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乃木無人





「ただいま、ロア」

「お帰りなさい、ご主人様」

 僕が鈍色の世界へ戻ったのはロアが「記録(ログ)が残るから」と送り出してくれた直後だ。きっとロアの目前から僕は姿を消した訳ではなく、刹那の間、言葉を失っただけだったのだろう。だが、それでもロアは平然と「お帰りなさい」と僕を迎えてくれた。随分と慣れたものだ。


「ロア。それで向こう側は?」僕はすぐさま、懸案した向こう側の様子を確認してもらった。僕が直接見に行ってしまうと、メリッサに気付かれる心配があるからだ。

 

「あ……消滅——いいえ、機能していないようですね。機能していないって表現であってます?」

 そう答えたロアは、どこか理解をしかねている様子で僕を見据え、金色の瞳の片方に例の文字列を走らせた。ほんの僅かの間で先に確認した状況が急変をしたのだ。何が起きたのかを確かめようとしているのだろう。だけれど、それは——。


「うん、それで大丈夫——よし。それじゃあ早速だけれど、その蛹みたいなのに命名を——」僕は、()()()が蛹に喰われる姿を目に——正直なところ——複雑な思いで胸が押し潰されるのではないかと感じたが、ここで決しなければならない。それは僕が望んで誰も彼も巻き込んだものなのだから。その責任がある。「——機能名はバーナーズ」


「内容は?」

 相変わらずロアは瞳に文字列を走らせている。

 この聖霊に課せられた役割はリードランの維持。維持される可能性の中から最善を選び、実行をする。それがロアの機能であり、たった今もそれを実行中だ。だが、僕が発した指示を並列処理することを想定し、幾分か処理機能に余裕を持たせている。

 そして今、その想定通りに僕が名付けた蛹——こちらの世界の<しょぼくれ狼>は命名され機能を付与する必要が出た。だからロアは僕へ、バーナーズが行うべき命令を訊ねたのだ。


「バーナーズは僕のPODSへ格納する。

 だからまずは僕のPODSの記録(ログ)の整理をして格納する容量を確保する——そうだね、アッシュ・グラントがダフロイト入りするまでの記録(ログ)は外部へ隔離。それでも不足しているなら現実世界の情報も一部隔離してくれて構わない。

 次に僕が持つ全権限を外部へ委譲。ただし、接続手段は残しておいて。僕が権限を手放したことをメリッサに知られたくないんだ。

 そして最後にバーナーズの機能なのだけれど、僕のシンクロをリードランへ固定——つまり僕がリードランで死亡することのないよう監視する機能を生成し、メリッサが組み込んだ既存命令を取り込んで欲しい。メリッサが準備した機能を逆に利用させてもらう。この状態でアッシュ・グラントを再起動、<大崩壊>後の時間軸へ戻して欲しいんだ。できるかな?」


「正気ですか? それだと、ご主人様は本当に、お馬鹿さんみたいになってしまいますし現実世界へ戻れませんが? それにその場合、ワールドレコードの調整は?」

 <バーナーズ>へ役割を与え、現実世界の情報でリードランを破壊することは回避できる。それでロアとしては対応は充分であった。だけれど、僕は僕の記録(ログ)を捨ててでも<バーナーズ>を隠匿すると云っている。ロアは、さらに金色の瞳に文字列を素早く流し可能性を導こうとするがうまくいかない。不確定要素が、あまりにも多すぎるのだと思う。つまり、その対応はリードランで僕が担った役割、<世界の王>、リードラン人が与えた<宵闇の鴉>を不確かにするだろう。その影響が計り知れないのだと思う。


 だから僕はロアに伝えたのだ。「僕は、この先のワールドレコードから来ている」と。それは、この対応後リードランは確かに存在していることをロアに伝えている。

「なるほど。随分と阿呆みたいに手間をかけますね——どの時点が知りませんが、そこまでは保ちたいと云うことですね」と、それにロアは呆れ顔で答えた。


「ワールドレコードを触ったり、君の機能を変更したら、それこそメリッサに勘付かれてしまうからね。それに——ジョシュアの身体も必要だから、西さんたちにも気付かれたくないんだ」僕は、柄にもなく片目を瞑ってみせた。ロアは、それに両腕を振り、さらに呆れた顔をすると「何がしたいのかまだ判りませんが、アイネの存在にも関わるのですね」と、踵を返し僕に背を向けた。


「でも、私。メリッサさんに訊ねられたら、答えてしまいますよ? 拒否する権限がありませんし。それでも大丈夫ですか?」


「大丈夫。それは織り込み済み。それでねロア——」僕はロアの背中へ申し訳なさそうな声で云うと、ロアは「なんです?」と少々不機嫌な声を漏らした。「——三つお願いが」


「随分と——いつになく命令が多いですね」ロアは背を向けたままだ。

「そうだね。かっこ悪く踠いているんだよ。それで、一つ目は——僕の権限移譲の話は、葵さんに訊ねられたら教えてあげて欲しいんだ」


「それだと、その会話のログが残ってしまいますよ?」

 ロアは背を向けたまま、肩を竦めた。

「それで良いんだ。メリッサには強制的に全ユーザーのシンクロのパージと遮断をしてもらう必要があるから」そう答えた僕に、ロアはやっと顔をこちらへ向けると、片眉を吊り上げ「それだと、その後リードランへ来れるのは、ご主人様だけになりますよね?」と、いよいよ、僕を阿呆を見下すように顎を少しあげて答えた。でも僕は、それに苦笑いすると二つ目のお願いを伝えた。


「そうなるね。それで二つ目のお願いなんだけれど。僕と云うより<アッシュ・グラント>が外部から接続をする痕跡を察知したら、僕の全権限を開放して、このリードランを消去して欲しいんだ」


「えっと。とうとうシンクロ時間が閾値を超えて、頭がおかしくなりましたか? 超優秀で超絶美女なスーパーでハイパーな私でも、理解が完全に追いつかないのですが……。それだと、メリッサさんが準備したリードランのコピーが流れ込んできますよね? 私は上位権限からの挙動を抑えられませんよ?」ロアはそう云うと、僕に詰め寄ってきた。そうなった場合、ロアがとる選択肢、つまりリードランの維持を実行するには、その方法しか残されないことになる。もっとも、その前にメリッサがそれを拒否する指示をロアに出した場合は別だが。

「私に何をさせたいのですか?」ロアはそう云って、僕の目をグッと覗き込んだ。


「君には、これまで通り、リードランのみんなの()()をお願いしたいと思っているよ」僕は、グッと寄ってきたロアの瞳から顔を避けるよう、体を仰け反ってそう答えた。そう。お願いしたいことは、本当に()()なのだ。


 ロアは、そんなへっぴり腰になった僕をもう一度、鋭く見つめると身体を離した。「そうですか。私のご主人様は馬鹿でも阿呆でも、無能ではないことはよく知っています——」そして、再び踵を返すと続けた「——そうですね。だから、仰せのままに。と、もう限界ですね」


 そう云われ、あたりを見回して見れば先ほどよりも、蒼や緑の線が成す質量が多くなってきているように思えた。随分遠くでは、見知った竜がどこぞの砦でふんぞり返った姿も見えるし、地下道で闘う小さな魔術師と、黒ずくめの魔導師が手を取り合い何かと闘っている姿も見えた。だから僕は「そうだね」と小さくロアの背中へ答えた。


「それでは——このキモいのは<バーナーズ>と命名し機能を付与します。ところで本当にご主人様のPODSへ格納してしまって良いのですか?」ロアは、珍しく心配そうな声を挙げたが僕を見ることはなかった。

 

「うん。本当のアッシュ・グラントを隠したい。六員環の時はバレバレだったからメリッサは随分と楽に僕を追いかけられたでしょ?」僕はそう答えると苦笑してみせた。それにロアは同じく苦笑し「確かにですね」と返した。


 程なくすると——と言っても瞬時の話しではあるが、ロアは作業の完了を口にすると赤黒く輝く玉を手にしていた。そして、それを僕の胸へ押し込もうとしたが、手を止め僕を見上げた。「それで、最後の命令を聞いていないのですが?」


「なんだ、組み込んでもらってからでよかったのに」

「そうは行きませんよ? 命令の前後は大切なロジックなので」ロアはそう云うと目を細めてみせた。

「敵わないな。判ったよ——」僕は、ここで何度目かの苦笑を漏らしてみせた。命令の前後。確かにそうなのだ。それを間違えってしまえば中学生、ないしは小学生が因数分解を間違えるよりも簡単に、結果を違えるのだから、ロアが取った行動は適切だと云える。「——<嫉妬>のPODSが突発的に破壊される支流(ブランチ)があるはずだから、その時点へ遡って記録(ログ)を統合。再起動して欲しいんだ」


「——本当だ、ありますね。いつの間にこんな可能性が? でも、このPODSはヴァノックが処理をしたものですよね? あの竜の巫女」ロアは、そう云うと遠くに見える蒼い線で描かれた竜を眺めた。


「うん。そうなんだよ。その支流(ブランチ)は葵さんがウェッジ鉱石のインスタンスでミラとして強制起動をしようとした時に作られたものなんだ。結局、こちらの<嫉妬>となる素体と、葵さんが持ち込んだ素体情報では差異が大きくてね。壊れてしまうんだ。葵さんには、悲しい思いをさせちゃうけれど...仕方がない。もう謝ることもできないだろうけれど」ロアが遠くの竜の線を眺める顔へ、視線を落としながらそこまで一気に説明をした。ロアはそれに驚く様子も見せず小さく「そうなのですね」と、ごく短く返した。


 そして聖霊ロアは最後の命令を実行した。

 手にした赤黒の玉を僕の胸へゆっくりと押し込んでいく。


「それじゃ、君と話す機会はもう、これで最後かな?」ロアは玉を押し込む手を少しだけ止めると、僕の言葉へ「そうですね」と短く返した。


「寂しくなるけれど——後は任せたよ」

「ええ、しっかり勤めます。それでは——愛しのご主人様」ロアは僕の胸から少しだけ顔を出していた赤黒の小さな弧へ人差し指をかけながらそう云うと、僕の顔をゆっくりと見上げた。「あなたに祝福を。」


 ロアは赤黒の小さな弧を人差し指でゆっくりと押すと最後の命令を完了した。



 

 ※



 

「ロア様」

 乃木無人の情報体がその場から姿を消すと、それまでのやり取りを跪き聞き入っていた聖霊がロアを呼んだ。随分と神妙な声音にロアは「どうしたのですか?」と、やはり神妙な顔で返した。

 

「いいえ、ご主人様の命令で<憤怒>を覆いましたが、それが正常化するまでは随分と不安定になりますが——つまり、希次様か<憤怒>自身がご主人様の命令を掻い潜る可能性があるのでは?」

 そう答えた聖霊が云うことはもっともな話しであった。

 膨大な情報量を書き換え命令を与え機能させるには、それなりの時間が必要だ。途中で不測の事態があればそうなるだろう。


 だがロアは聖霊にこう返した。


「私は超優秀で超絶美女なスーパーでハイパーな聖霊ですよ? みすみす愛しのご主人様に害が及ぶような処理をするとでも? 私たち聖霊は権限に縛られています。ですが、私たちもご主人様が産み出した情報生命体(スーパーAI)です。それなりの意地は見せてやりますよ。<世界の王>は護ってみせます」


 ロアはそう云うと、それまで踠き苦しんだアッシュ・グラントの姿も、この場から消えていることを確認した。するとどうだろう。それまで揺蕩った蒼や緑の線はすっかりと姿を消し、遠くに見えた竜の姿に魔術師や魔導師の姿も消え去っていた。



「いってらっしゃいませ。そして、さようなら」ロアは最後にそう云った。


 

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