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しょぼくれ狼





 目を開けた僕が次に居たのは、純白の世界。

 先ほどの鈍色の世界とは異なり、まるっきり何も存在しない殺伐とした空間だ。見上げれば随分と図体の大きな狼が黒髪の女を咥え、空を駆け昇っていく姿が見える。と、気が付けば視界の外で「ハッハッハッハッ」と息の詰まった、声が耳に届いた。

 視線をそちらへ落とせば、まさに今、その声の主である痩せ細った白狼が、顔を上げ跳び出そうとする間際だった。きっと、空を駆ける狼を追うつもりなのだろう。

 僕はそれを見逃さなかった。

 僕がここへ来た理由は、この痩せ細った狼に用事があるからだ。だから、狼の首根っこを捕まると渾身の力で引き摺り降ろした。

 仮にこの狼のことを<しょぼくれ狼>と云うことにしよう。空の狼が随分と大きいのに対し、こちらは、随分と貧相だからだ。それで、その<しょぼくれ狼>は僕に引き摺り降ろされると、ひっくり返りジタバタともんどり打つと、できるだけ素早く体勢を整え僕を睨みつけた。それは当たり前のことだろう。邪魔をされたのだから、双眸に浮かぶ瞳を赤黒に爛々とさせ怒りを露わにするには十分な理由だ。だけれど、<しょぼくれ狼>が口にした言葉は意外にも冷静だった。


「そちらの、お前がここに来たと云うことは、儂を消すのだな。わざわざ茨の道を選ぶために」<しょぼくれ狼>はそう云うと、またハッハッハッハッと息を詰まらせた。これはもしかしたら、笑っているのかも知れない。


「そうだね。葵さんが穿ってくれたこの機会に気付いたのは、こちらの僕。でも、そっか茨の道ね。僕らの呪いは僕らの手では消せない。だから僕らの理の外から処理をしてもらわないといけないから——確かに茨の道だね。上手いことを云う」僕は<しょぼくれ狼に笑って見せた。


「何を呑気なことを。しかし妥当な選択だろうな。儂が喰らったグローハーツは妄執に囚われた情報生命体だったからな。故に儂らの導いた答えは闘争の末の破滅。そちらは、お前の母が望んだ世界を迎えるのか? それとも不遜な娘の世界か?」<しょぼくれ狼>は、立っているのが辛いのか、またハッハッハッハッと息を詰まらせると四肢をたたみ尻尾をくるりと丸め込んだ。今度は、辛さゆえの息継ぎだったのかも知れない。


「まだ、それも確定していないよ。いや、どんな未来も捨ててきた」僕は、そう云うと<しょぼくれ狼>がそうしたように小さくなっていく、空の狼の姿を見上げた。

「なるほど。理の外の理。それを創らせるためにか?」

「さあ、どうだろうね」

「そうするには、お前とあの不遜な娘の存在は邪魔にはならないのか?」

「それは、内緒だよ。言の音にしてしまえば、流れが産まれてしまうから」

「そうか。しかし、解せないな」

「何が?」

「いずれにしても、お前は世界の王であり、世界の敵であることに変わりはない。神と云う概念は捨て去られ、お前らは十二の聖人から決められた世界の組み合わせを造るのだろ? 異なる理はどうする?」

「神の概念ねえ——パチャクテクのこと云っているなら大丈夫だよ。彼が残した水晶——ウェッジ鉱石を利用させてもらうつもりだからね。最後には誰かに壊してもらわないと、ならないけれど」

 僕と<しょぼくれ狼>はそんな会話を、空の狼を眺めながら淡々と続けた。すると<しょぼくれ狼>は、ゆっくりと立ち上がると「そうか、なるほど。あの狼もお前が封印をしているのだな。狼が口走った父親の話はそこに繋がるのか。それで、こちらの儂——ではないな、世界を引き裂き、揺り返しを起こす。世界は鏡像をなし均衡を保つ故に修復の刻を得る。して、その代償は? 結局、何も変わらないのではないのか? ——それも先程の理屈で行けば口にはできぬか」


 その時だった。

 空を駆ける狼が雄叫びをあげ、純白の世界を斬り裂くと世界は、耳をつんざく轟音に満たされた。僕は思わず両耳を塞ぐ仕草をして見せたが<しょぼくれ狼>は、それを眺めるとハッハッハッハッとまた、例の詰まった声を挙げた。今度こそ、その息遣いは笑ったのだろう。

 僕は耳を塞ぐ仕草をするのと同時に<しょぼくれ狼>に答えを口にしていたからだ。きっと、その答えに呆れ返ったのか、はたまたは喜んだのだろう。その証拠に、<しょぼくれ狼>はこう云ったのだ。「不憫な選択をするものだな」と。


 とうとう、空を駆けた狼は純白の世界の宙を割り姿を消してしまうと、世界は静寂に包まれた。


「それで良いんだ。そっちのメリッサにも、こっちのメリッサにも気の毒な役割を押し付けてしまっているからね」僕は訪れた静寂へ言葉を投げ込むことに少々尻込みながら<しょぼくれ狼>へ、そう返すと両肩を竦めて見せた。「やってもいない悪戯まで自分のせいにされたら、誰でもへこむでしょ? そりゃどこかで歪むよね」


「<帆船>の記憶の継承のことか?」

「そっか。君はそのことをクロフォードから聞かされているんだね?」

「いや——メリッサの母親。エヴァ・アーカムの記憶からだ。あれは、メリッサにその宿命を背負わせることを承知の上で、メリッサを産んだ。その宿命を、どうにかできると考えていたようだ」

「そうだったんだね。だから、クロフォードの研究に積極的に」

「ああ。だがそれは、お前たちの血筋が存在する限り、誰かが背負う宿命。乃木無人(なきと)、そんな顔をするな。最期くらいは、お前の決断を肯定してやろうじゃないか」

 <しょぼくれ狼>は、そう云うと大きく尾を振り僕に背を見せた。

 

 僕の決断を肯定すると<しょぼくれ狼>は云った。

 それはどういう意味だったのだろうか。僕は<しょぼくれ狼>の萎びた背に目を落とし思案したが答えは出なかった。だけれど、しょぼくれが見せた萎びた背は僕に何かを語っているように思えた。

 <しょぼくれ狼>がこちらで喰らったネリウス・グローハーツは妄執に囚われていたと云った。そうか。僕の決断を肯定するとは云ったが、実のところ、そうやって妄執から救われたいのかも知れない。それは——どうだろう。僕が出した答えに、<しょぼくれ狼>の萎びた背に似ているのかも知れない。


 そして、僕は<しょぼくれ狼>を引き裂いた。


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