02.モンジャルダン侯爵夫人の苛立ち
何もかもが気に食わないおばさん。
婚約を結んだ先にある、両家のゴールラインとなるイベントは結婚だ。
王命ともあれば、婚姻に至るまでが何より優先事項となる。
婚約の届と契約書を提出してから一年後と決められ、そこからの当人同士の交流は一切されないままに準備だけが進められていく。
モンジャルダン侯爵夫人であるオレリアーヌは、全て侯爵家の主導で行うと宣言し、一切の干渉は不要だとヴァランタン公爵家に命令じみた手紙だけ送っておいた。
ただ、花嫁衣裳だけはティエリの衣装に合わせる必要があったので、オレリアーヌは仕方なく何度か呼び出しの手紙が送ったが、「仕事が忙しい」の一点張りで断られてしまっていた。
そして、ドレスは公爵家で用意するとも書かれていて、思わず手紙を二つに引き裂いた。
レオニーが今は公爵令嬢であろうとも、モンジャルダン侯爵家に入ってしまえばオレリアーヌの下の存在でしかないのだ。
あの気に食わないレオンティーヌの娘をどう虐めてやろうかと、もう、それだけが楽しみになっていた。
それなのに。
今日も今日とて届けられた、事務的な断りの手紙を二つに引き裂きながら放り出せば、勢い余った手がカップに触れて、軽やかながらも不協和音を奏でた。
中のお茶が揺れて、それが一層オレリアーヌの胸中にある波を大きくしている。
気に入らない。
どうせ、結婚式に夢でも見過ぎて、自分も準備に参加できないことを拗ねているのだろう。
行き遅れがなんて図々しい。
所詮は高慢ちきな王女の腹から出てきた冴えない女だというのに。
それに夫だって少しも協力的ではない。
いつからかは覚えていないが、オレリアーヌが侯爵夫人に慣れない頃にした失敗の後ぐらいから態度が冷たくなり、外に何人も愛人を囲うようになった。
それがオレリアーヌの本妻としての矜持を、傷つけるなんて思わずに。
酷い話だ。
オレリアーヌは家同士の利益によって結ばれた婚姻である。
モンジャルダン侯爵家に、唯一認められた妻だといえよう。
だから、夫はもっとオレリアーヌを妻として敬い、そこらの下らぬ女などとの縁を切るべきだというのに。
「叔母様」
一緒にお茶をしていたエディットが、殊更明るい声を上げる。
「今日は王都で有名な商会を呼んだのですよね!
髪飾りぐらいなら買っていいと、ティエリ様からも許可をもらっていて、すごく楽しみにしているんです!」
「ええ、エディット。ティエリの横に立つのに相応しい、素敵なものを買いましょうね。
だから、もう少し落ち着いてちょうだい」
はしゃぐエディットを窘めながら、今日の予定を思い出す。
レオニーへの苛立ちで忘れそうになっていたが、そういえば王都で一番注目されている王家御用達だという商会を呼び寄せることに成功したのだ。
揃えられた商品は最高品質の品々との話で、噂では他国の王達からも招かれては、早々見ることのできない珍しい品を披露しているのだとか。
今まで何度となく侯爵家に招待しても断られたが、唐突に招待に応じたのだ。
もしかしたら王命にてティエリが婚約したのを聞きつけたのかもしれない。
さすが我が息子だと誇らしく思いながら、ご機嫌そうに侍女と話すエディットを横目で見る。
可愛い息子の愛人だ。
あの冴えない娘に、寵愛の差を見せつけてやらねばならない。
多少値の張る品でも買ってやろうと思いながら、冷め始めたお茶を取り替えるようメイドに言い付けた。
モンジャルダン侯爵家で当たり前のように暮らすエディットは、クレーク子爵家に嫁いだオレリアーヌの姉の娘である。
いつも適当に笑っているだけの、子爵家如きにしか嫁げない女だと馬鹿にしていた姉の三女だ。
エディットが14歳の時にティエリが「これがいい」と見初め、愛人という立場しか認めないという約束の下で、手元に置くことを許可した。
この頃のティエリは異性への興味を強く抱き、些細な面倒事を起こしていたからだ。
息子の娼館通いなど、オレリアーヌからしてみれば眉を顰める不良行為でしかない。
ただ、大体は金と権力で解決できることばかりであったが、平民の女性達に無理矢理酒を飲ませてからの、集団でのいかがわしい行為があったと聞いた時に卒倒しそうになった。
あの時は、それなりに裕福な層の娘達もいたことから、噂を揉み消すのに随分と苦労した。
なにより訴えようとしてきた親を黙らせるのに、商会を二つばかり潰す羽目になって、王家からも目を付けられてしまったものだ。
他にも参加していた令息達がいたが、彼らの何人かは各々の領地に押し込まれてしまい、とうとう出てこなくなった者もいる。
逆に平民相手ならたいした問題ではないと判断し、少しばかり反省した様子だけ見せて、無かったことのように振る舞う者達もいた。
ティエリも後者である。
ティエリがエディットを指定し、オレリアーヌが愛人にすることを許可したのは、そういった経緯もあるからだ。
オレリアーヌの方も、モンジャルダン侯爵家に嫁いだのだから、自身の血を色濃く残せる娘が欲しいと思っていたのでちょうど良かった。
だから、エディットに子を産ませたらいいと思っているが、あくまで愛人という立場しか与えない。
どれだけ愛らしかろうとも子爵の娘。
そんな格下を、オレリアーヌと同等の立場にするつもりはなかった。
子爵令嬢が侯爵家の子を産めるなんて名誉なことなのだから、対価はそれで十分だ。
それなのに、姉がムキになって反対してきたのだ。
きっとエディットだけが贅沢な生活をすることに、嫉妬していたのだろう。
なにやら子への愛情や道徳感を説いてきたが、そもそも侯爵家に反抗しようという態度が道理を逸脱している。
結局、エディットからの「お母様なんて邪魔ばかりして大嫌い!」という言葉と、大金を叩きつけてやれば引いたので、金目当てであったのかもしれない。
自分の娘で金稼ぎとは、これだから子爵家如きでは駄目なのだ。
そうして連れてきたエディットだったが、侯爵家の一員にするには立場も教養も、行儀さえも足りない有様。
侯爵家に連れてきた当初はそれなりの教育を与えようと家庭教師を招いてみたが、勉強が嫌で逃げ出したことから、あくまで子を産む機能を備えた愛玩動物の一種だと思うことにした。
そうすれば、エディットが大変可愛らしく思えてくる。
愛らしい見た目だけの、教養も品性も無い娘。
とはいえ、勉強以外の言われたことは素直に聞き、いつだってオレリアーヌを羨望の眼差しで見てくるから、それなりには気に入っている。
猫や犬を飼えば、こんな気持ちなのかもしれない。
* * *
「──本日は、高名なるモンジャルダン侯爵家に訪れる機会を頂き、誠に光栄でございます」
そう言って、恭しく頭を下げた商人に、オレリアーヌも侯爵夫人らしい微笑みを返す。
横に座らせたエディットが、「やだ、かっこいい」と呟くのをはしたないと思いながらも、オレリアーヌの胸も僅かに高鳴った。
なにせオレリアーヌも同じことを考えていたからだ。
愛人にしかならない娘と同じことを考えるなんて、とは思ったが、それぐらいに商人の容貌は彼女達を惹きつけるものであった。
目の前に座る男は、貴族の男性によく見受けられる細身な体躯や、贅沢によって肥え太った体型はしていない。
力仕事もこなすのか、騎士にも似た体格は逞しく、その癖、涼やかな瞳が商売人としての隙の無さを物語っている。
目元のホクロが妖艶な、とても魅力的な男だ。
彼を招待したことのある者達は、大概が珍しい品々を褒めそやしていたが、もしかしたら商人自体の魅力は敢えて語らないようにしたのかもしれない。
もし知られたら、招待する貴族が増えるだろうから。
商人は彼女達の熱を帯びた視線など気にした様子も無く、持参した品々を丁寧に紹介してくれる。
南の国の職人に作らせたという、象牙に繊細な彫りを施した耳飾り。
大ぶりな宝石を贅沢に並べたネックレス。
遠き地にて一子相伝で伝えられるという技術で紡がれた、どこまでも軽い絹糸。
それから聞いたこともない花の精油とアーモンドオイルを合わせた香油。
「これなど、お嬢様にお似合いかと」
そう言ってビロード張りの小箱から、繊細な金細工の髪飾りを取り出した。
花と小鳥をモチーフにした飾りで、座金に何も嵌め込まれてないのは、好みの宝石を選ぶためだろう。
素敵と歓声を上げるエディットの声は、他をまだ見ていないうちから、見せられた髪飾りに夢中になっているのだと物語っていた。
「令息殿の瞳の色は森の奥のような緑だとか。
いくつか深い色のトルマリンを用意しましたので、是非ご覧になって頂ければ。
お嬢様の瞳に似た、小ぶりながらも鮮やかなサファイアも用意しております」
商人は薄い唇に微笑みを乗せて、愛想よく語り掛けてくる。
声は低いながらも軽さもあり、聞いていて小気味が良い。
彼の商会の使用人らしき、これまた清潔感のある好青年が人の良い笑みを浮かべ、色彩豊かなルースの並んだガラス蓋の小箱を持ってきた。
エディットのうっとりした瞳が向けられた先にあるのは、宝石か、それとも青年か。
だが、オレリアーヌがその態度を咎めるよりも先に、商人がオレリアーヌの傍に跪く。
手にしたままの小箱に隠された引き出しを引けば、まるで二人の秘密事のように、新たな商品が姿を見せた。
「奥様には小さな島で採取された、貴重な黒真珠はいかがでしょうか。
これ程の大粒はそうそう見かけないでしょう。
髪飾りにすれば奥様の美しい髪を引き立て、耳飾りにすれば本来備えた高貴さが増すのでは」
そのまま玲瓏な目元を細めて笑う。
気づけばオレリアーヌもエディットも、ただ相槌を打つだけの人形のようになっていた。
言われるままにエディットは宝石を選び、オレリアーヌは黒真珠を耳に添えられた指先の感触の虜となって、耳飾りとネックレスを揃えて注文する。
そうして商人が対面の席に戻ってから、彼の近くに置かれた大き目の革袋を見せてもらっていないことに気がつく。
洗練された商品を扱う商会ながら、革をなめして縫い合わせただけだろう粗雑な袋の存在は、今更ながらにオレリアーヌの目を引いた。
「そちらの袋は何かしら?」
好奇心のままに質問すれば、商人は視線だけそちらに向けてから、再びオレリアーヌへと戻すと蠱惑的な笑みを浮かべる。
「こちらは一つ前の商売相手にお持ちしたものでして。
私の使用人が間違えて持ち込んでしまったものでございます」
そうしてから笑みを深くし、続く言葉は囁くようで。
「少しばかり、そう、背徳的もしくは刺激的と申し上げましょうか。
とにかく高貴なご身分の奥様や、清らかなご令嬢にお見せできる品ではございません」
言われれば一層に好奇心が湧くのも当然のことで。
さらには間違えたらしい使用人が、オレリアーヌの気持ちに火をつけるようなことを言う。
「でも旦那様、こちらは侯爵閣下へと」
途端に黙れといわんばかりに商人が唇に指を当てたかと思えば、使用人が慌てたように口を噤む。
けれど、オレリアーヌの中にあった好奇心は跡形も無く失せた代わりに、怒りと嫉妬が燃え盛った。
この商会から商品を購入したことがあるなんて、夫から聞いたことがない。
ならば、きっと愛人の家へと秘密裏に呼んでいるのだと思い、荒ぶる感情のままに革袋を指差す。
「そちらも見せてちょうだいな」
しかし、と渋る商人へと再度言えば、少し考えを巡らせた後に結局は袋の中の物を見せてくれた。
並べられた品々に少しの驚きと呆れが隠せない。
鞭や手枷、目隠しに、そして何に使うかもわからないもの。
ただ、それらが夫のお楽しみに使われているのかと思うだけで、怒りの炎に薪がくべられる。
低く冷えた声で、「こんなもの」と呟き、片付けるようにと言おうとして、オレリアーヌは開いた口を閉じた。
オレリアーヌの実家では使われなかったし、オレリアーヌもティエリに使うことはなかったが、躾の行き届かない子女には鞭を使う家があるのを知っている。
そして、嫁ぎ先に従う気の無い嫁に、いかに自身が無能であることを教え込むのも躾だ。
鞭にいたっては形状の異なるものが複数あって、どれも見ているだけで痛そうだった。
これで手加減なく打ってやれば、あの冷ややかな態度でしかないレオニーも、泣き叫んで許しを請うだろうか。
「もう少ししたら躾のなっていない牝犬が来ることになっているの。
だから、ここにある品を全て買い上げるわ」
オレリアーヌがそう宣言すれば、商人は自らの使用人に商品を綺麗な袋へと入れ直すよう言い付けた。
「叔母様、こちらはレオニー様に使うのですか?
だったら私も使ってみたいです」
きらきらした目でエディットが見てくる。
「そうね、私が使って満足したら、エディットにも使わせてあげましょう」
エディットが上げた歓声を気にせず、オレリアーヌは片付けられていく品を満足気に見守る。
オレリアーヌの耳元へと、商人が「お買い上げ頂いた商品の詳しい説明は、お嬢様がお席を外された後に」と囁く。
その言葉に、オレリアーヌは体の奥底で熱を帯びるのを感じ、ギュッと手を握り締めた。




