何者でもない者への、公式な問い
ローデン村に、馬車が入った。
それだけで、村の空気は変わった。
舗装されていない道に不釣り合いな、王都仕様の黒塗り。
紋章は控えめだが、隠す気もない。
村人たちは遠巻きに様子をうかがい、誰も近づこうとしなかった。
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「……来ましたね」
リィナが、小さく言う。
「ええ」
俺は、納屋の扉を閉める。
「予定通りです」
逃げる理由は、ない。
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馬車から降りてきたのは、三人。
先頭に立つのは、白衣の男。
年齢は四十代半ば。
立ち姿だけで、肩書きが分かる。
「王立魔法研究院、主任研究官ハルディアだ」
名乗りは、簡潔だった。
「視察のため、立ち寄らせてもらった」
“視察”。
だが、その目は、明確に俺を見ている。
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「こちらが、噂の人物です」
エルヴァンが、俺を指した。
「彼が――」
「いい」
ハルディアは、手を上げて制した。
「本人から、直接聞こう」
視線が、重なる。
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「名前は?」
「ありません」
即答した。
一瞬、調査官たちが言葉を失う。
「……偽名でもいい」
「必要がないので」
ハルディアは、少しだけ口角を上げた。
「なるほど」
怒らない。
それが、逆に不気味だった。
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「では、役割は?」
「調整です」
「何を?」
「魔法が成立する前の、条件を」
空気が、張り詰める。
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「理論的には、存在しない工程だ」
「そうでしょうね」
「だが、結果は出ている」
「ええ」
短いやり取り。
だが、互いに一切引かない。
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「質問を変えよう」
ハルディアは、歩み寄る。
「君は、魔法を使っていない」
「はい」
「術式も、詠唱もない」
「ありません」
「それで、魔法の成功率が上がる」
「条件が整えば、自然と」
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「……魔法とは何だと思う?」
唐突な問い。
だが、俺は考えなかった。
「現象です」
「力ではなく?」
「力は、結果に過ぎません」
ハルディアの目が、わずかに細まる。
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「では」
「今までの魔法使いは?」
「無駄な負荷を、背負わされていました」
調査官の一人が、息を呑む。
「大胆だな」
「事実です」
否定もしない。
煽りもしない。
ただ、言う。
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「君は、それを広める気か?」
「必要とされる場所には」
「国家に従う?」
「従属はしません」
即答だった。
だが、続ける。
「拒絶もしません」
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「……厄介だ」
ハルディアは、正直に言った。
「だが、敵でもない」
彼は、深く息を吸う。
「王都としては、二つの選択肢がある」
「排除するか」
「囲い込むか」
村人たちが、ざわめいた。
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「どちらでもありません」
俺は、静かに言う。
「三つ目です」
「聞こう」
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「必要な時に、呼んでください」
「それ以外は、ここにいます」
「理論も、称号も、要りません」
「ただ、直します」
沈黙。
風の音だけが、流れた。
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「……交渉にならないな」
ハルディアは、苦笑した。
「君は、自分の価値を理解していない」
「理解しています」
「それでも?」
「だからです」
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「分かった」
彼は、頷いた。
「正式な勧誘は、しない」
「だが」
「監視は、続ける」
「構いません」
「協力要請が来たら?」
「内容次第で」
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ハルディアは、振り返る。
「今日のところは、ここまでだ」
馬車に戻りながら、呟く。
「……厄介な“無名”だ」
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馬車が去った後。
村に、静けさが戻る。
「……終わりましたね」
リィナが言う。
「いいえ」
首を振る。
「始まりです」
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王都は、気づいた。
だが、理解してはいない。
だからこそ――
まだ、余地がある。
直すだけだ。
それ以上のことは、起きてから考えればいい。




