変わらない。

 短剣を1本のみに絞るという不利な状況でも、今度は足技を交えて凌いでみせる。

 あのすらりと長い脚のどこにそんな力があるのかという力の暴力に、ラスティンは歯を食いしばった。



「絶っっ対に、いつかモノにしてやる」



 その技術を、圧倒的な能力を。

 いつか全て吸収して、目の前の大きな背中を超えてみせるのだ。


 遠くで、教師らしく愛弟子たる生徒たちを教え導く声が聞こえる。


 その声は、凜々しくて、明瞭としていて、あの薄ぼんやりと明るい朝に聞いた、舌っ足らずな子供の声とは似ても似つかなくて……。

 あの声を知っているのが自分だけだと思うと、腹の底が熱くなった。


「ラスティン」

「あっ、へっ……!?」


 間の抜けた声を出してしまった。

 なんだそれ、という呆れ顔のファビアンがタオルを投げる。


「汗、拭けよ。みっともないだろうが」

「悪ぃ……」


 大きなタオルを頭から被って、乱暴に汗を拭く。

 顔は見られていない。大丈夫。

 あの朝の、驚くほど綺麗な顔が脳裏から消えてくれないなんてことは、この胸の中だけに仕舞っておけば、それでいい。


「……っし。行くか!」


 朱くなった頬を誤魔化すために、パンパンと盛大に頬を二度打つと、ラスティンは再び講習の輪の中に向かう。




 ラスティン・ライオール。18歳。


 目の前の偉大なる師を超えるために、昼夜を問わず研鑽を積む。それが彼の、今の日常。




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