後日談② シクストの断罪
後日談を書くにあたって、ようやく決まった侯爵の名前。
なお、レオニーのパパはいまだに名前が無いけど全く困らない。
「シクスト様」
小さな呟きと、ゆっくりと驚きから変わっていく微笑み。
数年ぶりに見つけ出した最愛の、昔より少し痩せ、けれど変わらないままの笑顔を見て、こみ上げる想いを止められずに数メートルの距離を縮めようと駆け出していた。
* * *
手にした紙切れに視線を落とし、隠すこともなく鼻で笑う。
「あれにとっての私とは、手紙にする労力すら惜しみ、千切った紙を送りつけて用件を済ませるだけの、それぐらいの価値しかない夫なのだろうな」
羅列する書き付けは、読めば読む程に相手の支離滅裂な傲慢さを感じさせる。
「お前には苦労をかけるな」
シクストが家令へと目を向ければ、穏やかにも困ったようにも見える、曖昧に笑う表情はいつからだろうか。
「とんでもないことでございます。
私はただ言われたことを適当に聞き流すだけですが、夫婦である旦那様の方がよほど大変でしょう」
互いに意図を察することのできない、貼り付けるだけの笑顔になってから随分となる。
シクストの笑みが何をも受け付けない薄氷だとすれば、家令の笑みは何事をも受け流す為のぬるま湯といったところだろうか。
「それとて家に帰らなければ会うこともないのだから、やはり四六時中あれと顔を合わすお前の方が大変だろう」
シクストは渡された手帳の一頁をクシャリと丸めて暖炉に放る。
小さく丸まった紙はすぐに火が移って燃えていった。
「戻られますか?」
「ああ。明日は無理だが、準備は整っているので近い内に戻ろうと思っていたところだ」
当主としての仕事を済ませる机の上には書類の束が丁寧に置かれていた。
その内の何枚かはレオニーのことであり、宰妾として彼女を召し上げたことによる報酬についてであったり、これからモンジャルダン侯爵家に起きることへの前処理だったり、後処理についての取り交わしもある。
そして、いまだに王弟殿下へと届けられるという手紙も何通か。
これには王家側も、さすがに辟易といった様子で、しっかり王命という形での。
だからこそ、シクストの思惑通りに事を進めやすくもある。
王家から話を聞いた時にはそれなりに驚いたが、それ以上に長年の問題を双方が解決できるとなれば協力してもらえるだろうと、今回の件での協力を引き受けたのだ。
その結果には満足している。
既に処理が終わって手を離れた書類もあって、処置は順調だ。
予定していたことが前倒しになったせいで慌ただしいが、それもこれも自分が望んでいたことである。早いに越したことはない。
「さて、あれがどんな顔を見せてくれるやら」
名前を呼ぶことすらなくなった妻の顔を思い出し、シクストの笑みは少しだけ歪に変わった。
* * *
「長らく君のような素晴らしい女性の貴重な時間を奪い、本当にすまない」
それは卒業もまだまだ先という年齢の、それでも同級生達が次々と婚約者を決めていく中でのことで、シクストは一人の令嬢の前で頭を下げていた。
ゆっくりと頭を上げれば、目の前の令嬢が少し眉尻を下げて笑っている。
「いつかは両親も納得してくれると期待していたのだが、私の甘い希望でしかなかった」
「もう、謝らなくていいのです。
シクスト様は侯爵家の方。子爵家の三女など相応しくないのは事実ですもの」
そんなことはないと言いたかった。
だが、二人を取り巻く環境に身を置く人々は彼女と同じことを言うのだろう。
わかっていながら足搔いてみただけのシクストに何が言えようか。
それでも未練たらしく垂れ落ちる言葉は、さよならを引き延ばそうとする悪足掻きで。
もしかしたら少しでも嫌われないようにという言い訳かもしれない。
「本当ならば、駆け落ちをしようと言うべきだろう。
だが、私は侯爵家での暮らししか知らない、苦労と無縁の若輩者だ。
君を連れて逃げたところで、金も立場も稼ぐ術さえ無ければ、幸せになどできるわけがない」
もう一度、彼女の柔らかな白い指先に触れることができたなら、自分は変わることができるのだろうかとシクストは思い、心の中で首を振る。
これは決まったことなのだ。
「私は侯爵家にいる以上、親の決めた婚約者だろうと誠実でありたいと思う」
「シクスト様らしいお言葉だと思います」
そう言ってから強く目を瞑り、瞳を開いた彼女にあったのは普段と変わらぬ笑みで。
本当に彼女はしっかり者だった。
よく冗談を真に受けて慌てるシクストに助け舟をくれる姿は、まるで姉弟だとクラスメイトに笑われたくらいだ。
姉なんかではなかった。
穏やかな春の気候に似た彼女は、燃え盛るような感情なんかこれっぽっちも与えてくれなかったが、ただ横にいるだけでも幸せになれることを教えてくれた。
誰に聞かれても、シクストは躊躇いなく答えられる。
これは確かに恋だった。
「君が一番幸せであるだろう時間を無駄に浪費させてしまい、本当に申し訳ない」
「シクスト様を恨んではおりませんし、ガッカリもしていません。
この三年、あなたがご両親を説得し続けてくださったこと、それが何よりもの愛でした」
会話は終わりへと向かっていく。
きっともう、これからはクラスメイトとしてすら話すこともないだろう。
「これ以降、私がモンジャルダン侯爵令息様と二人きりになることも、お話することもございません。
これまでに多大な愛をありがとうございます。
私もシクスト様をお慕いしておりました」
侯爵家に相応しくあろうと一生懸命に練習した淑女の礼は、誰よりも美しいと思う。
もう一度深く頭を下げれば、制服のスカートが視界から消えていく。
それがシクスト・モンジャルダンの、初恋の終わりだった。
* * *
覚悟を持てずにいたことを後悔した日から、どれだけ長い年月が経っただろうか。
やっとのことで不要なものを手離せるところまできたのに、不思議な程に気持ちは落ち着いている。
馬車から降り、久しぶりの我が家を見上げる。
昼間の光の中で、どことなく閑散とした印象を受けるのは気のせいではあるまい。
これまではふしだらな女の住む場所と嫌悪して寄り付かないようにしていたが、その生活も今日で終わる。
事前に通達していたからか、使用人が揃って出迎えてくれた。
人数が減ったのだと見ただけで分かったが、同時に離職していった者達についても別所で再雇用しているので問題ない。
家令がいつもの曖昧な笑みで出迎える中、妻と呼ばれる人物の姿は一切無かった。
それもまたいつものことなので問題ないが、今日ばかりは会う必要がある。
「あれはどこにいる?」
聞けば、今日も今日とて机にしがみつき、恐ろしい形相で手紙を書いているようでと返ってきたのに思わず笑う。
「相変わらずの執心ぶりだが、こちらも嫌な用事は早々に済ませたい。
このまま部屋に向かうことにしよう」
足取りも軽く歩き出せば、慌てて使用人が数人ついてきた。
「最近の奥様は暴力的でございますので、護衛代わりだと思ってお連れください」
家令の説明に横目で確認すれば、体格の良い強そうな者が揃っている。
エントランスの階段を上がり、奥まった先にある寝室の隣。
夫人の部屋へと続く扉をノックも無しに開け放つ。
視界に広がった部屋の机から、慌てて立ち上がったオレリアーヌの手から便箋が何枚も落ちていくのが見えた。
驚いた顔も少しの間で、すぐにオレリアーヌは憎々し気な顔でシクストを睨みつけてくる。
「ノックも無しに人の部屋に入ってくるなんて、どういうつもりなの!
大体、この間の手紙には明日帰ってくるように書いたのに帰らず、今になって唐突に帰ってくるなんて私に対して失礼だわ!」
既に日常化しているのだろう。
開口一番に怒鳴りつけてくる姿には、遠慮が見当たらない。
対するシクストには、オレリアーヌに対して燃え盛るような怒りも憎悪も持ち合わせていなかった。
好意の反対は無関心とは良く表現できた言葉だ。
「君のいう手紙とは、価値の無い相手に割く時間を惜しんだ、情緒も何もあったものではない手紙とは呼べない代物と、下らない欲望を羅列した紙切れのことか?」
足元まで滑り落ちてきた便箋を一枚拾う。
「なになに、貴方様の黒髪は私の夜を司り、煌めく瞳が二人への幸せへと導いてくれる、か。
よくもまあ、嫌われている相手にここまで執着できるものだ」
手にした便箋は再び床を滑り落ちていく。
羞恥から顔を真っ赤にし、淑女らしからぬ動きで便箋を拾うオレリアーヌに失笑しながら、手にしている杖で便箋を床へと縫い留める。
まさに手に取ろうとしたオレリアーヌが大袈裟なまでの態度で手を引っ込めると、真っ青な顔でシクストを見上げてきた。
「あの下らん手紙の返事をしようと帰ってきた。
全て却下だ」
途端に目を丸くし、次いで再び怒りのままに睨みつける、妻であるはずのものを見下ろす。
「こんな状況になったのも、全部あなたのせいでしょう!
正妻である私を顧みずに愛人を抱え、私は恥ずかしくてお茶会すら開けない! 夜会だってティエリが大きくなってから参加を再開できたけれど、それだって入場した途端にあなたはいなくなる始末!」
思い出が更に怒りの炎へ油を注ぐのか、オレリアーヌは怒りで皺が寄る顔にも気づかずに捲し立ててくる。
「あなたのせいで気心の知れた友人も作れず、肩身の狭い思いをしながら侯爵家を守っている私に、あなたが逆らう権利なんてないのよ!」
最後は絶叫だった。
だが、シクストの表情が変わることは一切ない。
「随分と自己都合な記憶の改竄をしているようだ。
何度言っても聞き入れないが、これが最後だと思って言っておこう」
感情の乗らない声音は事務的で、オレリアーヌの気持ちなど通すつもりのないものだ。
「最初に。君は自分の処遇が私の愛人のせいだと散々に喚くが、婚約していた時も結婚してティエリが産まれた時だって、私に愛人はいなかった」
部屋の気温が下がるように、声のトーンは落ちていく。
「私が愛人を作ったのは、妻であるはずの君が王弟殿下に対し、あり得ない事件を起こしたからだ」
薄い笑みは慈悲など垂れ流すことはない。
「だって、そうだろう? ティエリの出産時期が疑わしいことを許したのに、今度は年若い王弟殿下に懸想をして想いを成就しようとする始末。
そんな女、見切りを付けられると思わないか?」
たとえ独善的だったと言われようとも、こちらが夫婦であろうという努力をしていたのに、壊したのは目の前の女だ。
「あんなことしなければ、家に置いていてもいいとは思っていたのに。非常に残念だ」
少しも残念そうではない声が、オレリアーヌに落ちてくる。
「そして、そんな君は謹慎の身だからお茶会を開くことなど許されず、夜会への参加も王家の許しがようやく出たからだ。
いつだって君には見張りを付けてはおいたが、君をエスコートしていては私まで笑い者になる。
同類だと思われたくなくて、避けるのは当然だろう?」
これだって謹慎として領地に送る前にシクストが散々言っていたことではあるし、それでなくても夜会への参加が許された時には執拗なまでに注意をした。
それがオレリアーヌに全く残っていないのは、最初から聞く気がないからだ。
「後は友達だったか。人脈は学園時代に作っているはずだし、君が事件を起こすまでは夜会にもエスコートしていたから新たな知人を作る機会はあった。
それが全く無いのは、誰も君と、君の嫁いだモンジャルダン侯爵家と繋がりを持ちたくないからだ」
いっそ冷酷なまでに事実を突きつければ、言葉にならない悲鳴がオレリアーヌより上がったが、それは悲しみや苦しみというようは、やはり怒りや拒否に近い感情だった。
どこまでも身勝手で醜い。
シクストがオレリアーヌに抱く気持ちはそれだけしかない。
「君とは離縁する」
シクストが淡白なまま吐き出した離縁という言葉に、オレリアーヌにとっては想定外だったのか、呆然とした顔で口をパクパクとさせた。
だが、すぐに慌てふためいた様子で立ち上がり、シクストへと食ってかかる。
「ど、どうして今更⁉ 私の気持ちが離れた時だって、離縁なんて一言も口にしなかったのに!
立派な息子がいて、あの子を育てた私に感謝し、結局は私のことを愛しているからじゃないの⁉」
「結局という言葉に、詰められる好意的要素が何一つないのだが」
もはや呆れを通り越して感心するほどのメンタルに、シクストとしては溜息を落とさざるを得ない。
「君と離縁できなかったのは、愛情でも子どものためでもなく、私の父が君の父君にしていた多額の借金のせいだ」
借金、と思いがけない言葉に驚いた声が返され、本当に何も知らなかったのかと思う一方で、何の根拠もなく傲慢な考え方でいたのは本来の性格なのだと改めて思い知らされる。
己の欲を優先する愚かさは、自身の父である前侯爵と同じで、本当にこの二人はよく似た者同士だ。
それは大層気が合っただろう。
「私の父が君の父上に莫大な借金をしていてね。借金を返せないことから、君を婚約者にすることで借金の返済を無期限で待ってもらうようにと契約書を取り交わしていた」
聞いた時には死にたくなる程恥ずかしかったよ、といっそ穏やかなまでの笑顔でいるシクストに、オレリアーヌが怯えたように一歩下がる。
シクストの杖の下で、便箋が強い力に引き込まれるように捻じれていった。
「君の騒動のせいで更なる金が必要となったが、どうしても離縁したくて秘密裏に金を集めてね、レオニー嬢が宰妾になったことでの報奨金で、借金は全て返済できた。
これで私は、君に縛られる必要はない」
レオニー嬢が宰妾になっただけではない、今回の復讐劇を手伝った見返りの報酬は膨大な額だ。
後はモンジャルダン侯爵家の名誉回復の為として、オレリアーヌと離縁するだけでいい。
その後も長く苦労するとは思うが、これから迎える最愛のことを思えば、今以上に働くことは苦にならないだろう。
「ああ、私が君を愛しているとか言っていたが、妄想甚だしいので訂正しておこう。
最初の頃の私は君に誠実であろうと思ったことはあったが、一度たりとも愛したことなどない」
僅かに細められたシクストの瞳は、オレリアーヌを映しても、それを見ていなかった。
「私が愛しているのは、今も昔もデジレだけだ」
シクストが呼ぶ名前を聞いた途端に、オレリアーヌの手がシクストの頬を打つ。
さらに追撃するつもりで振り上げた手を下ろす前に、使用人達がオレリアーヌを捕らえて後ろ手に捩じり上げてから、床に膝を突かせた。
「やっぱり今でもあの女と繋がっていたじゃない!
何が誠実よ! この大嘘つき!」
暴れたせいで結い上げた髪が乱れ、もはや貴族婦人になど見えやしないでいる。
「嘘はついていない。君がティエリを産んでも、それでもあの事件が起きるまで、私はデジレを探さなかった」
自分がどんな顔をしているのか、シクストにはわからない。
「ああ、一つだけ感謝してもいいことがある」
だが、なんとなくはわかる。
きっと笑っている。
彼女を嗤っているはずだ。
「君がアルマン王弟殿下に夢中になったことで、私の中にあったはずの君に対する義務なんて気持ちは木っ端みじんに砕け散ったのだから。
お陰でデジレに会いにいこうという気持ちの原動力になったし、実際に彼女を引き取って、幸せな生活を送ることもできている」
床に縫い留められ、上質なスカートを広げるオレリアーヌは標本のようだ。
だが優美な蝶ではない。
金と権力の光に群がった蛾だ。
「私に沢山の愛人がいたと思っていただろう?
デジレ以外は皆、愛人のふりを頼んだ、生活に苦労している婦人方ばかりだ」
もうオレリアーヌの表情が変わることはない。
既に自分の都合の良い考えを振りかざせる状況ではなくなった。
己の悪事は理解できなくとも、都合が悪い状況だということだけは理解できているのだろう。
そこで、愛人達が実はそうでもなかったと聞いても、何一つわからないに違いない。
「借金返済までは最愛の人を隠したいのだと頼んだら、新しい仕事か人生を見つけるまではと、誰もが快諾してくれたよ。
調べた様子もないので気づいていないと思うが、私の愛人は不定期に入れ替わっていて、今は16番目の女性が元気に愛人活動中だ」
借金でお金は必要だが、平民である彼女達にかける金額は些細であるし、それにティエリの被害者達も一部含まれている。
侯爵家では愛人で通していたが、実際は生活苦の女性達を助成する家となっている。
シクストがしたことといえば、彼女達が共同で生活するための小さな屋敷を用意し、彼女達の能力を見極めた上で仕事先の斡旋をしたり、良縁を探したりしただけ。
将来が決まった者には、多少なりの祝い金を渡して送り出す。
これを運営する形に持っていけたら、王家の手に渡り、貴族からの被害を受けた女性達のサポートをする場所として生まれ変わるだろう。
これもまた褒賞が与えられるし、モンジャルダン侯爵家の立て直しに一役買う。
「それにしてもデジレを探し出すのに随分と苦労した。
なにせクラメール子爵家は君の生家の影に怯え、彼女がどこにいるか、決して口を割らなかったからね」
コツ、と杖が床で音を鳴らす。
「クラメール子爵家に手紙を書いたのは君だろう?
私の大切なデジレを戒律の厳しい修道院に入れなければ、子爵家に膨大な損害をもたらすだろうと」
コツ。音が鳴るたびに、杖はオレリアーヌの顔へと近づいてくる。
「記憶にありませんわ」
オレリアーヌの声が震えていた。
「そうか。不思議だな。リスクレール伯爵家の家紋が蜜蝋に押されていたが、確認しても、誰も書いた記憶はなかったそうだ。
前伯爵も慌てふためきながらも否定していたよ」
シクストの表情は部屋に入った時から何一つ変わらず、それがオレリアーヌには不気味で、同時に恐ろしくて仕方がない。
「だから離宮に届けられる、膨大な手紙の一部を借りてきてまで確認したんだ。
なにせ君ときたら婚約者のときですら、私に一切手紙を書かなかったのだからね。
当時は恋人のいた私を信用できず、おざなりな態度でも仕方が無いと思っていたのだが」
離宮に積まれた封筒の数には圧倒されたものだ。
何度となく、何年も執念深く書き続けたであろう手紙の数々は、離宮の主すら心底嫌がる呪いにも似た代物であり、いくら証拠とはいえ残すのは精神的に参るだろうと同情したものである。
そのお陰で、クラメール子爵家に送られた手紙と一緒に、筆跡の鑑定に出せたのだから、シクストとしては大変助かったのだが。
「君の腐り果てた性根が反省するとは思えないし、離縁の話をしたことから私の命だって狙うだろう」
ここで即時に否定の言葉が出てこない時点で、もう「はい」と言っているものだ。
「今回の離縁に関しては、モンジャルダン侯爵家に著しい不名誉を与えたとして王命が下され、当主である君の兄上と私の署名を以て離縁は決定した」
嘘だと言った声の覇気の無さに、シクストは笑いを堪えるので手一杯だ。
「王命による書類は今朝の内に手続きを終えている。
つまり君は、既に侯爵夫人ではないし、君の自慢の息子も侯爵令息でもない」
瞬間、甲高い悲鳴が縫い留められた蛾から発せられる。
それは慟哭であり、絶叫であり、言葉の崩れた怒声のようでもあった。
けれど、シクストにとってもうどうでもいいことだ。
部屋に響き渡る声が収束するのを待って、次の言葉を続ける。
「離縁した君とティエリの処遇だが、事前にリスクレール伯爵家に引き取るか聞いたが拒否された。
君の兄上は、贅沢三昧を覚えた妹と甥を養える程の稼ぎはあるけれど、過去に王家へと支払った賠償金を折半させられたことを根に持ち、ついでに王家と侯爵家の信頼を損ねた者など引き取れないということだ」
「……なんですって」
「君の兄上は幸運なことに、王命に署名することを条件に、侯爵家から請求される慰謝料だけは断ることができた。
だから君とこれ以上関わることはできないと言っていたよ」
ギリギリとこちらにまで聞こえそうな歯軋りをしているオレリアーヌが、何かを思いついたかのようにニタリと笑う。
「そんなことを言って、ティエリを手離せるわけがないくせに。
この子を私と一緒に放逐したら、あの小娘が宰妾でいられないでしょう?」
手痛いところを突いたとでも思っているのだろう。
勝者の笑みを浮かべるオレリアーヌに、すぐさま問題無いと返す。
「レオニー嬢はティエリと離縁し、私の第二夫人になるから問題無い」
途端にだらしなく開いた口に、シクストはまたも笑い出しそうになる。
「ちなみに第一夫人はデジレだ」
ここまで言えば、いくらオレリアーヌといえども心を折られるだろう。
「いつまでも恩着せがましく、ティエリの存在を主張されても困る。
安心するといい。デジレとの間に出来の良い息子がいるので、モンジャルダン侯爵家を心配してもらう必要は一切ない」
デジレとの子は14歳。
彼女によく似た面立ちをしているが、ちゃんとモンジャルダン侯爵家の血筋らしい色合いの少年だ。
どちらにも似たのか溌溂としている。
「とはいえモンジャルダン侯爵家の血を引いているティエリを放置しても、後々のトラブルとなる。
モンジャルダン侯爵家の関係者だと名乗って、厄介事を引き起こされても面倒だ」
少なくともシクストには、そうなる未来しか見えない。
「君とティエリに与えられる選択肢は少ない。
レオニー嬢が本邸と分断してくれた別邸があるだろう。あそこに移り住み、こちらの監視を受けるのならば、食と住だけは平民としての生活水準を保障しよう。
もしくは別々の修道院に入るかだ」
どちらもオレリアーヌの矜持が許さない選択だろう。
別邸に住まうとなると、貴族の住宅区にいる平民として周囲の笑い者になるだろうし、だからといって修道院の清貧な生活に耐えられるわけがない。
だが、平民の富裕層が住まう住宅街に屋敷を買い与えることなんて、ティエリの性格を考えたら無理な話だ。
本当に誰に似たのだか。
それを連想できる相手が脳裏に浮かび、頭を振って目の前のことに集中する。
「領地に送ることも考えたが、母上に絶対に許さないと言われたのでな。
一時的な謹慎ならともかく、永久的に住まうことは拒否反応を起こしたので、どうしようもない」
突きつけられた選択肢を選べず、黙り込んだオレリアーヌの態度も想定内だ。
「まあ、すぐに決められないならば数日の猶予を与えるが、その間は別邸で過ごして考えるといい。
この部屋はデジレのものだ。すぐに悪趣味な調度品を売り払って、彼女好みの部屋にする必要があるから出て行ってくれ」
これ以上は話すこと無いと、後ろに控えた家令へと向き直るシクストに、「待って」や「嘘でしょう」といった声がかけられるが一切を無視する。
「ゴミを運ぶのに人手が必要だ」
すぐにメイド長が若い男達を連れて来る。
「このままオレリアーヌ・リスクレールとティエリ・リスクレール、それからエディット・クレークを別邸に。
暴れるようなら手荒に扱っても構わない。相手は既に平民だ」
彼らの視線は無遠慮にオレリアーヌへと向けられたようだったが、それを気にするつもりはない。
「彼らの所持品の大半は、残していても邪魔なので与えるつもりだが、モンジャルダン侯爵家由来のものは何一つ持ち出すことを許可できない。
一旦は彼らの身柄と最低限の衣服だけ運んでやってくれ。
すまないが、家令はメイド長と一緒に彼らの所持品の確認を。高価な品で不明瞭なものがあれば、私が確認するので執務室に運んでくれ」
使用人達はすぐに返事をすると、素早く部屋から出て行った。
少ししたら邸内は騒がしくなるだろう。
シクストの前をオレリアーヌが引きずられていく。
怨嗟の込められた視線を向けてくるのは、未だに彼女が反省どころか自覚をしていない証拠だった。
それを見送りながら、いっそ、王家の望むままに引き渡した方が良かっただろうかと考える。
シクスト自身で処分をしなくていいので、それなりに都合の良い話でもあったが、ティエリがモンジャルダン侯爵家の血を引く以上、末路がわからないというのは当主として賢明な選択肢とは思えなかった。
それなら自身の手を汚した方が確実だ。
これについてはシクストも少し考える時間が必要である。
とりあえず身の安全を考えて、侯爵家の塀に穴が空いていたりする箇所が無いかの確認と、門と裏口の鍵を換えることを、オレリアーヌの机にあった手帳に書き付ける。
それが妄想の羅列を書き連ねた紙片と同じだと気づいたシクストは、同じように手帳からメモを書いた頁を破り、それから手帳を処分するようメイドに手渡した。
これで一旦、後日談も終了です。
ここまで読んで頂いて、ありがとうございました!
感想や評価、誤字報告にも感謝です!
ティエリとエディットは気が向いたら書くかもですが、大分影が薄くなってしまったので、多分書かないような気がします。




