鉄石心
今回はTRPGでプレイした部分の総集編みたいなモノです。
「お下がりなさい、ウォルフ。お父様もわたくしも救えなかったお前が、邪魔だけはしようというの?」
姫の蔑む氷の眼差しが、長年ルシア家に仕え続けた男に向けられる。
痛烈だった。デビルに堕ちたフェリシア姫に罵倒されても、騎士ウォルフガングは返す言葉を持たなかった。
人前で感情を表に出さない男の頬が震える。
姫の凶行を止めることすら出来ない。せめてもの抵抗に立ちはだかったが、その一言にルシア家の騎士は身動き一つ取れなくなった。
デビルに転化した姫は自分を追い詰めたレーヴァの人々を殺し、死体の山を築き、呪詛のようにウォルフガングを責めつつもその命を奪おうとはしなかった。
むしろ、フェリシアに見逃されたのだ。
デビルの力を持ってその気になれば、たかが騎士など如何様にでも出来たのに。
膝をついたまま動けなくなった無抵抗のウォルフガングを尻目に、フェリシアは姿を消した。
デビルであるフェリシアに衆目の中で罵倒されていたウォルフガングは、フェリシアと同じく領主館の襲撃の生き残りであるにも関わらず、生き残った事でデビルに通じていたと嫌疑がかけられた妹姫とは反対にデビルとの関係を疑われることは無かった。むしろ、長年の忠節に報われない騎士として同情すら受けた。
「違う、違うんだ‥‥フェリシア様は‥‥デビルに決して通じていたわけではないのだ‥‥くそ‥‥姫様は無実だったんだ‥‥」
しかし、フェリシアが惨殺したレーヴァの人々に対する罪は間違いがない。
その民を護るのはウォルフガングの役目のはずだ。
それが、騎士の贖罪をさらに重いものにしていった。
災厄の始まりの日。デビルの奇襲は突然やってきた。
レーヴァで最初に狙われたのは領主館。
「お館様!」
その日に限って自宅で夜を過ごしていたウォルフガングは、すぐに異変に気がついた。剣を握りしめて駆けつける。
既に館は既に無惨に半壊しているのが遠目にもわかる。
兼ねてからシグルドが懸念していた事が、ついに現実として起こってしまった。
それなのにレーヴァの守護竜騎『レヴィア』が動いている気配が感じられない。
何故だ‥‥。
「お館様! 奥方様‥‥フェリシア様!」
嫌な予感がウォルフガングの足を急かした。
レーヴァの領主シグルドはデビルの襲撃に際して、竜騎ミドルドラグーンでの出撃ではなく、妻のクレアと娘のフェリシアを真っ先に救いに向かった。
その結果、夫婦は揃って娘を庇うように折り重なって事切れていた。
ドラグーンに騎乗しなければ、いくら竜騎士でもデビルにとって無力で殺されるだけの弱い獲物でしか無い。あの英傑と名高かったシグルドが、竜騎士としてではなく、夫として父として命を落とした。領主夫妻の遺体と瓦礫の中からフェリシアをその手で救い出したのはウォルフガング自身だった。
ルシア家の筆頭騎士は、主君を護ることが出来なかった。
デビルの用意周到な襲撃は誰にも、あのシグルドにすら気付かれる事なく遂行された。最初にシグルドが斃れた事で、竜騎『レヴィア』は一度も動く事なく、レーヴァの街は破壊し尽くされ大勢の人々がデビルの凶行の犠牲となってしまった。
家々は破壊され、人口の半分は殺害され、なすすべなくレーヴァは壊滅した。
あれだけ慕い敬って心酔してきた主君シグルドとクレアを、満足のいくように弔うことも、悲しむことも許さないまま事態だけが動いて行く。
それはウォルフガングだけではない。レーヴァの人々すべてに言えた。
領主として、民衆を救わないまま死んだシグルドの身勝手な行動を批難する声は今も根強く残っている。その不満がフェリシアを魔女狩りの標的にしてしまった。
実際、フェリシアはデビルの誘惑に堕ちていた。身体の弱い妹姫はその心の隙間を突かれたのだろう。悪魔はあの手この手で人の心の弱さにつけ込み、精神を蝕んでくる。
しかし、最初から妹姫はデビルに加担してレーヴァ襲撃を招いたと言うのは誤解である。
悪辣なデビルの策略に追いつけないでいる我が身の非力さ身に思わず震わせた。
「くっ‥‥」
ウォルフガングにはどうしてもシグルドの行動を批判することが出来ない。自分が同じ立場だったら、そうならないとは言い切れない。
それ以前に、ウォルフガングにとってはシグルドが死んだ喪失感があまりに大き過ぎて、まるで夢の中にいるように現実味が感じられずにいた。
頭で理解しようとしても感情が追いつかない。
‥‥あのお館様が。
それでも、怒れるレーヴァの民の気持ちも理解できる。
信頼してた守護者に見捨てられたと言うのは正しい。
シグルドの選択は、領主と領民の信頼関係を根底から打ち砕いてしまう行為だった。許しも請えないほどに、あまりに多くの犠牲者を出してしまった。
もちろん、シグルドの腹心である筆頭騎士に向けられる批難も制裁も覚悟したが、領主家族より民衆に近い距離でこれまで接していた為か民衆の復讐心を向けられる事はほとんどなかった。
贖罪を何一つ果たせないまま、背負いきれない積み荷だけが増えてゆく。
レーヴァにおける2度目の戦いは、辛うじてデビルを退ける事で一旦の終止符は打たれた。しかし、それはデビルたちが聖王都エリシオンに集結する最終決戦の刻が近づいていた為である。王都が陥落すれば、アリアはレーヴァも含めた全域がデビルに呑噬されるだろう。デビルとの戦いは全世界に及び、すでにアリア一国だけの問題ではなかった。まずは王都に持ち越された決戦に生き残らなければならない。
生きて帰れないかもしれない戦いになるのがわかっていて、レーヴァを離れ、遠い王都へ向かうことに心残りはあったが、それでも行かねばならなかった。
主君や妻の墓の世話をレーヴァ神殿の墓守りに頼み、渡せるだけの費用を渡すと、ウォルフガングは最後の別れになるかもしれない墓参りに訪れた。
彼の地で斃れれば、おそらくレーヴァには2度と戻れまい。
その覚悟の上だ。
愛用していた狼紋入りの、黒鉄の胸鎧と小手型装具を携えて来た。
シグルドから拝領の品である。制作してくれた鍛冶屋のドワーフも、シグルドが死んだ日の襲撃の犠牲になっていた。
活気のあった店は未だに焼け落ちた状態のまま放置されている。
もうこの鎧を修繕をできる者も居ない。
主君の墓に拝領の鎧と小手を捧げた。身を守る防具は、覚悟を決めた武人の足枷にしかならない。ここに置いて往くことにした。
今はただ、悪を討つ剣だけがあればいい。
この度のレーヴァの戦いで、ウォルフガングは手傷を負っていたが、治療も休む時間も余裕もない。布切れを巻きつけた雑な応急処置をしたままになっている。
今すぐにも急いでデビルが集結していると言う王都エリシオンに向かわなければならなかった。時間が無い。
セレーネの主治医で、昔から生傷の絶えないウォルフガングを長く診てくれていた街の医師も、やはり襲撃の日にデビルに殺されたと伝え聞いている。
救護活動がままならならずに犠牲が増えたのは彼を失ったせいだとも言える。
あの日、領主館で夜勤担当だった門番兵と使用人たちもその犠牲者に名を連ねている。若い頃から目をかけていた門番兵は、果敢にも抵抗して見せたせいだろうか、目を背けたくなる惨殺遺体だった。彼の奥方には見せられなかった。
彼女の泣き崩れる姿が目に焼き付いてる。
その髪に、見覚えのある髪飾りがあるのに気がついた。
馴染みの顔はみんな多くが死んだ。デビルに殺されてしまった。
主人を失った領主館でルシア家の騎士として相次ぐ事件の対応に追われてしまい、彼らの埋葬の手伝いすら出来ずにいた。
本来彼らを守護する役目の自分だけが今1人生き残り、こうして立っている。
すでに、ウォルフガングの背中では背負いきれないほどに積み重ねられた犠牲と贖罪。
背中と腕の古傷が、重く響くように痛みに疼いた。
鎧の代わりに外套の上から身に付けている狼の毛皮のマントが、騎士の心情を語るように吹き荒ぶ疾風に大きくたなびいた。
「お館様‥‥」
シグルドの墓前、ウォルフガングは直視する事も躊躇っている。
主君の前に立つことすら恥じていた。
「もう、私の命では贖い切れないほど‥‥罪を積み重ねてしまいました。フェリシア様のおっしゃる通り‥‥おっしゃる通りなのです」
シグルドもクレアも、街の人々も、ついにはフェリシアも守れなかった。
『お父様もわたくしも救えなかったお前が、邪魔だけはしようというの?』
フェリシアが吐き捨てた呪詛は、ウォルフガングの深いところを蝕んでいた。
誰も救えなかったのは自分で認めている事とはいえ、犠牲になった当事者から直接言葉として怨みの言葉をぶつけられて責められるのは相当に堪えていた。
それでもその言葉を受け入れ、その毒を呑み込むしか無い。
きつく握った拳が細かく震える。あの日レーヴァの街をデビルの攻撃から守ることが出来なかった事への償いすら、未だ何一つ果たされていない。
民の平和と騎士の責務において、奴らは必ず滅しなければならない。
シグルドがなし得なかったデビルの討滅を、主君になり代わりやり遂げるのが最後に残された騎士としてのウォルフガングの使命だろう。
若き頃、シグルドに捧げた剣の誓い。
「騎士に叙勲されたあの日から。このウォルフの剣と命は、お館様のものです」
それを、本当にシグルドが望むのかどうかなど今のウォルフガングにはどうでも良かったのかも知れない。ただ、騎士道に則り、デビルを倒すことを望んだ。
復讐心に囚われると心の隙を生み出す。その堕落をデビルは待ち受けている。
デビルに転化する危険があるので、それだけはどんな事があろうと避けなければならない。感情に囚われず最後まで人間として、立ち向かわなければならない。
唯一の心の拠り所は騎士道しかない。騎士道の敵はデビルである。
元はデビルの誘惑を寄せ付けない為に生まれた騎士道だとも言われている。
「必ずやご無念を‥‥」
竜騎士のドラグーンや、聖騎士の神聖魔法のようにデビルに対抗できない一介の騎士であるウォルフガングには、デビルを滅する特殊な力は持ち合わせていない。通常攻撃ではデビルに傷一つつけられない。
つまり、騎士にほぼ勝ち目はない。あるすれば「闘気」の発動しかない。
しかし、それは偶然性が高く、狙って使える力ではない。
しかも発動すれば気絶を免れないほどに激しく消耗する。発動しても、一撃で仕留め無ければ確実に殺される諸刃の刃。
それでも、ウォルフガングは闘気に頼らざる得ない。
これしかデビルに、一矢報いる方法はない。
もう引き返せないところまで、ウォルフガングは追い詰められていた。
最後に、亡妻の墓にも立ち寄る。
今日はいつものように捧げる花束もない。
ウォルフガングの決意を引き留められる人間は皆逝ってしまった。
懐に忍ばせた妻の手紙に触れるように胸に手を当てる。
「君が‥‥望まない事は、わかっているんだ」
シグルドから拝領した忠義の証たる剣、そして亡き妻の残した手紙以外に男にはもう、何も残されていなかった。
遺書には、ただ一言『ありがとう』とだけ書かれている。
「‥‥すまない、行かせてくれ」
黒狼は月に許しを請う。
レーヴァを離れ、最後まで騎士として死地に赴かねばならぬことを。
請願ではなく、身勝手な宣告でしかないとわかっている。
それでも、妻に最後の別れを告げずにいられない。
「あの日の誓いを忘れたことはない。私の心は、今でも‥‥そなたのものだ。例え、この身が滅びようとも」
フェリシアが魔道に堕ちた時、父シグルドを失い、復讐心に駆られた長姉フレイアを拒絶した竜騎『レヴィア』はルシア家ではない若い新たな竜騎士をレーヴァ領主に認めた。
それは沈みゆく太陽のようにシグルドとルシア家の時代は終わり、次の暁の時代へとレーヴァが生まれ変わっていく転機であった。
同時に、ウォルフガングにも変化を求められていたのかも知れない。
しかし、騎士の心は鉄石の如く硬骨であった。
新しい領主に、主家を鞍替えする事もできなかった。
レーヴァに残る生き方もよぎったが、それは無理な選択肢だと思った。
それがあるとすれば‥‥王都での決戦の後だろう。
いや、アリアから全てのデビルを討つまでは後退は無い、進み続けるのみ。
度重なる戦いの連続で、ただでさえ限界まで傷ついているウォルフガングはすでに王都に向かえるほどの体力がほとんど残されていない。
それでも、行かねばならぬ。
「ふ‥‥今更、惜しむような身でもあるまい‥‥」
自嘲気味にウォルフガングは口元に笑みを浮かべる。
幾度と傷ついても立ち上がって来た。それは同時にデビルとの戦いの歴史。長年の決着を付けるためにも、どうあっても決戦を避けて通るわけにはいかない。
デビルを倒さねば、レーヴァも民の平和も守れない。
シグルドの許、主君を追いかけて騎士たらんとする生き方がずっと男を支えてきた。今更、生き方を何一つ変えることができなかった。騎士としての忠節を通す事でしか、主君を護れなかった贖罪を果たす術を他に知らない。
ウォルフガングの剣はシグルドに捧げられている。例え、主君が死んだとしても何も変わらない。変える術を持たない。
武人としての最後の戦いの場を求めている。
そして、遠い日の誓いを捨てる事は出来ない。
「‥‥さらばだ」
低く唸るように妻の墓に別れを告げると、背を向けると歩き出す。
満身創痍の狼は振り返らず、自らの意志で冥府に続く道へと向かう。
決戦の地、王都エリシオンへ。
毛皮のマントが丘から強く吹く荒ぶる風に音を立ててひるがえる。
悪を滅ぼせと、己の中の騎士道が道を示している。
かろうじて残されたシグルドへの忠義と、亡き妻への深い愛情だけがウォルフガングを騎士道に繋ぎ止めている。
覚悟を決めたレーヴァの黒狼の眼に迷いはない。
ただ、月だけは。
静かに、その愚直な男の背中を照らし続けた。
【END】
■お話の風呂敷畳み&大団円までの繋ぎの為のざっくりゲーム本編説明。あまりに時間が開き過ぎるのと、ゲーム本編の出来事ダイジェスト話。ゲームのオープニングでレーヴァ壊滅してるので。本編中の時間軸として最終回の王都決戦前夜、本編中ってずっと贖罪を求められて追い詰められっぱなしだったので、ラストは捨身攻撃でエリシオン最終決戦に臨む選択をした。「でも、本当に道はそれしかないのでしょうか?」と言うマスターからの私信での問いかけを無視するカタチで。なんだか後ろ髪を引かれるアドバイスだったけど、それでもデビルと戦わない選択肢はウォルフに無いんだよなぁ、と。あくまでも、復讐心ではなく、騎士として主君が(死んで)出来なかったデビル討伐に徹すると言う動機の主軸にこだわった覚えはある。世界設定的に復讐心は騎士道に反してしまうと言うかデビルのダークサイド側の行動なので、そこは外れたくないと。
※ウォルフ46歳