01.そちらが愛人を持つのなら
ならば、私も愛人を。
「王命だから仕方がないが、お前のような行き遅れに価値などない。
侯爵家の跡取りはこの若くて可愛いエディットに産ませるが、身分の低さだけが問題だった。
お前には、俺とエディットに似た子の、母親になれるという栄誉を与えてやろう」
今日は公爵家と侯爵家の顔合わせ。
これは王命によって結ばれる婚約の場。
正しい手順に則り、公的な誓約書を作成する王城の行政官まで用意しての席。
そこで明らかに恋人か愛人かといった風の可愛らしい令嬢の腰を抱いているのは、婚約するはずの相手、ティエリ・モンジャルダン侯爵令息だった。
隣に座る侯爵夫人は当然のような顔をして頷いている。
さらに隣の侯爵は他人事のように薄い笑みを浮かべながら、どうでもよさそうに部屋の装飾品を眺めている。
侯爵は噂通りに無関心なのねと心の中で思いながら、レオニーは微笑みを絶やすことのないまま、眼鏡の奥の瞳を隣に座る自身の母親へと向けた。
** *
レオニーはヴァランタン公爵家の令嬢だ。
それも、宰相補佐という肩書がついた才媛である。
更に母親は現国王の妹とあれば、その高スペックから引く手数多であるはず。
だが、貴族達が声を潜めて彼女を揶揄する名称は、『行き遅れ地味令嬢』だった。
真っ直ぐなピンクベージュの髪は、紺のリボンで一つに束ねただけのものであったし、大きく分厚い眼鏡が母親譲りの薄水色の瞳を隠している。
化粧をしていないのかソバカスも隠さず、目の下の隈も酷い。
いくら補佐として務めているからとはいえ装飾品の一つも身に着けない地味さ加減。
書類に向き合い続けるせいか、終始俯きがちで猫背であり、表情は窺えず、そのくせ宰相の執務室へと物申しに訪れた貴族達を声高に追い出すのに、時には公爵家を後ろ盾に押し切ってくる。
学園時代も大変地味で目を引かなかったが、今では悪目立ちしていることから、周囲からの評判はよろしくない。
彼女の二人の姉達が美しいだけに、一層差が際立つのだ。
こうして血筋も立場も高いものの、男社会に紛れ込んだ小生意気で華やかさも持たないレオニーは敬遠され、20歳になってもまだ婚約者すらいないことからか、モンジャルダン侯爵家との婚姻が王命で下されたのだった。
そんなレオニーからの視線を受け、母である公爵夫人が艶然と微笑む。
「まあ、侯爵家に令嬢はいないと聞いていたから、誰かと思っていましたの。
浮気性な非常識の横に座る、同じくらい下半身が緩そうで常識知らずなお嬢さんはクレーク子爵家の令嬢でしたのね」
なんて、と裏声になりかけたティエリの声が響き、余りの言葉からか怒りも忘れて呆然と公爵夫人を見つめた。
すぐに我に返って咳払いで誤魔化したが。
「いくら実の娘がエディットと比べて見劣りするとはいえ、失礼なことを言わないでもらいたい。
彼女は誰よりもかわいくて、行き遅れた女よりも数倍愛嬌があるのだから」
そういうことじゃない。
立ち会う行政官すら呆れた顔でいるが、モンジャルダン侯爵家の面々に気づいた様子はない。
「見目とかどうでもよろしいわ。
私の目の前にいるのは、無関係の婚約の場に同伴してきた、図々しくて頭の弱い小娘だという事実ですもの」
あまりにも明け透けな物言いを公爵夫人からされ、さすがのティオリもタジタジとした様子へと変わる。
ニコニコと妻を眺めるヴァランタン公爵からは、窘める様子も、会話を変えようとする様子も見られず黙っているだけだ。
「とはいっても、モンジャルダン侯爵令息の噂はよく聞いていましたから、驚くことではありませんけど。
学園時代に平民の女生徒達に手を出しては、問題が起きれば金と権力で口止めをし、ついには娼館に通い詰めすぎて卒業できるか瀬戸際だからと、学園に大金を積んだとか」
「根拠のない噂よ!」
モンジャルダン侯爵夫人がヒステリックに返すも、まあ品の無い、と笑い返したレオニーの目は冷めきっている。
「学年は違えども、姿を拝見したことは何度かありますが?
毎年入学した女生徒を選別する為に、全てのクラスを訪れたのは事実でしたし、いつも違う女生徒を追いかけ回していたのも誰だって知っています」
母子で仲良くティエリを追い詰める姿は、外見は似ていなくても、雰囲気がよく似ている。
さすがにこれ以上はいらないことは言われたくは無いと、テーブルへと前のめりになって、対面するヴァランタン公爵家を見る。
「こ、これは王命だ。陛下だって私にエディットがいると知った上で、この婚約を整えたのだぞ。
つまり、愛人は容認されているということだし、そこの小賢しい女が嫁いだ事実さえあればいいと思っているのは間違いない。
いくら公爵家といえども、これを覆すことはできないだろう」
そうやって弁が乗れば、ティエリの言葉は流暢で傲慢なものへと戻る。
「つまりは両家の利益すら考えられていない、むしろモンジャルダン侯爵家に不名誉な結婚である以上、俺がそこの女に誠意を尽くす理由はない。
戸籍上の妻としては置いてやるから、屋敷の隅で大人しくしておけ。
間違ってもエディットに嫉妬し、いらんことをしようとするな」
身分が上であるヴァランタン公爵家に対して、随分な物言いである。
レオニーがいまだに婚約できていないことから、公爵家は要求を呑むしかないと足元を見た態度だった。
けれど、向かいに座るヴァランタン公爵家側は、ティエリの発言など想定内だというように落ち着き払っている。
おかしそうにヴァランタン公爵夫人が軽やかな笑い声を上げた。
「ええ、ええ、結構ですわ。好色と尻軽でお似合いの二人ですもの。
レオニーも貴方のことは少しも気に入っていないし、愛人など好きなだけどうぞ」
公爵家が拒否をすれば面倒臭いことになりそうだったが、さすがに王命だからか、思った以上にスムーズにティエリの要求は通ったようだった。
満足気に笑うティエリを放置し、公爵夫人の言葉は続けられる。
「ですが、さすがに娘が一人だけでは不憫ですわね」
ヴァランタン公爵夫人の、そっと伏せた瞳の下で扇子が広がる。
次に顔を上げた時には、笑むように目を細めた上半分だけの顔が侯爵家を見ていた。
「白い結婚の上、そちらが愛人を持つのならば、娘も嫁ぐ際には愛人を持参致しますわね」
途端に驚きに満ちた声を挙げたのは、モンジャルダン侯爵夫人だった。
「嫁いだばかりの妻が愛人を持つなどあり得ないわ!」
対するヴァランタン公爵夫人の態度は変わらない。
「何か問題がありますの?
だって、モンジャルダン侯爵令息はレオニーと夜を共にしないと宣言しましたわ。
侯爵家の子を産む必要がないならば、構わないでしょう?」
「そんなことを言って、子ができたら侯爵家に責任を負わせるつもりでしょう!?」
騙されないわよと、ギリギリと歯軋りの聞こえそうな程に、歯を食いしばりながら侯爵夫人が睨んでくる。
公爵家の方はといえば、誰もが感情を露わにすることがない。
「まさか。レオニーから生まれる子は愛人の子だけですから、侯爵家の子として認めて頂く必要はないわ。逆に頼まれたってお断りよ。
これは婚約誓約書に付け加えてもらってよろしくてよ」
扇子がパチリと閉じて微笑みが見えた次には、後ろに控えていた家令らしき男性が、間に挟まる卓上に紙を広げた。
これまで穏やかな微笑みのままで黙っていた公爵がペンを持ち、ティエリの意思を確認するように視線を向けた。
それに勝手に勇気づけられて、鷹揚にティエリが頷く。
「俺は寛容な方だ。
夫に目も向けられない哀れなお前に、愛人を持つことぐらい許してやろう」
まあ、と言葉を続ける先も大概な内容だったが。
「確かに体つきだけは女らしいが、顔が俺の合格ラインに達していないお前に、ほいほいと愛人が用意できると思わないが。
お前が愛人にできる相手なんて、精々、金に目が眩んだ平民ぐらいだろうが。
せめて貴族社会を理解できる奴にしておいてくれよ。俺に恥をかかせるな」
ティエリがそう返せば、どことなく不満げな顔をしたモンジャルダン侯爵夫人も口を閉じる。
それを確認してから、公爵が鼻歌混じりに先程の話を箇条書きにして書き足していく。
一つ、夫妻は互いに愛人を持つことを許可する。
一つ、妻であるレオニーの子は、モンジャルダン侯爵家の籍には入らない。
「お母様。互いの愛人が接触するのも良くないでしょうし、私は侯爵家の別邸に住もうかと思います。
ほら、本邸から一番離れた庭奥にある建物ですわ。侯爵家だというのに小さな造りで可愛らしいですし」
とんでもない方向に向かう会話にも関わらず、動揺した素振りのないレオニーまでも口を出し始め、そうしてから侯爵夫人を見る。
「本邸には一歩も足を踏み入れません代わりに、別邸と周辺十数mほどを自由にさせて頂いても?」
呆気に取られたように見ていた侯爵夫人だが、すぐに我に返った様子で優越感を帯びた口角を高く吊り上がった。
「まあ、自ら別邸に向かおうだなんて、自分の立場を理解できたようね。
本来なら家を取り仕切るのが妻の役割だから、その責務だけは果たしてもらうつもりだったけど、そうね、弁えるのならば許してあげましょう」
それを聞いた公爵は鼻歌を途切れさせることはなく、そのくせ几帳面な文字で素早く追加事項を書き込んでいく。
一つ、妻レオニーは侯爵家に滞在する間は本邸及び周辺に立ち入ることなく、別邸にて過ごすこととする。
一つ、上記に伴い、別邸と周辺の管理権限はレオニーに譲渡される。
「では、最後に」と言った公爵が、誓約書の一番上に『ティエリ・モンジャルダンとレオニー・ヴァランタンは、両家の合意のもとに夜の営みを行わないものとする』と書き足し、そうしてから行政官に渡せば、程なくして正式な書類三枚と控え各二枚ずつが作成された。
婚約届と婚姻届け、そして今の条件を追加した契約書だ。
それぞれに確認して、両家の当主と本人達が署名していく。
書類が完成するのを見届けた侯爵夫人は鼻で笑い、ティエリは嘲りに満ちた顔で公爵家を眺める。彼の腕に縋るエディットと呼ばれた令嬢も、どことなく優越感を宿した瞳でレオニーを見ていたが、公爵家は誰一人として気にしない。
この部屋に入ってきた時と同様に、貴族らしい微笑みを絶やさぬまま、早々に立ち去っていった。
** *
「なんだ、全然たいしたことなかったな」
公爵家が立ち去った一室で、ティエリが馬鹿にした声音を隠すことなく言葉を吐き出せば、侯爵夫人も隠せない愉悦の笑みで頷く。
「いくら公爵家といえども、王家の命には逆らえませんからね。
今頃歯噛みしているのではないかしら。
あんな娘を迎えることになったティエリの、モンジャルダン侯爵家の寛容さに感謝して当然だというのに」
話が終われば、取り替えられた茶器から漂う香りに誘われて、何気なしに手を伸ばす。
一口含めば、香り同様の豊かな味が口に広がった。
「それにしても、思った以上に話がスムーズで良かったわ。
あの忌々しいレオンティーヌの娘が不満を言うようだったら、躾と称して扇子で叩いてやろうと思っていたのに」
手にした扇子を強く握りしめる。
「まあまあ、母上。これからさ。
あの小賢しいのが嫁いできたら、仕事も辞めさせて別邸に監禁し、あいつの愛人も逃げ出すくらいに過酷な環境を与えてやればいい」
横で同じようにお茶を飲むティエリが軽口を叩く。
それから周囲にいるメイドへと品定めするような、ねっとりとした視線を向ければ、メイド達は表情を変えずに一番遠い壁近くへと控えた。
隣にいるエディットはそれに気づくことなく、目についたお菓子を食べている。
「そうね。モンジャルダン侯爵家に嫁いてきた時には里帰りも許さず、死んだ方がマシだと思えるくらいに追い込んでしまいましょう」
クッキーを頬張ったエディットが嬉々として便乗する。
「私が家で怒られた時は夕ご飯を抜かれたりしたので、レオニー様はいるだけで悪い人だから毎日晩御飯を出さないでいましょう!」
侯爵は口を挟むことなく、ただ唇に笑みだけ載せて眺めている。
それはいいと笑い合う姿は、会話さえ聞こえなければ家族の団欒にも見えただろう。
本性を知っている周囲には、性格と品性が最低な人間にしか映らなかった。
一方の公爵家は主を迎える準備がそつなくされた馬車に乗り込んで、意気揚々と帰路に着いていた。
「なんだ、全然たいしたことなかったねえ」
呑気な公爵の言葉に、「そうね」と公爵夫人が相槌を打つ。
「お相手をするのが面倒だから、ついつい夜会でもお声掛けしなくって。
久しぶりに話したけれど、オレリアーヌ様は相変わらずねえ」
鈴を転がすように笑う公爵夫人の呼んだオレリアーヌとは、モンジャルダン侯爵夫人のことだ。
「学園時代からやたらと目の敵にしてきて、いまだに煩わしいのよね。
私への対抗心を燃やすのは結構だけど、それよりも品と常識の無い息子を育てていることに気づいた方がよいのに。
侯爵も相変わらずのご様子で、家族への愛情は希薄そうだし」
公爵夫妻の話が夫人から夫の方へと移る中、レオニーは手帳を取り出してなにやら書き付けていく。
少ししてから顔を上げて父親へと声をかけた。
「お父様、別邸に入れる家具を決めたいので、間取り図を手に入れていただけませんか。
それからモンジャルダン侯爵家に一番近くて信頼できる、鉄工職人の工房を紹介してくださっても?」
「うんうん、レオニーの為に必要なものは全部用意しよう」
家族にだけ向けられる優しい笑みで公爵は頷いてから、少しだけ困ったといわんばかりに片方の眉を下げた。
「しかし残念だね。侯爵夫人にとっては一人息子なのだから、少しぐらいはまともに育てていれば、モンジャルダン侯爵家も王家に目を付けられることなんてなかったのに」
哀れだなあ、という言葉は馬車の外へと漏れることなく場車内に留まり、車輪の音が周囲に小気味のいい音を立てるだけである。
後日、王命による両家の婚約は恙無く認められ、届と一緒に添付された誓約書の原本には堂々と白い結婚だと書かれているにも関わらず、誰からも指摘は無かった。
やはり王家はティエリに愛人がいることを承知で、体裁上の妻としてレオニーを用意したのだと、モンジャルダン侯爵家の面々は高らかに笑う。
なお、その場に侯爵がいなかったのは、愛人の家に泊まりこんで帰ってこないからであった。




