07.旦那様の接触、お断り
視界にすら入らなくてよし。
あの夜会からティエリに居場所は無く、ひたすら不機嫌なままに過ごすこととなった。
母親の失態によって、悪友の集うサロンにすら通えなくなり、母親だけではなくエディットまで部屋に籠って出てこない始末。
母親は木っ端みじんに砕けた矜持と羞恥からだろうが、エディットは傾国の美貌を持つアルマンに心を奪われたらしく、手紙を書き綴っては分厚い封筒を別邸に届けるようにと、侯爵家の使用人に言いつける日々を送っている。
そんな彼女を無理矢理抱いてもみたが、行為の際に泣き叫ばれ、呼ばれる名前が違うことにもうんざりして、それからは手を出す気にもなれずに放置している。
かといってレオニーにも相手にされないティエリの行き着いた先は、煩わしい詮索などされない、学園時代から通い慣れた娼館だった。
その中で特に大人の魅力を持つ、淡い髪色をした娼婦が今のお気に入りだ。
どことなくレオニーに似ている彼女との一時を楽しんで、自身の不満を解消する日々に明け暮れていている内に、社交界の噂も消えていくだろう。
元々、社交界はスキャンダルが大層好まれる。
今はティエリの母親の話で持ちきりであるが、社交シーズンも終わって冬を越える間に新しい話題へと変わるはずだ。
暫くは居心地の悪い思いをするが、そこは表に立つべき父親がどうにかしてくれるだろう。
あの夜、母親だって「夫が話し合った」と言っていた。
おそらく、母が過去にした件も、なんとなくいい感じに済ませたに違いない。
夜会で姿を消していなかったのだから、妻への監督不行き届きで責任を持つべきで、だから今回も父親が何とかする義務がある。
だが、今暫くは人目に晒される場所を避けなければならず、そうなると出かける先は限られる。
夜会は時期的にないが、年の暮れを祝うパーティーも侯爵家主催のものは中止となり、他家からの招待も参加は見送りとなった。
歌劇も人が多いことからチケットを処分する羽目になり、新しい礼装を買う必要がないことから服を誂えるために出かける必要もない。
王都で人気のカフェやレストランも、事情を知っている者に会う可能性を考えれば、避けるべき場所だ。
だが、年が明けてもモンジャルダン侯爵夫人の痴態は盛り上がったままで、父親は噂を揉み消すことを諦めているのか、鎮火することなく続いていた。
とうとう、伯爵夫人の痴態といった芝居まで演じられるところまできてしまっている。
立場や名前は変えられているが、話の内容はどうみてもティエリの母親のことだった。
唯一の救いは、母親が謹慎という名目で領地に送られたことで、そんな芝居があることを知らないことだろうか。
知らないことを幸いに、領地では王都へ戻ろうとする母親と使用人達の攻防戦が、日々繰り広げられているようだが、ティエリとしてはここに辿り着かなければ問題無かった。
こうして本人ばかりが現実逃避できた中で、残された者はそうではない。
使用人達が数人辞めてしまっている。
今辞めたら紹介状は書かないと脅しても、それでも辞める者が現れたのだ。
思い通りにならない者達に思い知らせてやるため、再就職の邪魔をしてやりたいが、今の状況では他の家への訪問どころか手紙を書くことすら難しい。
使用人を募集しても人が集まらないでいる。
モンジャルダン侯爵家は変わらず時の人のままだった。
もはや、どこに行っても後ろ指をさされる人物となったティエリが入り浸る先は娼館ばかりとなり、その一時的な快楽に身を溺れさせては酒に手を伸ばす。
享楽に満ちた生活はティエリに堕落を吹き込み、更に自制を忘れた思考は、短絡な欲望で手に入るものだけでは我慢ができなくなる。
レオニーを手に入れたい。
あの高慢ちきで、品位ばかり飾り立てた体を好きなようにしたい。
お気に入りの娼婦のように奉仕を教え込み、快楽に塗れた顔をさせて服従させたい。
唐突に浮かんだ欲望は良いアイデアだと、酒に浸されたティエリの頭の中で膨らんでいく。
レオニーを屈服させれば、あの愛人王弟だってティエリの言うことを聞かなければならなくなる。
あの女が手に入ったならば、王弟の方は母親にでも与えればいい。
一方の執着ではなく双方の合意となれば、夜会で暴露された事実は変わってくる。
これでモンジャルダン侯爵家としての権威は守られ、そして誰もが欲しいものを手に入れることができるのだ。
娼館にある、常連客にだけ許されたサロンスペースにあるソファから、ティエリがおぼつかない足取りで立ち上がる。
「貴方だけを待っているわ」というリップサービスと共に見送られ、迎えの馬車に揺られて向かう先は侯爵家から分離された別邸だ。
あの鉄柵によって分断されていたが、あそこはモンジャルダン侯爵家の場所であり、侯爵家の者であるティエリが訪れてはいけない道理はない。
馬車から見える景色など見飽きているティエリは、手持無沙汰に煙草を探し、シガレットケースが空であるのに気づいて舌打ちする。
対面の座席を数度蹴りつけてから、手土産にと渡されるスキットルを取り出して蓋を開く。
貴族向けの娼館ということもあり、酒はそれなりに上等だ。
度数の高い酒を喉に流し込み、口の端から垂れた酒を乱暴に拭ってスキットルを懐に戻す。
それを三度繰り返した後で、冬らしい曇り空の下、別邸用にと新たに拵えられた門へと辿り着いた。
予期せぬ来訪者を止めようとする門番の一人を、馬車から降りたティエリが酒の勢いのままに杖で殴り、乗っていた馬車の御者に命令して門を開けさせる。
開いた門を悠々と潜り抜けて侵入した馬車を見た庭師達は避難していき、別邸はすぐさま静まり返った。
いつの間に作らせたのか、別邸の玄関先にある車寄せに馬車を停める。
「レオニー、出てこい! 夫が訪れてやっているんだ!
妻が出迎えてもてなすのは当然だろう!」
両開きの玄関扉を荒々しく叩き、そして荒ぶる気持ちのままに蹴りつける。
すぐさま使用人が出て来てティエリを取り押さえるが、それでもティエリは暴れるのを止めなかった。
止める理由がない。
レオニーはティエリの妻で、ここはモンジャルダン侯爵家の敷地である。
ティエリを取り押さえる使用人達の方こそ態度がなっていなくて、厳罰処分が必要なのだから。
「離せ! お前らは侯爵家の使用人だとしたら、どうなるかわかっているだろうな!
紹介状も書かずに解雇だってできるんだぞ!」
けれど、喚き散らし、なおも暴れるティエリを押さえる使用人達には、解雇という言葉に怯んだ様子はない。
「残念だが、ここにいるのは公爵家から紹介を受けた使用人だから、そんな脅しは関係ないよ」
不意に気怠そうな声が割って入る。
見れば、アルマンがシャツとスラックスだけという軽装で、階段を下りてくるところだった。
手には何通かの分厚い封筒を手にしている。
相変わらずの美しさに一瞬息が止まったが、今日ばかりは怒りが勝って我に返るのは早かった。
「は?なんで、侯爵家の使用人がいない?
まさか、好き勝手しようと追い出したのか?」
酒の回った頭では自制どころか考えることも覚束なく、ただただ自分に都合のいいことばかりを浮かべては口にする。
「まさか。そもそもモンジャルダン侯爵夫人の采配で、こちらに使用人は一人も用意されていなかったが。
レオニーがヴァランタン公爵家に頼んでくれたおかげで、こうして小さな別邸も機能している」
アルマンから言われたことに、さすがのティエリも驚くが、同時に納得もする。
そんな意地の悪いことをするかどうかといえば、確実に母親はするタイプだし、自分だって気が乗れば賛同するだろう。
気分が悪ければ、もっと酷いことだって考えていた。
「ところで、時の人であるモンジャルダン侯爵令息はこちらになんの用かな?
明らかに酔っ払いといった怠惰な姿だが。
香水の匂いもきついから、娼館帰りといったところだろうに」
アルマンに言われて目的を思い出す。
「レオニーを出せ。
あれは俺の妻だ。夫の訪れを歓迎しないとか非常識だ」
口にすれば怒りは増し、ツラツラと言葉が垂れ流れる。
「大体だ。貴族の男が愛人を持つのは当然だというのに、それを何であいつも愛人を持つことになるんだ。
お高くとまっているくせに、貞操と倫理観を疑う阿婆擦れのようなことを言いやがって。
俺を舐めているのか。今日こそ従うべき相手が誰なのかを徹底的に躾てやる」
「それで、レオニーのいる場所に押しかけて、無理やり行為に至ろうとしたと」
ここでアルマンが薄く笑う。
「さすが痴女の息子だ。
どうやら母親同様に、下半身でしか物事を考えられないらしい」
言われていることが合っているだけに、カッとなってアルマンを襲おうとするも、使用人達に抑え込まれた体は身動き一つできないでいる。
「とはいえ、こうやって行動に移してきたのは問題だ。
使用人たちは信用しているが、万が一何かあったら心配だ。
今すぐここを退居して、レオニーは王城にある離宮に住まわせることにしよう」
な、と口から落ちた音は言葉にならない。
夫であるティエリを目の前に、愛人如きが妻を連れ去ると言ったのだ。
それも王城だなんて手の届かない場所に。
ティエリの動かない頭でも、このままではレオニーが手に入らないということだけは理解できる。
「駄目だ。駄目に決まっているだろうが!
妻として、モンジャルダン侯爵家の子を産む義務を放棄する気か!」
吠えるティエリに対し、アルマンは可笑しそうに笑い声を上げた。
「いやいや、最初に契約しただろう。
モンジャルダン侯爵令息とレオニーは閨事を一切行わないし、レオニーの生む子は全てヴァランタン公爵家の籍になると」
確かにそう契約した。
だが、今は状況が違うのだ。
契約なんて守っている場合ではなくて、モンジャルダン侯爵家の悪い噂を払拭する為にレオニーは必要だし、ティエリが社交界に返り咲いて羨望の眼差しを集めるのにも装飾品として必須だ。
だが、それらの醜い自分勝手な本音を、貴族らしい絹に包んだような言葉にすることができない。
「そもそもだ、レオニーに対して最初に言ったらしいな?
モンジャルダン侯爵家の跡取りは愛人が産むと。
だったら執着される理由もない」
そう言ってから、アルマンが手にしていた封筒を床に放り出す。
「ついでに、侯爵令息の可愛い愛人に言付けてくれ。
私にはレオニーがいるから、恋だの愛だのセンスの無い文章で綴られた手紙は迷惑なだけだと」
散らばる封筒は分厚く、便箋が何枚入っているのか。
ティエリの母親同様の執着を、エディットまでもが持ち始めたことにゾッとする。
よく考えなくても、叔母と姪なのだ。
エディットが母親に似ていてもおかしいことはない。
母親と同じ騒ぎを起こす女だとすれば、夜会に連れて行くことなどできないだろう。
縁を切ってしまいたい。
だが、既に愛人としてお披露目しているし、エディット以外の女を愛人にするのは、母親が猛然と反対してくる。
ティエリの身に起きた、都合の悪いことを全て取り除ける存在。
今やそれはレオニーだけだ。
実際にはレオニーとの結婚によって、崩壊が始まったのだという事実に気づかないティエリを、アルマンは今日の気温にも似た寒々しさで眺めるだけ。
だが、すぐに飽きたように視線を外すと、使用人達に門の外へと追い払うよう言い付ける。
品の無い暴言を喚きたてるティエリの姿を見送り、それからアルマンは王城で働いているだろうレオニーに急ぎ手紙を書こうと、自室に戻るのであった。




