04.別邸独立宣言
それはもう、物理的に。
明瞭な会話を成り立たすことが出来ず、ただ、「別邸が」とだけ繰り返す家令に業を煮やして、慌てて本邸の脇を通り抜けて目的地へと急ぐ。
ティエリが家族の誰よりも先に別邸を目にした時、そこに在ったのは確かに変わらぬ別邸で、けれどティエリ達の度肝を抜く景色へと変わっていた。
モンジャルダン侯爵邸の敷地は高いレンガ造りの塀で囲まれており、それは別邸も同じだったはず。
だが、別邸周辺を囲っていた、由緒正しき赤レンガが綺麗さっぱり無くなっていた。
今や道路に面した敷地の境には、鉛色の鉄柵が他者の侵入を拒んでいる。
それだけではない。
無機質な柵は外に向かってだけではなく、本邸との行き来を拒むように、別邸の周辺をグルリと囲っていたのだ。
さらには本邸と別邸の柵には、通り抜けるための出入り口が取り付けられていない。
モンジャルダン侯爵家の一区画が、完全に分断されていた。
そして柵を境にした本邸側には、あの女が住むのだからと押し込んでおいた、処分予定の古臭い家具の一切合切が、シーツを敷いた庭の上に放り出されていた。
まるでゴミだといわんばかりにおざなりに積まれた家具は、モンジャルダン侯爵の庭で所在無げに存在をアピールしてくる。
向こう側では活気のよい職人と使用人達の声が響き、茶渋のようだった壁が真っ白に塗り直されている。
手際よく塗り替えられていく屋根の色は青で、以前の赤茶けたような色が姿を消していく。
人々に指示しているのはまだ若い青年だが、服装からして普通の使用人というよりは執事といった風だ。
もしかしたら、レオニー専属の従者だろうか。
一体どうすればいいのかと呆然とするティエリの背中で、ようやく追いついたらしい母親の悲鳴が上がった。
「わた、私の別邸が!」
正確には侯爵家の直系である父親の別邸だが、という気持ちをティエリがわざわざ口に出すことはしない。
ティエリに甘い母親のご機嫌を損ねることなんて、わざわざする必要もないからだ。
それに自分の女癖の悪さだけは父親似だと言われているが、それ以外のことで怒られたことなど一度もないので、結局のところは母親との関係の方が良好だ。
いや、そんなことよりも別邸だ。
「これはまた、思い切りがいいな」
ゆっくりとした歩調で煉瓦道を歩く音が聞こえ、それから父親の感心したような声が響く。
どことなく他人事といった空気を漂わせる声を追って振り返り、そこにいた父親を睨んでも、気にした様子も無く鉄柵へと近寄って手触りを確かめるかのように触れる。
そうしてから、人々へと指示を出す青年へと声をかけた。
「そこの君。侯爵家の当主として、別邸について確認したいことがあるのだが」
人々の声が行き交う中でも侯爵の声を拾ったらしい青年が、こちらを見て近づいてくる。
「モンジャルダン侯爵様、お帰りでございましたか。
お疲れのところを騒がしくしており、申し訳ございません」
礼儀正しく頭を下げた青年の所作は、使用人として完璧だった。
よく教え込まれたのだろう。
きびきびした動作であっても、粗雑な印象を与えない。
「お帰りまでに終わらせようとは思っていたのですが、思っていたより外装も内装も主の好みから外れていたもので。
本日は塗装だけ終わらせましたら、数日はこのままとしますので、暫くは静かかと」
そうか、と返す父親の声に怒りはなく、その指先が鉄柵を滑る。
「しかし、この柵はどうやって?
家を出る前までは、確かにレンガを積み上げただけの塀だったというのに」
問えば、青年が満面の笑みを浮かべた。
「煉瓦の壁につきましては、王都内で手の空いている大工達と、ハンマーを得意とする冒険者達を集めて数の力でございます。
剛腕な者達が並ぶ姿は実に圧巻で、見る間に崩れていく壁は砂のようでしたね。
周辺にお住まいの方々も、わざわざ見学に来られたほどです」
他人事で見学するだけならば、さぞや楽しかろう。
ティエリだって観光気分で見に行ったと思う。
だが、これは我が家だ。
「続いて鉄柵ですが、こちらは近くの鉄工房にて完成した状態の柵を、必要分だけ用意してもらいました。
ただ、それぞれを溶接するには時間がかかりますので、繋ぎ合わせるために嵌めこみ式の鉄環で固定しております」
言われて柵を横に辿っていけば、ところどころで鉄環が見受けられた。
重い鉄柵同士を繋ぐというだけあって、しっかりとした厚みがある。ちょっとやそっとじゃ外れないだろう。
これをどうにかしようとするならば、モンジャルダン侯爵家も鉄工職人を雇わなければならない。
しかし、このままにはしておけない。
すぐにでも王都内の工房から職人を呼んで、早々に作業をさせなければ。
「お嬢様とはあくまで形式上での婚姻で、モンジャルダン侯爵令息様とは接触する必要は一切ないと聞き及んでおります」
契約書も確認させて頂いておりますと口にする、青年の顔は涼し気で、そして愉快といった風だ。
「これらの行為は契約書にございます範囲内で行ったことですので、作業の間は作業の音で多少ご迷惑をおかけするかと思いますが、ご理解賜りますようお願い申し上げます」
「理解なんてできるか!」
思わずティエリが怒鳴る。
だが、青年はティエリに視線を向けることなく、ただ侯爵を見ていた。
ここでの決定権を持つのは、侯爵である父親だ。
それに気づけば、青年の態度はいかにもティエリを馬鹿にしているようで、怒りで頬が熱くなる。
だが、ティエリの怒りを足元からひっくり返す、そんな発言をしたのは父親だった。
「まあ、好きにするといい」
思わず父親の背中を凝視してしまう。
ティエリに背を向けているため、いとも容易く許可を出した父親が何を考えているのかわからない。
「父上、どういうつもりですか!」
信じられない気持ちで声をかけるティエリに、父親は振り返ることなどせず、淡々と言葉だけを返してくる。
「契約書に管理権限を譲渡すると書いたし、逆に別邸をどうしていいかまでは詳しく決めていない。
ならばレオニー嬢の裁量で何をしても問題はない」
「けれど、常識的におかしいでしょう!」
「おかしかろうが何だろうが、契約書にこのことを書いて署名した以上、我が家であろうと口出しはできない。
これは軽はずみなことを言った、当家側の落ち度だ」
珍しくきっぱりと言い切った父親は、一体何を考えているのだろうか。
愛人宅にいることが多いから侯爵邸などどうでもいいのか、それとも王家にでも慮っているのか。
全くわからない。
ただ、ティエリがわかったことは、「奥様がお倒れに!」と背後で大声を上げた家令の言葉から、あまりの出来事に母親が倒れたのだろうなということだった。
振り返った父親は、いつものように唇に軽い笑みだけ刷いた気だるげな様子で、ティエリの横を通り過ぎる。
その際に肩に手を置かれ、「婚姻届は私が提出しておくから、今日から適当にするといい」と言った後に、その手をひらひらと振りながら立ち去っていった。
残されたティエリは父親に何か言ってやろうと振り返ったが、父親の背中よりも手前にある倒れた母親の姿に動きが止まり、溜息をつきながら近づいていった。




