石の拳
遊歴の竜騎士、ドワーフのバッカス・ドラムが最後の修行の地として選んだのは、神聖アリア王国の西の辺境レーヴァだった。
深い理由はない。たまたま旅先としてアリアに滞在していただけであるし、王都から気まぐれで西へ向かう街道を辿っていた為だ。
背が低く、顔を埋め尽くすたっぷりの髭を伸ばした、筋骨隆々のいかにもドワーフと言う容姿。得物である両手持ちの重い戦斧を背負っていた。
ドワーフの中のドワーフ、それがバッカスだった。
故国ロヴィアで領地持ちの竜騎士になる話はあったが、小さくとも領主になれば土地に縛られてしまう。若く血気盛んなバッカスにはそれが窮屈に思えた。
鍛えた戦技がどこまで通用するのか、広い世界を見て回りたい欲求も重なってロヴィアを単身飛び出した。
元々が勝手気ままな旅だった。見聞を広める為に始めた武者修行だが、そうそう簡単に事件も起きなければ困難にも当たらない。ましてや平和を絵に描いたようなアリアはどこにもバッカスを喜ばせるようなトラブルは起こり得なかった。
民の平穏は何よりだが、これでは武者修行にならないと息を巻いていた。どこかに成敗すべき悪党はおらんものかと1人で正義感に燃えていた。
ちょうど、その時。
「ん? なんだありゃ」
レーヴァの街がそろそろ近い街道沿い。人間の男と女が木陰で何やらゴソゴソ動いてるのが見えた。人気のない、このような道で?
もしや、暴漢ではあるまいな!と勇み足で近づいてみると、女が倒れて足から血を流し、男が覆い被さるようにしてその足に唇を付けていた。
「昼間から何をしとるかぁ! この不埒者がぁ!」
バッカスは自慢の拳を振りかざして破廉恥男に殴りかかった。
「うわっ!」
男の顔面にまともに拳骨が入って吹き飛んだ。それでもわずかに力が逸らされた気がする。コイツ、出来る! バッカスは見逃さなかった。
追い撃ちをかけて2発目を放つが固い手のひらではたき落とされた。
「むむむ!」
これは訓練を受けた者の動きだ。手の固さは訓練を重ねた戦士のもの。
軟弱な強姦魔のくせに鍛練しているとは生意気な! 許せん!
「お、お待ちください!」
男が慌てて喚く。
「やかましい! この強姦魔がぁ!」
「え‥‥!?」
驚いた顔をした男に隙が生まれる。
戦いの最中に戦い以外の事に気を取られるとは、この未熟者めが!
短い足で蹴りを放ち、男の脛に命中させた。ドワーフの短足から蹴りが出ると予想してなかったのか、男はまともに食らった。
「うぐっ!」
これにはたまらず男は膝を折ってしまった。
そこへバッカスの渾身の一撃!
「ウォルフ様!」
女が悲鳴あげた瞬間、男のこめかみにごきっと鈍い音を立ててドワーフの拳が決まる。男は白目を剥いて昏倒した。
ザマァみろ強姦魔! やったぜ!
「やめて! 何かの誤解です、お許しください、どうか、どうか御慈悲を!」
見事に決まった一撃の後、倒れた男に襲われていたはずの女は全身で覆い被さるようにかばう姿を見せて、ようやく間違いに気がついた。
「この人は私の夫です!」
「‥‥あれ?」
「うう、すまなかった‥‥わしの早とちりじゃあ」
バッカスの拳骨を食らったのはレーヴァの騎士ウォルフガングと言い、女はその妻だと言う。夫婦で薬草集めに来ていたところを危険な毒虫に刺されたので応急処置で吸い出していたのだと説明された。通りかかった時の間が悪かったのだ。
「竜騎士のバッカス殿、ですか。いえ、誤解を招きかねない状況でしたから‥‥お気になさらず‥‥最後の1発は効きました、私の完敗です」
顔を痛々しく腫らしながら騎士の男は自己紹介をした。この先にある目指すレーヴァの領主に仕えているのだと言う。片目は切れて腫れて塞がり、鼻血も出てる。
すっかりやらかしてしまった。
「大丈夫か? 遠慮なくやってしまったものだから」
とにかく詫びる為にも家まで送ろうと言う話になり、若い夫婦の荷物などを全て担いで、足下のおぼつかない騎士は女が付き添い歩く事になった。
ドワーフでは背が低すぎて何の支えにならない。
道すがら、身分と旅の目的などを話し互いの自己紹介を済ませた。
騎士だと言う男の方は余程気弱なのか、あるいは馬鹿みたいに穏健な性格なのか、ここまで打ちのめされても腹も立てないとは。逆に気持ちが悪い。
道理で戦い方に甘さが出るわけだ。技術はあっても、殺意がまるで無い。
戦いを制するのは、突き詰めれば相手を破壊する意欲なのだ。
とは言え、さすがは平和を好むアリア人と言うところか。女はともかく、男はあまりアリア人風に見えないが‥‥破壊された男の顔など正直どうでもいい。
「バッカス様、せっかくだからうちに泊まっていきませんか?」
女がそう提案してきた。騎士の妻はセレーネと言う名らしい。
華奢だと言って済ませるには、あまりに生気が弱く儚い印象の強い。
だが、可憐そうに見えてなかなか剛胆な女のようだ。
仮にも目の前で亭主をぶちのめした相手を家に泊めようなどとは。
しかし、肝の座った女は嫌いじゃない。騎士の嫁ならこうでなければ。
この情け無い軟弱者の亭主とは大違いじゃの!
「いや、確かに来たばかりでまだ宿も何も決まってはおらんのだが‥‥」
「ワイン、ありますよ。ここレーヴァはワインの名産地なんですから」
その瞬間、雷鳴に撃たれたようにドワーフの口髭がビリッと震えた。
「よし、世話になろう!」
美味い酒を勧められて断われるドワーフなど、この世にいるものか。
「わははは、ドワーフの見た目は他の種族にわからんよ」
竜騎士に強姦魔に間違われて殴り倒されたなんて。お館様になんて説明すれば良いのだろうか‥‥と、ウォルフガングは濡れた布で顔を冷やしながら落ち込んでいた。体格的には圧倒的に不利なはずのドワーフに素手で打ちのめされるとは。
恥ずかしいどころの話ではない。
しかも、まだ駆け出しのひよっこ竜騎士だと笑っていた。
いや、しかし、どう見ても壮年期のベテラン戦士にしか見えない貫禄だ。
それとも自分があまりに未熟で鍛錬不足であると言う証拠だろうか。
「それでは、バッカス殿は武者修行の旅でこの地に来られたわけですか」
「おう、そう言う事だ。ウォルフガング殿、お前さんは目は良いが、なにぶん思い切りが悪い。そりゃ、きっと、アレだな。相手を叩き潰す覚悟と言うか、要するに優しすぎるんじゃ。剣を握る者は常に斬られる覚悟を持て‥‥実戦では命取りになるぞ」
「感服です、まさに同じ事を剣の師にも言われ続けています‥‥」
もうワインの瓶を6本は空けている。噂に違わぬドワーフの酒豪ぶりに舌を巻く。
同時に真を突くその言葉にウォルフガングはどきりとさせられた。
「まぁ、バッカス様ったら。まだまだワインはありますから遠慮なく」
ますます落ち込む夫を尻目に、セレーネはにこやかな表情でどんどん酒を薦めている。
妻の様子を隣で眺めながらウォルフガングは静かな気迫に圧倒されている。
接待というより、何らかの仕返しをしているようにさえ見える。あれは‥‥酔い潰す気なんだろうか。
しかし、よりにもよって酒で‥‥ドワーフを?
ウォルフガングは背筋に怖気が走るような薄ら寒い思いがした。
「今日はもう休まれると良いでしょう。明日には是非とも領主館に。竜騎士様の来訪という事なら主君シグルドも喜びます。ご案内して差し上げましょう」
「そうか、そうか。ご主君はシグルド殿と申すか」
その夜、昏倒した影響でウォルフガングは飲まなかったが、ドワーフは薦められるがままに上機嫌で飲み明かした。そうして、たくさんの話を聞かせてくれる。
今まで渡り歩いた遠い国の文化や景色、人々の話。不思議な魔法生物の話、盗賊団との大乱闘、賑やかな市場に並ぶ見た事もない果物や香辛料の香り。
特にセレーネは食い入るように聞き入った。
結局、1樽分は飲み干したバッカスは、最後まで潰れることもなかった。
若い夫婦はドワーフの飲みっぷりに呆れていたが、この頃にはすっかり昼間の出来事も笑い話になっていた。
昨日バッカスに殴られたウォルフガングの顔面は、ものの見事に鬱血して青黒く腫れてしまった。
最初こそ心配していたセレーネも、次第にくすくす笑いながら鎮痛効果のある薬草を湿布してくれるようになった。
いかにも打ち負かされた、と言う様相が何とも恥ずかしい。が、負けたのは事実なので隠すこともなくウォルフガングは経緯と共にバッカスを紹介した。
話の途中から、シグルドは堪えもせずにげらげらと笑いっぱなしである。
「腹が‥‥脇腹が、痛いぞ‥‥へなちょこ強姦魔め」
主君から出た一言目がそれだった。もう笑いのタネだ。
ウォルフガングは恨めしげにシグルドを見ている。
「これはそう弱い男でもないんだがな。そうですか、バッカス殿の腕っ節はそれほどに。そう聞いては私も竜騎士だ、あとで手合わせを願えないでしょうか?」
強い男を見れば手合わせしたいと、戦いたくなるのが武人である。
できればもう一度戦いたいという気持ちはウォルフガングにもあった。
「お楽しみは後にして。その前に、他国の情勢などお聞かせ願えませんか?」
シグルドの顔が領主に戻った。バッカスもうなづいた。
ウォルフガングのようにレーヴァと言う辺境の地方都市で騎士を務めているだけの身には、世界の情勢など想像もつかない遥か雲の上のような話である。
バッカスは地域によって騎士道を疑う思想が生まれつつある事や、デビルの暗躍の可能性について語っていた。シグルドは苦い表情のまま熱心に大陸地図を広げて、他国の様子を事細かに訊ねている。
2人の竜騎士の会話に水を差さないようにウォルフガングは黙って控えていた。
いたって平和なアリアではまるで想像もつかない事だが、遠い国ではすでに暗雲が立ち込めている。災厄の種は少しずつ撒かれ始めていた。
「うう、さすがはミドルドラグーンに認められし竜騎士よ、噂に違わぬ格の違いを見せつけられ申した。シグルド殿に完敗じゃ」
「いやいや、どうしてどうして。バッカス殿の拳たるや。まるで岩で殴られたようです」
最初こそ木剣での模擬戦を始めたシグルドとバッカスだったが、途中から互いにすっかり頭に血が昇って素手の殴り合いに発展していた。
熊と猪の喧嘩のような、野蛮な取っ組み合いは誰も制止ができない。
ウォルフガングすら手を出さないのだから、レーヴァでこれを止められる者は居ないだろう。
最後、互いの拳で顔面を相打ちになりかけて‥‥ドワーフの腕が圧倒的に短かった結果、バッカスの顔面にシグルドの拳が一方的にめり込んで勝負は決まった。
唸り声をあげてドワーフは目を回している。
しかし、シグルドもウォルフガングを笑えないほどに鼻血まみれだ。
「貴方たち、いい加減になさい」
通りかかった領主の奥方、クレアが冷淡な一言を男たちに投げかけた瞬間、シグルドの身体もゆらりと揺れて、ずしんと派手にぶっ倒れた。
「奥方様、お騒がせしました」
ウォルフガングが一礼すると、クレアから鍛練の時に使う汗拭き布の束と軟膏の傷薬が手渡された。丁寧に洗濯されたふわりと柔らかい手触りが心地いい。
「承知しました」
ウォルフガングは失神した2人を介抱する事にした。
すっかり意気投合したシグルドとバッカス、そしてウォルフガングの3人は夜遅くまで領主館で飲み明かした。
男たちの顔面は悲惨に腫れあがっているが、皆が上機嫌だった。
陽気な笑い声が遅くまで続いた。
「お時間が許す限り、長くレーヴァに逗留して頂きたい」
シグルドもすっかりバッカスを気に入ってしまった。
それからバッカスは数週間ほどウォルフガングの家に居候を続けた。
毎朝の領主館での鍛練に参加して、レーヴァ自慢の竜騎『レヴィア』にも触れていった。明るく裏表の無い豪快な性格で、街の人々ともすっかり打ち解けていた。
夜の酒場、特に“葡萄の実り亭”ではバッカスは人気者だった。
各地で体験した冒険談を面白おかしく語っていく。異国の話に皆が魅了された。
あれからウォルフガングは幾度も手合わせの機会が得られたが、バッカスには一度も勝てないまま終わった。最後には力でねじ伏せられてしまう。
やはり竜騎士の強さ、特にドワーフの腕力は段違いである。
剣の何倍も重い戦斧を綿毛のように扱ってみせた。ウォルフガングは斧での戦い方に熱心に手ほどきを受けて、バッカスも根気よく訓練に付き合ってくれる。
無骨で生真面目なウォルフガングと、豪放磊落で陽気なバッカスは不思議と馬が合った。道は違えど、騎士道に生きる者の根底にある志は同じなのだろう。
「ウォルフ、レーヴァは素晴らしいな。だが、そろそろ故郷に帰ろうと思う」
「そうか‥‥だが、どうかまた訪ねて来て欲しい、友よ」
長年の友との別れかのようにウォルフガングは落胆の表情を隠せない。
しかし、引き留めることは出来ない。ウォルフガング自身がそうであるように、バッカスもまた竜騎士の責務と使命がある。いや、領主に仕える一介の騎士である我が身より、いずれ領主になる竜騎士の方が重いはずだろうと、バッカスの屈託のない顔を見返す。
ドワーフは迷いのない真っ直ぐな目をして笑ってる。
「バッカス様、道中お気をつけて。是非またいらしてください」
セレーネも、気がつけばすっかりドワーフに心を許していた。
「承知。生きていれば‥‥いずれまたその機会もあろう。セレーネ殿も壮健であれよ。レーヴァのワインは最高だったぞ、がははは!」
何度も熱い握手と抱擁を交わして互いに惜しみつつ別れると、バッカスは嵐のようにレーヴァに現れた時と同様に嵐のように去って行った。
結局、滞在中に地下室のワイン樽はほとんどが飲み干されてしまった。
しかし、バッカスの拳と酒の思い出は、夫婦の楽しい思い出としていつまでも語り草となった。
ウォルフガングがドワーフと再会するのはそれから23年後。しかし、この時はレーヴァに訪れるデビルの災厄など誰にも予想が出来なかった。
【END】
世界設定としてドワーフが存在するので。
バッカスはスモールドラグーンの竜騎士資格者なので小型の龍騎の操縦者として認められやすい状況ですが、今は修行中なので乗ってません。竜騎士は基本的には土地ごとに紐付けされた守護者です。ドラグーンに宿る竜の魂に認められると、騎乗を許されて土地の守護者として正式に竜騎士となります。
スモールだと村レベル。ミドルだと街レベル、ラージは首都防衛、国家レベル。
民をデビルの脅威から守る事で支持を得ています。竜は神話の時代からのデビルの天敵(と言う伝説)。
※ウォルフ23歳 セレーネ16歳 バッカス22歳 シグルド28歳