後日談① オレリアーヌの思惑
痴女おばさんは元気に過ごしております。
「エディット様がご懐妊されております」
夫に酷い目に遭わされて王城から戻った翌日、ショックでベッドから出られずにいたオレリアーヌが、今日ばかりは養生しようと思っていた矢先にされた報告だった。
無意識に唇の端が吊り上がる。
これはなんとかなるかもしれない、と思う。
そう思った理由はよくわからぬままに、ただ、オレリアーヌの血筋がモンジャルダン侯爵家の礎へと変わるのだろうという歓喜で体が震える。
上半身を起こしているせいで腰辺りまで落ちた、キルトの掛布団やブランケットを握り締めた。
「そう、もう一人だけの体ではないのだからと言い聞かせておいて。
それからエディットの面倒を見るメイドは増やしておいてちょうだい。
ティエリには言ってあるの?」
「まだ起床されておりませんので、後程になるかと」
聞けば、ティエリも喜ぶだろう。
そんな気持ちに水を差すように、恐れ入りますが、と続ける家令の言葉に嫌な予感を覚える。
「現在、使用人不足の為、エディット様のお世話させて頂くメイドを増やすとなると、奥様か坊ちゃま付きのメイドから誰か動かすことになるかと」
「嫌よ」
咄嗟に出た言葉を追いかけるようにして、オレリアーヌは家令を睨む。
「使用人の数が減ったのも、それでも上手に執り仕切れないのも、家令であるお前の怠慢よ。
主人に苦労を掛けようと思わず、工夫してどうにかしてちょうだい」
了承の意は返されなかったが、頭は下げられたので、これで問題は解決するだろう。
モンジャルダン侯爵家の家令が自身の無能ぶりをさらけ出すなんて、あってはならないことだ。
オレリアーヌがしっかり指導しなければならないのかと、知らず溜息を落してしまう。
これ以上煩わしい話は聞きたくないと部屋から追い出し、壁際に控えていたメイドに今日は休むので滋養のあるスープと、その前に温かいお茶を用意するように言い付ける。
すぐに頭を下げて出ていったメイドを見送りながら、これからどうするべきかを思案し始めたオレリアーヌ。
レオニーが宰妾とやらになると確定した今、エディットの生む子が侯爵家の跡取りである。
その為にはエディットの地位を安定させることが必要だ。
なにより、本妻であるレオニーが不在となると、侯爵家の家政を取り仕切る妻の立場が新たに必要だった。
当初は散々にレオニーに屈辱を味わわせた後に、ティエリとエディットの幸せな姿を見せつけながら、本妻としての義務だけは務めさせるつもりだった。
夜会の参加やお茶会の開催などではない。
元公爵令嬢としてエディットに行儀作法を教え、エディットが主役になれるお茶会の準備や、夜会に参加する為のドレスを選ぶ手伝いといった、家庭教師と侍女としての役割だ。
それにエディットは刺繍が苦手だったし、オレリアーヌも計算が苦手で侯爵家に必要な支出などは家令に任せていたので、そのあたりも含まれる。
女のくせに宰相補佐をしていたのだから、それぐらい出来て当然だろう。
そして、エディットの生んだ子は、ティエリとレオニーの子として届け出するつもりだった。
だからといってレオニーが育てることを許すはずもなく、ティエリを立派に育て上げたオレリアーヌが育てる予定で、ティエリとエディットも育児といった煩わしいことを避けられるならと了承済であったのだ。
だが、レオニーが宰妾となったことで、ティエリとの間に子を儲けたという嘘もつけなくなった。
ティエリとエディットの子を侯爵家に相応しい、高貴な血筋の子として育てるつもりだったのに計画が台無しだ。
それもこれも上手く采配できない夫が役立たずだからだと、今更ながらに怒りが湧いてくるが、同時に王城で見せた冷たい眼差しと頭からかけられたお茶の生温さを思い出して背筋が冷えた心地となる。
とにかく、オレリアーヌの大切なモンジャルダン侯爵家が、口さがない貴族達の興味本位で名誉を傷つけられぬように、本妻であるオレリアーヌがしっかりしなければならない。
こうなったら周囲から馬鹿にされないよう、エディットの立場を上げるしかない。
簡単な方法は、愛人から第二夫人にすることだ。
問題はエディットが子爵家の娘でしかなく、エディット本人もオレリアーヌも愛人になるつもりしかないという前提から、夫人としての仕事なんて教えていない。
それどころか侯爵家に住み始めて早々に、行儀作法なんて面倒臭いと途中で放棄しているので、第二夫人として振舞えるかどうかも怪しいところだ。
唯一、一緒に食事をする際にマナーがなっていないとオレリアーヌ自身が許せなかったので、食事とお茶のマナーだけは最低限叩き込ませたぐらいか。
エディットは子を産む道具であり、愛玩動物ぐらいの扱いでよかったのに。
誰も彼もがオレリアーヌが幸せになるための装置の一つだというのに、よりによって一番疎ましい相手が全てを壊したのだ。
そして、本妻がレオニーであるという事実が変わることも無い。
何もかもがオレリアーヌの思惑通りに動いてくれない苛立ちに、手近な枕を殴りつけた。
昼を過ぎて暫くした頃に、エディットの懐妊がティエリに伝わったことが報告された。
淡々と報告する家令に、エディットの為の家庭教師を探すように言い付ける。
「あの子は今まで愛人でしかなかったから、高位貴族に相応しい教養なんて必要としていなかったけれど、そうも言っていられないわ。
妊娠中のあの子にやる気を出させ、でも体に負担はかけず、子を産む前までには侯爵家に相応しい淑女にできる人を探してちょうだい」
だが、少し黙った家令が困ったように笑み、オレリアーヌを見ながら首を横に振った。
「残念ですが奥様。
かつてのエディット様の立場は子爵令嬢でしたので教師をなんとか探してきましたが、今の愛人というお立場ですと、貴族を相手にされる家庭教師は断るでしょう」
「なんですって」
今日は体調が悪いというのに、どこまでも家令が反抗的で腹立たしく、朝同様に家令を睨みつける。
「愛人といえども私の姪で、出自もしっかりした子爵家の令嬢よ」
そう言ってやれば朝同様に押し黙ると思ったが、家令は困ったといわんばかりの表情はそのままに、珍しく言葉を返してきた。
「奥様がお忙しそうなことから伝わっていなかったようですが、エディット様は子爵家から縁を切られておいでです」
「だから何というのよ。
親子の縁を切ろうとも、戸籍上は子爵令嬢なのに変わりはないわ」
きっぱり言い切りつつも、一抹の不安がオレリアーヌの胸をよぎる。
エディットの母親は、オレリアーヌの姉だ。
あれが侯爵夫人になった妹に黙って、勝手なことをするはずがない。
「縁を切るといっても様々ですが、エディット様の場合は既に子爵家から除籍されておりますので、お立場は元子爵令嬢でしかなく、今はティエリ坊ちゃんの愛人という名の平民です」
息が止まった気がした。
「冗談、でしょ?」
呼吸が難しいなんて、思うことがあるとは。
「冗談ではございません。
ティエリ坊ちゃんの結婚式のことがクレーク子爵に伝わっており、すぐさま除籍した旨を記載した手紙が届けられております」
「う、嘘よ」
「嘘ではございません」
オレリアーヌが喘ぐようにして吐き出す言葉は、家令によって拒否されていく。
「エディット様は子爵家から引き取った時点で絶縁扱いとされており、クレーク子爵家の令嬢として学園に通うことも認められず、ずっと本邸で奥様と過ごされておりました。
子爵家の令嬢をお預かりしただけであれば、当家でお金を出して通わせていたはずです」
忘れていた。
学園に通う判断は親が行うものだ。
この場合、侯爵家が通って問題無いと判断しようとも、本来の保護者である子爵家が許可していなければ入学手続きは取れないのを思い出す。
行儀作法を身に付けていないので、学園に通うことなど不要だとオレリアーヌは考えていたが、そもそもの前提が違っていたのだ。
生家から見放された、元子爵令嬢というだけの愛人。
そんな娘の子どもなど、オレリアーヌのいるモンジャルダン侯爵家に相応しくない。
だが、モンジャルダン侯爵家の血をオレリアーヌの色に染めるのならば、エディットと腹の子は必要だ。
「……あの子を、エディットを第二夫人に」
「それは旦那様がご判断頂くことです。
奥様の独断でお決めになることではございません」
オレリアーヌの血を吐くような呟きすら拾い上げられ、それに否定の言葉が添えられる。
愛人の家に住み込んで帰らぬ不埒な夫に付き従うだけあって、家令すらも他人事なのだ。
ただただ笑って誤魔化してばかりの男。
嫁いだ当初はそうでもなかった気もするのだが、いつからこんな態度を取るようになったのか。
ティエリを身籠ったときにはこうだった気がするので、オレリアーヌが婚約者時代にだけ仕事ができるふりをしてみせていただけなのだろう。
「あの人に連絡を取ってちょうだい。
大事なことだから明日にでも帰ってくるようにと」
承知致しましたと答えた家令は頭を下げ、そそくさと部屋を去っていった。
部屋の扉が閉められてから、大きく息を吐く。
これからすることは山積みだ。
エディットに自身の立場を自覚させて、粛々と第二夫人としての教養を身に付けさせなければならない。
ティエリにも父親だという自覚を持たせるのも大切だ。
まだまだ子ども気分でいるのだから、オレリアーヌがしっかり指導してあげなければ。
きっと子どもの名前を考えるのだって覚束ないだろう。
オレリアーヌがいくつか候補を決め、それを選ばせるように準備しておこう。
生まれる子の為に用意しなければならない編み物や刺繡については、エディットの腕ではたいしたものができないだろうから、さすがに母親である姉に任せるべきだろう。
オレリアーヌが本気を出せば素晴らしいものが出来上がるはずだが、侯爵夫人としての務めが多いので、そんなことに手を割く暇はないのだ。
後で誰かに代筆させた手紙でも送っておこう。
後は無能な家令の解雇を夫に言わなければならない。
それから侯爵の座をティエリに譲らせるため、そろそろ家に帰って引継ぎをしてもらうようにも言っておかなければ。
サイドテーブルに手帳とペンを用意させ、思いつくままに書き連ねていく。
今の家令は解雇して、新しい家令を雇用すること。
新しい家令は柔軟な考えができるように若い男を募集して、一緒に家を執り仕切っていくオレリアーヌが選ぶこと。
乳母は叶うなら伯爵家、そうでなくても裕福な子爵家までにすること。
夫の愛人に適した人物がいれば推挙を許すが、本邸に入るならば、乳母として使用人部屋相当に住まわせ、愛人なのだから給与はないものとする。
侯爵家の後継ぎとなるエディットの子には最高の環境を用意すること。
そのためにエディットにも改めて高位貴族の夫人としての教育ができる、家庭教師を用意すること。
必要であればオレリアーヌの生家に夫が自ら頭を下げ、家庭教師の手配を頼むこと。
そこまでしてから、今回の騒ぎの責任を取って夫は侯爵をティエリに譲ること。
以降、侯爵家の全ての采配はオレリアーヌとティエリが行うこと。
その為に家に戻り、一ヶ月以内に全ての引継ぎを終わらせること。
夫の個人資産は全額侯爵家に返還し、愛人の金で生活する分には不問とすること。
書くほどに浮かぶ考えに熱が入り、すぐに手帳の一頁が埋まってしまう。
満足した頃には疲れを感じて、ゆっくりとベッドに横になる。
子どもができたとあったら、さすがの夫も慌てて帰ってくるだろう。
口にするのはエディットを愛人として迎えたことの感謝か、それとも家のことを疎かにしていた謝罪だろうか。
あの感情に乏しい夫の表情が変わる様を見られるかと思うと、それだけで明日が待ち遠しくなる。
その時こそ、何もかもがオレリアーヌのお陰なのだと、夫が今までの不貞を謝罪して愛人と手を切り、本妻であるオレリアーヌに傅いて愛を請うべきなのだ。
そして侯爵夫人であるオレリアーヌの名誉を回復するために、奔走する必要がある。
高ぶる気持ちのままに、再び起き上がってサイドテーブルの手帳に手を伸ばし、書き綴った一頁を切り取る。
それを家令に渡すようにメイドへ言い付け、今度こそゆっくり休もうと掛布団の下へと潜り込んだ。
破られた手帳で踊っていた「夫」の文字。
そこに一度たりとも夫たる彼の名前を書いていないことに、オレリアーヌは気づいていない。
この日、ティエリもエディットもオレリアーヌの部屋に訪れることはなく、穏やかな一日を過ごすのだった。
** *
「旦那様はお戻りになりませんが、言付はお預かりしております」
一日ゆっくり休んだお陰か、朝に目覚めることができたオレリアーヌが朝食後に寛いでいたところに現れたのは穏やかな風を装った無能な家令だけであり、夫の姿はなかった。
瞬時に怒りで戦慄く体を止められず、勢いよく立ち上がる。
「あの人は一体どういうつもりなの。
モンジャルダン侯爵家の跡取りを身籠っているというのに、愛人如きを優先するつもり?」
声にも震えが伝わり、手にしていたカップが遅れてカシャンと音を立てていた。
「私は旦那様の言い付け通りにしているだけでございます。
奥様については落ち着かれますよう」
とりつくしまのない言葉に怒りはヒートアップするばかりで、感情のままに手にした扇を振り上げれば、慌てた様子で他の使用人達が割って入った。
メイド達によってオレリアーヌは座らされ、後ろから肩をそっと押さえられる。
他のメイドが割れたカップの片づけをしているのが視界の端に映り、すぐに姿を消していった。
「とにかく旦那様の言付を申し上げます。
先ずはエディット様のご懐妊による、第二夫人にする件については好きにすればいいとのことでございます。
ただし、婚姻の為の式やパーティーといったものは、今の状況から一切認めないとのことでした」
思惑が叶うと喜んだ瞬間に、すぐにこちらの気持ちを下げる言葉を一緒に付けてくる。
あの夫は本当に気が利かずに、自分の体面しか考えないことを言うばかりだと、今度は不満が生まれていく。
それは怒りと混ざり合い、不機嫌という形でオレリアーヌの顔に出ていたが、正面に立つ家令は一切気にしない。
「それ以外については戻ってから改めて話すことになるとのことですが、一つだけはっきりさせたいと質問を預かっております。
旦那様が聞かれたいのは、奥様は侯爵家を乗っ取るつもりなのかと」
言われ、オレリアーヌは思わずポカンとして家令を眺めた。
あの文章の何をどうしたら乗っ取りなるのか。
「ティエリは侯爵家の跡取りよ。
モンジャルダン侯爵家の立場がよろしくないことを考えると、当主が責任を取るのが必然でしょう?」
いったい何が問題だというのか。
家令はオレリアーヌをまじまじと見つめた後、首を横に振る。
「とにかく、跡取りの問題についても、旦那様が戻られてからとなります。
侯爵家のことを決められるのは旦那様。奥様に決定権は何一つございませんのをご自覚願います」
散々に言われて、オレリアーヌの中にある怒りの炎が再び燃え盛り始める。
「あの人はどこ?
帰れないというのならば、私が出向きます。
ついでに泥棒猫の一匹や二匹、躾でもしてやらなければ気が済まないわ!」
声の最後は叫びに近かった。
オレリアーヌが考えるのは、いつかに買ったいかがわしい物品にあった鞭だ。
あれで愛人を何度も打ってやれば、二度と人のものに手を出そうなんて思わないだろう。
オレリアーヌだって積年の恨みを晴らせて、スッキリするに違いない。
だが、いつも誤魔化すように笑むばかりの家令は、珍しく皮肉気な笑みを浮かべたのだった。
「残念でございますが、本日の旦那様が過ごされている先に、奥様が出向くことは難しいでしょう」
「そんなわけないでしょう。
私は侯爵夫人なのよ。制限される場所なんてないわ」
向かい合うのは老齢と表現するにぴったりな外見の男だが、若者に劣らずキビキビとした態度は昔から変わらず、オレリアーヌが婚約者の時から流し目をくれてやっても、一切見向きもしてこなかった相手だ。
それが薄ら寒さを覚える笑顔を浮かべている。
「そんな奥様でも、出入り禁止になっている場所がいくつかございまして」
ふ、と鼻で笑うように息を吐く。
「ただいま旦那様は王城の、離宮にいらっしゃいます」
続いた言葉が余りにも予想外過ぎて、オレリアーヌは何も言えずに家令を見上げるしかなかった。




